其ノ二
「お兄様は大丈夫そうですか、デンバーさん」
「ええ、お陰様で大事には至らなかったそうです。今は薬を使った咎、学校を混乱に陥れた咎も含め、検査とお説教の真っ最中でしょうが。
もっとも、それも全部自業自得。全部が全部ご自身の所為ですから、私は擁護する気にもなりませんわ」
「身内にもお厳しいんですね」
「我が家の恥ですもの、まぁ、流石に勘当されないように取り計らいはしますが。
にしても、あのような事態を引き起こす薬が出回っているとは……人の努力や才能を無碍にしてしまうし、危険ですし、恐ろしい薬ですわね」
「そうですね……何か、お話はお聞きになりましたか、その薬について」
「……いいえ、残念ながら私は何も。噂程度にしか知りませんし、情報を渡していただける立場でもありませんので。
まさかサシャさん、ご自身で使いたい、などと思ってはいらっしゃいませんよね?」
「とんでもない!
そのような薬があるなら、より理解を深め、警戒しなければと思っただけです。分からない状態で無闇に怖がるのも、愚かですから」
「あら、そうでしたの、ごめんなさい。素晴らしい考えですわね、私もそう思いますわ」
(……私、ここで何をしているんだろう)
女性が三人寄れば姦しい。しかし今はそのうちの二人が積極的に姦しくしているだけで、そのうちの一人――ニコラはちっとも会話に参加していなかった。
いや、出来ない、と言った方が正解かもしれない。
二人――デンバーとサシャの会話に入っていくというのは、普段会話に慣れていないニコラにとっては、流れの早い川に浮かぶ木の葉を掴もうとするのと同義である。
つまり、不可能だ。
ただ右と左からやってくる言葉の暴流に、ただただ流されるままなだけ。
三人がいるのは、トウヤとゴウマが諍いを起こした学食の中、時間はちょうど午後三時ほどだ。
丁度授業を終えたサシャとデンバーは、何故か魔高薬解析の途中に休憩を挟んでいたニコラを捕まえ、ここで暢気にお茶を楽しむ事にした。
ニコラの意見は一切聞かれなかったのは、言うに及ばずだろう。
少し困惑しながら、目の前にあるアップルパイを口にする。
バターはそれこそ貴族にしか食せない貴重品だが、この学園は農耕科という、農耕技術の向上を目的とした学科も存在するので、こういう素材まで安価なのだ。
美味しいものを食べられているのだから、このお茶会にも文句は言えないのだが、居心地の悪さに、ニコラは始まってからずっと据わりの悪さのようなものを感じていた。
「それにしても、こういう風にお話ししていると、少し心が軽くなりますわ。時間もあっという間に感じます。
あ、少々離席してもよろしいかしら。はしたないとお笑いなるでしょうが、お花を摘みに行きたいので」
「そんな事思いません、どうぞごゆっくり」
では、とデンバーが丁寧な所作で立ち上がり、キビキビと歩き始める。あれほど堂々と歩いていれば普通は誰かとぶつかりそうだが、今の時間、食堂にいる人間は少ない。
だからこそここを選んだ、という部分もあるのだろうが、デンバーと二人の距離は普段よりもずっと早く離れていった。
「……どういうつもりですか、サシャさん」
「どういうつもりって?」
人が少ないとは言え、誰が聞いているとも分からない。
そう考えてなのか、ニコラは耳打ちするような小さな声でサシャに話しかけた。
「私達は、一刻も早く魔高薬の正体と、それをばら撒いた犯人を調査しなければいけません。こんな所でデンバー・タクァービシャとお茶をしている暇は無いと考えます。
時間の無駄、浪費です」
実際話した内容で関係がある事といえば、先程出た社交辞令的な言葉程度で、それ以外はずっと他の話だ。
やれ学園のカリキュラムはどうの、魔術がどうのと、まるで学生がする普通の雑談のような事ばかり。
こんな会話が、捜査の進展に役立つとは思えない。
「情報収集、という上ではそうね」
紅茶の入ったカップを静かに起きながら、サシャは真っ直ぐにニコラを見る。
「でも、目的はそればかりではないわ。
デンバーさんは、確かに薬に直接関わっているわけではないけれど、やっぱり身内が被害に遭っている以上、影響を受けている部分はあるはずよ?
なら、多少でも彼女の助けになるように動くのは、当然じゃない?」
「……それは、私の仕事でも、ましてや貴女の仕事でもありません」
被害者の身内の心の心配など、自分達がしてもどうしようもない事だ。
仕事云々という言葉は、ある意味方便というか、ニコラなりに『穏便な言葉』を選んだだけ。実際は気にする要素ではないと思っている。
もっと直裁的な事を言ってしまえば、『関係ない』『どうでもいい』。
サシャの仕事は、与えられた職務を全うし、大きく言えば『世権会議の平和を守る』事。
対するニコラの仕事は、サシャをこの一件でのみ助けるだけの話。
サシャはこの事件が終われば学園を去ってしまう身だし、ニコラとてこれ以降デンバーと仲良くしようなどと思っているわけではない。
だから、この時間は本当に〝無駄〟だ。
一分の隙もない事実だ。ところが、サシャはそれに対してはっきりと、首を横に振る。
「いいえ、私の仕事よ。
私の使命は、世権会議に加盟する全ての国の、全ての人の平和と安寧を守り、不幸に遭った人々を救い出す事。
なら当然、被害者である兄の姿を見て悲しんでいる彼女の支えになるのは、私の歴とした仕事」
「……まぁ、それならばそれで、もう良いです」
その言葉を聞いて、ニコラはすぐにこの問答を諦める。
サシャがどう思っているかなど、自分には変えようがないし、変えるつもりもない。彼女がそういうのなら、そうなんだろう。
だけど、それとは別にもう一つ、重要なものがある。
「でも、そこに私を巻き込まないでください。私は、別にそのような信念など持っていません。
……人と会話するのは不慣れですし、向いていませんから」
ニコラはほんのりと顔を俯かせる。
自分でも言っていて、自己嫌悪を覚えてしまうからだ。
「……そう、それもあるの」
サシャはその姿を見ても、まるで引く事をしようとはしない。むしろ、言葉には先程以上に強い感情が乗っている。
「ここで三人でお話しすれば、もっとニコラの事を知れると思っていたんだけど……うん、私の見誤りね。
もっと静かなところで、二人で話す方が良かったかなぁって」
「……あの言葉は、本気だったんですね」
『私、貴女とお友達になりたいの』、言われた時こそ動揺したが、後々、何かの冗談なんだと思って流していた。
自分の事を知りたいだなんて、何か思惑があるのか、余程の酔狂だ。最初は前者で考えていたが、この距離の詰め方は、どこか後者の方を匂わせる。
「本気じゃない言葉は、口にしない主義なの」
「だとしたら、非常に愚かだと断定せざるを得ません。
貴女は……大事なお方です。そのような人が自分に時間を裂く意味が分かりませんし、それに――」
そこで、言葉が途切れる。
自分で自分の事を、そう言いたくはないのに、その言葉が一番適切だと分かってしまう。
それが辛くて、ニコラは黙りこくって、残っているアップルパイを飲み込み、緩くなってしまった紅茶をがぶ飲みする。
「――いえ、なんでもありません」
そのまま出かけた言葉ごと飲み込んでから、ニコラは勢いよく立ち上がった。
「どこに行くの?」
「……工房に戻ります。そろそろ分析の準備が終了するはずなので」
サシャの次の言葉を待たずに、ニコラは足早にその場を離れる。
このまま残っていれば、飲み込んだはずの言葉が、またせり上がってくるような気がして、怖かったから。
真実だったとしても、言える筈がない。
『自分なんかと友達になりたい人間が、いるはずもない』という、あんまりにも辛い自己否定など。
「あら、ニコラさんは行ってしまいましたの?」
「……ええ、残念ながら、逃げられてしまいました」
お手洗いから帰ってきたデンバーに、サシャは少しだけ苦い笑みを浮かべて、肩を竦める。
友達になるなら、仲間になるなら、まずは自分の〝勘〟とやらを肯定する情報収集。
などという意気込みも含めて話し始めたのだが、どうやらニコラにとってはそうは映らなかったらしい。怒る、まではしなくても、少し不機嫌にさせてしまった。
これは、サシャの失態だろう。
このように余裕ぶって話しているものの、サシャもどうすれば良いか分からない、どこか手探りの状態だ。しょうがないと言えばそうかもしれないが、後悔は残る。
「そうですか……まぁ、ニコラさんは気難しい方ですし、変に素直ですからね。
お友達になりたいのであれば、あまり気になさらず、どんどん話しかけていくのが、肝要だと思いますわ」
そんなサシャの気持ちを知ってかしらずか、デンバーはいつも通り強気な笑みで、サシャの背中を押してくれる。
その言葉には、一つも陰りのようなものが見られない。本当に、心の底から気持ちの良い人なのだろう。そんな事を思いながら、サシャは小さく頭を下げる。
「ありがとうございます、そう言っていただけると、こちらも勇気が出ます。
……ところで、勇気を貰ったついでと言っては何ですが、少しお聞きしたい事がありまして」
「あら、サシャさんがですか? 魔術に関してはよく理論を理解していらっしゃるようですし、私に教えられる事なんてあるのかしら?」
「いえ、そんな……そうではなく、この学園の先生についてなのです」
サシャの言葉に、デンバーは不思議そうに眉を顰める。
「先生、ですの?」
「ええ、一応学校説明の際に聞いたのですが、この学校では教授、助教授、講師と、一言で先生と言っても立場が違いますでしょう?」
世権会議の各国にある学校であれば〝先生〟と呼べば一種類だが、この学園ではその役職は三つに細分化されている。
まず、全体授業を受け持つ講師。基礎学術や、全体のカリキュラムを作っている彼らが、おそらく世間一般で言われる所の先生に近いだろう。
中には、助教授や教授に師事を受け、研究の手伝いをしている人間もいる。
その上に、助教授がいる。彼らは先生であると同時に、研究者本人だ。学園から資金提供を受け、新たな技術などを生み出す試みを重ねている。
それとは別に、生徒の中でも傑出した才能を持った人間を選び出し、個別に指導をする業務が付属するのも、彼らだ。
そしてそんな助教授陣を纏めているのが、教授だ。各学部(騎士学科や練兵学科などの特殊学科は除く)に数人しか在籍していない彼らは、ある意味その道のトップ。
特に魔術学科に至っては、魔術を極め続けている、最前線の人材と言えるだろう。
「私、まだ講師の方から受ける全体授業しか取っていないんです。これから助教授の皆さんや、教授の方の講義を受ける事もあるでしょう。
ですので、もし良ければ、どんな方がいらっしゃるのか、知っておきたいのですが……」
――これは半分嘘で、半分本当だ。
助教授や教授など、学園上層部からリストを貰えば良いし、なんだったら、ニコラから聞けばすぐに分かる。そもそも、自分に協力しているのはその教授の一人。
わざわざデンバーに聞かなくても分かる。
サシャが知りたいのは、『一般の生徒から見た助教授・教授の人となり』だ。
一番接触が多い彼女達から聞けば、よりハッキリとした人物像が描けるかもしれない。紙面で名前の羅列を見るよりも、捜査においてはずっと有用な情報だ。
情報の確度上げるにはデンバーにだけではなく、より多くの人からそういう話を聞かなければいけないが、デンバーと仲良くなればそういう繋がりだって生まれやすいだろう。
ニコラにも話していない、このお茶会の目的の一つだ。
……これを話さなかったのは、はなせばますます『なら私は邪魔でしょう』と言われかねなかったからだ。
けっして、彼女を信用しなかったわけではない。
「ああ、それもそうですわね。今日はもう授業もありませんし、お茶会ついでに話しておくのも良いかもしれませんね」
サシャの考えの裏側に気付かず、デンバーはそのまま話を続ける。
――捜査は、地道に、しかし確実に進んでいた。
次回の投稿は、一月十日を予定しております。
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