其ノ二
最初に感じるのは、強い酒気の香りと、賑やかで、少々間抜けな騒ぎ声だ。
どこの国でも、不思議と酒場の雰囲気というものは変わらない。
談笑と、注文を怒鳴る声に、誰かが唐突に歌い出した歌が混じり、酒が湧き水のように溢れ、飲み干される。
強いて言えば、この学術都市という特性上、その酒場を占領している者の大半が、若い学生だという事くらいだ。
普段であれば若者が幅を効かせれば眉を顰め『若造が』と嫌悪感を表す者も多いだろうが、何せここは学園が中心の街。
店にいる他の客も店員も、もはやこの光景には慣れっこだ。
そんな光景の中には、制服姿で呑気に酒を飲み、肩を組んで歌っている集団がいた。
時間は夜も始まったばかりだというのに、大半の学生は既に顔を赤らめ、良いように出来上がっている。
そんな中でもまだ平然としている青年が、隣に座っている同じ学生のグラスに、酒を並々注ぎ込んだ。
「さぁ同窓生、もっと呑もうじゃないか! 派手に行こうぜ!」
小麦色のそれは、なかなかに酒精が強い。
普段であれば学生達が手を出さないような蒸留酒だが、既に顔が夕焼けのように赤らんでいる学生は、喜んでそれを飲んだ。
「プッハァ! こりゃあ美味い! 教えてくれてありがとうな!」
「いやいや気にするなよ、同じ学校に通っている学生同士じゃないか!」
「それもそうだな!」
そう学生が叫ぶと、青年と一緒に豪快に笑い声を上げる。
これだけの騒がしさで聞こえなかっただろうに、一緒に飲んでいる他の生徒達も、訳も分からず笑い合った。
しばらく続いたその笑い声が漣のように引いていくと、学生は青年の顔を指差しながら(照準は合っていない)、訝しげな顔をする。
「んぁ、そう言えばお前、どこの学科だったっけか? 俺たちと同じじゃないよな? なんか……どっかで見たような気がするんだが、」
そう言った学生のグラスに新たな酒を注ぎながら、青年は笑顔を浮かべた。
「んな細かい事聞くなよ、同じ学園に通う同窓生、学科の違いなんて重要じゃないじゃないか。
それより、もっと呑んでもっと騒ごう! オレは正直ムシャクシャしてんだ、飲まずに学生なんざやっていられるかってんだ!」
そう言って自分の持った大ジョッキを掲げると、その席ばかりではない、あちこちの席に座っていた生徒達も、
「そうだ!」
「その通りだ!」
「良いこと言った!」
などと囃す。
ここまでくれば、もはや一人の学生の疑問など、軽く吹っ飛んでいってしまうものだ。
実際、その疑問を投げかけた当の本人がその勢いに飲み込まれ、グラスを掲げて叫んでいる。
何かのお祭りでもイベントでもないのに、酒場はずいぶん盛り上がっている。酒を重ねてくれば、そろそろ学生ではない客も騒ぎに加わってくるだろう。
そうすれば、自然と青年は目立ってくるだろう。
『何か知らないが、ムシャクシャして酒を呑んでいる学生』という噂の、まさに本人として。
そもそも青年――トウヤ・ツクヨミが受けた指令とは、それに近いものだった。
◆
『トウヤ、派手に目立ってくれない?
何か悩みを抱えているっていう程で、思いっきり派手によ』
そう指示を受けたのは、オレの火傷やなんかの一連の傷が治ってすぐの事、つまり今から四日程前だった。
この学園には、識者として、あるいは技術者として一流の人材が揃っている。
《勇者》から貰える大我の供給がなくても、あれくらいの傷は簡単に治癒出来る。
だからご主人様の、随分な無茶振りにだってたんと答えている。
つまりオレは今、『魔高薬の力で強くなったゴウマに良いようにされ、悔しがっている練兵学科生徒』を酒場で演じている訳だ。
……うん、普通の人間だったら困惑するだろう。
『おいおい、だったらもっと落ち込んで沈み込んでいるべきだろう? なぜ酒場で騒ぐんだ』と思われるに違いない。
だけど、人間の落ち込み方ってのは、文字通り十人十色。
一人になって座り込んでいたい奴もいれば、誰かに愚痴りたい奴、または、忘れてしまおうと無理に明るく振る舞う奴だっている。
落ち込み方に正解なんかない。
しかも今回は『思いっきり派手に』という指令だった。ならば、オレがやる事なんて、酒場で呑んだくれるくらいしか方法がないだろう。
実際授業にも出ずに、日がな一日酒場にいるか、どこかで呑んだくれているよ。これで加護がなかったら、急性アルコール中毒で死んでいるところかもしれない。
授業に出ていないのもちょっと問題だが、どうせ仮初めの生徒だ、気にする事はない。
それに――久しぶりに馬鹿騒ぎ出来るのは、個人的にも楽しいしな。
サシャは舐める程度にしか酒は嗜まないし、ウーラチカに至ってはお酒よりお菓子な性分、一緒に酒を楽しむなんて事は、出来そうにもない。
「……ふぅ」
馬鹿騒ぎから数歩だけ離れると、オレは適当な席に座り込んで、深く溜息を吐く。
『本当は悩みを抱えているんだ』という演技と同時に、一回休憩を挟んでいるのだ。流石に、あんな馬鹿なノリは何時間も続けていられない。
傭兵時代には、それこそ朝まで呑んだくれるなんて珍しい話ではなかったが、それが四日も続けば、オレだって堪える。
「――随分楽しそうですね。これで本当に、囮になっているのですか?」
正面、つまり同じ席に座っている、フードを目深に被った少女。
確か名前は、ニコラッティエ・リヒティンの言葉に、オレは出来るだけ騒ぎに紛れるように話した。
「さぁね。何しろ主犯の情報が何もないんだ。じっとしているより、何か行動しといた方が、可能性はあるってもんだろう?」
「そうですか、私にとっては甚だ無駄にしか見えませんが、方針に文句を言うつもりはありません」
そう言ってニコラッティエ……いや、もう面倒だからニコラで良いか。ニコラは自分に用意されていた果実酒を一杯呑む。
……凄いな、《看破眼》を使ってよっぽど注視しなければ、目の前にいるのに“気づかない”。
これが本当に極めてしまった魔術師の隠蔽術なのだと思うだけで、尊敬の念と共に不安感が湧き上がってくる。
こんな連中が暗殺に来たら、《眷属》であるオレはどう対処すれば良いのか、考えるだけで嫌になってくるってもんだ。
「ウーラチカは外で見張ってるって?」
内心を読まれないように軽い調子でそう聞いてみれば、彼女は手酌で新しい果実酒を注ぎながら頷く。
「ええ。それ程離れていない場所で、四日前と同じように店を見張っています。何かあれば、すぐに駆けつけてくれるでしょう。
《勇者》……失礼、サシャさんは、寮の中で人脈形成にお忙しいです。恐らく、中から探れる情報がないか、調べているのでしょう」
「そりゃあ何よりだ――プッハァ〜」
大ジョッキの中身を一気に煽って、口の中から酒精の混じった息と、炭酸を抜く。
――そこで、まだ正面から視線がある事に気付いた。
無機質で無遠慮なその視線は、値踏みしているどころか、実験動物を観察している科学者を思い起こさせる。
「……で?」
彼女の口から溢れたのはたった一つの単音。
「で、とは?」
オレがそう質問を質問で返せば、彼女は遠慮なく口を開いた。
「なぜ貴方は、今ここで私に話しかけているんですか? ここで私と会話する必要性が、多分ないと思うんですけど。
それよりも、私の存在バレるのは避けたいんですが」
……これはこれは、一応言葉を選ぶってことは出来るようだ。
その無表情のわりに輝く瞳の中で、『面倒だから離れろ』と言っているのは、丸わかりだけどな。
「アンタを知りたい。それだけの理由じゃダメかな?」
「そんな伊達男のような言葉は訊いていません。私は、“理由”を訊いているんです」
オレの気安いジョークにも、目の前にいる錬鉄族の少女は、随分素っ気ない答えを返す。
――隠していたって仕方がない、か。
そう思い直して、オレは正面に向いて、ニコラの目を真っ直ぐと見つめた。
「冗談でもない。オレはアンタの事を知りたいと思ってるんだよ……意味は色々、だがな」
ニコラッティエ・リヒティン。
錬鉄族の純種にして、装飾品を作る職人達、リヒティン氏族の娘。
学業は非常に優秀。百年に一度しか現れない天才と称される彼女は、魔術師としてもまた既に一廉の人だと言えるだろう。
――だから大丈夫、とは言えない。
魔高薬は、魔術師にとっては喉から手が出るほど欲しいものだろう。何せ魔術の威力が上昇する、もしかしたら今まで使えなかった高度術式が出来るかも。
そんなものを目の前に、揺らがない魔術師がはたしているだろうか。協力者であっても、そこら辺は疑わざる負えないだろう。
もっとも、本当の意味で協力者なのかどうかも、オレは疑っているが。
「オレはご主人の剣であり、盾でもある。
アンタが面倒な事をしでかすような奴だとしたら、オレは対処しなきゃいけない。それが助けてくれた奴だったとしても、な。
対処の意味、分かるか?」
懐に入っている《飛鱗》を、服の上から優しく撫ぜる。
それだけでも、修羅場を知らない彼女にとっては相当な緊張感なのだろう、一瞬視線が彷徨うのを、オレは見逃さなかった。
……しばらく、オレとニコラに会話はなかった。BGMがわりに流れていたはずの雑踏も、ほんの少しだけ遠のく。
それが思い込みなのか。
それとも彼女が何かしらの魔術を使ったのかは分からないが、他に大勢人がいる筈なのに、そこにはオレとニコラだけしかいないように思える。
しばらく考え込んでいると、徐ろにニコラが、口を開いた。
「……疑われるのは、当然だと思います。私は貴方達にとっては、部外者でしかありませんし、本当の意味での信頼も、信用も、今回限りの私には不要です。
ですが、疑われ続ければ、行動に支障が出る。違いますか?」
「……まぁ、そうだな」
誰を疑えば良いのか分からないこの状況で、一応でも仲間内に入った人間を疑ってちゃキリがない。
ほどほどの妥協。
そういうものが、こういう状況の中ではどうしても必要になってくる。
オレの頷きを確認してから、ニコラは話を続ける。
「ですので、ハッキリと言っておきます。一度しか言いませんので、よく聞いておいてください。
――そもそも私は、魔高薬に|興味がない《》んです。才能を高める必要性も、興味も、私にはありません」
純粋な魔術師だろうに、魔術師らしからぬ言葉。
だが、無理をしているようにも見えない。嘘を吐いているとも思えない。
――それがなお一層、不可思議で、しかしどこか踏み込めない圧のようなものを感じる言葉だ。
もっと簡単な言葉を使えば、目の前のコイツは、
「……どっか、似てんのかもな」
「はい? すいませんが、小さくて聞こえませんでした」
オレの呟きに眉を顰めるニコラに、オレは薄ら笑いで頭を振った。
「いいや、なんでもねぇさ。とりあえず、嘘じゃない事は分かった。ならば、やる事は一つ!
――おねぇさ〜ん、ここに樽いっぱいのお酒持ってきてくれ!」
「なっ!?」
オレの注文に動揺しているニコラを余所に、店員(中年女性)はどこか嬉しそうに注文を受け、奥に引っ込んで行く。
「な、何を考えているんですか、私がここに潜入しているのがバレたら、」
「たった一日、錬鉄族の女が酒場に至って、誰も気に留めないさ。むしろ、この世で一番自然な姿だと言えるぜ?」
何せ、錬鉄族は人類種の中でも一等の呑兵衛だ。この世界じゃ、酒場と錬鉄族は、森に木が生えているくらい自然だ。
「オレは一応、元傭兵。話すのはそりゃあ好きだが、そればっかりで他人を理解しようなんてのは、性に合わない。
お互いを知る一番良い方法は、呑み比べだ!」
呑み比べ。
そんな言葉に、酒場にいる全員が反応した。
一瞬の静寂と、
「――小さな錬鉄族と、同窓生が呑み比べだ!!」
一斉に上がった歓声で、お祭り騒ぎがもう一回り大きくなった。。
「え、うそ、なんで、」
思わずニコラがフードの裾を掴む。
そりゃあ、さっきまで見えていなかったはずの連中が、マジマジと自分を見ていれば、動揺するってもんだろう。
《看破眼》で見える術式の端を、小我を通した《飛鱗》で切っただけ。
そんな単純でも、精緻な魔術であればあるほど、ほんのちょっとの誤作動で魔術全部がダメになる。
勉強になってくれると嬉しい。
「さぁさぁ、呑み比べだ。いくら純種とはいえ、これを断れる錬鉄族はそうはいない。
呑んで騒いで語り合えば、それだけで人間分かり合えるってもんさ」
「な、何を非論理的な事を! こんな事をすれば噂に、」
「ならない。アンタは今私服だし、ここの連中は大半がもうベロベロだ。次の日、
この出来事を覚えてる奴は半分もいないし、もう半分はアンタの顔を忘れてるさ」
相変わらずスカートみたいにフードの裾を抑えているニコラにそう言っている間にも、香りからして酒精が強そうな酒が、樽ごと運び込まれてくる。
さっきから動揺しているが、オレには分かる。別にコイツ、呑み比べそんものにビビっているわけじゃない。
何せ、水のように煽っていた果実酒。あの銘柄は甘くて呑みやすいわりに、その酒精は酒豪向けだ。そんなの呑んでる奴が呑めないわけがない。
「じょ、冗談ではありません、私は帰ります」
それでもなお強情なニコラは、勢いよく立ち上がって、人混みをかき分け、店を出ようとする。
……しょうがない、言いたくはなかったが。
「ああ、そうかい、だったら帰るがいいよ――おチビさん」
その言葉に、ニコラの足が止まる。
振り返った彼女の表情はいつも通り平坦なもんだが、目の中には隠しきれない怒りのようなものが見えている。
「……今、なんと?」
「だから、おチビさんだ。
まぁしょうがない。普通の人種に身長で勝てねぇんだ。そりゃあ、ここでビビっちまうのもしょうがない。
ほらおチビ、早く帰ってベッドに入りな。なぁに、恥ずかしい事じゃないから」
……この世界の種族には、一種族にだいたい一個は『言ったら怒る言葉』ってのがある。文化なのか本能なのか、そうすると冷静にものを考えられなくなるんだ。
分かりやすく言えば、猪頭族に『豚』というような。
勿論、普通の場なら無礼な言葉だ、絶対使わない。だが時に、勝負事で行ってやる事によって、簡単に誘いに乗る時がある。
錬鉄族の場合――、
「――良いでしょう、受けて立ちましょう。貴方が勝ったら願いを一つ叶えます。
私が勝ったら――チビという言葉を撤回しなさい」
――身長を揶揄する事、って事だ。
次回の投稿は12月24日の0時に行います。
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