プロローグ/孤独の才媛
――彼女は、何処にいても孤独だった。
故郷で彼女を受け入れている人間は極めて少数・・・・・・どころか、記憶している限り三人しかいない。
故郷から離れて初めて師匠という理解者に出会えたが、自分の同等の存在とはとても言えない。あくまで師匠、目上だ。
この学園に来てみれば、孤独はより強く彼女の体を貫いていった。
故郷の穴蔵は、色々な意味でマシだったように思える。
何せ同胞の絶対数そのものが少ないのだから、どんなに気味悪がろうが、それでも物理的に肩を寄せ合って生きていくのが普通だった。
しかし師匠に連れられてやってきたこの学び舎は、空という底なしの穴が頭の上を占拠し、おまけに町の部分も含めれば故郷よりもずっと大きい。
当然だ。村一つ程度の世界しかなく、他の村の穴蔵に行くのは大人の仕事だった。まだ幼かった自分がそこから外を理解出来るはずがない。
強いて故郷とこの学び舎、同じ点を挙げるとするならば――ここでもやはり自分は異端だという事だ。
違うのだ。明確に違うのだ。容姿が、その特性が、その発想が、その才能が明らかに違う。
自分が答えに辿り着いてみて見渡しても隣に誰もおらず、学友達は遥か後ろを、自身では考えられないくらい悠長に登っている。
何故そんなにのんびり出来るのか。こんなもののんびりと|しようがない《》と言えば、十人十色な悪感情を向けてくる。
嫉妬に狂った目、憎しみのこもった目を向け、罵倒し、皮肉り、時には暴力で彼女を傷つけようとする時もある。
その失敗すると、彼らは視線を逸らして自分をいないもののように扱うのだ。
それすらも、彼女には理解出来ない。
理解出来ないならば、出来るようになれば良い。
実践出来ないならば、出来るようになれば良い。
そんな簡単な事すら他の人間は出来ない。
――努力した時もあった。
分からないなら、行えないなら、教えてあげれば良いと思った時もある。
そこに触れず、まるで仲の良い友達のように接するように心掛けた事もある。
学び舎の中での流行りを瞬時に取り入れ、皆の話題にした事もあった。
何故仲良くしてくれないのか、何故嫌うのか直接聞いた事もある。
……その全てが梨の礫。成果と呼べる成果はなかった
そうなってしまうと、人間というものは弱い生き物だ。なんの解決策もない、没交渉であり続ける事に耐えられない。
彼女は、諦めた。
自分の事を理解してくれない人間への理解を辞め、没高尚な彼らとの交渉を断念し、自分勝手な事を言う彼らに自分勝手に振る舞った。
すると、孤独の冷たさは冷たさとして存在しながらも、感じなくなって来た。最初から自分は一人になりたかったのだと思い込めばその通りになった。
子供のような発想なのかもしれないが、それしか解決策がないのだからしょうがない。
だから今日も彼女は一人夕闇の中に微睡んでいた。
たった一人で。
それが望みだと嘯きながら。
『――ニコラ、ニコラや。
ニコラッティエ・リヒティンや』
微かに淀みを帯びている声で、少女はゆっくりと目を開ける。
視界に入るのは、あまりにも汚らしい自分の研究工房だった。
魔術師は、実践派の者でない限り自身の研究工房を持っており、そこで魔術の研究を行う。
魔術は事故でも起こせば大惨事だ。
だから研究室に閉じ込めておく事で、未然に外への被害を抑えようと言う考えから生まれた伝統のようなものだが、その用心は外側へだけではなく内側へも向けられている。
――もっとも、この部屋の惨状だけはどうしようもないところなのだろう。
魔術に関する専門書や、どこかの誰かが書いた魔術理論に関する論文、魔術具の設計図、それに書込みを入れる為の羽根ペンが放置され、インク壺に至っては倒れている。
その他様々な、一体何の用途のものなのか想像出来ない奇々怪界な魔術具が散乱し、少女はその中に無理やり毛布を広げて丸まるように眠っていたのだ。
少女は少女という形容が相応しく、年齢のほどは十代に成り立てのように見える。
ところどころ毛が飛び出ている藍色の三つ編み、日焼けしたような肌がその子供らしさを助長していると言っても良いだろう。
しかし常にその濃淡を変え続ける藍色と鋼色の瞳の中に宿っている理知は、外見相応とは言えない程強く、その目だけでかなり年齢を重ねているように感じる。
気怠げに身を震わせると、少女はゆっくりと起き上がって目をこすり、周囲を見渡す。
「こうぼう……先生、今何時でしょう」
声のする方に目を向けてみれば、物が散乱した床を器用に進んで一匹の鼠が立った。
一見すれば普通の鼠のように見えるだろうが、額に埋め込まれている水色の鉱石を見れば、それが魔術師達が使う伝令用の使い魔だと理解出来るだろう。
『既に七つ時を過ぎておる。五つには私の私室に来なさいと言っておったのに……』
鼠は老齢な木の軋みのような深い声を発し、呆れたように溜息を溢した。
『今度は一体どんな実験を行なっていたのだ? 転移術式の一般化及び簡略化か?』
「いいえ、それはもう終わらせました。今は術式の高速化を考えています」
これ概要ですと渡された羊皮紙を鼠はしばらく見つめ続け、小さく溜息を吐きながら顔を上げる。
『弟子よ……これはちょっと、一般的とは言えんなぁ。まずコストがかかり過ぎておる。現行の方法ではこれ以外に選択肢がないのは分からんでもないが……』
鼠のいつも通りと言えばいつも通りの回答に、ニコラと呼ばれた少女は一瞬だけ困惑の表情を浮かべてから、これもまた通常通りの無表情を浮かべる。
「そうですか。では、取り敢えず今の研究をひと段落つけたら、もう一度考えてみます」
『そうするのが良かろう……いや、そうではない。それでは少々困る。
お主にはしばらく、研究から離れて貰いたい』
「……先生。私に死ねと仰るんですか?」
研究とは、もはや彼女にとって日常生活であり、唯一の楽しみと言っても過言ではない。
それを奪われれば死んでしまう――いや、どちらかと言えば死んだほうがマシだ。
絶望にも似た感情を無表情の中に必死に浮かべていると、鼠はもう一度、今度は大きな溜息を吐いた。
『気持ちは分からんではないが、この学園の存亡にも関わる緊急事態じゃ。ここが無くなれば、どちらしろ研究など出来んわい。
――先日話しておった、『魔高薬』の件じゃ』
その言葉で、ようやくニコラは数日前に自分の師匠から教えてもらった事を思い出す。
数日前から、魔術学科の生徒を中心に不可思議な薬が出回っている。
その名を『魔高薬』。
効能は、自身の中にある小我の向上である。
本来どんな生き物も持っている存在する力――小我を変換して生み出される。
魔術の根幹である魔力物質を生み出すのに必要なものであり、、個々人によって蓄積されている総量・変換効率・性質などが変化する場合がある。
その所為で、魔術師の使用する魔術には得手不得手や、魔術を使う回数の上限が存在するようになる。
例えばある二人の魔術師に炎の魔術を使わせるとする。
一方は火の性質を持ち、総量・変換効率ともに高い為、術の性能を上げ何度も使用することが出来、さらに消費した魔力を回復するのにいちじかんもかからないだろう。
しかしもう一方は、火の性質を持たず、魔力量・変換効率ともに低い為、術の威力は出ないどころか、下手をすれば発動しないくせに魔力だけを消費されるだろう。
そして魔力の回復に、短くて数時間。長くて一日を用する事すらある。
その性質や魔力量、変換効率は、魔術師に重要なものだ。
勿論、魔力量や変換効率は修練によって向上する場合もあるが、それも個人差が大きい。目を見張る成長をする人間もいれば、まったく伸びない人間もいる。
そもそも小我を魔力に変換出来るという事そのものが大多数の人間の中では稀有な才能であり、それがあるからこそ魔術師は特別視されるのだが。
その薬は、言わば個人が本来持つ許容量を超えさせる事が出来るという。
魔術が使えない人間には魔術の才能を。
元来魔術師だった人間にはさらに向上を。
という事だ。
――だが当然、そんな素晴らしいものが対価なしに成立するはずが無い。薬を使用した人間は確かにその恩恵を得たが、同時に致命的なダメージを受けた。
報告によると、暴走する小我のせいで内臓に異常、あるいは傷を負った物、神経が壊死して半身不随や五感の何れかを失った者もいると聞く。
一時の才能の為に払う代償としては、あまりにも大きい。
しかもこの薬の厄介な所は、その作り方が分からず、何処の誰がばら撒いているのか分からないという点だろう。
この学園都市の公明な魔術師達がこぞって解析しようとするが、何かの植物が材料に使われているのではないかという程度で、材料の正体は未だ掴めない。
その癖犯人は捕まらない所為で、薬はゆっくりとではあるが確実に、この都市の裏で広がっているのだ。
『先日、世権会議から秘密裏にであるものの、正式な回答を頂いた。数日後にはなるが、この薬の調査に人員が派遣される。それの手伝いをせよ――と言ったじゃろう』
「覚えてはいます」
もっとも覚えているだけだった。
正直、まだ人員すら決まっていない上に、これは学園都市の警備関係が気にする事で、自分にはまるで関係がない、とニコラは思っていたのだ。
そもそも、何故師匠がその話を自分にするのかすら理解出来ていなかった。
「私はお役には立てないと思いますが?」
正直な気持ち半分、面倒臭いので出来ればやらせるなという抗議の気持ち半分な言葉をぶつけると、鼠はその小さな頭を左右に振る。
『いいや、大いに関係ありじゃ……何せ今回は大々的な捜査ではなく、秘密裏な捜査を基本とすると、世権会議と我が校の上層部が決定した。
まぁ、簡単に言えば潜入捜査というやつじゃ。生徒として潜入する相手に知識を貸すのが、お主の役割と言えるだろう』
「………………」
あまりの無茶振りに、一瞬目の前の鼠が何を言っているのか理解出来なかった。
「何故そんなものを私が、」
『『魔高薬の魅力に抗える者』、『一定以上の魔術的知識を持っている者』、『我ら教授陣が信用している者』。その条件に符合しているのは、お主くらいじゃ』
確かに、魔高薬に興味はない。
確かに、魔術的知識はある。
確かに、教授陣とは仲が良い。
……その事実を一旦自分の中で確認してみれば、なるほど、これを拒否するのは難しいだろう。
『何より、こちらにくる捜査員には流石に我らも敬意を払わねばならん。協力を惜しまぬとなれば、最高の人材を融通するのは自然な流れと言えんか?』
「仰っている意味は分かりますが……それほどまでに、その捜査員は重要な人間なのでしょうか?」
非常に危険な任務であると同時に、言ってしまえば地味な仕事だ。
もし来るとしても精々世権会議に所属する職員や、会議にのみ忠誠を誓う精鋭騎士団『封権騎士団』くらいなものだろう。
それが上層部がここまで気合いを入れるならば、もっと上の人間がくるという事で、
「……まさか、」
自分の予想を口に出そうとすると、それを聞く前に鼠は頷いた。
『うむ――《勇者》殿が参る』
ニコラの表情は、普段以上に硬い。
《勇者》。
歴史上でもっとも有名な英雄の名であると同時に、現在では世権会議にも実権を貰う、言わば万事の調停者。
御伽噺のような話を信じる気はないが、そこを差し引いたとしても世権会議内では絶大な知名度と特権を得ている個人と言っても良いだろう。
「ゆ、《勇者》がこんな小さな、一都市の事件に首を突っ込むなんて!」
『うむ、私も少々驚いているよ。何かあちら側にも事情があるのだろうが……まぁ、都合が良いのは確かだ。
此方としてはあの薬の件での一切の関わりを否定出来て、それを《勇者》が認めてくれるのだからな。おまけに《勇者》は魔術も使える。好都合な人材だろう?』
師匠はさも都合が良いといった風だ。
魔術師が利己的で魔術以外の大きな問題には頓着しないとはいえ、あまりにもあまりな言葉だ。
「そ、そんなのを私が相手するなんて――絶対に面倒ではありませんか!」
当然その考え方は、ニコラにもきっちり備わっていた。
そもそも自分には被害が来ていない薬の捜査を手伝うというだけでも、研究に必要な貴重な時間と労力を無駄にしているとすら思っているのに、剰え《勇者》の介添えだ。
時間と労力に、さらに気まで使わなければいけないなど、想像しても嫌なものだ。
「か、代わりの人間を、」
『そうしたいのは山々じゃが、お前さんが約束の時間に来なかった時点で、こちらで決定した。もはや、他の人材は望めぬだろう』
「そ、そんな、休んでいる人間に厄介事を押し付けるのと、それはどう違うんですか!?」
『失礼な事を言うな。どちらにしろお前より都合の良い人間はおらんし、いたとしても大きくは変わらんかっただろう』
師匠の言葉に白状さを感じる。
きっと目の前の鼠、と繋がっている本体である老人は、水晶玉の向こうで悪戯っぽく、皺の多い顔をさらに皺だらけにしているだろう。
ニコラには分かる。
この師匠、明らかに楽しんでいる。
『では、あとは頼むぞ。寮のお前の部屋に《勇者》殿はお泊り頂く。幸いお前、一人部屋だしの。協力せんかったら、お前は破門と退学じゃから――じゃ』
鼠は最高に不穏な事を言うと、ニコラが止める暇もなく物陰に引っ込み、その部屋から姿を消した。
その後ろ姿をただ眺める事しか出来なかったニコラは肺に溜まっている鬱屈とした気持ちを吐き出すように息を吐き出し、妙に寝癖のついた髪をガシガシと掻き混ぜた。
「ハァ――面倒くさい」
――ニコラッティエ・リヒティンはまだ知らない。
これが彼女自身の運命を大きく変える事になろうとは。
ついに新章に突入です!
今日は二回投稿するので、どうかお楽しみに。
そして嬉しいお知らせ!
いつも応援くださっているwakkaron(ツイ垢:@wakkaron28)様より応援絵を送っていただきました!
了承が得られましたので、ここでご紹介したいと思います。
もう食いしん坊キャラが(自分の中で)定着しているウーラチカ!
人に描いて初めてこう見えるのかと実感する事も多いのですが、ウーラチカくんの中性的な感じ、装備の格好良さ、民族的衣装、貰った時は思わず声をあげてしまいました!
さて次に、
勇眷には欠かせない、トウヤとサシャ!
二人の可愛さ、格好の良さもそうですが、自分が何より驚いたのは設定画の細かさ!
トウヤの装備や、サシャの装備や髪型まで本当に細かく描いて頂きました。
改めて、感謝しか在りません。
それでは、また夕方にお会いしましょう。
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