其ノ二
「守る? 守るですって。それは、誤解というものです」
サシャの言葉にさしたる動揺も見せず、フラグレント侯爵は朗々と言葉を続ける。
「確かに、貴族は王族の臣下。臣下は主を守るのが、本来の姿でしょう。
しかし私は貴族である以前に官僚。私が守るのはこの国、シルヴァリア王国そのものです。けっして、王族〝だけ〟を守っているわけではない」
彼の手に納まっているワイングラスの中では、彼の手慰みに呼応するように赤い酒精が波打つ。
「《勇者》殿の目の前で、国家の長を蔑ろにするような物言いは口に出し辛いですが、そもそも、国にとって王というのは、そこまで希少性が高い存在ではありません。
王とは、国という大きな集団の中で、その集団が進む方向性を決定付ける存在です。そういう意味での重要性は重々承知してはいますが、彼らの役割の本質はもっと違うものだ。
――それは、『責任を取る事』です。
国を左右する決断であればあるほどその利益不利益は大きくなっていくもの。
その利益を国民に還元し、不利益が起こった際はその責任を負う。それが良い悪いという価値基準を超え、重要なものになっているのは、《勇者》殿もお分かりでしょう?」
一種人の良さそうな笑みにも見えるその仮面に、サシャも訳知り顔で頷いた。
「はい、それは勿論、理解しているつもりです」
それはあまりにも、国民が無情すぎる答えで、王には悲しい答えにも聞こえるだろう。
しかし国民、市民、平民という集団には、残酷な一面が常に付き纏う。
広まった話が嘘であっても、国民が真実だと訴えれば飛ばない鶏も空を飛ぶ。
王や貴族がどこまで優秀で、先見の明がある人物であったとしても、明日のパンを手に入れられなければ暴君、悪徳貴族だと蔑む。
王、貴族、平民。
たとえ同じ国に住み、食べ物を食べ、夜は眠り、幸せも不幸せも感じる、最低限同じ種族だったとしても。超えられない違い、避けられない擦れ違いが必ず起きる。
――だが、
「私は、そんな大きな問題を語る為に貴殿に話しているわけではありません。
お気持ちはお察しいたしますが、話を逸らされると私も少々困ります」
「――――――」
フラグレント侯爵から、返事はない。
返事は無くとも、その気配は雄弁に語っていた。チクチク程度だった冷たい視線が、いまや氷柱で腕くらい貫通しそうなほど鋭く冷たい。
そんな視線にぐっと耐え、サシャは口を動かし続ける。
「フラグレント侯爵。急ではありますが、私は、貴族ではありません。どころか商人の家出身でもなければ、豪農などの大層な生まれも持っていない。
どこにでもある貧しい寒村の貧しい家の娘です。前《勇者》アンクロに拾われるまで礼儀作法の〝れ〟の字も教わった事はありませんし、実際に貴族の方とお会いしたのも、《勇者》を継いでからです。
だからでしょうね……私、あんまり貴族らしい話し方って苦手なんですよね」
サシャは微笑む。
先ほどまでの貴族の礼儀に則った――口さがなく言ってしまえば笑みという鉄仮面ではない。
サシャがトウヤやウーラチカ、そして大勢の人間にするような、《勇者》という肩書きすら夢幻なのではないかと思える程、快活で真っ直ぐな満面の笑みだった。
「だから、失礼とは思いますが、いつも通りの私の話し方をさせてもらいます。
――最初に疑問に思ったのは、何故『七節擬』を雇って姫の影武者を立てたのか。てっきり私も、貴方が言ったように国の事を思っての事だと思いました」
次期国王が城から逃げ出した。
そんな話が国内外で広がれば、どちらでも大混乱が起きるのは確かだ。
貴族はさらに好き勝手な行動をし始めるだろうし、諸外国の中にはそれを利用しようとする所も出てくるだろう。
《世権会議》と称して仲良しこよしをしていても、自国を優位に立たせたいというのは、どこも同じ。
国の事を考えるなら、姫の失踪は隠蔽するのが正しい事――のように思える。
「でも、はっきり言ってしまえば、姫様はあまり重要な立場ではない。
いくら唯一の前王直系で、王位継承権があったとしても、隠し子でしかも庶出女子。民意はさておき、貴族の中には反発する人間もいるはずです。
それなら、前王の正妻であった王妃に一時的に実権を握らせて……まぁ簡単に言ってしまえば、貴方が実質的な実権を握る方が旨味があるし、手っ取り早い」
庶出女子など、法的に言えば王位継承権などあってないようなものだ。
それならば王妃に代理王権を握らせ、影でフラグレント侯爵が操れば良い。それが出来る唯一の人物が彼なのだから。
ところが、彼はそれをしない所か、姫の立場を守った形になっている。
「……それは、あくまで私が国の事を思っての行動だった、とはなりませんかな?」
いつの間にか、グラスは揺らされずテーブルの上に置かれ、その手はまるで自身を守るように手を組んでいた。
「姫を守ろうとしたのではなく、国内の混乱を治める為とは」
「ええ、そう言われると思っていました」
エリザベス姫が登場する以前まで、国は王位継承権でかなり揉めていた。
王家の血を引いている貴族の子息をこぞって押したて、下手をすれば『どちらが正当な王位継承者か』で諍いが起きていた可能性は高い。
諍いならまだ良いが、これが戦争という大きな形になってしまえば、国家分裂は避けられないところだろう。
そんなフラグレント侯爵の言葉にサシャの表情は変わらない。
「でも――それなら、姫である必要性はないんじゃないですか?」
「――――――」
侯爵はまたも答えない。
その反応に特に言及する事はなく、話を続ける。
「フラグレント侯爵、ギーヴ・フラグレント侯爵。
国家運営に大きな影響力を持つ枢密院の院長であり、実質的な貴族の頂点。そんな人間である貴方が、貴族達の内部分裂を収められない訳がない」
そもそも諍いというのは、貴族内部に二つ以上の派閥が存在しないと成立しない。
しかし、この国は貴族同士で争っているのではなく、貴族と平民、つまり枢密院と民政議会という対立構造が強い。
そりゃあ貴族の中にはフラグレント侯爵を嫌う人間もいるだろうが、表立って逆らうような事はしないはずだ。
諍いなど本来は、起こりようがない。
彼ならばサシャが先ほど言ったような方法も簡単に取れるだろうし、何だったら王族の血を引く貴族子息から自分が自由に操れる人間を選び出せば良いだけの話だ。
それならば貴族社会は揺るがず、彼の頭脳ならば上手く事を運べる筈。
ところが、彼はそうはしなかった
〝わざわざ〟内部でもかなり深い秘密だったエリザベスを見つけ出し、〝わざわざ〟隠し館から連れ出し、〝わざわざ〟次期国王として擁立。
そして逃げ出したとなれば〝わざわざ〟影武者を立てて醜聞を隠蔽し、〝わざわざ〟見張りまでつけながらも連れ帰ろうとはしなかった。
最後の事に関しては、《眷属》であるトウヤが就いているから心配ないという判断だったのかもしれない。
この〝わざわざ〟というのが一個か二個だったならば、サシャもさして気にする事はなかっただろう。
これだけ多くの無駄な行動が散見されるようでは、偶然とは言えない。
何か意図があってそういう事をしているとしか思えないのだ。
「だから、私はこう考えました。王族を守り、ひいては国を守る。それに必要な人物がエリザベスだった。貴方個人はきっと欲がない人間……というより、かなり王家に忠実な人間なのかな、と。
勿論、あくまで想像です。これがどこまで当たっているのかは、貴方の答えをお聞きしないといけませんが……如何ですか?」
意味ありげな笑みを、フラグレント侯爵に向ける。
――本当のところ言ってしまえば、これは非常に分が悪い賭けに近い。
先ほどからつらつらと自信満々に話したは良いものの、内容は全て状況証拠と憶測でしかない。
一応『七節擬』の影武者本人から聞いた話も含んでいるが、暗殺者が法廷で証言してくれるはずもないし、暗殺者の言葉を世権会議の法廷の場で聞かせられるのか、そもそもそこに彼らが素直に出てくるのかも分からない。
フラグレント侯爵は否定しようと思えば、知らぬ存ぜぬを通す事が出来る。
それをされてしまえば、サシャには次の段階に進む機会を失い、この一連の騒動を解決させる事も難しくなってきてしまう。かと言って、物的証拠を持ってくる事も難しいだろう。
だから、サシャは賭けに出た。
相手がこの話で自分をどう判断するのか、敵とするのか味方にするのか。
出来れば味方だと思って欲しいと、そう判断したのだ。サシャの予想通り、彼が悪い人間ではないと信じて。
「…………ふむ、」
フラグレント侯爵はその空気の中少し考えるように顎に手を当てていたが、しばらくして声を上げる。その声には、緊張も何もない。どこか間の抜けたように思える声を出すと、
「――おまけして、六十点。まぁギリギリ及第と言った所ですね」
続けて、まるで教師のような事を言い出した。
「えっと、何が、ですか?」
「今回の交渉の手腕です。私のような人間が偉そうにと思うかもしれませんが、六十点がせいぜいです」
ぽかんとしているサシャに、今度はフラグレント侯爵が言葉を続ける。
「まず、こんな場で話してどうするのです。人を追い詰め自白させるか自滅させる際は、もっと公衆の面前で声を大にして話さねばなりません。大衆の前で堂々と嘘をつける人間は中々いないですからね。
それから、情報収集が甘い。いくら姫の戴冠式まで三日ほどだとはいえ、もう少し慎重に確実な情報を掴まなければいけない。暗殺者の言葉はこれに含みません。犯罪者の言葉を鵜呑みにする馬鹿はいないからです。
次に、詰めが甘い。言葉と信頼だけで人を篭絡させるほどのカリスマ性があるという自信がお有りならそれでも結構ですが、私のような生粋の貴族、生粋の政治屋にそれは得策とは言えない。
――ですが、まぁ貴女が自分の立場を自覚した上で、しかもちゃんと〝交渉〟しようとしていたという点は評価に値する。今代の《勇者》殿はなるほど、まだ甘いが優秀だと言える。
ですから六十点。及第点です」
笑顔ではあるが、言っている事は無茶苦茶だ。
無茶苦茶というか、本当に採点をしていて、先ほどまでの歯に衣着せた物言いをしていた人間とは思えない、率直な言葉だった。
その変わり様に、サシャはいまだついていけていない。
「えの、これはどういう、」
「簡単な話です――そもそも私は、貴女を敵に回したいと思ってはいなかった。むしろ、こちらに味方していただきたいとすら、思っていました」
「――はい?」
信じられない言葉。自分の想像していたものと濱逆の言葉に、サシャの眉間には徐々にしわがより始めていた。
「じゃあ、何で最初にそう言わなかったんですか? 『味方になってください』って」
そう言っていれば、状況はもっとスムーズだった筈だと。
どこか非難するような言葉に、フラグレント侯爵は少し肩を竦める。
「貴女が一番良く知っておられるでしょうが、《勇者》というのは中立中庸。それを揺るがす事は出来ない。
もしそんな貴女がエリザベス姫の存在そのものを『障害』と判断されれば、私の考えは一気に頓挫する。ですから、貴女がこちらの考えに載ってくれるような状況を作った。
貴女が姫を擁護する。簡単に言えば、ちょっとした印象操作の一環です。
それに……大変無礼なのは百も承知ですが、貴女はアンクロ様の弟子ですから」
ゆっくり立ち上がったフラグレント侯爵の目には困ったような感情と、子供時代を懐かしむような温かい感情の両方が写り込んでいる。
「あの方は点数で表すのであれば『不明』です。もはや評価云々の世界にはない。
もし今の貴女と同じ状況に持ち込んだとしても、あの方なら『私の執務室に乗り込んで胸倉掴んで吐かせようとする』とか、そういう事をしかねない。
もし師匠と似ているなら、貴女もそれをする可能性があった」
「あー……それは、……」
やりかねない。
年を重ねたフラグレント侯爵が幼少の頃であったというならば、アンクロもまだ若い頃だったはずだ。
その頃のアンクロは……正直今よりもずっと滅茶苦茶で、他人からは想像も出来ないようなことをしでかす人だったと聞いている。
サシャもそのタイプと思われたのには釈然としないものを感じるが、まだあった事のなかったフラグレント侯爵からすれば、そう予想してもおかしくはなかったのだろう。
……釈然とはしないが。
「それで、及第点をいただけたという事は、全部話していただける、という事で宜しいですか?」
サシャの言葉に、フラグレント侯爵は大きく頷いた。
「ええ。貴女は確かに予想出来ない事を考え付く面はあるようですが、それでも周囲に配慮する考えはお有りのようですから」
「……随分、雰囲気が変わられるんですね」
先ほどまで感じていた冷たさと、爬虫類の如き鋭さはどこへやら。
その表情はまるで悪戯っぽい老人のような気配すら感じ始めていた。
「貴族とは仮面を被って生活する生き物の総称でございます。他人にも、時には家族にさえも自分のシンの姿を見せないのが正しい作法と言うものでございます。
……とはいえ、ここからお話しする事は、私の本来の姿の話も含まれる。これ以上、偽る事は意味がない」
そう言ってサシャに背を向けると、ゆっくりと出口に向かって歩き始める。
「一応ここには誰も聞き耳をたてに来ないとはいえ、油断は出来かねます。この城にあるわたしの書斎でお話しましょう。
私の知る、全てを」
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