其ノ四
先週は更新できなくてすいません。
現在少々リアルが慌しいので、来週もちょっと更新が難しいかもしれません。
どうかお許しを。
では、本編をどうぞ。
――私はここまでです。
宿の裏口から、顔を隠しつつ街を出て、宿屋の娘はそう言った。
街道から少し外れた林の中。指を刺された方向にひたすら歩き続けているエリザベスにとって、彼女の言っていた少しはとても少しではなく、むしろ今までのどの旅路よりも長く感じた。
それも仕方がない事だろう。何せ彼女はこれまで殆ど歩かなかった。浮浪者の集団に出会った町でほんの少し彷徨いただけで、あとはずっと荷車に乗り続けていたのだ。
ある程度の距離を歩くのは、これが初めてだった。
いつもの調子であれば、きっと誰に聞かせるでもない小言を言い続けていただろう。この国に、この国の行政府に、あるいは同行者であったトウヤに。
しかし、今はそんな事に気を削いでいる余裕がなかった。
リチャードに、愛しい人に会える。
ただそれだけ、他人から見れば小さい動機が、エリザベスの足を動かし続けていた。
そうして重い足を引き摺るように歩いていると、林は拓け、人が十人ほど集まっても問題にならない程度の広場に出ていた。
目線を上げて見れば、木々の中に小さな屋根が一つ見える。きっとあれが宿屋の少女の言っていた『古いお屋敷』なのだろう。
少し離れているここからでも、屋根の瓦が剥がれ、草木が生えているのが分かる。
もう月明かりしか頼りがない広場の中に、ぼんやりと人影が浮かんでいる。
一人の男性だった。
暗い中にあっても、その茶髪を見間違う筈もない。
暗い中であっても、髪よりもほんの少し明るいブラウンの瞳を見抜く。
柔和に微笑んでいるその笑顔は、まさしく彼のものだった。
「――リチャード!」
荷物も放り出し、彼の胸元に駆け込む。
線が細い割にしっかりとエリザベスの勢い強い抱擁を抱きしめるその力強さと、服から感じる青草の匂いは彼女を安心させる上で重要な役割を果たしていた。
「ああリズ、僕の愛しいリズ。よく無事でここまで来れたね。ずっと心配していたんだよ」
野良仕事を一手に引き受ける庭師の声とは思えない、どこか中性的で優しい声が、エリザベスの耳朶を打つ。
「リチャード、寂しかったわ! ここまで来るのに、酷い目にたくさんあったのよ! 貴方の雇った護衛は口が悪かったし、泊まった宿屋はどこも粗末で、治安は悪いし!」
今までの不安や不満が溢れ出し、溢れ出すと同時に溶けていく。
ただ抱きしめ、話を聞いてくれるだけでとても癒される。
今までの苦労や苦痛、苦悩といった苦しみに染まる感情は全て洗い流され、その代わりに心の中には温かいものしかなくなり、もう何も思い悩む必要がない。
ただそれだけの事が、エリザベスにとっては最上の喜びだった。
「うん、大変だったんだね。君が無事で良かった――あの護衛はまけたようだね」
対してリチャードの視線は、抱きしめているエリザベスの方にはなく、その背後にある林を警戒しているようだった。
その姿に違和感を覚えながら、エリザベスは頷く。
「え、ええ、トウヤは宿屋に今もいると思うけど……なんで、だってトウヤは、」
リチャードが雇ったのではないのか。
「――いいや、僕は確かに傭兵を雇ったけど、あんな若い男性ではなかったよ」
その言葉を聞いて、エリザベスの心の中で、何かが割れる音がした。
確かに、トウヤの事は嫌いだ。
口が悪く、自分のやる事なす事説教をして来るし、粗野だったから。自分の事を、きっと彼も好きではないと理解していた。
だが、それは「信頼していない」と同義ではなかった。
自分を守ってくれている、一時的とはいえ自分の味方だ。どこかそう信じていたのに、その信頼は簡単に裏切られた。
「きっと、君を害そうとしている誰かが、僕の雇った傭兵より先に送り込んだんだろう。何故ここまで君の護衛をしていたのかは分からないけど……とにかく、無事で良かった」
一層強く抱きしめられた腕を遠くに感じる。
不思議だな、とエリザベスは心の中で呟く。
リチャード以外はどうでも良い。そう思っていた筈なのに、何故か悲しい。トウヤに裏切られていた、そもそも味方ではなかったと知って、どこか悲しかった。
あんなにひどい扱いを受けていたのに。
「それより荷物はあれだけかい? ご家族の形見は、持って来れたの?」
「――ええ、肖像画と、短剣を、」
途切れ途切れに発した言葉に頷くと、リチャードはゆっくりとエリザベスの手を取った。
いつも通り、優しい手付き……しかしどこか、強引な印象を受ける手付きで。
「では、荷物を持って屋敷に行こう。君の存在がどこの誰に知られているか分からない状況だ。長居は出来ない……屋敷も出来るだけ早く引き払わなきゃいけない」
その言葉に、戸惑いは大きくなった。
「で、でも、このお屋敷に暮らすんじゃないの――私達の生活は、どうなるの?」
リチャードとの穏やかな生活。
ただそれだけの為だけに何もかもを捨てたのだ。それが叶わないのだとしたら、今までのエリザベスの苦労は、文字通り徒労に終わってしまう。
そんなエリザベスの不安を汲み取ってくれたのだろう。リチャードは直ぐにあの優しい笑みを浮かべて、もう一度エリザベスを優しく抱きしめる。
慣れ親しんだベッドに包まれるような安心感が、再びエリザベスの心の中に押し寄せる。
「大丈夫だよ、リズ。僕がいて、君がいる。それだけで充分さ。
だって僕とリズは愛し合っている……愛さえあれば、どんな事だって乗り越えられるさ」
その言葉に、手は自然とリチャードの上着を掴んでいた。
そうだ、きっと大丈夫。
愛する者同士が一緒にいるだけで幸せになれる。
そう盲目的に思ってしまう――、
――そうやって、目を逸らす。
考えたくないのに。
本当は興味もないはずなのに。
トウヤにそういわれたような気がして、心に棘が刺さったような気持ちになる。
「――おいおい、ちょっと待ってよリチャードさん、で良いんだよな?
護衛役であるオレに断りも無く、その子を連れて行かないでくれる?」
声がして、心臓が跳ねる。
来る筈が無い。
居る筈も無い。
だって自分が置いていって、自分の事などどうでも良い筈だから。
それなのに、
トウヤ・ツクヨミと名乗った傭兵が、そこにいた。
◆
サシャからの情報を受け取って、一人で考え事をする為に酒場にいた。
別にエリザベスの目の前で考え事をしても良かったが、オレだって人間だ。お嬢さんの前で表情一つ変えずに考えられるほど、演技力は高くない。
勿論、もう目的地についているんだ。
誰がどのようにお姫様と接触してくるか分からなかったから、出来るだけ裏口と正面を同時に見張れる位置に座って、視線は出来るだけ向けていないように見せるくらいはしていた。
そうしたら、愛想の良さそうだった宿屋の娘が、姫様を連れ出した。
正直リチャード本人が迎えに来ると思っていたから、ちょっと予想外だった。まぁ本当にちょっとで、オレはそのままエリザベスを尾行。
で、愛する者達の再開を温かい目で見守る、傍観者に徹していましたとさ。
めでたしめでたし……だったら良かったんだけどね。
「お嬢さん、アンタも本当に逃げるのが好きだな。まぁ、オレが胡散臭いのは、自分でも分かっているけどさ」
オレの言葉に、エリザベスはただ一睨みするだけで、視線を逸らした。
いつもの上から目線でも怒りでもない、失望にも似たそれ。話を聞いている限りでは、オレへの不信感が強くなっているんだろう。
何せ、リチャードに雇われた人間ではないと知ったのだから。
「……初めまして、見知らぬ傭兵さん。わざわざ、彼女をここまで連れてきてくれて、ありがとうございます」
そんなエリザベスを背後に隠すように立ち回ったのは、リチャードであろう青年だった。
……エリザベス本人から聞いた話は数段盛っていたんだな、となんとなく察する。
平均的な身長、優しそうとは思っても美形とは言えない顔立ち、茶色の髪の毛もブラウンの瞳も、この国じゃ一般的。
どこにも特別なところが無い。
どこまでも平凡な、ただの青年。
――いいや、だからこそ、エリザベスは惹かれたのかもしれない。
生まれた時から籠の鳥、父とは母以外は皆自分に傅く事しかしない人間達ばかり。そんな中で自分の言葉を認めつつも、対等に経ってくれる人間は余りいなかったのかもしれない。
尤も、それは外見だけの話だ。ちょっと観察力がある人間ならば分かるだろう。
その一挙手一投足――どれをとっても嘘の匂いがする
「いやいや、ちょっとした慈善活動みたいなもんだ。傭兵なんて生き方をしていると、悪い事を帳消しにする為にほんの少し良い事をしたくなるもんさ。
にしてもアンタがリチャードさんか。お嬢さんの言葉どおり、優しそうな面してるな」
「ありがとうございます――で、大変ぶしつけなんですが、貴方はいったいどこのどなたなんですか?」
想像以上に直球な質問に、口が緩む。
「オレはしがない傭兵。雇われればどんな人間の味方もするハイエナさ。もっとも、今は長期契約の真っ最中だがね」
「そういう意味ではありません。いったい誰に雇われているのかと聞いているんです。僕が雇った傭兵の方ではないのは、間違いありませんから」
とりあえず、やはりエリザベスを連れ出そうとした傭兵は、リチャードの雇われだという事が確定した。それを表情に出さないように気をつけながら、口を動かし続ける。
「そう言われてもねぇ、別に隠している訳じゃないから良いけど――アンタの方こそ、隠し事してるんじゃないの?」
ピクリ、とリチャードの眉が動く。
それだけでも、畳み掛けるに足る理由になる。
「城の警備状況を操作し、傭兵を潜入させて密かに姫様を奪取。そんな事を一介の庭師が出来るはずもない」
「……昔、城で働いていた事がって、」
「それでコネがあります――なんてのは、ちょっと言い訳にしても雑だよな」
「……だとしても、それが事実ですから」
表情は崩れない。
さらに言葉を続けながら、エリザベスが放り出した鞄を手に取る。
「しかも、そこのお屋敷。そんな大きくてボロな屋敷に住む庭師ってのにも、違和感が拭えない。話を聞いていると、アンタ家族もいないんだろう? それなのに、そんな屋敷に住んでいる理由は?」
「……うちの家族は、元々あの屋敷の庭師をしていました。けど、屋敷の持ち主が借金で夜逃げしまして。家そのものは放置されていたので、勝手に住み着いた……じゃ、ダメですよね?」
思いのほか、リチャードは上手い。
口がとか、表情の作り方が、ではない。
どんなに突っつかれても纏っている空気を変えない所がだ。
完全にぼろが出ていない訳ではないが、上手いと思えるくらいには演技上手だ。
「まぁ、有り得ない話じゃないんだけど……さらに一点。
アンタ、この荷物の中身が重要みたいだな」
「――っ」
オレの言葉に、再びリチャードの眉が動く。
『ご家族の形見は、持って来れたの?』なんて言葉は、姫様を辞めさせようとしている人間だったら出てこないはずだ。
特に家紋付きの短剣なんて、置いてこさせるか、捨てさせるかしなければいけない。
何故なら、それは貴族の頂点、王族だという証明なのだから。
髪や目の色、顔立ちなんかは言い訳が出来ない訳ではない。「姫様と似ている」とだけ言ってしまえば、押し通せない訳ではない。
だが、短剣があれば話は別だ。
貴族が持つ家紋付きの短剣には、偽造が出来ないように様々な趣向を凝らしている。
持っているだけで身分の証明になるのには、家族が持っているもの以外は存在しないからこそ。そうじゃなきゃ意味がない。
平民として生きていくのであれば、必要のないものだ。
王族として生きていくのであれば、重要なものだ。
「アンタは姫様と幸せに過ごす。それなら別に気にしない。こっちは姫様がどんな選択をするのかは、それほど重要じゃないからな。
――けどもしアンタが『王族』としての姫様に興味があるのであれば、話は別だ」
鞄を肩にかけながら、《顎》を引き抜く。
刃を生み出し、そのまま切っ先を相手に向ける。
姫様を後生大事そうに隠しているリチャードに、向ける。
「アンタがまともな人間じゃないのは分かってる。生憎証拠はないんだが、これでも話を通せるだけのコネをオレも持っているんでね。
――さぁ、とっとと吐いちまいな」
言った言葉はそれだけだ。
詰問って言うには情報が足りず、脅迫と言うにはちと脅しが足りない。
出来れば、これでちょっとでも気を逸らしてくれれば姫様を奪取するのが楽だなぁ、と思って放しているだけ。
それだけだった。
しかし、予想はいとも簡単に裏切られる。
今までただ恋人を守る為に必死な男だったその表情が、
「――君は分かっていない。これは大事な事なんだよ」
歪んだ。
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