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《勇者》ト《眷属》ノ物語  作者: 鎌太郎
第三章 秘密ノ姫君
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其ノ四






 〝彼ら〟は、服とは言えないボロ布を纏っていた。

 〝彼ら〟は酷い悪臭を放っていた。煤や土汚れ、埃にまみれていた。

 〝彼ら〟は瘦せぎすで、肉など一つも付いていない。大通りにいる人々よりもボロボロで、やせ細っている。

 〝彼ら〟は無気力に、いいや、力が出ないのか、ただ座り込み虚空を見つめる者もいれば、獣のように蹲って寝ている者もいる。


 異形。


 これらが本当に自分と同じ人間なのか分からないほど、〝彼ら〟は原型を留めていなかった。どれもこれも似たり寄ったりの姿をしていても、よく見れば男も女も、老人も子供もいる。

 それが、まるで産み付けられた虫の卵のように、狭い路地の地面が見えないほど溢れかえっていた。

 ――初めて見る現実。

 それは箱庭の中で何の苦労も無く生きていたエリザベスのある意味純粋な精神に、容赦の無い打撃を与える。


「ひっ――」


 悲鳴をあげそうになるのを、必死で堪える。

 声を上げたら、それだけで〝引き込まれそう〟だったから。

 ……しかし、既に手遅れだった。


「――おねえちゃん、」


 服の裾を引っ張られる感覚と同時に聞こえた声に、血の気が引く。

 まだ年端も行かない子供二人が、必死にスカートを引いていた。

 服とも呼べない襤褸布を纏って。

 腕は握れている事すら信じられないほど細く。

 肋骨が浮き出た腹から、懸命にか細い声を出す。


「――しごとをください、なんでもします、どんなことでもします。

 だから、お金をください、服をください、パンをください」


 目だけが生きる事への渇望で、爛々と輝いている。

 それは、エリザベスには信じられない姿だった。

 ――だって生きるという事は、人間に与えられた最低限の自由だと信じていたから。

 父は言っていた「民は護るもの、法は民を生かすもの」と、何度も、何度も言っていた。

 どんなに辛くても王という地位から逃げ出さなかったのは、きっと父がその言葉を誰よりも信じていたからだ。

 なのに、現実は違う。

 どんなものもいらない。本当はお金も、洋服も、パンも、要らない。




 本当はただ、生きたいだけ。

 生きていけるのであれば、何でも良い(﹅﹅﹅﹅﹅)




「お嬢様、お恵みを」


「パンの一欠けらでも、」


「銅貨一枚でも、」


「何でも致します、」


「どんな事でも、」


「靴を拭いましょうか、」


「御髪を整えましょうか、」


「何でも命じてください、」


「何でもするから、何かを、」


 それはまるで亡者の群だった。子供の声につられ、浮浪者達はエリザベスに縋りつく。

 気力も力も亡くなってしまった彼らが、それでも必死に救いを求めている。その痩せ細った体でどんな事でもするから、生きる糧をくださいと。

 何かしなくては(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)

 この国を守るという責務なんて興味がない。お父様を苦しめ、母を寂しがらせるようなこの国は滅んでしまえば良い。自分は関係ない、ただリチャードと一緒に暮らしていければそれで良い。

 ――はずなのに、その姿があまりにも哀れで、あまりにも救われなくて、あまりにもどうしようもないくて。

 そう、彼女は、エリザベス・ショコラデエ・シルヴァリアは、生まれて初めて同情(﹅﹅)してしまったのだ。

 同情、という言葉に嫌な感覚を覚える人間がいるのであれば、〝善意〟と言っても良いだろう。

 目の前で苦しんでいる人間を放っておけない。他人であっても、助け起こさなければいけない。

 心のそこに根付いているそのような〝善意〟が、エリザベスの手を動かし、鞄の中にいれさせえいた。


「――あ、」


 指先に、小さな硬い何かが入った皮袋に触れる。

 さっきトウヤから取り返した、エリザベスのお金だ。

 ――コレをあげれば、どれだけの人が救われるのだろう。

 頭の中にそんな言葉が湧き上がった。金貨一枚で、市井では相当の大金だとトウヤは言っていた。それが沢山入っているこの革財布を渡してあげれば。

 きっとここにいる人達におなかいっぱいご飯を食べさせてあげられる。

 服を与えられる。

 もしかしたら職を探しに、王都に行けるかもしれない。

 そうすれば、この目の前の子供達も、大人も、老人も――皆、生きて、




「――止めろ。それは救いになんざならない」







「と、トウヤ、」

「はいはい、トウヤさんですよっと。

 ったく。ガキでも守れるような留守番を数分でブッチするとは。留守番の経験くらいあるだろうが……あ、いや、一人では経験した事ないか」


 革財布を取り出そうしているであろう腕を掴み、オレは笑みを浮かべる。

 エリザベスはこっちを信用しちゃくれなかったようだが、生憎お互い様。こんな跳ね返りのお嬢様が護衛如きの言葉を聞いてくれるはずも無いと思っていた。

 それでも怖がって出てこないかもしれない。そんな淡い期待をして、数分だけ外で見張ってたが、結局外に出てきて、フラフラと大通りからこんな危なっかしいところにまで来てしまった。

 大通りは衛視などもいるのでそれなりに平和だが、路地一本はいればどんな町でも、どんな都市でも危険だ。こんな物騒な町であれば、尚更。

 案の定浮浪者達に捕まって、一時の情に流されて金をやろうとしている。

 ……やりたかった事は、否定する事は出来ない。彼女の行為だけ(﹅﹅)を見れば善人のそれだし、オレも許されるならそうしてやりたい。

 だがこれは、一個も良い事になんかならない。


「は、離して、」

「無理だ。変な事しないように、しばらくこうさせて貰うぜ」


 素早く篭手をつけていない左手で持ち直すと、オレはそのままやってきた道を早足で歩く。

 一瞬浮浪者達が追い縋ろうとしてくるが、連中だって必死ではあるが馬鹿ではない。オレの装備を見て怯んだその隙に、とっとと姿が見えないところまで歩き続ける。


「ま、待ってトウヤ! 私が世間知らずなのはわかっているけど、あれは救けなきゃいけないの!」

「へぇ。現在進行形で国を見捨てようとしている人の言葉とは思えないな」

「そ、そんなの関係ない! このお金があれば、あの人達を救ける事だって、」

「出来ないよ。言っただろう。その方法は救いにはならない」


 出来るだけ強く否定する。救いどころか、あの場でそんな大金をばら撒けば害悪にしかならない。


「あの場でアンタの金をアイツラに配ってやる。アンタはそれで満足できるだろうさ。でもな、金を持ったら、アイツラ直ぐに奪い合いを始めるぞ」


 大人が、より力の無い老人や子供から奪い取り初める。喧嘩程度の騒ぎなら可愛いもの。最悪殺し合いに発展する事だってある。それくらい、連中の目は必死だった。

 生きる為なら、文字通り何でもするって目をしていた。


「そ、そんな事、」

「じゃあしなかったとしても、金貨一枚じゃどうしようもない。この国の物価を考えると、服を買い、どこか別の土地に向かう路銀にはちと足りない。精々この町で一ヶ月、飯を食えるかどうかだ」


 たった一ヶ月生きる糧を得るだけ。

 まぁそれでも良いのかもしれない。一ヶ月寿命が延びるんだから、悪いことではない。そう普通の人間なら思うだろう。


「――けど、それすらもちょっとした悲劇だ。飯が食えるなんて幸せをあいつらが手に入れたら、元の浮浪者生活には戻れない。欲をかいて、違法な事に手を染める」


 『あの女の子が金をくれたんだ』

 『他の人だって金をくれるはずだ』

 『いいや、あの女の子でさえ(﹅﹅﹅)くれたんだ』

 『他の人が金をくれないのはおかしい(﹅﹅﹅﹅)

 『きっと自分だけ良い思いをしているんだ』

 『ずるい、許せない』

 『――奪ってやる』

 『いいや、取り返すんだ(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)


 ――そうして、悲劇は起こる。普通の盗みや万引きならまだマシだ。果ては強盗、山賊行為、最後は殺して奪う所まで行く。

 エリザベスに金を恵んでもらった。それを免罪符にして、犯罪を犯す。

 あの人数がそんな行動に走ったら、今微妙なバランスになっているこの町は決定的なところまで堕ちるだろう。数年後訪れたら一大犯罪都市になっているなんて事も、有り得るかも知れない。

 いいや、それだけでもない。どこもかしこも似たような不満がくすぶっているこの国で、たった一つの火種が堕ちてみろ。似たような事をし始める人間がネズミ講よろしく増えていく。


「そ、そんな大袈裟な、拡大解釈です!」

「ああ、大袈裟だ。大袈裟だが、絶対にありえませんって事はないんだよ」


 可能性は可能性。絶対に起こる可能性はないが、同時に絶対に起こらない可能性だってない。

 しかしたった一つの行動が何かに影響を与える事だってある。人間そんな事実はありえないと思いたがるが、事実そうだ。

 たった一人の行動が、その後の町一つの運命を担っているなんて、珍しくもなんとも無い。

 どこにでも転がっている、善意から生み出される悲劇。でも、有り触れたものだから起きて良いなんて話にはならない。


「……でも、それでも、何か出来る事が、見捨てるなんて、」


 エリザベスは言葉を濁す。

 ――〝救けられる事があるかも〟。そんな言葉にきっと続くんだろう。そしてそれは、基本的に間違っている事じゃない。

 誰かを救けたい。そう思う気持ちを否定しても、良い事なんか一つもない。

 こいつは本当に根は悪い奴じゃないんだろう。温室育ちだから、知らないから、そんな理由を論って、その善心を否定する気にはなれないと、改めて思う。

 だけど、


「言っただろう。アンタは国を見捨てるんだ」


 先ほど浮浪者が群れていた路地裏を指差す。




アレ(﹅﹅)を見捨てるのは、お前(﹅﹅)だ」




 現実をはっきりと見せてやる事が、オレの仕事だ。


「そんなの関係ないって言ったでしょう!」

「大有りだ――もしアンタが王位を継承すれば、もっと別の方法で救える。経済支援を行うなり、一日一回食事を提供する事も、ああいう場所で暮らす子供を救う孤児院を立て直す事だって出来る。

 王様や貴族ってのには、そういう事を指示出来る()を持っている」


 貴族という、生まれながらにして特権と地位を約束された存在。

 この世界とは別の世界で生まれた渡世者(エグザイル)や、その特権階級に生まれなかった人間からすれば、なんて傲慢な種族だろうと思うだろう。

 上から人を見下ろし、人の大事に育てた麦を奪っていく、大犯罪人のように見えるかもしれない。

 ――それでも、この世界でそれなりの時間生きてみれば、今の世界には必要なんだという事が分かる。まともな社会体系の無いこの国で、上に立つ人間を作っていく事がそんなにいけない事か?

 歴史や教養があるという証明がしっかり出来る人間にしか出来ない事も、この世界には沢山ある。

 それが悪い方向に奔る事もあるかもしれない。

 だがどんなシステムにだって善悪は発生する。問題は使うべき人間が、どのような気持ちで使うかだ。


「それをアンタは、何日か前に放棄したんだ」


 貴族を――貴族の頂点として君臨する王という地位を、自分から捨てた。

 届く〝声〟を捨て、責務を捨て、その代わりに得られるであろう富と名誉を捨てた。

 自分自身の幸せの為に。


「――貴方は、そんな私が許せないの?」


 目を地面に向け、悔しさに歯を食いしばり、その口から押し殺した声を出す。


「私が、そういう物を捨てて、逃げたから。

 お父様の大事な仕事を蔑ろにしたから。

 私が、自分勝手に、そうしたから」


「……言ったはずだ。そこは別にどうでも良い。

 逃げるのも、抗うのも、受け入れるのも、自分から即位するのも、そんなのアンタの自由だ。オレがずっと気に入らないのは、」


 エリザベスの胸倉を掴んで、顔を無理矢理上げさせる。

 女の胸倉を掴むのは、マナー違反。そもそも泣いている女に追い討ちをかけるのは紳士としてあるまじき行為。

 ――んな事、知った事か。




「――アンタが、何も見ていない(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)事だ」




「何、も、」


 エリザベスの見開かれた、涙に濡れる碧眼から、オレも目を逸らさない。


「ああ、何も見ていない。逃げる時も、抗う時も、受け入れる時も即位する時も、それは目の前にやってきたもんがどんなものかしっかり見てからだ」


 敵から逃げる時も、敵と戦う時も、救う時も、殺す時も――どんな時でも敵から目を逸らしてはいけない。現実逃避してはいけない。どんな時でも認識する。

 それは自分の行動の結果。自分のやった事の代償。

 自分のケツは自分で拭け。それだけの話だ。


「だが、アンタはずっと目を逸らし続けている。

 アンタが逃げたらこの国がどうなっちまうのか、メリットデメリットはどんなか。

 アンタが平民と結婚したらどういう事が起こって、どんな苦労と喜びがあるのか。

 逆にアンタが王様になったら、どういう事が出来て、どういう事が出来ないのか。

 全部――全部から、アンタは目を逸らし続けている」


 『これは私の所為じゃない』『私だって逃げて良い』『私には関係ない』。

 そんな適当な言い訳ばかり作って、ただリチャードと結婚すれば幸せになれる。そんなリチャード任せの張りぼての幸せを心の支えに盲信(﹅﹅)する。

 ああ、幸せだろう。

 辛いものなら見なければ良い。そうすれば何もかも忘れてただただ幸せ。無知は罪だが、同時に幸福だ。何せ問題なんて見なければ無いものと同じなんだから。


 でも、それはズルだ。

 卑怯だ。


 自分のしてきた事を心にも留めないなんていうのは、人間が最低限行わなければいけない贖罪さえもしないという事に他ならない。




()は、そんなお前が嫌いだよ」




 ――ああ、これは多分、トウヤ・ツクヨミ(オレ)月詠十夜()に言っているんだ。心の中にある冷静な部分がそう嘆息する。

 目の前の問題から目を逸らし続けて、生きていた時を過ごしていた俺に。

 神様なんていう存在を信じた事は一度もないけれど――それなんて罪深い事なんだろうと、今なら思う。気付いた時に頭に浮かんだ〝怠惰〟という言葉は、皮肉にもぴったりな言葉だったんだろう。


「……お前に、もし責任感って言葉やら、そういう感情が一欠けらでも残っているのであれば、もう一回目を逸らさずに、考えてみろ」


 何も言えなくなったエリザベスの胸倉から手を離す。

 オレが話せるのは、ここまでだ。これ以上先は目の前でうつむいているお嬢さん自身が決める事。助言はしても、ああしろこうしろと命令はしない。

 もしそれをやってしまえば、きっと何もかも失った後のお嬢さんはその命令に従う。人形みたいな無表情で王様になって、一生それをオレの所為にする。

 今度は、オレに依存する(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)

 それはオレの本来であるサシャが望んでいる事でもなければ、この国が望んでいる王様でもない。何より――、




 オレはそんな吐き気のする仕事はお断りだ。







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