プロローグ/嘆きの夜
第三章、いよいよ開始!
銅貨楽しんでいただければ幸いです。
――双子月のお陰で外は明るく、故に部屋の隅に蹲る暗闇は余計に深くなるように感じる。明るさは太陽ほどでは無いが、しかしそれでも、ここから庭木の葉や芝生の豊かさを十分見る事が出来る。
……一人の少女が、部屋の窓の前に佇んでいる。
美しい少女だった。
月の光を暖かく反射する栗色の髪、綺麗な碧眼は本当であれば空のような澄み切った青さを映し出すが、射す光が月明かりなのもあって、どこか悲しげに白んでいる。
ここは彼女の家。彼女の住まい。生まれた時から生活をここの中だけで送っている。
贅沢な暮らし、だったのだと思う。多くの使用人を与えられ、食べたいものは何でも食べられたし、飲みたいものは何でも飲めた。子供の頃は玩具を、今は本や楽器など、欲しい物は何でも得られた。
母はとても穏やかなで優しい人だったし、父はそう多くは来なかったが、それでも大らかで自分の事を大切している事を態度で表す人だった。
何も欠ける事のない満ち足りた生活。
しかし一種完全なそれは、完全であるが故に不完全だった。
確かに何も不自由した事はない。自由以外は。
少女はこの屋敷の外に出た事は一度もない。父と母は少女を困らせたり、悲しませたりする事はなかったが、唯一外に出る事を禁じた。
外に何があるかは本でしか知らない。
それがどうしてなのか、子供の頃は随分悩んだものだ。なぜ自分は外に出れないのか、もしかしたら外に出たら自分のような弱い子を食べてしまう怪物がいるのか、それとも怖い病気でも蔓延しているのか、本当は世界で生きている人間は自分達だけなのではないかと。
勿論、そんなものは幻想、妄想の類なのだと今になってしまえば気づく。
父と母は、少女を隠したかったのだ。
誰から、何からなのか。あるいはもう全てからだったのか。少女は姿形どころかその存在そのものを隠蔽されていたのだ。
それが、つい三日程前――父が亡くなって一ヶ月経ってから知った。
丁度母の一回忌から、一ヶ月で。
それからは怒涛の展開だったと言えるだろう。
いきなり国の偉い人が何人もややってきて、少女から何度も何度も同じ話を聞いては、別室で大きな声を出して何やら難しい議論をし続けるのだ。
そんな大声で話す人達を今まで少女は見た事がなかったので気が動転し、とても嫌な気持ちがした。悪い人達ではないのかと使用人達に聞いてみても、口を揃えて、
「いいえ、違いますお嬢様。あの方々はお嬢様の未来を考えていらっしゃるのです」
と答えるばかり。
……それも変ではないか、と思った。
自分の未来は自分だけのものだ。何故他の者達、しかも見知らぬ喧しい連中が自分の将来を、未来を決めようとしているのか。
少女は余計、嫌な気分になった。
とても長い時間別室に篭っていたその喧しい連中が協議を終えれば、今度は少女はここから連れ出される事になった。
綺麗なドレスを着て王冠を戴き、少女は女王になるのだと、その者達は言った。
そして隣国の王子と結婚し、次代の王を産むのです、とも言った。
なんて酷い話だろう。
勝手に上がり込んで無遠慮に人の話を聞き、おまけに大声で喚き散らした上、訳のわからない命令をされたのだ。
どうやら、父はこの国の王様で、少女はこの国の王家最後の生き残りなんだそうだ。少女以外に継げる人間がいないから女王にせざるを得ないんだとか。
知った事ではない。
そんな話父から一度もされなかったし、王様になるなんてあり得ない。しかもさらに、どこの馬とも知れない王子との婚姻まで人に勝手に決められている。
そんなの、嫌だ。
だって私には、
「リズ、リズ、エリザベス、いるのかい?」
少女――リズという愛称で呼ばれたエリザベスという少女がいる窓際からより、もっと向こうにある部屋の扉から、若い男性の声が聞こえる。
「ああ、リチャード!」
感極まって、愛しい男性がいる扉に駆け寄る。
部屋は内側からも外側からも開けられないように魔術で施錠されているので開ける事は叶わないが、しかし扉の向こうに愛しい人の温もりを感じようと、扉に身を寄せる。
「来てくれたのね!」
「シッ、静かに。黙ってここに来ているから、見つかったら大変だ……でも、元気そうで良かった」
いつも通りの優しい口調に、心から蕩けそうにになる程の安心感を抱く。
「元気ではないわ。だって、あの人達はまるで私を責めるように話すのですもの。どうにかなってしまいそう」
「そうか。やっぱり彼らはそういう態度なんだな……」
「ええ、しかも私を異国のどこの誰とも知らない人と結婚させると……酷いわ……私には、貴方がいるのに」
扉を彼の胸元だと思って、優しく撫ぜる。
「それは酷いね。他人に自由を許さないなんて、横暴だよ」
それを分かってくれているのか、リチャードの声は優しく自分の言葉を肯定してくれる。
いつも彼は自分の言葉に頷いてくれる。
自分の事を分かってくれる。
その事実は、この誰も味方がいない屋敷の中での唯一の救いだった。
「でも、どうしてこんな所に? 扉の前には兵士がいなかった?」
「交代の時間を狙って来たんだ。だからあまり時間がない」
「そう、なの……」
暖まった心が一気に下がっていくのを感じる。そんなエリザベスに、リチャードの言葉は優しく響いた。
「良いかい、よく聞いてリズ。
逃げる算段を、僕がつけている。もう準備は進んでいるよ」
「本当に!?」
「ああ、僕にも仲間がいるんだ。彼らに手引きしてもらって、逃げ出せるよう手配した……二人で遠いどこかで一緒に暮らそう」
その言葉は、ここ最近の出来事の中で最も喜ばしいものだった。
逃げ出せる。
もう誰も味方のいなくなってしまったここから。
自分を無理やり縛りつけようとする無礼な人間達から逃げ出し、最愛の人と穏やかなに暮らせる。まるで夢のような出来事に、少女の胸は高鳴った。
「でも、それはお城に行ってからだ」
「すぐでは駄目なの?」
「ここには、護衛の為にと沢山の兵隊がいる。この中から逃げるのは難しい。城であれば、彼らも多少警戒を緩くしてしまうだろう。その時に、逃げる為の手筈を君に伝える。
――だから、待っていてくれるかい、僕の愛おしい人」
「ええ、どんなにかかっても待つわ!」
本当はすぐにここを抜け出し彼に会いたいという気持ちを胸にしまいこんで叫ぶ。
ただただ、愛おしい人を信じているから。
「……誰か来る、ここまでだ。
――エリザベス、僕の愛しいリズ、どうか無事でいてくれ」
「ええ、どうか貴方も」
短い祈りの言葉だけ呟くと、人の気配のしなくなった扉を離れ、先ほどまでいた窓際にまで戻る。
少ししてからだろうか、小さなノックの音が聞こえる。
「……お入りください」
形ばかりの礼を言葉に込めると、「失礼いたします」と、どこか堅苦しさを感じる声と共に、扉が開いた。
長身で、異常に猫背。黒く大量の香油が塗りたくられた髪の毛も、ギョロっとした目も、どこか癪に触る男。
確か隣の部屋で騒がしく議論をしていた者の中で、1番偉そうにしていた男。国の枢密院という所の、院長をしている男で、名前は、
「これはギーヴ様。こんな時間に、未婚の女の部屋を一人で訪ねて来るのは、無礼ではありませんか?」
「申し訳ありません。なにぶん、時間がありませんでしたが故。それに、私一人ではございません」
相変わらず愛想の欠片も存在しない表情でそう言割れて覗き込めば、背後に無粋な鎧兜を着ている騎士の面々も揃っている。
その鉄の匂いに顔をしかめながら、エリザベスはギーヴを睨みつける。
「剣を帯びてここに入って来る事も、また無礼と言わざるを得ません。お引き取りを」
「そうは参りません。このまま姫君には、城に来ていただきます」
「そんな、急過ぎます!! 昼間はここにまだ留まると言っておられたではありませんか!!」
動揺してエリザベスが大声を上げても、ギーヴは眉一つ動かさない。
「申し訳ありません。噂程度のものではありますが、姫を傷つけようとする集団がいるようです。
ここでは警備上問題が多過ぎる。いくら鍛えられたここの使用人、そして親衛隊でも、警備し切る事は難しい。
城が1番安全なのです」
「お断わりまします――言いましたよ。私は貴方の思い通りにはなりません」
「結構。私も別に貴女様を操ろうとは思っていません。
姫殿下、貴女はこの国を統治出来る唯一のお方。害そうなど、とても、とても」
綺麗事を。
心の中で唾でも吐きかけたくなる気持ちを抑える。
硬い態度、慇懃な言葉でいくら此方を懐柔しようとしていても、この男の目論見は分かっている。どうせ小娘と思って、自分を利用したがっているに違いない。この無礼がその証拠だ。
この国がどうなろうとエリザベスは知った事ではない。
興味がないのだ。もはや父と母という大切な存在を失ってしまったのに、この国に一体どんな未練を抱けようか。
父が国王であった事など関係なく父は父であり。
国王の愛人だった事など関係なく母は母だ。
自分が自分である事に、国や立場は関係ない。ましてや、誰も利用できなくなったと判断してからようやく此方を認識するような男に、どう信を置けというのか。
「城に着きましたら、戴冠式の段取りを取り付けます。時間は……一ヶ月と半ばほどでしょう」
「そ、そんなに早く!?」
あまりにも早いその対応に動揺する。
「元々、事前準備は行なっておりました。貴女の証書へのサインと、あとは見届け人を探さなければいけませんでしたが、」
見届け人。
王とて、前代が死ねばすぐに王になれるわけではない。
神の前で王になる許しを請い、戴冠式でそれを第三者に同意してもらわなければならない。しかも、その見届け人の地位が大事だ。王を王と認める事になるのは、神の代理人という事に等しい。
そんな大役を担える人間は、今の段階では唯一教会で選ばれた特別な司教であるの枢機卿か、教皇聖下くらいなものだ。
それくらいは、エリザベスでも知っている。
「我々は教皇聖下にお頼みしようかとも考えていたのですが、今は多忙。とてもではありませんが、我らのような小国に訪れる事はありますまい。枢機卿の方々も、また同様です」
「フフッ、では作業は難航しているのですね」
エリザベスは、もはや喜びを隠しもしない。
遅れれば遅れるだけ、エリザベスが女王になることが遠のくのだ。喜ばしいに決まってる。
だがそんなエリザベスの喜びも、すぐに曇る事になる。
「いいえ、前王の遺言により、見届け人は《勇者》様にやっていただく事になっております」
《勇者》。その名称に、思わず息を飲む。
《勇者》と呼ばれていいのは一人だけ。正義を尊び悪を挫く英雄。全ての人にとって中立的存在であるはずの《勇者》。
それが、エリザベスの望まぬ戴冠を見届ける役に付いていると聞いてしまえば、絶望はさらに深くなる。中立的存在が、エリザベスの戴冠を許しているという事なのだから。
「そ、そんなの信じられません! 《勇者》様がそんな、」
「故国王陛下様は、先代の《勇者》様との縁がございます。今回も快く承知してくださるでしょう。戴冠式を執り行うのも、また《勇者》様の仕事の一環ですので」
……その言葉にぐうの音も出ず、エリザベスは静かに歯噛みする。
望みが絶たれた、という程ではない。
だが戴冠式に近づけば近づくほど多くの人達が集まるのだろう。そうすれば警備もどんどん厳重になっていく。《勇者》がいるならば、余計に。
助かるのだろうか。
リチャードは本当に助けてくれるのだろうか。
そんな不安と疑念が一瞬頭を過るが、すぐに頭をギーヴに気付かれない程度に振って払い出す。
「……では、必要なものは全て城に用意してございます。このまま出立致したいのですが、構いませんか?」
それは提案でも質問でもなく、もはや命令に近い力強さを感じる。
そして感じた通り、そうするしかエリザベスに道はないのだ。
「……覚えておきなさい。私は本当に、貴方の思い通りになんかならないのだから」
精一杯の反抗心を眼光に込め、睨み付ける。
美しいその姿で威嚇すれば、誰もが心をつかまれ、その罪悪感に動かされるような。しかしギーヴの表情は、そんなエリザベスの姿を見て何も感じないかのように動かない。
「ええ、結構です――姫殿下は姫殿下らしくあっていただければ」
そんな真の篭っていない言葉を吐いて、先導する為に前を歩く。一緒に来た四人の兵士はエリザベスの周囲を取り囲み、さながら囚人の護送。
いや、囚われているという意味ではエリザベスはそうなのだろう。
これからエリザベスは、城の中で囚人として過ごすのだ。扱いがいくら変わったとしても、本質は同じ。
「……リチャード」
胸にかけられたロザリオを握り締める。
平民の彼が、何とか工面して買ってくれた宝物。それを握り締めれば、ほんの少しだけ彼から力を貰えるような気がして。
そして、再び彼に会えるような気がして。
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