其ノ四
――オレは残念ながら、〝最強〟などと言われた試しがない。何をさせても二流そのもの。武芸者と呼ばれる、一つを極めた人間とは違う。
どんな状況でも他社の力を借りず、あるいは利用して乗り越える。
それがオレのスタンスだったし、実際傭兵としては、それが正解だったと思っている。
疑いも後悔も、そこにはない。
――それでもオレの口の中には、苦虫をすり潰したような微かな不安が広がっていた。
斬撃が虚空にすり抜けていくなんて珍しい感覚でもないだろうに、それが嫌に手に残る。
風に立ち向かっているような気持ちにさせられるのに、あっちの拳は否応なくオレの体を突き飛ばしていく。
……いや、言い方がちょっと生ぬるかったな。
「――ッ」
ゴウッと渦巻く風と共に突っ込んで来た一人の武僧に気づき、振り向きざまに袈裟斬りを仕掛ける。
剣速は、燕にだって負けないほどの速さだ。傲慢でもなんでもなく、自慢でもなんでもない。
何年も戦って手に入れた、オレの自信そのもの。
――だが、男はそれをギリギリの所で回避し、オレの腹に拳を叩き込んでくる。
「カッ――」
痛いとかそういう次元にない。
表面は傷つけない癖に、内臓にばかりダメージがいく、嫌らしい打撃。それでも傷は勝手に治ってくれる。
もし、オレに《眷属》の……大我が無限に供給され、体を癒すという権能が与えられていなければ、腹の中に血袋を溜めて絶命していただろう。
血を吐き出しそうになるのをギリギリで耐え、斬り返す。
アッチの攻撃と違い、こちらの攻撃は分かりやすいほどあっさりと、男の体を斜めに切り裂くが、武僧は悲鳴すらあげない。
戦っている時と全く同じ、感情を殺した無表情で、他の仲間の邪魔にならないように倒れる。
――狂信者。
その姿を見るだけでも、そう評してしまうのは十分だった。
「チッ、化け物じみてんなぁ」
「――それは貴様もだろう?」
武僧の取り巻きの中で、妙に踏ん反り返っているジジイが、のんきにこっちに話しかけてくる。
「自然と傷が癒えるとはいえ、我らの攻撃をもう数十発は受けておる。
本来であれば血尿を出しながら痛みに悶え苦しんで当然の攻撃……立っているのが不思議だ」
「生憎、痛みには慣れているもんでね……それに、我慢するくらいだったらまだ可愛らしいもんだ――こっちの動きを簡単に察しちまうアンタらと違ってな」
剣筋、矢の軌道だけではない。遠方から放っているニコラの魔術さえも、武僧達はだんだんと回避し始める。
ほんの少しずつではあるが、確実に“慣れて”いる。
それがどれほど異常か理解できる人間は少ない。そりゃあ時間を掛けて戦っていれば見えてくるモノもあるだろうと。
んな訳ねぇ。
目が慣れても筋肉が、筋肉が慣れても骨が、骨が慣れた所で頭が慣れない。一年中受けてようやっと慣れて避けられるもんだ。
一時間も経たない間に慣れられるなんて、たまったもんじゃない。
「だが、分かっているだろう? 貴様はもうジリ貧だ」
ジジイの声が耳にこびり付く。うるせぇ、分かってんだよこっちは。
相手は武を極めた連中。おまけに狂信者で、精神的にもオレより強い。
対してオレは、そりゃあそこら辺の雑魚よりマシだが、コイツらに正面から喧嘩を仕掛けられるほど強くはねぇ。
大我貰って、ようやっとトントンって所だろう。
ウーラチカやニコラの支援がどこまで効果を発揮するか……この様子じゃ、期待のし過ぎは死を早めるだけだ。
「――降伏しろ、《眷属》」
ジジイの声は、相変わらず耳に入ると苛立つ。
「我らも、すぐに殺そうという腹積もりな訳ではない。《勇者》の真意を確かめ、それから我が主人に伺いを立てよう。
手荒くなってしまったが、お前や《眷属》を悪いようにはせん」
……ああ、この内容は耳障りが良いなぁ。
こっちの命は見逃す事も出来っから、とっとと主人を差し出せというのを、物凄く歪曲して喋ってやがる。
まぁ、取引としては悪くはないんじゃないか?
――オレが自分の命優先の〝傭兵〟だったらな。
「なあ、一つ訊かせてくれよ」
「なんだ? これ以上、値は釣り上がらんぞ」
「なぁに、簡単な質問だ。
――アンタ、『命は助けてやるから信仰捨てろ』って言われて、従うか?」
……辺りは静寂に包まれた。
そうだ、コイツらは、コイツらこそ知っているはずなんだ。世の中には命よりもずっと大事なもん抱えて立ってる奴もいるってな。
つまり、今回の交渉は、全くナンセンスなもんだって事だ。
「……ふむ、安く見ていたのはこちらという事か」
それだけをジジイがいると、再び武僧達が動く。
あ〜あ、本当に、オレって奴は馬鹿だなぁ。
――ま、アイツなら、分かってくれるだろう
◇
「離して、離してニコラ!」
民家の屋根の上。
そこに魔術によって存在を隠蔽しているサシャの声は、大きくとも周囲に響く事はない。
だが聞けば誰もが、その悲痛さに心締め付けられるだろう。実際、間断なく矢を射っているウーラチカも、必死で服を掴んで制止するニコラも、苦痛の表情を浮かべている。
「堪えてください、サシャ。ここで貴女が出て行ってしまえば、彼の考えも全て水泡に帰します」
「もう水泡どころか何も残っちゃいないじゃない! 作戦は失敗、全員で撤退するのが最善でしょ!?」
今回の〝釣り〟は失敗だ。
今まで目立った失敗をして来なかったトウヤの作戦としては、物の見事に失敗な部類だろう。
トウヤと一緒に戦線を離脱。状況を覆す為に、ゴラファイスの館に逃げ込むのも手だ。
あるいは、一度街を出てしまうのも良いだろう。
今はとにかく、逃げなければ。
そんな考えが、サシャの中で繰り返し繰り返し叫ばれている。
「――違います、多分彼の考えは、そのようなものではありません」
サシャの服を握っていたニコラの手が、さらに強く締め付けられる。
「《勇者》を害そうとした一派と、正当防衛とは言え敵側を殺してしまった《眷属》。政治的には最悪です。
ですが、敵の主人もそれを良い事とはしないでしょう。出来る事なら、この戦いそのものを無かったものにしたい。
それと同時に、これが最初から《勇者》としての考えではなく、《眷属》一人の考えとすれば、サシャの立場も、不安定ではありますが、《勇者》を辞めずに済むでしょう」
「――なに、それ、――」
サシャの腕から、いいや、体全体から力が抜けるう。
彼女の言葉が聞こえているはずなのに、内容を理解できない。何が言いたいか分かっているはずなのに、心がそれを拒絶する。
だがいくら拒絶しようとも、耳を塞ごうとも、その残酷な結論ははっきりと告げられる。
「――トウヤを、見捨てるのが、最上と判断できてしまいます。
おそらくそれを理解しているからこそ、トウヤはまだ戦い続けているんだと思いますす」
『上手くオレに押し付けちまいな、主人』
あの何処までも軽い口調で、トウヤがそう言ったような、そんな幻聴が聞こえる。
……ああ、彼女の言葉は間違っていない。トウヤの考え方も、理解出来なくはない。それによって結果多くの命が救われるかもしれないと考えれば、是非もない。
《勇者》さえ生き残っていれば、どうにでもなる。
《眷属》とは、そもそもそういう存在なのだから。
「――冗談じゃない」
ニコラの腕を、今度はサシャが握りしめる。
女の細腕とは思えない、へし折らんばかりに握りしめられたそれに、感情が、強い意志が乗り移る。
「良い、ニコラ。貴女は《眷属》になってまだ日も浅いからそんな考えになるんでしょうけど、この際だから教えてあげる。
《勇者》サンシャイン・ロマネスの信念は、『どんな人間でも全部助ける』よ!」
王様も、乞食も。
老人や、子供も。
人種も、妖精種も、獣人も、魔人種も。
全部全部助ける。
どんな理由であれ、それが使い捨てても良い《眷属》であっても。
「分かったなら、私とウーラチカがあそこに突っ込んでいくための支援をして……なにをしても、私はトウヤを、」
助ける。
その最後の言葉を言い切る前、
『――いいや、その必要性はない』
厳かな声が、凛と響いた。
一週間も遅れて申し訳ありませんでした。
次回の更新は、7月1日を予定しています。
どうかお楽しみに。




