プロローグ/若獅子は己が拳を握る
いよいよ始まりました、第5章。
皆さん、楽しんでいただければ幸いです。
――白亜、などという言葉を現実で生み出す事は難しい。
真っ白に見える石を選定し、組み合わさるように加工し、人足を使って組み上げる。それだけでも途方も無い時間と労力、そして金銭を必要とする。
もはやそれだけの事で、権力を象徴するには十分なものだ。
さて、ではこの場所を見てみよう。
その建築方法によって光を多く取り込めるように作られたそこは、本物の純白だった。
壁も、床も、設けられた礼拝台も、そこに飾られる無色の象徴も、何もかも白亜の石を元に作られている。
目が肥えた職人がここを目にすれば、きっと異様な場所だと思うだろう。
どこまで石を上手く積み上げ、施工した所で消えて無くなりはしないはずの継ぎ目がない。
人の手で作れないものは、当然魔術が関係してくるが、これだけ大きな建造物を作る為にだけ貴重な魔術師を使うというのは、それだけでも異様なものだ。
いったいどれほどの権力があるのか。
……いや、それは今回の主題ではない。
今回の主題は、その白亜の礼拝堂の中心で、祈りを捧げる、一人の青年だろう。
――彼はその白亜にも見劣りしない、純白の服を纏っていた。
修道士達が身につけている質素なそれを同じ作りになっているが、基本として体を動かす事を考慮されていないそれとは違い、彼の服は実に動きやすそうだ。
まるで戦士が鎧の下に着る、一種の戦装束の類にも見える。
しかし、その清廉さと、精練さは不思議と同居しているように見える。
フードは、残念ながら深く被られている。
自身の姿を恥じているのか、あるいは敬虔であるが故にその姿を神の観前で晒したくはないのか……あるいはその両方か。
それでも、目を凝らしてみれば、フードの奥から覗く鼻先と両手を見れば、彼がどんな存在なのか分かるだろう。
白き体毛に覆われる人間らしからぬ手と、動物的な鼻の形を見れば、彼が獣人種だと知る事が出来るだろう。
獣人種は非常に多種多様な種類が存在する。
有名な狼人族や人猫族以外にも、多種族では把握しきれない程おり、何よりその種族の中でも複数の種類に分かれる事は珍しくもない。
だから、そんな彼の姿を見ても、それだけではどの種族か言い当てられる者は、そうはいないのだ。
……実際、彼は同族の中でも変わり者なのだから。
「………………」
彼は、何も語らない。
主に何かを語りかける事もせず、独り言を口走る趣味もない。ただ一心不乱に、何かを祈り続けている。
ここに座り始めたのは昼過ぎ頃なので、もう何時間も座っている事になる。時間を知らせる鐘の音を三度聞いたので、少なくとも三時間は座っている。
それでも、彼は祈る事をやめない。
一心不乱という言葉を使ったが、確かに、彼は祈る事以外何も考えていなかった。
……不意に、礼拝堂の中で複数の足音が響くのを、彼の耳は察していた。
獣人種は総じて感覚が鋭い。
大きく足音を鳴らす事、走る事を礼節の中で禁じられている僧侶の足音など、本来は聞こえるはずはないが、そんな足音も彼にとっては普通に聞こえるものだ。
「……聖下、私のような者の為に、わざわざ足をお運びいただかなくても結構でしたのに」
首を垂れる事はしない。既に神に下げている頭を上げては、逆に礼節に反する。
それが分かっているのか、声をかけられた老人は声を上げずに笑みを浮かべながら、静かに、しかしはっきりとした涼やかな声で応える。
「いいえ、良いのですブラザー。私もちょうど、礼拝しようと思っていたところです。
私のような立場になってしまうと、聖務ばかりでこのような純粋な祈りをしに来れませんからね」
「お立場もおありでしょうから」
「やれやれ、貴方もそう言いますか。私はあくまで、一聖職者でいたいのですがね……」
衣擦れの音をさせて隣に跪き、どこか寂しげに言っているが、本当のところどうなのか、青年にはよく分からない。
世権会議加盟国中に広がっている『唯一教』。その最高指導者が考えている事など、一介の僧侶である自分が理解できるはずもない。
どこかから、ヒソヒソと何かを話している声が聞こえる。
きっと、彼に付き従ってきた小姓の声だろう。小姓とはいえ、彼らも立派な僧侶な筈なのだが、彼らの視線は容赦なく自分の服を貫いている。
……唯一教の信奉者の多くが人種だ。他種族には独自の信仰があり、基本的にそれは認められている。
だが〝多くが〟というだけで、ごく少数ではあるものの他種族が唯一教を信仰している場合もある。
青年のように。
しかし、それが周囲に認められているかと言えばそうではない。
初代《勇者》が魔王を打ち滅ぼして千年の時が経った今でも、差別の意識が抜けないのは、事実だ。
「……祈る。君らは下がりたまえ」
それが気に入らなかったのだろう。老人が小姓にそう命ずる。一瞬だけ戸惑いの空気が流れたが、教皇の言葉に意見出来る者はおらず、衣擦れと足音が遠ざかっていく。
「……申し訳ない。まだまだ、意識の根とは深いものです」
「お気になさらず。そもそも、唯一教の始まりは初代《勇者》の《眷属》の一人が天啓を受け、異種族に抗う為に広まったもの。
私のようなものを受け入れられないのも、またしようがない事でございます」
「物分りが良いというものも、考えものですね」
鋼鉄のように硬い意志を内包した青年の言葉に、老人は一度だけ溜息を吐くと、
「――戦が、始まるやもしれません」
唐突に、そんな言葉を投げた。
……いや、唐突でもないかもしれない。
そんな気配のようなものはあったし、わざわざこんな場所まで教皇が足を運んだのだ、よっぽどの話があるのだと、予想はしていた。
あまり、したくない予想ではあったが。
「……ミゲル枢機卿は、もはやそこまで来ましたか」
「ええ、そのようです。しかも、多くの枢機卿、聖騎士団、そして武僧がそれに賛同している。
私の側……などという言葉は好みませんが、私に付いて来ているのは、一部の司祭、聖騎士団の一部、そして貴方くらいなものです」
彼の言葉は酷く枯れている。
心労が重なっているのか、あるいは教主としての重責の所為なのか、数年前に自分を拾い上げてくれた時とは比べるまでもなく、背中は小さい。
それを見て哀れに思う事はない。
ただ、彼にとっては悲しいものだった。
「……では、どうなさいますか? 教皇の生前退位は異例ですが、過半数の支持を受ければ可能と聞きました」
「それは可能というだけの話で、決して『簡単だ』という話には直結しません。
だからこそ、〝戦〟という言葉を使ったのです……悲しい事ですが」
――唯一教の指導者、教皇という存在はそう簡単に変わって良い存在ではない。
トップがコロコロ変わる組織が、民から信頼を得られる筈もない。それは国家も宗教も変わらない不文律。
故に、それを行いたいのであれば、戦争に匹敵する政治抗争……あるいは、もっと直接的な手段に打って出るしかないのだ。
神を信じ、無上の愛を説いている宗教が、何を言っているんだと思われるかもしれない。
実際、青年は心の中でそう毒を吐いている。
それでも、感情と欲がある生ける者が関わっている以上、どうしようもない事だ。
「……我々は、数としては圧倒的不利です。内部でこれ以上味方を生み出すのは、無理が過ぎるというもの。
であれば、外部の人間を取り込んでくるしかない」
「外部?」
青年の疑問の言葉に、すぐに返答せず、教皇は垂れていた頭を上げ、祭壇に設けられたそれを見る。
神の似姿を生み出す事は禁じられたこの宗教でも、唯一認められている、二つの十字架が重なった、髪の象徴を仰ぎ見ながら、
「――《勇者》の助力を乞おうと思う」
――《勇者》。
大きな括りでは、世権会議の代行者。威光と権威の象徴と言っても過言ではないだろう。
だが、唯一教から見ればもう一つの側面を持っている。
聖人。
唯一という神は基本的に現世に関与せず見守っているだけだが、時に人間を救う為に動く時がある。
初代《勇者》が《勇者》になったのも、唯一の計らいだとされている。故に、《勇者》は唯一教でも聖人として扱われ、その発言力は一枢機卿と同等と戒律に記されている。
勿論、あくまでそう示してあるだけ。実際にその権力が振るわれる事は今までなかったし、《勇者》が唯一教内の揉め事に介入する事自体、そう多くはない。
それもまた、多くはないだけ。こちらもまた、前例がないわけではない。
「応じるでしょうか?」
「恐らく、応じていただけるかと。今代の《勇者》は間違いがあれば、唯一教だろうと何だろうと、正す御仁のよう。
そのような人格の持ち主であれば、こちらの事情を理解すれば御理解頂けるでしょう」
その言葉に、青年は固く拳を握り締める。
悔しいのだ。自分の力だけで、教皇を助けられない事が。
自分には、武力しかない。それこそ自分の本懐、それが自分の数少ない役立つ方法だと信じ、鍛錬を続けてきた。
――しかし今は拳よりも、絶対的な発言力こそ必要なのだ。
それが分かっているからこそ、余計に悔しい。
「勿論、貴方の力も借りる時があるでしょう。
その時は、よろしくお願いしますよ――ハクレン」
肩に置かれた手に、信頼の重みを感じる。
それをしっかりと受け止めながら、
「はい、教皇様――私が神の敵を撃ち滅ぼしましょう」
武僧の青年、獅吼族のハクレンは、頷いた。
5章の物語は『宗教』。これが一体どのように展開されるのか、楽しみにお待ちください。
新章が始まりましたので、次回更新は、明日22日にさせていただきます。
どうぞお楽しみに。




