其ノ二
「……違い、とはどういう事でしょうか?
違うものを否定してしまうのは、人間の性だと思われるのですが?」
夜風が静かに通る工房内で、ニコラの声は凛と響く。
よく言えば理知的な、悪く言えばどこか無感情な瞳が胸を突き刺すが、それすらも無視して、サシャは言葉を続ける。
「まぁ、そういう面が人間にあるのは、否定しないわ。どんな種族だって、分からないモノに恐怖するのは当然よ。
――だって、どうすれば良いか分からないんだもの」
未知の存在には、いったいどういう対処をすれば良いのか分からない。
もしそれと何か決定的な決裂があった場合、どうすれば良いのか分からない。そもそも、何に怒るのか、すら理解出来ないのだ。
触らぬ神に祟りなし、というのは、トウヤと同じ【渡世者】から伝わって来た彼方の言葉。
ようは、『よく分からないものには近づかない方がいい』という意味らしいが、否定は出来ない。
何をされるか、どうなるのか分からないなら、何もしなければいい。
その考えを、サシャも否定は出来ない。同じ人間だからこそ。
だけど、
「でも、そればかりが人間の本質だって思ってしまうのは、私違うと思うわ。むしろ、真逆の事を考える人もいると思うの」
「……真逆?」
「――『分からないから、知りたい』と思う心よ」
どんな感情が原点だったとしても、人は未知を知りたいと思う気持ちもある。
もしかしたら、それは本当に何かを知るためなのかもしれない。
あるいは、もっと知る事で何かが変わると信じているのかもしれない。
――もっと言えば、近づきたいからこそ、知ろうとするのかもしれない。
理由を挙げればきりがない。そのような感情は千差万別で、他人の感情など人間が理解できるはずがない。
そんなものを理解できる技術なりなんなりがあれば、サシャとニコラの捜査も簡単に事が運ぶだろう。
でも、人間はそうじゃない。
どんなに魔術や魔導を極めようと、どこまで人間心理を学ぼうとも、全ての人間に通用する正解など、どだい無理な話なのだ。
「……では、貴女もそうだと言うのですか?
理由は? 動機は? 根拠は?」
そんなことをする、理由が、動機が、根拠が分からない。
ニコラから見れば、サシャという存在は、《勇者》だ。普通の人達の上に立つ“平等”の体現だ。
そんな人間が個人的に自分に近づきたい理由など、想像がつかなかった。
ニコラの言葉に、サシャは苦笑する。
「ねぇ、気付いてる? ニコラ。
私に対して『《勇者》だから』って思うのって、貴女に対して、『天才だから』って言うのと、何も変わらないのよ?」
「――――――っ」
サシャの言葉は、あまりにも衝撃的なものだった。
自分が、言われて嫌なことを、他人にも言っていたのかというのも、勿論ある。
だがそれ以上に、
人間からかけ離れた《勇者》という存在が、どうしようもなく人間臭い事に、驚いた。
「勿論、私のこれは、貴女のとは違う。私は望んでこれを手に入れたわ。デメリットも承知の上。
でも、だからこそ――独りという事がどれくらい辛い事なのかも、知ってるつもり」
自分の知っている人間は、死んだ。昔の自分を知っている人間は、もう存在しないし、自分の名前も、ある意味では無くなってしまった。
そこから先は、自分で勝手に独りになった。それが正解だと、自分でも納得していたから。
だって、幸せになったら、独りでなくなったら、それこそ自分が生き残る為に死んでいった人に、申し訳ないと思ってしまったから。
修行時代、【止まり木村】の中で対等な友人がいなかったのも、別に気にしてはいなかった。
寒さに、慣れきっていたんだろう。
でも、もうそれを我慢する事は、出来なくなってしまった。
もうサシャは、独りではないから。
もうサシャの隣は、埋まってしまっているから。
軽薄な傭兵だった。
口を開けば上手く言葉を使ってくるお調子者で、ヘラヘラと笑みを浮かべている。最初は面倒な奴で、理解したいとも思わず、とっととどこかに行かないかなと思っていた。
でも、少し話して見れば、彼こそまさに『人間』だった。
傭兵としてのトウヤ、自分よりも大人としてのトウヤ、時々見せる、子供っぽさや男らしさという多面的な部分が、トウヤの魅力だった。
彼が話していれば、自然と笑える。
きつい事も、一緒になら耐えられる。
独りの時よりも、何十倍も力が出せるようになった。
それだけじゃない。もう一人の大切な仲間、ウーラチカが入って来た事で、さらに自分の周りは賑やかになった。
もう、孤独なんて感じている余裕もないほど、賑やかで騒がしい。
でも、それも良いと思った。
それが良いと思った。
「逆に、それが辛い事だっていう事も、理解しているつもりではある」
「……同情ですか?」
ニコラの表情には、冷笑が浮かんでいた。
同情。
サシャの言葉に類する感情を、ニコラはそれ以外に知らなかった。それ以外を、学ぶ機会がなかったのだ。
サシャは、静かに首を振った。
「いいえ、違うわ。私はあなたに同情しているんじゃないの。」
白々しい。
サシャの言葉に、ニコラは今まで浮かんでこなかった感情が浮かび上がってくる。
怒りに似たそれは、初めて他者に向けられる。
憤り。
怒りというほど強くはなく、しかし気にしないでいられるほど滑らかでもないその感情が、ニコラの口を急き立てる。
言いたくない言葉を吐かせる。
「ふざけないでください。寂しそうな私を見て、貴女は同情したのでしょう? 誤魔化さないでください。
同情される謂れはありまでん……いいえ、貴女の中にあったとしても、私には一切関係がありません。お門違いな感情を、私に向けないでください」
小石のような拒絶の言葉だけを投げつけると、ニコラは立ち上がって、その部屋から出ようとした。
これ以上話す事はない。
これ以上、話してはいけない。
なぜか自分の中で、誰かが言ったような気がしたから。
だから、この部屋を出ようとしたのに。
「ニコラ、これは同情じゃないわ。
――これはね、〝共感〟っていうの」
まったくあり得ない言葉に、ニコラの体は硬直した。
共感。
言葉の意味は理解できる。他者が抱いている感情を、自分も同じものがあると感じる事だ。
そういう説明がされている、単なる錯覚だ。
「あり得ません。人間が他者の気持ちと、同じ感覚を持っているなど、あり得ないです」
「そうね、完全なものは、無理だと思う。
けど、似たような感情を共有する事は出来ると思うの」
やめろ、
「私と貴女の孤独は、まるで別物よ。
貴女はその才能の所為で、私は過去の理不尽からどうしても、それを選ばなければいけなかった」
やめろ、
「その感情は、きっと別種でしょう。貴女は自分を責めて、私は結局それを飲み込んで選択をした。
同じじゃないのは、確かよね」
やめてくれ、
「でも、全く同じでなくとも、似ている部分は必ずあるわ。それを、無理に共有しようとは思わない。
――それでも私は、私は貴女の友達に、」
「やめて!!」
怒声が、外まで響く。
サシャのみならず、まるで部屋そのものがその怒声に驚いたかのように、黙り込み、静寂を生み出す。
「なんなんですか、なんなんですか貴女は!」
慟哭が響く。
悲鳴をあげる。
絶叫が木霊する。
聞いただけで、他者の心を引き裂けるほどの、強い感情が反響する。
「そんな事を言って、本当は何が狙いなんですか!? お金ですか、私の才能ですか、研究材料にしますか!?
いいえ、この際なんでも良いです、理由なんてどうでも良いんです、少なくとも、その煩わしい、私に理解出来ない言葉を使わないでください!!」
腕で、自分の顔を守る。
必死に、隠す。
自分の感情が、サシャに見えないように、必死で誤魔化す。
たとえ、誤魔化しきれていなかったとしても。
「やめてください! 私を否定しないで、今の私を否定しないでください!!」
だって、そうだろう?
今彼女の言葉を認めてしまえば。
今口走った彼女の言葉をそのまま飲み込んで仕舞えば、
「〝私〟を、否定しないでください!!」
今までの自分が一体なんのために存在したのか、分からなくなるから。
次回の投稿は、二月五日を予定しております。
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