02 愚かな選択と、賢い選択(後編)
本日更新2回目です。
いつの間にか、俺は白い空間にいた。
神殿に連れていかれた俺は、その後生け贄として女神を名乗る化け物に食われた。
つまり、ここは死後の世界なんだろう。
「わたしのことわかる?」
目の前には、人間離れした美貌の少女。
歳は16歳くらいだろうか。
真っ白な長い髪は、闇夜に浮かぶ月のような色。
体つきは女性らしい丸みを帯びているのに、紫色の瞳は無邪気な子供のように輝いていた。
そのアンバランスさに、つい目を惹きつけられる。
こんな美少女の知り合い、俺にはいない。
けれど、どこかで会ったことがあるような気がする。
「これならわかるかな?」
少女が目の前で姿を変える。
真っ白な毛並みの、額に星のマークがある紫の瞳をした猫。
俺が仁太だった頃、可愛がっていた猫にそっくりだった。
◆◇◆
友達を作ったところで、すぐに転校してしまう。
仲よしでいようと約束しても、相手は日常から消えた奴のことなんて、あっさり忘れてしまうのだ。
仁太だった頃の俺は、いつしか人と関わるのをやめていた。
けれど小学5年生のとき、俺は1人の女の子と仲良くなった。
この学校でも無関心を貫くつもりだったのだが、目の前でいじめられている子を無視できなかったのだ。
今思えばあのいじめは、悪ガキ共が好きな子の気を引くためのものだったんだろう。
けれど女の子にしてみれば、嫌がらせでしかなかった。
俺は彼女を背に庇った。
柔らかそうな頬と、長いまつげに縁取られた目。
大きなリボンが良く似合っていて、涙を必死に堪えるその様子がいじらしく、保護欲を駆り立てる子だった。
彼女を庇った日から、俺がいじめの対象になり、そんな俺を今度は彼女が庇うようになった。
彼女もまた転校生で、この学校に馴染めずにいたのだという。
ずっと転校ばかりで、友達という友達もいなかったらしい。
彼女の境遇は、俺とよく似ていた。
いつしか、俺と彼女の間には強い絆のようなものが生まれていた。
奴らは最初から悪意に満ちた、理解できない生き物。
ゲームに出てくるモンスターと一緒だよと、彼女は言った。
全てが敵の、小さな小さな世界。
でも、俺達の世界はそこだけしかなくて、逃げ出すこともできず、ただ耐えた。
彼女だけが俺の味方で、俺だけが彼女の味方。
靴を濡らされても、教科書を破かれたあげく机に詰められても。
どんなに酷いことをされたって――お互いがいれば平気だった。
小学校が見下ろせる高台にある、大きな桜の木。
放課後になると窮屈な学校を出て、そこで過ごしていた。
額に星のマークがある猫がいて、その場所を俺達は『星猫の桜』と呼んだ。
2人と1匹で過ごす時間は――穏やかで、とても優しかった。
それは酷く閉鎖的で……傷の舐めあいみたいなものだったと思う。
けれど、とても満ち足りた世界だった。
「キラ……なのか?」
行儀よく座ってこちらを見ている、額に星のマークがある猫。
その前に膝をついて、手を伸ばす。
「正解っ! ようやく、ようやく会えたよっ!」
どうやら当たっていたらしい。
猫が人の姿へと変わり、俺に抱きついてくる。
勢いがよすぎて、押し倒されてしまった。
「むぐぅ!?」
よい香りがして、頬にむにゅりとした感触がある。
結構大きいな……って、そうじゃない!
思っていた以上に苦しいのと、恥ずかしさと混乱から離れようとすれば、その胸を思いっきり揉んでしまって慌てる。
「はっ! わたしとしたことが、つい興奮しちゃった!」
肩を叩くようにして抵抗すれば、ようやくキラが離れてくれて、一息つく。
「一応自己紹介するね。わたしはキラ。神様だよ!」
神様……いたんだな、本当に。
しかも俺の猫が神様なんて、驚きだ。
わりと素直に、俺はその出来事を受け入れていた。
「そして、君は仁太。またの名をクレフ・ロイ・ヒューム。今絶賛死にかけ中だよ!」
楽しそうに、キラがいう。
死にかけということは、辛うじて死んでないようだ。
「それで、神様であるキラは俺に何のようなんだ? 転生でもさせてくれるのか?」
「残念だけど生まれ変わりって存在しないんだ。死んだら魂は回収されて、全部混ぜられて、新しくまっさらな状態で生まれてくる。古紙回収みたいな感じだと思ってくれたらいいよ」
夢もロマンもないことを、キラは言ってくれる。
「こほん。それは置いといて。わたしは、まだ辛うじて生きている君を幸せにするために来たんだよ!」
明らかに話しを誤魔化して、キラが咳払いする。
「本当は、日本で生きている仁太の願いを叶えてあげたかった。けど……それはできなかったからね。仁太は、世界から排除されることが決まっていた人間だったし」
悲しげな表情で、キラは言う。
無力だと自分を責めているように見えた。
「排除って、死ぬってこと……だよな。死ぬのが決まってたってどういうことだ」
「仁太は運命量の高い《変化をもたらす者》だったの。《変化をもたらす者》に手出しをすることは、世界神以外禁じられているんだ」
よくわからなくて、さらに説明を求める。
キラによれば、運命量とは世界に大きな影響を与える可能性の値のようだ。
高い数値を持つ者がいると、いきなり魔法のない世界に魔法を使う者が現れたり、予想もつかないことが起こるとのことだった。
「世界は1つじゃなくて、いくつもある。それぞれの世界に、世界神が1人と普通のキラ達みたいな神様が大勢住んでいるの。あっ、世界神は世界のルールを決める、その世界で1番偉い神様のことね!」
前世の俺が過ごしていた世界の世界神は、平穏を望んでいた。
運命量の高い俺は、世界に不必要。
前世の俺の死は、そんな理由で決まったらしい。
「仁太が死んだ日は、年に一度神様が同じ場所に集まる月で、わたしはその場にいなかった」
死ぬ直前の限られた時間なら、世界神の干渉を受けない。
今、俺とこうやって話しをしているように、キラは存在を別の時限へと囲って、願いを叶えるつもりでいたらしい。
しかし、それは実現しなかった。
「しかも、運の悪いことに……あの日は『星降りの夜』が起こってしまった。星降りの夜は突然起こったエレメントの大移動みたいなものなの。あれのせいで、多くのエレメントが神様の手から離れてしまった」
愛おしむ手つきで、キラが俺の腕にある星の石を撫でてくる。
選ばれし者の体にある、星の石。
奇跡の力を与えるこの石を、キラ達神様はエレメントと呼んでいるようだ。
「仁太のエレメントも、別の世界へ旅立ってしまったの。それを探して、ようやくクレフに宿った仁太を見つけたんだよ」
「ちょっと待て! この石は……元々人の魂なのか!?」
「魂とは別物だよ。そっちは死んだ後、回収されちゃうからね。エレメントは叶うことのなかった願いや未練を凝縮させた……記憶に近いものかな。新しくなる魂には、不必要な部分」
質問すれば、キラは答えてくれる。
「死ぬまでに叶えられなかった強い願いや執念は、奇跡の力を持ったエレメントになるの。周りに開く影響を及ぼすエレメントを鎮めたり、そこに宿る力を使って奇跡を起こして、誰かの願いを叶えたりするのが神様の仕事なんだよ」
その内容を聞いて、俺は――気づいてしまったことがあった。
「……仁太はこのエレメントの記憶であって、俺の前世じゃないのか……?」
信じたくはなかった。
ずっと自分の記憶だと思っていたものが、赤の他人のものだった。
この記憶も伴う思いも、全て偽りだった。
そう気づけば、暗闇の中に放り出されてしまったような不安が襲ってくる。
「なっ、何を言っているの!? 仁太は仁太だよっ!?」
キラは、大きな声をあげた。
「仁太のエレメントが、クレフを選んだんだよ! それに、クレフは幼い頃から自分が仁太だったって思い込んでたから、性格も何もかも仁太そっくりだし。わたしが言うんだから、本当だよ! 仁太そのものだよ!」
キラが必死に俺の考えを否定すればするほど、確信が強くなっていく。
先ほどキラは、転生など存在しないと言っていた。
つまりは――そういうことだったのだ。
仁太はネット小説と呼ばれるものを好んでいた。
その中には、異世界へ転生するものが多くあった。
その知識から幼い俺は、仁太が転生してクレフになったのだと思い込んでいた。
実際は、クレフが仁太の記憶を得ただけだったのに。
仁太の存在に、幼い俺は救われていた。
昔の俺も独りだった。
だから、今の俺も独りで――平気だ。
今の惨めなクレフは、本当の俺じゃない。
仁太の知識にあった物語はどれも、異世界で幸せを手にするものだった。
俺もきっとこんなふうに、人生を変えられると希望を抱いていた。
そもそも俺は――仁太じゃなかったというのに。
「バカみたいだな、俺」
「仁太はバカじゃないよ!」
自嘲すれば、キラがそれを否定する。
キラはずっと仁太を探していた。
俺に仁太であってほしいんだろう。
願いを叶えてくれるのも、仁太のためであって俺のためじゃない。
「そうだな。仁太はバカじゃない。バカなのは、俺だ」
「……ちがうよ。そうじゃなくて……」
拗ねたような物言いになれば、キラが泣きそうになる。
しまったと思った。
「悪かった。混乱してるだけだから、泣くな」
「……」
よしよしと、猫にやるように頭を撫でれば、何か言いたげにキラが口を開いてやめる。
大方、俺の名前を呼ぼうとして、何て呼んだらいいかわからなくなったんだろう。
他人だと言われたところで、俺は仁太の影響を強く受けすぎている。
今更切り離すとなると、それこそ人格から変える大仕事だ。
泣かれるのは苦手だし、うじうじしてるのは性に合わなかった。
「俺は仁太だ。そうだろ?」
それなら、仁太も俺の一部と受け入れてしまったほうが楽だ。
「うん! 大好きだよ、仁太!」
嬉しそうに抱きついてくるキラに、これでよかったんだと思う。
それと同時に、求められてるのは俺自身じゃない寂しさも覚える。
何が正解かなんて、俺にはわからない。
だから、難しいことは考えないでおこうと思考に蓋をした。