#079 /マジックアワー
いいタイトルが即興で思いつかなかったのと、「感無量」というタイトルをつけたら逆に無駄になりそうな気がしてあきらめました。
どうぞ。
クラスに突然知らないやつが入ってきた。制服を見れば、中等部のやつらしい。男と呼ぶには幼いので少年と言うべきなんだろうが、そいつはなぜか俺の方を向いて、親しげにこっちにやってくる。
「お久しぶりです!」
「ああ」
知らない。
「あの、あれのことなんですけど」
「ん? 何だっけな」
「お金のこと、勘弁してもらえるんですよね?」
「あ?」
ああ、なるほどね。既成事実を作って結婚するのと同じ手口だ。
「お前まさか、自分が何したか全部忘れて言ってんだろ? いいよ、説明してやる」
「あ、いえ……」
「違法に情報を集めてるやつに連絡して、女の家を割り出したろ? そっからそいつを誘拐して危ない団体に任せたよな? 警察に知り合いがいてさ、助けるの大変だったらしいぜ。相当ヤバい連中だったらしいしな」
でもないのだが、ビルを爆破する中から逃げるのは大変だと聞いた。
さっきから俺と中等部のやつに視線が集中している。
「情報屋なら死んだぞ。やくざ強請ったってさ、馬鹿なことするもんだよな…… 小山は捕まったし、そのほかのも洗いざらい芋づる式だ。自分だけが逃げられると思ったら大間違いだぜ…… なあ? ヒュマの差し金か、え?」
顔色の変わりようからして、プログレスの悪いやつら、切られたやつらの上の方にいた頭の回るプレイヤーの名前で正解らしい。
「あ、え、その」
「逃がすわけねーだろうが。おおかた俺に不利なことを言って、正義感溢れる市民からの通報で俺を封じるつもりだったんだろ? 同じことをしただけだぜ。ちなみにここにあいつがいるんだが、どうだろうな? 犯人の顔を覚えてますって言ってもらえたら最高のご褒美だろ。ギルドに貢献した証。人間を捨てて鬼になった証拠だもんなあ」
つまり誘拐の実行犯だという証拠になる。地元じゃ有名で、一部からはお嬢さんと慕われている小海を誘拐し監禁したやつをそこにつき出せば、どういうことになるだろう。俺のサディスティックなにこにこをどう解釈したのか、相手は泣きそうな顔をしている。
「合格だったか?」
「え、え?」
「あの先生、イジワルだからなあ…… わずか一瞬入部してただけの俺に、高校に行ってその後の演技指導をやってくるとか思わなかったよ。どうだ、あの先生なら何て言うと思う? 及第点くらいか」
「いえ、文句なしに合格だと思いますよ」
ちっ、腹芸だけうまい野郎が。対応ミスって泣けよカス。
「演劇部が好成績続けてんのも納得だけどさ…… いい加減にしといてくれって、先生に言っといてくれよな」
「はは、そうします」
ばつが悪そうに笑ったが、そそくさと去っていく。
「んん? なんだったの今の会話? 俺意味わかんねんだけど」
「たった一言をどんだけ膨らませて打開できるかって試練な。演劇部じゃ毎年やってるらしいぜ。日常の演技指導とか言ってさ。ネジすっ飛んでるよな……」
伝え聞いた話だし、相手がいなくなるまでの時間稼ぎだ。どちらも悪者ではなくてちょっとした悪ふざけなのだと理解されれば、それでいい。俺がわずかな期間だけ演劇部にいたと言うのは嘘じゃないが、パソコン部が楽しくてパソコン部に入りますと言った瞬間にされたあの興味無くした顔を俺は忘れない。
井口は嘘に納得したらしく、窓側の馬鹿話に戻っていった。
いずれあの中学生も逮捕されるだろう。そうではなくても任意取り調べくらいは受けるはずだ。そうなればこの学校にもいられなくなるだろう。
……そんなのは俺にもあるかもしれないな。
ゲームの中とはいえ、他人に苦痛を与えて情報を引き出す、なんてことをやったんだから、運営からのおしおきがあるかもしれない。城島さんとは連絡を取り合っていたので持っている情報はほぼ渡したはずだが、もう少しいろいろ聞かれるだろう。
「小海、知ってる顔だったか?」
「いえぜんぜん。詮議はかかるでしょうけど」
中間テストは終わっていたが、小海の中学校時代の成績による見込み点はそこそこあったらしく、先生は「教えてあげてください」と俺に丸投げした。まあいいんだが。
「中学で言ってるわりにきっちり教えてくれるんだよな、中学の範囲を」
「ですよね。そこ全部聞けなかったんですけどね」
一か月もブランクがあったわけで、毎日丸一日ちょっと話すか何もしないでずっと話しているか、という具合だったらしい。
「運動しなかったので、絶対太ってると思います」
「いや別に、しょうがねえだろ。まさか監禁されてる部屋にトレーニングマシンおいてくれるような犯人もいるわけないしな」
「それはそうですけど……」
「いいんだよ別に。今すぐ脱いで見せるわけでもないし」
無言でほっぺたを引っ張られる。ものすごい痛い。
「そこはもっと別の言葉があるじゃないですか」
「そうかもな」
引っ張り強度+3、しばらくほっぺたから赤みが抜けないでしょう。
というナレーションを付けるだけ付けて痛い痛い!
「いいだろ別に……」
「あんまりよくなかったんですよ」
女心を知っているわけではない童貞にはちょっとフォローしにくいところだ。誰か女心解読班来い、小海の言動を読んでくれください。
「小海、勉強の方は?」
「またちょっと放課後教えてください、分からないです」
「だめか……」
「そうなんでずよう」
二人きりの時間はドキドキタイムだとか井口あたりは言いそうなものだが、残念ながらそこまで余裕があるなら俺が勉強を教えたりはしない。本当にヤバいから俺が指導しているのであって、もうちょっとヤバいと先生にお願いするところだ。ちなみに俺はクラスで六番目に成績が良かったりする。
「まあ、図書室借りるか」
「ですね」
クラスに知らないやつが入って来られる余裕がある昼休みからそう長く経たずに放課後になり、俺たちは図書室に向かった。
「そういや苦手教科、どれだっけ」
「えーっと……」
長いこと学校に来ていなかったので全般的に教えてくださいとか言いやがったぞこいつめ、そんな量の教科書だのなんだの持ち歩けるかよ。
「ノートは写さしてやるからさ、ほんとに分からないとこ言えよ」
「えっと、英語がちょっと」
「ああうん、どこだよ」
「えっと、えー……」
お腹が空いてきた。一時間ほど経つわけだし俺も今日の分の宿題がきれいに終わったんだが、小海の分からないところはなくなる気配もない。
「ここだここ、これ動詞の最後の文字の関連見てから、もいっかい」
「はい…… yですね」
「だろ。するとどうなるんだっけ、書いてあるだろ」
中学校で習った部分にちょっとした追加をしただけの部分なんだけどなあ、とは言わない。すじがいいのは思い出して来たからだろう。というかなんで忘れた。
「だいたい終わりましたね」
「こらまだ終わってないだろ」
本棚にたたっと駆けて行った小海を追いかけたが、珍しく木でできたここの図書館の本棚に隠れてしまって、どこに行ったのか分からない。
まさか大声で呼ぶわけにもいかない。しぶしぶ俺は本棚の間を歩き、あいつがどこにいるのか探すことにした。それにしても、歩いてみると意外に広い図書館だ。必要があるとき以外もそこそこ来るのだが、高校に入ってすぐいろいろあったのできちんと見る余裕がなかった。
「ひゃふぅ」
「おわっ!?」
何かが! 『背中のあたり』にッ! くっついているッ!
とかいうマンガみたいな解説をするまでもなく、小海だ。
「小海かよ」
「そですよ」
「……」
俺はなんにも言わないことにした。
「怖かったです」
頭を俺の肩に置いた小海の髪が、さらっと俺の首に触れる。
「なんにもされなかったけど…… だから、怖かったんです。むかし、小学校でニワトリを飼ってたんです。冬休みが終わって学校に来たら、いなくなってて。鳥インフルエンザだから処分されたんだって言ってました」
俺の腹のあたりにある小海の腕が、きつく俺を縛った。
「いつか死ぬ日のために、大事にされるなんて。家畜みたいで、 ……死に方まで分かっちゃったら、もうほんとに正気じゃいられないと思ってたんです。会話できる人がいてほんとに助かりました。もう一日も遅かったら、ああなってたんだって思うと、怖くて」
俺は腕を持ち上げて、肩の上にある小海の頭を撫でた。
「もう二度とあんなことさせねえよ。できることならなんでもする。俺がどうなったってお前になんかしようとするやつは倒すし止める。命も懸けてやる」
「すごい上から目線ですね」
耳の横でささやくように小海は言った。
「私も、あれだけおっぱい目当てのひとはやだって言ってたのに、いざこうやってみるとこれしか誘惑が思いつかないです」
「誘惑?」
「あ、いえこっちの話なので」
関係あるんじゃないのかと思ったが、女子の秘密は暴くだけ損なので黙ることにした。密やかなささやきは聞こえていたが、きっと小海にも迷いがあるんだろう。
「一緒にいましょう、クラスが変わっても友達ができても」
「ああ。大学に行ったって、その先もな」
「そ、それはまだ心の準備がですね」
「悪い、取り消しで」
いけねえ、なにげに将来を誓い合ってるじゃないか。
「取り消さなくてもいいですよ。両親とも伊吹くんがけっこう気に入ったらしいので」
「追い詰めるな爆発しちゃうぞ」
しないけどもわーってなるのであかん。わーというのはどういう状態なのか、俺にもちょっと分からないのだが、極度の緊張によるアレだと思う。
「……そういえば制服じゃなかったよな」
「違和感ないでしょ? 大学生っぽいですか?」
紺のスカートに白いブラウス、そんで薄手のベストだ。チョッキという言い方をするにはちょっと本体が可愛らしすぎるような気がするので、ベストだと思う。
「いや、まあ確かにないな」
「んん? 正直な感想が聞きたいですねえ」
そのいじわるな笑顔が元に戻っただけで、俺は満足だ。そんなことを小海に言えるわけもないが、俺は自分の中で物事の整理が付いた気がした。
悪を振る舞い悪を行う理由がなくなった。だから、俺は怪物から一人の人間に戻ることができたのだ。小海が助かって、悪いやつらは空中分解した。だからもう、俺が戦う理由は何一つない。自分の戦いはあるだろうが、それは悪の類ではなくなる。
「いまごろ、アウルムん中で俺の評判最悪だろうな……」
「え、なんでです?」
「お前をさらったやつらがさ、ヒントを得たくば俺たちを倒していけとか言うから。根こそぎぶっ倒して、何回も倒したのにヒント吐かないやつとかいてさ」
「それ、ある程度までは自業自得でしょう? それ以外は責任の所在が判明すれば特にひどいことを言われなくなると思いますよ」
まあ、プログレスというギルドが崩壊した陰に俺がいるわけだからきちんと説明がなされれば分かってもらえるのだろうが、プログレスが俺の思っているよりカスで内部に悪いメンバーがいたので切りましたということを言わなければ、もちろん俺が悪者になる。
「帰りましょう、明るいですけど」
「そうだな」
暗くなったので帰りましょうだったらお前は危ない目に遭った直後にバカじゃないのかと言いたくなるところだが、まだ五月くらいでそんなに早く暗くはならない。
一階の図書室から下駄箱まではそんなに遠くないので、わりと早く着いた。
「下駄箱まで、それで門までなんですよねえ」
不満そうだが、実際にそうなんだから仕方がないだろう。まさか家に着いて行ったりするわけにもいかないし、家に送っていったりしたら時間がどれだけかかるか知れたものじゃない。効率優先っぽく聞こえるだろうが、毎度々々彼女を家に送るだけで定期券を買うやつなんて聞いたこともないし、行って戻るだけの俺はどうなるというのだ。
「……あれ? あの車ってもしかしてお前の家のやつ?」
「そうみたいです」
校門前に黒い車が待機している。よく通報されなかったなというくらい怖い黒スーツの運転手らしい人が車から出てこっちに歩いてくるところだった。が、小海がばっと手を突き出したので、空気を読んだのかそのまま車に戻っていく。
「えっと、私はあなたが気に入ってます」
「お、おう」
夕焼けで向かい合うとかメロドラマですかおい。
「助けてくれたし、なんでもするって言ってくれてとても嬉しかったです」
「あ、ああ、うん」
くるっと体ごと振り向いた小海の服が、ふわっと舞う。
「……一緒に、いましょうね」
「ああ。約束だな」
小指を結んで、すぐに離す。
「それじゃあ、本当に暗くなっちゃうので、ここでさよならです」
「おう、親御さんに何やってたか言うんだぞ」
けっこう心配性っぽく見えたからな。
黒い車に乗った小海が離れて行って、俺は無性に寂しくなった。西日は紫になり始めていて、そろそろ気温が下がってくる頃だ。
「マジックアワーだっけ」
空は美しい。
街並みを染める紫を楽しみながら、俺はゆっくり短い下り坂を降りていった。
助けられた……!
意地でも最後まで言わないスタイル。とはいえなんでもかんでも最後まで伝えたら面白くないですからね。主人公にいい目を見させようとか、かけらもないので……。
もしかするとこの章って小海利世のヒロイン力を上げるためだけに……?