#069 千切れた鎖/奪われた力
9/3 重要な点に気付き修正しました。
怪物と戦うものは、その過程で自分が怪物にならないよう気を付けなければならない。この後の言葉はものすごくよく知られているんですが、ここの部分はあんまり知られていないんですよね。ご存知「深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という言葉。
私自身は、深淵が何か知らないままに怪物になっているようです。こういう人って意外に多いんじゃないかな、と。たいていの人は深淵の目が見えていて、それに本能的な恐怖を覚えているみたいなので、まあ戻ってこられるのでしょう。
もっと普通の表現であれば、中二病みたいに使われることもないのだろうになあ。「深く暗い穴をのぞき込みすぎてはいけない、それはあなたを飲み込もうとしているのだ」とか、代替案としてどうでしょう。もともと名訳ではあるんですが、一般的に意味を取り易くするとこれっぽい感じなんだろうか。
どうそ。
何があったのか。
俺が聞きたいところだ。そういうわけにもいかない。美沙は納得のいく説明を求めているんだから、極力分かりやすく、何があったかまとめて話さないと。
「リセイが、誘拐されたんだ。プログレスのやつらが、あいつの居場所を知ってる、って言うから…… 情報を引き出す手段は、ヒントって形で待っているやつらをぶっ飛ばすしかない。ヒントを手に入れても、それを実行しなきゃダメなんだ」
めちゃくちゃだ、と思っている。自分でそうなんだから、美沙が理解できているはずがない。要点だけをまとめすぎて、肝心なところが分からない。
「生きてる保障はあるの?」
「あとひと月…… いや、三週間は大丈夫みたいだ」
違う、そうじゃない。犯人グループがそんなことを保証してくれるのか、と言っているのだ。誘拐犯が人質を生かして返すなんて聞いたこともない。
「ヒントを実行するって、なに?」
「ファリアーを解放する、イリジオスを攻略する…… だけだ」
そう難しいことではないだろう。
「お兄ちゃんは、道具にされてるんだよ? 人質を取れば何だってするって、そう思われてるんだよ。あいつがそうだって言えばお兄ちゃんはためらいなく殺しちゃうでしょ、それを利用してるんじゃないの? 自分の意思で行動してるって、思ってる?」
「ああ」
誰か外部の意思が関係しているとしても、根本には俺があるはずだ。
「できることをするって、言ったよね。なんでもしていいって、言ってないよ」
「犯罪じゃない」
俺の言葉に、美沙は即座に反応した。
「……どうしたんだよ」
「ひっぱたかれても分からないの?」
「ああ、全然」
美沙は、俺から目をそむけながらつぶやく。
「モラルを踏み外した私を助けてくれたのは、お兄ちゃんだよ」
「モラルなんて…… 大した問題じゃないんだ」
そう言った俺は、確かに後悔した。
俺は邪悪になろうとしている。悪そのものに、なろうとしているのだ。どす黒い悪を、さらなる圧倒的な闇で消し飛ばすことができると信じ込んでいる。そう自分で分かっても止めようがないほど、驚異的な大きさの悪が俺に渦巻いていた。
「怪物と戦うとき、自らも怪物にならないように気を付けなければならない」
美沙がそう言った哲人の言葉の続きを、俺は知っていた。とても有名な、あやかって使われるくらいには有名な言葉だ。
「自分から穴の中に落ちて、ほら危ないだろうって言うのは、人間のやり方じゃないよ。自分から怪物になって、お兄ちゃんはどうする気なの? そうなったから何かを変えられるなんて言わないで。もともとのお兄ちゃんを知ってるひとがどれだけ悲しむと思うの?」
現実的な話だった。
超能力を使い続けたら人格が壊れるとか、デメリットのあることを続けるとか、そういう類の話のはずだ。俺には縁がないはずだし、オトナになれば生活習慣病みたいに結果が出てくるような、そんな話のはずだった。俺には関係ないと、思っていた。
「ヒントなんて関係ないでしょ? 怒りをそう言わないままぶつけてるだけだよ。このままじゃ助けられないかもしれないって、弱いこと言えなくて、強く見せてるんでしょ。強くあればあるほど、弱くなれなくなるんだよ」
もう美沙には俺の助けが必要ないのかもしれないな。
そんな、場違いなことを考えた。
「伝わらないかもしれないけど、私はお兄ちゃんを心配してるよ。あのとき私が真っ黒になりそうだったときに止めてくれたから、私もそうしたいの。頼ってくれていいんだよ」
「ああ。頼るよ」
人殺しに加担させたりはしない。
その言葉を口に出さないまま、俺は美沙を部屋に帰し、眠りについた。
学校ではおとなしくしているつもりだが、内面の変化は外にも表れるらしい。
「おいおいどうしたんだよぉ、シケた顔しちゃってさぁ」
「知らねえよ。嵐の海かよ俺は」
顔つきにも変化があるような言い方だ。
「カノジョが心配か? そぉなんだろ」
「彼女じゃねえよ。まあ心配なんだけどな」
「はっはぁ、まあクラスメイトだからな。それ以上か? ん? どうなのかなぁ?」
「ウザってえんだよ井口。野次馬は黙ってろ」
「へいへい怖いですね、女の子が泣いてるよ」
「どこの乙女だよ、知るか」
あーあーそんなに冷たくして罪な男だねぇと井口はおどける。これが小海だったらもう少しましに思えるのだろうが、男がにやけながら腕を左右に広げていても、ただ単にうざったらしいやつが一人増えたと言うだけのことだ。
「男子の方をちらちら見る視線。食事のときに声をかけようかどうしようか迷ってしまう態度。たまたま同じグループになったときのはにかむ笑顔。すべてが物語っている…… 誰かが伊吹、お前に対して桃色の虚像を見ているということがな!」
「そんなに細かく観察してんのか、キモがられんぞ」
「ぶごへぉあッッ」
わざとらしく倒れて見せる井口がいつも観察しているのは、自分の意中の女子だろう。まあ本気で倒れているようにも見えないので、単純にかわいい女子かもしれないが。
「観察してるのを観察されてる…… のに気付かないほど夢中で観察してんのか」
「だろーと思うねぇ。ぼっち飯、あれこそ元凶。というわけで一緒に飯食おう」
「お前が寂しいだけだろ」
「げほぁふ……」
声はふざけているものの、わりとへこんでいる。一人でご飯を食べるのがそんなに寂しいのか。俺にはちょっと理解できない。考えることが多すぎて誰かの言葉を大人しく聞いていられそうではないのだ。いっそ小海がいればゲームの話でもするのに。
ああ、でも小海と一緒に食事をしたら絶対にからかわれるよなあ。小海もあれで悪のりするようなところがあるし、あーんとかしてきそうで怖い。
「こんだけ日にち経ってて誘われないとか奇跡だろ、おい」
「近寄りがたいんだよなあ。マジで何かあったわけ?」
「まあ、な」
「ふーん。あんまり気にしすぎてるとヤバいぞ、マジな方で取り返しがつかなくなるもんな。高校生活の最後はぼっちで終わりました、じゃ洒落にならねーぜ、どうすんの」
まさか誘拐されている小海のためにゲームの中でヒントを集めている、なんてことを分かりやすく言っても、前提からして信じてもらえないだろう。現実の誘拐がどうしてゲームにつながるのかなんて。
疎ましいから、追いだしたいから。
そんなくだらない理由が現実に犯罪を起こさせてしまうのだ。そしてその原因は、あいつがさんざんに俺に言って聞かせたことに起因しているに違いない。
――正直言っちゃうと、嫉妬深い人に襲われても別に文句言えないくらいゼルムさんって輝いてるんですよ。もっと、もっと誇っていいんですよ? 唯一の存在として――
馬鹿、誰かを陥れるために人質なんていらないんだよ。あのときのリセイに、今ならそう言えるかもしれない。今リセイがいないことを考えてみれば、なんともばかばかしいもしもなのだが。
「問題を解決するまでは、俺は今のまんまだと思うぜ。早く解決するように祈ってろよ」
「あは、そうだな。友達未満として祈ってるよ、険しい顔つき早くなんとかしろ」
まだまだ無理だろうがな。
そうは言わずに、俺はその日も流れるように終え、一日の終わりにログインをした。
言わずとも分かっていることだが、街から次の街へ向かおうとするとかなりの準備がいる。すでに解放されている街ならば都市移動ゲートですぐに行けるのに、まだ解放されていない街だと防衛クエストをクリアした人に着いていくか、自分で防衛クエストをこなすよりほかに街に入る方法がない。俺は後者をやろうとしているわけだ。
なめてかかっているわけではない。俺が準備できることがあまりにも少なすぎて、どうしようかと悩む前に準備が終わってしまうだけのことだ。
工房で知り合った「M’sりる」さんに木製の柄を作ってもらって十分に軽量化した投げナイフ、そして「蔵人」さんが作った、攻撃を受けない時間が長いほど攻撃力が上がる服、こんなものだろう。服はなんだか何かの制服のようにちゃきっとしていて、その雰囲気が玉銀シリーズの要所だけ守る外装とマッチしている。くらうどと打ち込んだんじゃなくてくろうどだと思うので、そこは突っ込まないであげてほしい。
インベントリの七割が投げ武器で埋め尽くされているが、未知のダンジョンを一つ攻略するとなるとこれでも足りないくらいだろう。投げ武器を売ってまで金を作り買った「携行錬成床」を持っているので、投げ武器くらい小さいものは修理できる。とはいえMPは万全だとも思えない。投げ武器に入念に毒を塗りつけておいた方がいいと思われた。
エイルン南口近くの岩、その隙間にカギを刺し込むと、扉が開く。もちろん普通に都市移動ゲートから向かってもいいのだが、こっちの方に慣れてしまったので、俺はこっちで行きたい派だ。自分だけの秘密がある、というのはいいものだ。
トンネルを通って、暗闇の先の光をまぶしいと思った。まるで巣穴から出てくるモグラか、光を浴びたら溶ける怪物じゃないか。
俺は、美沙の言葉を思い出した。俺は怪物になってしまったのだ。美沙をそうさせまいと努力し続けた、人間ではないものに、変わってしまった。
「皮肉なもんだなあ……」
家族を殺されたひとが、凄惨な復讐を遂げるように。
犯罪を追う警官が、不意に悪に魅入られるように。
麻薬を取り締まる捜査官が、自らの体にそれを摂取してしまうように。
竜の血を浴びたものが、不死身になるように。
精神の悪を忌む俺が、憎しみに我を忘れてしまった。そして、戯れに人を殺そうとする化け物どもと同じような振る舞いを見せている。目的など人には知れない、俺は怪物に見えるだろう。
遊びじゃない。大切な人を助けるためだ。本当に悪いやつらは別にいる。
すべての言葉は、届かないだろう。
客観的に見る、なんて俺が自分でいうとお笑いみたいだが、そんなふうにしてみればだいたいのことは分かるもんだ。女子の机を漁る、なんてことをすれば変態扱いされるのは分かっているし、カメラを向ければ自分の写真を撮っているんだと思ってピースサインくらいするだろう。
たまたま飛んでいって入ってしまったものを探しているのかもしれないし、人が映るのも日常と割り切って風景写真を撮っているのかもしれない。真意を知ることはあまりにも難しくて、だからこそ勘違いする、真意を知れたら嬉しいなんてことがあるのだ。
ゲームの中の有名人だからリアルに即時波及する、なんてこともないが、続けていればいずれ現実世界でも俺は追い詰められるだろう。
いや、そうではない方法もあるだろうが。
「よくぞお出でになりましたね、ゼルムさん」
「こんばんは、市長さん。今日はこの街に用事じゃないんす」
市長さんは何も知らない。
「ほう、以前おっしゃっていたイリジオスとの……?」
「ええ、まあ。人は来てますか?」
ぼちぼちですねと市長さんが言うので大阪風かよと思ってしまった。
「みなさんクエストはこなされますが、あまり会話をされないので」
「はあ、言っときます」
発売前に「NPCに採用されているAIはどの型ですか」という質問があって、運営会社であるアウルムオンラインゲームスは「対話成長型です」と答えていた。工場なんかで使われている「よりよい対応を使用者との会話から導き出す」というものだ。対応が早すぎて気持ち悪いとか執事キャラかよとか言われているが、市長さんのいうことをシステム的に考えるなら「対話成長型なので会話して成長させてほしいのですが」ということなんだろう。ちなみにAOGじゃなく大手電機メーカーが開発した、ということは公然の秘密だ。あまり有名すぎて名前は出せないが。
現実の生臭い話は置いておくとして、なにを買うならここです、とか言う情報はだいたい聞いてあった。ほどほどに会話を切り上げ、俺は市場に向かった。
と言ってもそんな距離でもない。
「安いよ安いよー店主が死ぬくらい安いよー」
エイルンで似た人を見たことがあるのだが、親戚か何かだろうか。もしくは「店主NPC」というテンプレートの一つなのか。
「すいません、作成に失敗した武器ありませんか」
「あるよー安いよ。単一素材? 複雑鍛造? どっち」
「ピュアで…… いやどっちも。そこのと、それを」
「はい安いよ、6000チルン」
ぜんぜん安くねえ。というかくそ高い。ほんとにゴミか。もしかして空き缶とか電柱のトランスとか盗んで売るようなクチか。金属ゴミって高いもんな、よく分かる。利用したこともあったが、どうやらそこまでうまくは行かないようだ。
「レニオルメタルは高価だから、ゴミでも高値が付くんだよでも安いよ」
「買い取りの値段は?」
「そりゃ言えないねえ」
「ごもっとも…………」
まあ、言わないよな。二十倍の値段で売る古書店よりあこぎかもしれん。
五十種類のアイテムが箱一つ分の重さでインベントリに入るという便利すぎる道具を使って、今一歩きらめきの薄いレニオルメタルの剣、それと錬成研ぎに失敗したらしい変な形にぐにゅへにゃ曲がった知らない色の剣を収納した。
「さてと」
入り口は目に見えている。
「……ダンジョンの攻略を志すものか?」
服を着ているか着ていないかというと、半数が裸に軍配を上げそうな衣装の踊り子がいた。たぶん踊り子じゃなくて異教の巫女とかなんだろう。神前で踊るのが役目だとか、そういう感じなんだろう。寒いとかいうことを超越している。
「ああ、そうだ」
決意を込めた俺の返事に、巫女は目を緑に輝かせた。
「ふむ。では、強さを示せ。鎖を付けられた状態でな」
そろそろ読者さんも設定を忘れているころでしょう。緑色に輝く目と言えば……。
巫女さんの格好は、ゲームに登場するいわゆる「エロ装備」というものを思い浮かべてもらえばいいんじゃないかな(透けた衣に要所だけ覆う帯)と思います。男性の下半身に影響するような衣装は、私の頭からはどうにも出力しがたいようなので、ご想像にお任せさせていただきます。ねっとり描写しようとも一向に興奮できませんし、私自身が好きじゃないものを好きなんだと勘違いされるのはまっぴらごめんですからね。
スキルノート
「読書」
単なる背景オブジェクトだと思われている本であるが、日本語で表記されているものであれば問題なく読むことができる。日本語以外で(つまり現地語で)書かれた本を読む際にはこのスキルが必要になる。ページ数も少なくなく、非常に時間がかかるが、内容は重要な示唆を含む、とされている。
ベータテスト時代には存在しなかったスキルだが、効果は「現地語の文字が読めるようになる」というただそれのみ、戦闘に寄与する効果はゼロであるため、一般に利用者はいないらしい。図書館には三つ編みメガネ女子がいるという噂もあったが、それがNPCであると知れてからはクエスト「あの本どこ?」「都会は厳しい」「真なるもの」などの受注者以外が図書館を訪れることはなくなった。
毎晩「黒いお化け」が図書館に出るという噂があるが、読書スキルとの関係性は全くの不明であり、ホラー的ギミックではないかという説がある。目撃者があまりの恐怖に気絶してログアウトしたという伝説から、確かめに行ったものは存在しない。