#063 危険/実験
主人公の比率が少なすぎる。あとゲームの比率も。そんで主人公が悪すぎる。
これらが、事前に「4章を読むのはお勧めできない」と申し上げました理由です。ちなみにもう一つの理由は今回のおはなしに出てきますので、これで嫌になったという人は読むのをお止めになるか、5章までお待ちになることをお勧めします。一か月以上先のことでしょうが。
どうぞ。
こんな遠くにまで呼び出しやがって、つなぎを取る「切らあ」とか言ったやつも無能すぎる。そんなことを、新興ギルド「プログレス」の代表の一人「GURAVITI」は思っていた。まともな建物がない場所に、よくも呼び出してくれたものだ。相手が熟練のプレイヤーキラーでもなければ、速攻で脅して場所を変えさせているところだろう。
「ゼルム、あいつを倒したら面白いと思うんスわ」
話が佳境に至った瞬間に、ぼろ椅子に座った男はあくびをする。
「話にならんね。帰りたまえ」
パジャマにナイトキャップの、ゲーム内とは思えないような装備の男が言った。
「殺して楽しいやつをピックアップするのは重要だと思うんすよ」
「馬鹿かね君は。彼は狙いを察することに長けているのだ。必ず真実にたどり着く。そしてその障害を全て貫いてまっすぐに仕掛け人をぶっ飛ばす。そういう男なのだ彼は。我々の戦力は報酬で買えるものではない」
「だからですね」
だからではないのだと「スリープ」は告げる。
「彼がこちらの狙いを察したらどうなるか。比較的そういうことを考えるのにも向いていない彼女でも分かるだろう。どう思うですです君」
「全死んの装備めちゃめちゃにされて相討ち? ですか?」
「そういうことだ。物理的、精神的な打撃を与えてくるだろう。被害は計り知れない。彼自身に修復を頼むことになりかねないのだ」
「そんな強い相手じゃないっすよね?」
飽くまで引き下がろうとする相手に、スリープは冷たい目を向けた。
いや、冷たい中に奇妙な歓喜が混じっている。
――此奴を殺したら如何な反応を為るだろうか。
GURAVITIは指の間に挟まれた蚊のような気分になった。
――これどうしようかな、このまま磨り潰したら汚いよなあ。そうだ、蚊取り線香で燃やすのはどうだろう。割り箸でつまんでライターで炙るのもいいかもな。蜘蛛の巣にひっかけてみるのも面白いだろう。ささっと走ってくる蜘蛛がなんとも滑稽なんだよな。そうだ、水に入れて動かなくなるまでの時間を計ってみようか――
「我々は殺し屋ではないのだよ。飽くまでPKを楽しむ。ただそれだけのための団体だ。君のようなくだらない人間のために危険な人間とぶつかるような愚かなことはしない。狙いが外れて残念だったね、小山一彦君」
「こ、あ、あんた何をしたんだ」
GURAVITIの本名だ。
「ちょっと声をかければ、個人情報を集めてくれる輩などいくらでもいるのだ。この五分間で集まったのだから、君のネットリテラシーの低さが分かろうと言うものだね。帰りたまえ、死なないうちに。君は潜んでいる彼らからターゲットとして認定されたようだよ」
わざわざ遠くまで来た、とは思っていたが――
「こ、ここまさか」
「滅びた村だ。ダンジョン扱いだね。暗くならないうちに、ほら」
ぼろい家だ、ぼろい椅子だとは思っていた。街の壁も亀裂が入っているし、NPCもいないから変だとは思っていたのだ。今まさに解放された街だと思っていたのに。
「この小物、殺すだけつまるんですか」
「つまらない、の逆はつまらなくない、だよぉ。溺死判定の実験でもするぅ?」
だめだ、ヤバい。逃げないと。
目の前でにやにや笑いを張り付けたPKどもは、ことPKに関してだけは絶対にためらったりしないだろう。悲鳴を聞いても、誰かが来ているなんて脅しても、助けが来ても。
そう思っても、彼の足は、凍り付いたように動かない。足元が氷結しているわけではなく、後ろから羽交い絞めにされているわけでもないのに、どうしても足が言うことを聞かないのだ。
じわり、じわりと空気を染めるようにプレイヤーが現れる。
GURAVITIが悲鳴を上げることは、ついになかった。
◇
ここはどこだろう。
そう考えることは何も現実逃避ではなく、この状況から抜け出すための最適解と言えた。ただし場所を知らなければそれはやはり現実逃避と大差ない。それでも、二人して閉じ込められているという、精神的にも最悪に近い状況からは抜け出したかった。
「日野さん、ここどこだと思う」
「あんまし走ってなかったから、まだ街中なんじゃないの」
いざというときには頼れる人だと思ってはいるのだが、小海利世は日野をそこまで信頼しているわけではなかった。旅行のたぐいでも同じ部屋に泊まったことはなく、同じグループで何かをしたこともない。細かい人柄を知らなかったのである。
いろいろとトラブルがあったので、好かれているなどとは思っていない。
むしろ嫌われていても不思議はないし、そのほうが自然と言うものだろう。
「あのマッドサイエンティストに何かされる前に連絡とかできないですかね」
「敬語取っ払っていいよ別に。本性とか知りたくないけど」
やはり嫌われている。
小海は残念に思わざるを得なかった。命を預け合うことは恐らくできるのだが、安全性の向上という意味では信頼関係があったほうがよい。築く前から破壊してしまっていたのは残念なことだが、だからといってここまで相手が子供だとは思わなかったのだ。さっきのように実質的な質問をすればしっかりした答えが返るのかもしれないが、そうでなければ冷たい返事が返るのだろう。
行方不明者自体は日本全体で言っても少なくはない。しかし、ある程度の時期までは警察などの捜査があるはずだ。
そんな情報が、どんな助けになると言うのか。今の状況は、そういうことだった。もう丸一日近くこうしているのに、いっこうに助けはない。ならば誰も気付かないままに誘拐され、この謎の場所に連れてこられてしまったのだろう。
バスに乗っていることに気付いたのが最初だった。そして、前のことを考えて、どうやら街中で人目に付かない場所を通っているとき誘拐されたのだ、と気付くことになる。おそらく日野のほうも同じような状況に違いない。途中から気付いたために、どこからどこまでが街の中で、どこからが街の外なのか分からなかった。それを確かめるために日野に聞いてはみたものの、彼女が頼りにはなりそうにない、と気付くだけに終わる。
檻のような部屋ではない。完全に管理された隔離病棟のような場所だ。それが分かっているからといって何が解決するわけでもない。あれがまたここに来やすいことには違いないのだ。
「こんばんは。体調はいかがですか」
「すこぶるいいけど? 誘拐とかしてただで済むと思ってんの?」
日野菜月は名前こそ穏やかだが、怒ると怖いのだ。それが半分くらい虚勢であることを知っていればこそ涼しい顔で受け流せると言うものだが、そうでなければ戸惑い、謝ったりしているに違いない。
が、目の前の、いかにもマッドサイエンティスト風の青年は、人間関係と言うものがそもそも何なのか分かっていなさそうな顔だった。
「あなた方は無事に帰れると思っていらっしゃるわけですか?」
「とっとと返せよ!」
「いえ、できませんね。男性はかなり釣られて来ていただいたのですが、女性はなかなかおびき寄せられませんでした。というわけで田舎町から適当にさらってきたわけです。あなた方は…… 田舎娘にしては垢抜けた容貌をしてらっしゃいますね。哀しいかな、私にはほとんど通常の性欲というものがございませんので、そちらの心配はなさらなくとも大丈夫。ネクロフィリアでもありませんから。そうそう、ご説明をしなければなりませんでしたね、私としたことが」
いんちきインフォームド・コンセントとでもいう風に、青年は電子黒板のような壁を指して説明を始める。
「ヴァーチャルリアリティー・インカーネーティングデヴァイスの仕組みは非常に精巧なものですが、あれにはいくつかの欠陥があります。一つは、感覚の再現に現実の感覚を必要とする、ということですね。いくつか問題になったことがありまして、痛みを再現するためには現実で痛みを感じねばならない。ところがゲームで感じる痛みは非常にさまざまなバリエーションのもと再現されねばなりません。全身が骨折したはずなのに、どうしてか歯が痛くなったら、そんなもの駄作じゃありませんか? そんなわけで痛みを再現することは、ある程度のパーセンテージ以上は困難でした」
骨折した人のもとに行って痛みのサンプルを取らせてくださいとは言えませんしね、と青年がおどけて見せるが、日野も小海もちっとも笑えなかった。
「また、理論上あのデヴァイスでマスターベーションやセックスを再現することができるのですが、これに関しても、データを採取することは非常に困難です。精神的な問題が絡んでいるうえに、男女とも、性器や性行為は非常にデリケートですから、計器をつなぐような乱暴なことはできません。萎えたり濡れなかったりと、データの採取がさらに困難になりますからね。ですがそこで、あることを思い出していただきたいのです」
臆面もなくマスターベーションだの何だのと口にできる神経は理解できないが、彼女らに最も理解できない、また読めないのは話の先行きだった。
青年はばっと両手を広げ、にこりと笑う。
「デヴァイスは脳に信号を送ることで感覚を再現する機能を持っています。ということはその信号パターンを解析できれば、どのような感覚をも再現できる!! 素晴らしいことではありませんか。そこで我々は、神経内チャネルにおいて使用されていると思われる電気信号に類似した信号を開発し、人間の脳と脊髄にそれを送りました。実験は成功し―― 被検体は死亡しました」
「え?」
日野があっけにとられたような声を出した。普段の彼女からは考えられないものだ。小海にも、成功が死亡につながるという意味はまったく理解できないものだ。
「どういうことなんですか?」
こういうのはおだてに乗るタイプだ、と小海が分析した通りに、青年は水が流れるようにさらさらと聞いてもいないことを語る。
「痛みによるショックで、心臓が止まったのです。いわゆるショック死とは構造が異なるものですが、死には間違いありません。ここで我々は、あのデヴァイスを超えることに成功しました! 素晴らしい成果です。ですが痛みが強すぎ、二人、三人と被検体が死亡したところで我々は考えを改めました。これではいけない、と」
遅いじゃん馬鹿なのと日野は言いたそうだったし、ショック死した時点でおかしいでしょと小海は言いたげだったが、二人とも我が身可愛さからそれを言葉にすることはない。
「まず、痛みの微調節を開始しました。また、どこをどうするとどのような痛みになるのか、その研究も現在進めています。そうです、まだ問題はなくなっていません。あなた方もよくご理解いただいているとは思うのですが、男性の被検体が死亡した痛みは、どうやら女性には耐えられるのです。そのように、我々は男女差、個人差を知ることはできませんでした。男性は痛みに弱いのです」
彼女らも生理痛は男にはない、陣痛を男が味わったら死ぬというような「女性の方が痛みに強い」という神話にも近い噂は聞いてはいたのだが、ここまではっきり言われると、ある種の嫌な予感を脳裏に浮かべないではいられなかった。
「また、男性は生理的に快楽にも強くありません。見たことはないかと思われますが、男性の射精の快楽は非常に短く、虚脱感さえ伴うものです。そのくせ女性よりも疲れる度合いは大きい。賢者モードと呼ばれる所以ですね。溜めておける精液の量にも限界があり、疲労が大きいために、そう何度も連続で射精できるものではないようです。コカインのような快楽物質が定着するドラッグに近いものを作り投与してみましたが、脳波などの反応から見て絶頂時の快楽はそう変わっていませんでした」
脳の破壊を促進するだけだったのです、と青年はうつむく。
珍しく、二人は顔を見合わせた。この先に言うことが予想でき、そしてそれが同時に、まったく同じことを考えているのだと理解できたからだ。
「あと少しで部位ごとの痛みの採取は終了します。そして快楽の調査も終了するでしょう。男性の方は。これから女性の感覚について調査を進めたいと考えています。そこで、あなたがた二人には、実験スペースが空いたとき、具体的には一か月と少し先に、脳と脊髄に電極を取り付け、痛みまたは快楽のデータ採取に協力していただきたいのです。どちらを選ばれてもかまいませんし、両方でもよろしい。早くたくさんできるならそれに越したことはないからです。どちらにしても最後は脳が究極的に破壊され、死亡するでしょう。さて、苦痛、快楽―― どちらを選択されますか」
だめだこいつ、と日野と小海はシンクロして考えていた。
脳だけで生きている、というのはSFでよく用いられるモチーフですよね。星新一さんのショートショートにも「そこはありません、ここもないです」と否定し続けた結果、脳だけで生きていることが判明してしまったお話がありました。具体的にどこが人間の神髄なのかは不明なので、酸素とブドウ糖の供給さえできれば生きられるのでしょうが、体を動かせないのは苦痛でしょうねえ。作中のVRIDがあれば疑似的に体が存在することにはなりますが、ログアウトできませんね、そうなると。
どこまでがなくなっても生きられるのか、実験したくはないです。まず腕と足は大丈夫。じゃあ内臓はどこまでなんだろう…… と考え出すと血の気が引いて、手も動かせなくなります。怖い。