#060 Omen
なんとか第三章を書ききることができました。要するに「ヒロインが登場する」というただそれだけなのですが、ほかにふたつかみっつ要素を合わせてライトノベル一冊分くらいを書けた、それだけで(自分にとってはですが)たいしたことです。
どうぞ。
世界的なハッカーが逮捕されただのなんだのというニュースがあったが、俺にとってはまあどうでもいいことだ。俺が何かひどいことをされたとか、家族がひどい目に遭ったというならまあ何でもして怒ってしまうところだが、そうでなければ何でもいいやという感覚なので特に気にしていない。
まあ、メンバー全員が「呪われる、殺される」と連呼して半狂乱、独房に入れないでくれと命がけレベルで懇願しているだとかいう話はもちろん気になる。しかし、憐れむべき犯人でも何でもないらしい。
話によるとVRIDを改造して全世界に向けてハッキング、クラッキングを繰り返し、これで世界征服でもしてやるかとほざいていた、ということなので、かわいそうですらない。なんでもできるとか思った結果アホな結末を招いた、アウルムでもよく見るようなただの馬鹿野郎だ。
「お兄ちゃんどうかした?」
「え、一昨日のハッカー事件思い出してた」
「どうでもいいよね、あれ」
「VRIDが関係してる以外はな」
あの事件のせいでVRIDは把握されているすべてのものが検査されることになり、数日間どころではなくアウルムオンラインにログインできていなかった。別にゲームができないからと言って何か問題があるわけでもないが、いろいろゲーム内でやるはずだったことの予定が狂ったのは確かだ。
「新しい制服だね!」
「なんで美沙の方が楽しそうなんだよ」
美沙は三年生にはなったが中学生のままなので、特に何も変わらない。なんで新しい制服を買わせるのかなあ、とは思うが、そこはけじめとかそういうものなんだろう。さすがに六年間使い続けたらくたびれる程度では済まないことになりそうだ。フレッシュな気分になるとかではないが、新しいものを嫌がる人はあんまりいないだろう。
「うんうん。この制服が歩いてる感じ、いいよね」
「親か? 先生か?」
どっちでもないよ、とにこにこしながら答えた美沙は、しかし残念そうにふっと笑ってから「一緒の年がよかったなぁ」と感慨深そうに言う。
「同い年だったらよかったのにね」
「どーだかな」
朝ご飯は済ませてある。美沙はそのまま中等部に行くが、俺はほとんど初めて高等部に行くのだ。そう考えるとちょっと緊張する。あんまりメンツは変わらないと思うが、知らない先輩に絡まれたりするなんてのはごめんだ。
父さんと一緒に、俺は家を出た。
桜並木だ。4月には桜が咲くものだと言うのは全国的な常識だと思うが、家の近くにあまり桜の木がないものだから、春にじっくりと桜を見る機会はあまりなかった。
「トシ、そんなに珍しいもんじゃないだろう?」
「いや、そうだけど」
実際に、桜の木はありふれたものだ。千本桜なんて地名があるとかないとか聞くし、山が桜の木に覆われているところがあるんだとも聞く。だが、近くで見るだとか花見をして飽きるほど見るだとか、そういう経験はない。そんなわけで、俺はここぞとばかりに桜をゆっくり見ようとしていた。
「これまでもずっと通ってきたんじゃないのか」
「今まで真剣に見てなかったからさ」
真剣にって真剣にか、と父さんが聞くので、そうだよ真剣に、と俺はことさら桜の花に向かって顔を近づけて見せた。今度お花見に行こうね、というのが実行されたことは、主に父さんの事情でないので、父さんは苦笑している。
しばらく無言で歩いた。
そんなに長い距離を歩くわけではない。学校まではほんの十分ほどで着く。それでも会話が弾むときと弾まないときがあるのだろう。何を話したらいいのか分からなくて、俺はずっと黙ったままでいた。正直に言うと、まずい話題を極限まで避けたかったのかもしれない。そう思ってはいても、やはり口は動かなかった。
「トシ、大きくなったな」
父さんの言葉が、他意を含まないで聞こえる。
「母さんのひざにすがりついてたのが嘘みたいに、大きくなったな」
「そんなこと、あったっけ」
ああ、と言った父さんは、不思議な顔をしていた。俺が見たことのない、これからの一生で何度目にするのだろう、というような、見覚えのない表情だ。
哀しげで、嬉しそうな、例えることができないような顔だ。
「まだ成長すると思うよ、父さん」
「だな。俺を追いこすかな? 楽しみにしてるぞ」
冗談のように言った父さんは、元の顔に戻っていた。
学校に着いて、父さんは入学式の会場である体育館ホールに行き、俺はまずクラス名簿を見に行く。伊吹の苗字は「い」なので上からの方が早い。誰か知ってる苗字のやつがいないかなあ、と思って目をきょろきょろさせてみたのだが、あんまり知っている苗字はなかった。苗字と名前を総合しても、漢字だけだと読み方が分からないこともある。いつだったかそういう名前がたくさん書かれている本に「熾愛」と書かれていたのでこれはシアだろうなあと思ったのにファイアちゃんだった。読めねえ。
「お、小海?」
小海利世と書かれている。どう見ても小海の名前だ。学校が同じとかおいどうなってるんだよと思ったが、電車で一駅なので、通うのに問題はなさそう、に思える。もしかして他のクラスにあのときトラブっていたヒノとかいう女子がいないかと探したが、陽野さんと樋山さんと氷上さんくらいしかいないようだ。万が一陽野さんがヒノさんだった場合は観念するとして、他の人はどうやら受験してきた組だろう。
四階の端っこから三番目の教室、つまり真ん中の一年C組だ。教室に入ると、すでにけっこう人がいた。別に注目されるでもなくあいさつされるでもない。あれ、もしかして初日からぼっちの傾向にあるんだろうかとか馬鹿なことを考えてしまったが、いやそんなはずはない。
「あ、やっぱりこっちの学校だったんですね」
「偶然だな、というか名前が載ってるの見て驚いたぞ」
小海がいた。
「ふー、知り合いが同じクラスで助かりましたよ」
「だな。ぼっち化の危機は救われた気がする」
廊下側の真ん中らへんに俺の席があって、その横に小海の席があるようだった。なんだこのあつらえたような展開は。ふざけてんのかこら。
「いやー、こっちにわずかしか知り合いがいないんですよね」
「わずかでもコネがあるだけマシだろうが」
「そうですけど。めったに会う人じゃないので」
「ほう」
よく分からないが、都合が合わない人もいるんだろう。まさか俺の知っている人じゃあるまいが、想像するだけ無駄だ。
「しっかし美人度が上がってねえか? そこかしこで」
「ん? どこを見てるんです?」
「あ?」
「え?」
いや、だから。
ああ、そこかしこに美人がたくさんいる、という風に聞こえたわけか。照れくさいのを押し潰して素直に褒めてみたつもりが、言葉選びがまずかったらしい。
まあ、本人があんまり喜びそうにないので繰り返すのはやめておこう。
「誰がですか?」
ごまかすように鼻先をつん、とつついた。すると小海が怒ったように俺のほっぺたをつまんで伸ばす。我慢しても涙目になる程度には痛い。表情はゆるんでいるが、だからといって戻されたほっぺたが痛くなくなったわけではない。
制服には助けられた、という言葉を性別の分かりにくいのだろう人からよく聞くが、必要以上に女性らしい体つきの小海には似合いすぎるほど似合っていた。同性から見てもこれはすごいんじゃないだろうか、と俺は思う。嫉妬の対象になるのか、また別の百合々々しいことの対象になるのかは知らないが、まあ美人だ。
黒い艶のある髪の毛はきれいだし、顔目当ての男にも言い寄られるだろう顔立ちだ。制服越しでは分かりにくいとかいうテンプレをぶっちぎる巨乳に、それとは対照的にわりあいほっそりした腰、足も太すぎず細すぎずくらいだった。あんまり見ると不機嫌になったり嫌われたりしそうなので適当なところでやめておく。美沙をいくら見ていても怒られないし、ポーズを変えたりしてもっと見ろとばかりにふるまうが、小海と俺の関係は正直なところ何でもない。無視されたら知り合いですらなくなるだろう。
学級文庫を漁った俺は下品極まるライトノベル「身寸米青兵器マラー」を見つけて、げんなりしながらそれを読むことにした。
「うああ…… 疲れた」
「背筋がちょっと凝った気がしますね……」
なんで入学式ってあんなに長いんだよと言っても誰も解説してくれるわけではないのだが、式典が終わった後の部活の説明だの何だのが長すぎる。苦労して準備したんだろうし時間をかけて聞く価値はあるものなのだが、なにぶん長い。長すぎて集中力が保ってくれないのだ。内容を理解することは難しくないが、覚えているかということになると違う。
律儀にずっと背すじを伸ばしていたらしい小海は大変そうだし、集中力を振り絞っていたわけでもない俺が疲れているのだからまあ、周りの面々もそこそこ疲れている。
「部活、どうするんですか?」
「いや、帰宅部かな…… 真剣にやりたいこととか、よく分からん」
いま真剣にやりたいことって何だ。どこかの部活紹介で言っていたが、俺には特にない。まさか学校にVRIDを持っていくわけにもいかないし、スポーツをやろうとか実体がなくてもいいものづくりをしようなんて思わない。現実世界の品物はなんでも、まさか錬成スキルを使うようにちょいと気合を入れればできるものではないのだ。この前作って出した瞬間に売れた小さい斧だって、鍛冶屋になってそれを作ろうと若者が思い立ってから20年単位の修行が必要になるだろう。
「まあ、私もあんまりなんですけどね」
「いいのなかったのか」
「まあ。帰りが遅くなると両親も心配しますし」
「だな」
それはまあそうかもしれない。子供を持つ親なら、娘を持つ両親ならばなおさら心配になるだろう。俺が初めてアルバイトをしようとしたときなんか、かなり心配されたものだった。あれの何倍かは分からないが、心配されているのは間違いない。
「自己紹介とかは明日ですかね」
「だと思うぜ。面白いやつがいるといいな、アウトにならない範囲で」
いろいろふざけすぎてアウトの判定を下されるやつがいる。趣味は(伏字)ですなんていう感じの困ったやつはもちろんいないだろうし伏字を使うことにはならないと思うのだが、いないとも限らない。そういうのとは付き合わないのが吉だ。
「趣味…… 伊吹くんの趣味はなんなんですか」
「読書。で、ゲーム」
「ありきたりですね…… 一緒ですけど」
「ある種のテンプレだよな、これ?」
スポーツをやっていますというやつでも、趣味がそれとは限らない。家に道場があるから弓道を趣味でやっていますなんて強豪もいるのかもしれないが、そんなにでかい家があるなんてのは聞いたことない、と思う。まあゲームが趣味と言うのもよくある話だし、読書が趣味というのも珍しくない。映画鑑賞とか寝ることとか、そういうのと同じようなありふれた感じのものだ。
担任の先生による帰りの会が始まる。
「はい、みなさん今日は初日からお疲れ様でした。名門の私立学校に入学できた、そのことは大変誇らしいことだと私も思います。でも、入学できたということを驕らずに、日々努力し、自分の目指す道に邁進していってください。それではみなさんお疲れのことだと思いますので、これくらいにして解散しましょう」
やっと終わったー、という声がそのへんから湧いて出るくらいにはみんな疲れていた。一刻も早く、というほどではないが、俺も早く家に帰りたい。そう思って学級文庫に例のくだらない(が面白かった)読み終わっていない本をいちおう返し、カバンを手に持つ。ここで小海に一緒に帰らないかとか言えるのがつまりリア充の心得なんだとは思うが、残念ながら意識している女子にはうまく話しかけられない系の男子な俺は、特に何も考えていない風を装って、より近い後ろのドアに向かった。
「伊吹くん、一緒に帰りませんか」
「いいな」
ちょっとおい俺は何を言っているんだと一瞬思ったが、女子から誘われると言う嫉妬不可避な状況だ。こうなりたいといつも思っていたから即座に返事してしまったんだろう。どぎまぎを全力で圧殺しながら、あまり話さずに昇降口に向かう。
「知り合いがいないとか友達がいないって言ったら、親が心配するんですよ。それに、もうちょっと理由はあるんですけどね。ゲームでも知り合いでしょう? 現実で近い距離にいたら、ちょっと心配とかあったとき話せたりすると思うんです」
もうちょっと理由ってのを詳しく聞かせろと言いたかったがやめる。
「それはそうだな。俺も知り合いはいるけど友達は少ないし」
「友達ですね…… そこからです。というわけで、電話番号とメールアドレスを教えてください。休みの連絡とかするかもしれないですし」
「おう」
さっと電話を出して番号とアドレスを交換した。
「やっぱり、距離が近い方がいいですよね」
「……そうかもな」
どこまでも遠い人は嫌だ、と言いたいのはよく分かる。
「それに、あちこちじろじろ見ない人」
「自信ないぜ、そりゃ……」
やっぱりか、とは思ったがそれは言わない。
「三島由紀夫は「乙女は視線を肌で感ずる」みたいなこと言ってましたけど、間違いじゃないと思いますね。ん? と思ったらさっと顔をそらされる、なんてことよくありましたし。あんまりじろじろしない人がいいですね。とは言っても見向きもしない人はそれで嫌ですけど。伊吹くんはちょうどいいんですよ」
ちょっと哀しくなった。
「それにほら、何かあったら助けてくれそうじゃないですか? 頼りになりそうで」
「現実には無理だと思うけどな……」
現実の俺は大したことができない。下駄箱から靴を取り出しながら、そう思った。
ゲームで強くなればなるほど、その思いは強くなっていくのではないだろうか。架空の強さを積み上げれば積み上げるほど、横から触れればすり抜ける虚しさを思い知る。嫌われ者だとか投げナイフさんとか呼ばれていても、俺は高校生だ。加えて言うとスポーツはそこまで得意じゃなく、武道とかそういうものの経験はゼロで、限りなく弱い。小海が危険な目に遭っても何もできないのではないだろうか。
「ほら、守ろうって感じの目です。それが嬉しいんですよ、すごく」
「そうなのか?」
答えないまま、小海はにこにこして、下駄箱の靴を取り出そうとした誰かのスペースを開けた。それに続くように、靴を履いた俺も玄関から出る。
「初日から寂しいし、話しかけてくれる人もそんなに多くないですから。うまくやっていけるかなって思うんです。でも知り合いが一人いれば、それだけでずいぶん変わりますから。私、そんなに強くないので」
「俺だって、そんなに強くねえよ」
笑いながら、俺は遠くにある桜の木を見た。
「それじゃ、また明日。仲良くしましょう」
「ああ。楽しみにしてるぜ」
校門を出た俺たちは、それぞれ反対の方向に歩いていく。
ちょっと振り返ってみると、小海が振り返っていた。手を振ってみると、小海も控えめに手を振り返す。何秒かで自然に手を振るのをやめて、俺は元の方向を向いた。
きっと明日もこんなふうにするんだろう。
そんなことを思いながら。
読売新聞に掲載されていた記事を参考にして書いたのですが、小学一年生が行方不明とは……。嫌な予感しかしません。記事を参考にさせていただいたお詫びができるわけでもないのですが、全力で無事を祈ることにさせていただきます。どうかご無事でおられますように。
すでにかなり書けているのですが、少しお待ちください。
予告
「第四章 Sを殺せ/Rを探せ」
「Sを探せ」
知ってるか? 俺たちが迷惑している原因は、ただ一人のプレイヤーだってことを。そいつがどれだけ調子に乗ってるかってことを。迷惑がかかってるのは俺たちだけじゃねえ、全プレイヤーに、だ! 分かるか? 俺たちがこれからやろうとしているのはリンチじゃない。気に入らないから追い出すわけじゃない。すべての悪の元凶を追い出すためだ!
目にもの見せてやれ、思い知らせるんだ! 殺せ! 手段は問わない。どんなに汚い手を使ってもいい、このゲームを、もう一度すべてのプレイヤーが楽しめる世界に戻すんだ。もうあんな連中には堪忍袋の緒が切れただろう? 怒ってもいいんだ! 怒りをぶつけてもいい!
Shooterを探し出し、殺せ!
「Rを探せ」
高1女生徒 捜索続く
晴海
晴海県石民町で15日、学校から帰ったまま行方不明になった高校一年生の女生徒の捜索が17日も行われたが、発見には至らなかった。
行方不明になっているのは同町石民、自営業小海魁斗(37)さんの長女、利世さん(15)=写真=で、15日午後3時30分ごろ学校の友人と別れたのを最後に行方不明になった。
県警や消防の16日の捜索では、学校や家の近くからも一切の痕跡が見つかっていない。他県に誘拐された可能性もあると見て、県警は周囲4県に捜索網を展開する見込みだ。




