#058 Erwachen
サービスシーンの有効な使い方がようやく分かりました。こりゃいい。もちろん読者様に楽しんでいただくためではなく、どういう道具なのかを理解した、という意味だと思います。
心象風景みたいなものを書くのは、めちゃくちゃ面倒ですがとても楽しいですね。なんといっても自分しか理解できない世界みたいなものを書きたがる私なので、ヒントや答えが提示されるまでおとなしく待っているよりも、自分だけ答えがわかる問題というものがすさまじく好きですから。
どうぞ。
ベッドに寝転んでいた俺は、起き上がって時間を確認する。まだ、いつもログアウトする12時ぎりぎりではなかった。というより11時前だ。今日に限ってこんなに早く終わるものか、と思ったが、ちょっとモンスターを倒して食べ物を食べただけだ。それを食べた感覚すらも、すぐになくなってしまった。
「お兄ちゃん」
「美沙、どうした?」
スリップ姿の美沙が部屋に入ってきた。セクシーアピールかよと言うと違うもんと頬をぷくっとふくらませる。
「じゃあ何だよ」
「一緒に寝たら、ダメ?」
何というか、崖っぷちに機関銃を持った兵隊に追い詰められたうえで、崖の先にある空からもヘリコプターで機銃を向けられているような、完全にもうダメな感じがすごい。
ダメだというとちょっとむくれるだろうし、ダメだと言わないとさらにとんでもないことになるような気がする。考えろ俺、考えるんだ。この状況を打開する策はないか? そもそも何が問題なのか、そこが分かれば解決策も浮かぶはず……。
「美沙」
「なに?」
「パジャマ着てこいよ、それならいいから」
「…………わかった」
ダメだ、ちょっと怒ってるな。しかしこれでいくらでもくっつけるなという考えが顔におもいっきり出てしまい、にやけている。にやけていても可愛いのはさすが美沙だが、スリップでくっつかれたら俺の中に眠る獣が目覚めて右腕が疼く…… いや正直に、ちょっぴり兄としてヤバいことになりそうな気がする。獣は目覚めるが。
ちょっと時間が経ってから、パジャマに着替えた美沙が部屋にやってきた。なんだ可愛いじゃないか。おっといかん本音が出てる。獣が、獣が目覚めるッ!
「朝起きたときに下着でしがみついてようと思ったのに……」
「やっぱりな。前に同じことあったもんな」
あったのだ。俺も大概シスコンの仲間入りをしているとは思うが、美沙もあっちの方面に進んでいるんじゃないかと言うくらいかなりブラコンだろうと思っている。というか兄に向かって下着姿で突撃してくる妹と言うのはかなりヤバい。あれ手前だろう。俺も眼福だとか思ってるので同罪なのだが。
「でもばれないように、っていうのは興奮するよね」
「やめろこら」
布団の中でパジャマを脱ぐのか。途中で気付かれたらどうする気なんだこいつは。と考えるとなんとなくどぎまぎしてしまうのも事実だった。
「背徳。そそる!」
「そそらねーよ!」
正直マジでやめてほしい。可愛いのだが、それ以上に思ってしまうと何かが壊れる。それに、一度会っただけの小海に強い執着がある、ということもあった。
美沙はベッドに座り込んだ俺の後ろに回り込み、たぶんベッドに膝立ちして俺に背中からもたれてくる。首と肩の境界にあごが置かれて、静かな息遣いを感じさせた。風呂から上がってしばらく経ってはいるが、確かな暖かさといつかと変わらない優しい感触がある。そのまま寝てしまうのではないかと思うほど、安らかな吐息だった。
「ずっと、一緒にいたいね」
「……そうだな。ずっと……」
それ以上を言うことはできない。
「……ほんとに嘘つけないね。リセイさん、いい人だったの?」
「ああ。すごくいい人だ」
背中から前に腕が回され、美沙は俺をぎゅっと締め上げるように抱き付いた。
「好み、どストライクだった?」
「ああ。美沙が考えてる通りに」
「優しい?」
「ああ」
「ぎゅってしたい?」
「……今は、分からない」
小海に抱き付きたいか、というと、正直なところ微妙だった。だが、世界で一番美沙が大好きか、と聞かれても同じ答えを返すのではないか、と俺は思っている。どういえばいいのかは分からない。でも、どうしても誠意のある回答がそれ以外にないような気がするのだ。はっきり言って、それ以外は全部うそになってしまうような気がした。
時計を見ると、十一時を過ぎている。
「寝るぞ。もうちょっとしたらまた同じ学校に通うんだ、国内で時差ボケ発生しちゃダメだろ」
「それ、時差ボケじゃないよ」
まあ、ぐうたらの結果というかそういうものだろう。分かってはいるが、ボケるべきだと判断しただけのことだ。まあ、生活リズムが乱れるといいことはない。夏休みなんかに昼間に起きるような生活をしていると、朝起きられなくて大変な思いをしたりすることになるものだ。
「まあいいから、早く寝ようぜ。リズム戻しといたほうがいい」
「だね」
とは言っても、いつもゲームをしているからこれより遅いこともある。美沙がこれ以上何か言わないようにという俺の予防策だ。それを見抜いているのか、それとも単にくっつきたいだけなのか、美沙はいわゆるあてている状態で俺から離れない。美沙は寝転んだ俺の横に、一緒に寝転んだ。美沙はちょっとだけ俺の上に乗る。
ぴっとりとひっついて満足したのか、美沙は俺の横側にくっついた。
「どうしたんだよ、美沙」
「ずっと続いてほしいなんて、いけないかな」
「……幸せな時間は長く続いてほしいもんだろ」
俺だって、そう思っている。
「このまま溶けちゃったらいいのに」
「ん?」
「溶けちゃって、混じって、そのまま、なんて。冗談だから」
海みたいに、とでもいうつもりだろうか。そうしたら、ずっといられるのに、と。
さざ波にくすぐられるように、静かな吐息と温かな感触が、俺を眠りへと誘っていった。俺はめっきり女性を意識させるようになった妹にどぎまぎする兄ではなくなっていて、あくびをかみ殺す元中学生になっていた。
布団に染み込んでいくようだ。美沙の言うとおりに、俺は美沙と一緒に溶けているのかもしれない。そのまま、液体になって流れていくのだろうか。
それもいいな。
ああ、でも。
卵が……
◇
すべてを超えた高みに、輝く鳥が飛んでいた。
鳥は見下ろす。
なだらかな山を、死を抱く谷を、清らかな川を。そこにうごめく全てを。
美しいものがある。そして醜いものがある。留まっているものもあれば絶えず動き続けるものがあり、争うものがあれば無関心に一直線に動き続ける不気味なものもあった。ひときわ目を引くのは、どす黒い炎に包まれた腕を、硬い光の壁へと伸ばし続ける怪物だ。
円環を中心にして、何か球体を覆うように伸びた滑らかな灰色。
それが高々と掲げられ、その内側から炎が噴き出て、光の壁をごり、ごりと不穏にきしませながらそれを破ろうと試みる。
光の壁の奥にあるのは、不思議な色を浮かべる泡だった。白黒の泡や、どこか見覚えのあるような色のたゆたう泡もある。誰かの悲鳴が聞こえる。
「なんで」「嘘だろっ」「何を使ってるんだ、ぜんぜん読み取れない」「おかしい、こんな速度は有り得ないのに!」「どういうことだ、コンピュータじゃない……?」「何か、何か失念している気がする」「これって…… ブリッドか?」
どす黒い炎を纏った怪物は、ねじれた笑い声をあげる。狂った高さの、よじれたつくりをした白い色の棒が炎に巻かれて叫んでいた。どういう風にも聞き取れる何かをひっきりなしに喉から吐き出しながら、炎を食べている。
『わるいこと?』
琥珀色の目をぎろりと光らせて、鳥は怪物を殺しに舞い降りた。
◇
不思議な夢を見ていたような気がする。でもその内容は、まったく失われていた。どこか不思議な世界、俺たちのとても近くにある世界を見ていたような気がするのだ。とても近く、扉を開けても絶対にたどり着けないのに、触れるほど、見ることができるほどに近い場所にそれはあるように感じられる。
一つだけ心当たりがあったが、俺はそれを考えるのをやめた。
「美沙、起きろよ」
「ん……」
どうやら夜中に起き出してパジャマを脱ぎ、わざわざ下着姿になってからもう一回ベッドに入ったらしい跡がある。その証拠にパジャマはきちんとたたんであった。事後かよ。
水色の、レースで縁取られたそれには見覚えがある。美沙のデパート帰りのファッションショー的なあれで見たのだ。ふわりとやわらかい体を包み込むそれは、一定水準を超えるエロティックさと溢れるような可愛らしさがある。
「んふふ、ちゃんと見てる」
「おう…… かわいいぞ」
結局俺は俺の中の獣に抗えなかったのか、そうか。
「ったく、エロゲみたいな寝覚めだよな」
いつもみたいにエロゲみたいなことでもする? と言ってくるかと思ったのだが、美沙はそうだねとだけ言ってパジャマを着て、部屋に戻っていった。特に何かする気にもなれなくて、俺は二度寝しようかと思ったのだが、ちょうど母さんが「朝ご飯よー」と呼びに来たので起きることにする。
リビングに降りていくと、父さんがいた。
「ゲームはどうだ?」
「うん、まあまあ」
親にゲームの進み具合を聞かれる子供なんてそうそういないだろうなあ、と思う。例外があるとすれば、親がガチでやり込むゲーマーだったときくらいだろう。それ以外だったら、昨日何時まで起きてゲームしていたかを引き出す誘導尋問に違いない。多くの場合はゲーム禁止へとつながる布石だ。
「ピーケー、だったか? あんまり人を傷付けるのに慣れてほしくはないな……」
「あんまり戦う機会ないよ、ほんとに」
挑まれなければ、何かの解決手段にならなければ、の話だ。二つの状況が起こったのなら、俺はいくらでもPKをするだろう。歯止めが利かなくなるかもしれないし現実に影響が出るかもしれないが、それだって大したことじゃないと思うようになるだろう。
俺の形をした怪物ができないために、俺は自制したかった。
しかし、恐らくできないだろう。俺は自分で分かっている。
何かのための手段があって、それが確実だということになれば、それを選ぶ。家族や知っている人以外なら、誰を傷付けることも厭わずに突き進むはずだ。
「その顔だ。 ……引き返せないのか?」
「俺は…… 手段として、何でもするだろうから」
過激な方向へ走ることばかりではない。ストーカーがいれば証拠を揃えて提出し、絶対に逃げ出せないように固めておくことだってする。悪いことをしているやつがいたら、追える範囲で逃がさずに追い詰めるはずだ。
そのために、
「お兄ちゃん、私も止められなくなったら、どうする気?」
「…………自覚させられる、しかないだろうな」
自分は間違った方向に進んでいると。
その道を歩いてはいけないと。
それとなく分かることができれば、きっと元の道に戻ってくることができるのだろう。それとなく分からせる手腕を持つ人がいれば、の話だ。
「私はお兄ちゃんが止めてくれたよね」
「そ、うだったな」
美沙は暗黒に堕ちようとしていたのだ。
「あのとき、同じことを聞かれたら同じ答え方してたと思うよ」
「じゃあ、今はどう答えるんだ?」
「悪を自覚する。そのうえでがんばるって」
「そうか」
黒いままだったのだ。その面を横に回して、白いように見せている。
美沙を変えることはできなかった。俺が、自分で俺を変えることができないだろうと考えていたように。誰かの手で自分が変わるのだろうかと、そう思っているように。
「がんばるよ、止められるように。でも止められないと思う」
「……いつか、止まるだろうぜ」
全てが終わった、全てが手遅れになったそのとき、俺は止まるだろう。安堵か絶望を宿して、自己嫌悪に駆られ、どうしようもない後悔を引きずりながら。
「ったく、ゲームの中で何か食べてきたか? 味噌汁が冷めちまうぞ、ほら」
「うん、ごめん」
「そうだね、あったかいのに」
朝ご飯が目の前にあることを忘れるくらいに、深刻な話題だ。
またいつか思い出すだろう。そんな予感を抱えたまま、俺はご飯を味噌汁の中にぶち込むため、猛然とご飯を減らしにかかった。
スキルノート
「火魔法」
杖や自分の肉体を媒介として炎を発生させる魔法。燃焼するために必要な酸素が足りない環境はまずないことと、だいたいの生物は高温に強くないため、どこでも使える便利な魔法である。アウルムオンライン初期の「MPの消費量が多くないスキルは良いスキルだ」という風潮はあながち間違いとも言えないため初期から今まで高い人気を保っている。
高い威力を誇り制御しやすい「ファイアボール」「フレイムボール」やゲームということもあり延焼の心配がない「ヘルファイア」「ナイトメア・フレイム」など、見た目が派手で強力そうな特技が多数習得できる。また比較的燃費がよいこともあり、遠征する際にも道中の戦闘による消耗が少ない。熱の効果範囲が視認しづらいなどのデメリットはあるが、経験を積めばカバーできるとされる。
人気の理由もうなずける、大ギルドのトッププレイヤーから始めたばかりの初心者まで、さまざまな人々に愛され続けるスキルである。