#005 ステゴロ
ステゴロは「素手喧嘩」と書きまして、やくざさんたちの用語です。文字通りの道具、拳銃やら日本刀、というかあいくちを使わない戦いのことですね。
どうぞ。
「なに、品物が買い占められてる?」
「そうだよ、なんか大きなギルドっぽい人たちが、お金使いまくって、品物がめちゃくちゃ不足してるみたいで…… どうしよう!?」
俺から言わせれば、ある程度はありうることだ。初心者が大量に入ってくる時期に合わせて、これくらいに大量に品物を発注しておけばいくらでも初心者に恩を売れるし、なんだってやらせることができる。
「落ち着け。誰にもどうにもできねえよ」
「でも! けっこうレベル低い人たちだったんだよ、何とかできるよね!?」
「それじゃ、あいつらに頼むか」
「あいつらって?」
「Jたち」
ミサは、これ以上ないくらいの衝撃を受けたという顔をして見せた。
「しょ、正気!? 会ったら殺されるかもしれないのに!?」
「いいんだよ。問題はどこにいるか、だよな」
貸し錬成床を出て、俺たちはあちこちを見渡した。すると。
「……クリティカルアップって、実生活でも活かされるのか?」
「さあ…… あれってJさんだよね」
麻ではなくて、光沢のある生地からすると絹にも近いものだろうか、上等な服の上に要所をガードした渋い鉄と何かの複合装甲を付けている。兜は視界の邪魔になるからか付けていないが、そうでなくてもあの楽しそうな顔は忘れない。
俺たちが近付いてくるのが分かっていたらしく、やあ、と手を挙げたJに俺も「よう」と短く返した。
「単刀直入にいうと、えばってるやつらを殺してほしい」
「いいね。だが請け負うときは代償をもらうことにしているんだ」
「お兄ちゃん、やめときなよ……」
「いいから。 ……こんなんでどうだ?」
手短に鉄のいがぐりの説明をした。
「今なら鉄の投げナイフも五本つけるぜ」
「今すぐにもらえるわけじゃないんだね?」
「まだ作ってないからな」
「分かった! 僕と君たちの合い言葉は…… 〈良い殺しを〉にしようか」
たったっ、と小走りに、心底楽しそうに、まだ二十レベルになったばかりだということらしい「ホワイトスミス」というキャラクターにJが声をかける。
「やあ人形屋さん! 小市民から依頼があってね。君たちを殺してくれ、だそうだ」
「ああ? 俺が誰か知ってて言ってんのか!」
ほとんど全身にアーマーを付けた、防具に金をかけまくったスタイルのプレイヤーが大声で怒鳴る。有名ギルドでタンクをやっている騎士タイプの前衛で、何かというとギルドを盾にしてよくない行為を働くらしい。正直鼻つまみだ、という。
「……を話してくれるあんたは、たしかJの隣にいた……」
「麻ズボン、がキャラネームっす」
あさずぼん、ね。だが、なまじ装備も整っているため、威張り散らしていても正面からぶつかるのは危険なのだそうだ。
「ま、俺もJさんも30レベルにはなってるんで負けませんよ。でも表立って殺したってなると、いろいろ理由が必要でしょ。いい機会っす、あざっす」
「ど、どうも……」
ミサがあきれているが、欲求の充足と迷惑の排除が釣り合っているので、いいのかもしれなかった。
「ホワイトスミス、かっこいいと思って付けたのかい?」
「あったりめえだろ、お前こそなんだ一文字で」
「僕もかっこいいけどね。ホワイトスミスというのは、ブリキやら亜鉛のトタン板を作る職業だよ。剣やら鎧とは全く関係ない」
「うっせえよ! んだよ、殺しに来たって」
迷惑行為を続けるとどうせBANされることになる、という説明をゆっくりしてくれるJに対してホワイトスミスは「大ギルド〈オーシャンズ〉の名前も知らねえのか」などという脅しをやっている。組が黙ってねえぞ、というのは、だいたい誰にも助けてもらえない捨石が口にするセリフなのだが。
「よしわかった! そこの鉄くずにも劣る弱いプレイヤーを立会人にして、決闘をしようじゃないか。そこの小市民! 手伝ってくれないか」
麻ズボンさんに引っ張り出された。
「え、え」
「済まないね、殺人プレイヤーと迷惑プレイヤーの決闘なんぞ手伝わせて」
「黙れよ、いい加減にぶっ殺すぞ」
「まあまあ…… 小市民君、君には審判を任せる。不正がなかったかどうかだ」
「はい」
ここは素直に返事しておいて、関係ないふりをしておこう。
「おいてめえ、何勝手に決めてるんだゴラァ! ふざけてんのか!」
「かかってきてくれ。すぐに決めるから」
ちょいちょい、と手首を動かしたJに、とうとう切れたホワイトスミスが妙に冷静にデュエルの申請をし、瞬間にOKサインを出したらしいJに飛びかかった。盾と剣という堅実なスタイルだが、すでに剣が光っていて技が発動している。
ところが上体がスライドするようにそれはすっと避けられ、ずむん、と腹にJのキックがめり込んでいた。何の前触れもなく体を後ろに回転させ、つま先を反らせ、正確に腹に打ち込んだのだ。
「ぐ、っが……」
剣を出してすらいないJは、体術を使い恐るべき速度で攻撃を避けて反撃する。剣が弱武器に化けたかと思うほど、体術の素早さと正確さは恐ろしかった。おそらく現実でも修練を積んでいるのだろうが、ゲーム脳の中学生にはどんぶり勘定で見えるものだ。なんの強化もされていない拳が、つま先が体力を奪っていく。
「そのプレートね。僕は昔見たことがあるんだ」
「な、なんの話だ」
決闘をしているとは思えない静かな声で、Jは諭すように声をかける。かなり強化されたのか、後光が射しているレベルで輝く胸のプレートだ。フルプレートはかなり高価らしくトッププレイヤーでもあまり持っていないらしい。
「君はまさか、レベル20に有り余る性能をもった鎧がフル強化で売られていると思ったのかな? それはね、タイヨウというプレイヤーを殺したときに手に入れたんだ」
「た、タイヨウ……ッ」
「あ、オーシャンズのリーダーっすね。昔は弱かったんすよ、今でこそ大ギルド率いてるけど、それでも一度もJには勝ててません」
急に顔色が悪くなったホワイトスミスの背中を蹴飛ばし、転がったそいつにJは何か間違われるほどに耳元に口を寄せて、聞こえる大きさでささやく。
「お金で買ったんだろう? その時落ちていたお金で。僕らはね、お金はモンスターと露店で売った分しか興味がないんだ。君のやったことは、僕らですらも嫌うド底辺の殺人プレイヤー…… 殺したやつの装備を身に着けるやつと変わりないんだよ」
「うっせえ…… 落ちてたやつなんだよ、ボスだって許してくれたんだッ!」
いいや許してなんかいないさ、とJはにこにこ笑う。
「君が暴走しやすいような場所に割り振られたのが証拠だね。こういう事態をタイヨウ坊やは予測していたのさ。いい子だから、もう一度は殺さないであげようかな」
すっと取り出した短めの刀のようなもので、ずど、と音をさせてとどめを刺した。未成年もログインできる状況であるため残酷なエフェクトは出ないが、音の恐ろしさ、そして本人の受けた感触は現実のそれといくら離れていただろうか?
「ははは、タイヨウ君も黒いなあ」
「そんな顔で言われても……」
「怖いです」
ミサが正直だからとっととここを立ち去ろう。
「ゼルム君、くれるものがあるんだろ?」
「一緒に来てくれたらすぐにでも渡すよ」
「分かった、分かった。行こうズボン」
「うぃっす」
貸し錬成床に移動して、パフォーマンス的にいくつも連続で鉄のいがぐりと投げナイフを仕上げ、渡す。
「今回はあんだけのことをしてくれたから無償だ。次からはお金を取るぜ」
「いいクオリティーだね。星三つがいくつもあると、狩りがはかどるよ」
「まきびしっすか…… これはこれは」
「ねえ、本当にいいの? 片棒担いでるのに」
取引なんだからしょうがねえだろ、と諭しておく。利用できるなら何でも利用する、というよりもこれもコネを増やすうちの一つに入るだろう。ネトゲにはある程度知識にあふれた人もいるものなのだ。その助けがあるならば現実にも生きやすくなる。
「それじゃあ、〈良い殺しを〉」
「〈良い殺しを〉」
Jは去って行った。
「今日もいろいろあったよな…… 最後に一時間くらいあるし、どうする?」
「投げナイフ、あの人たちにあげちゃったでしょ。も一回鉄くずから作ればいいよ」
「あー……」
値上がりしてる可能性があるんだが。
「安いよ安いよーもう全部ダメになりそうだからこの世の終わり価格で売ってるよー」
「すいません、鉄くずいいっすか」
「ああいいよー安いよもう笑うくらい安いよ五十個セットで五百チルンだよー」
「買いますね」
「買い手がつくだけましだから買い叩かれても文句言わないよーほら安いよー」
客が減っているようだ。とはいえ攻略サイトでも「安い店」の一覧にこの店が挙がっていただけあって、いつでも安く売ってくれるらしい。買うときは通常の値段、というか買い取りはあまり扱っていないように見える。
「いつもありがとうよー」
「いえいえとんでもないです」
これだけ安い値段で買えるものが、今の俺には手に余るほどの大威力を誇る鉄の投げナイフに化けると言うのだから、ありがたいでは済まないくらいだ。しかも一個で一つ、つまり五十本も作れることになる。この場合はいがぐりと投げナイフを半分ずつ、というところだろう。
さっそくもう一度貸し錬成床に戻って、残りMPをしっかり確認したあと、それを半分でそれぞれナイフといがぐり作成にあてた。
「ふー、なんか疲れるのはMPがなくなったからか?」
「そんなの聞いてないよ。今日は密度濃い一日だったし、しょうがないんじゃない?」
「そうだよなあ……」
長い一日だった。
俺はベッドから起き上がり、ちょっとだけ読書しようとアニメ化されたライトノベルを取り上げた矢先のことだった。唐突にスマホが着信メロディーを奏で始めたのだ。それは明るい曲調だった。しかしそれが、さらに俺を暗闇に落とした。
「もしもし、伊吹です」
『イブキ…… そうか。ゼルム君じゃなかったかな』
「Jか?」
にわかに、背中が湿っているように感じた。そんなことはないはずなのに。
『そうだよ。君の仕掛けたバックドアを利用させてもらった』
「そ、……」
そんなことができるのか? とは言えなかった。俺が先にやったのだ、それを誰かが乗っ取ることなどできるとは思わなかったが、この男はやってのけたのか。
『大丈夫だ、殺しはヴァーチャルで足りているよ。なに、オフ会の連絡先の入手をしたかっただけの話だ。アンダーグラウンドじゃない、普通のね』
「それだけか?」
『信用がないのは分かっているけどね、君からは利益しか受け取っていないんだ』
信用できるはずもないが、それでも信用せざるを得ないのだ。俺は恐ろしさのあまり気絶してしまいそうだったが、手を握り締めることで声を震えさせないのが限界だった。
『アンダーグラウンドのオフ会に参加しそうだったら、先に止めるからね。その時は僕たちもリアルの実力行使をするよ』
「そりゃありがてえな」
『妹さんも、できるだけ助けてあげよう』
「頼む。俺だけじゃ無理だ」
『了解。〈良い殺しを〉』
「……〈良い殺しを〉」
俺はとてつもない地雷を踏み抜いてしまったようだった。この世に数多いる恐ろしい人物の中でも、最大級にとんでもない人物。
監視されているのだ。俺や妹を守るためのセキュリティーカメラを使って。そして俺が父親のスマホの位置を検索するためのバックドアも、逆に利用されている。
「……こりゃまずいな」
俺は、コネと言えるものかどうか、これをどう呼べばいいのか、分からなかった。
ネット社会って怖いですよね、ということでもっとサイバーが発達してたら技術も発達しているだろうということで「本人の声紋を鑑定し、声からたどってバックドアを仕掛けるウィルス」なんてものを考えてみました。
……いつかは生まれるでしょうね。百年以内には。