いかすしの巻物’
風に揺れる草木たち。むせ返るほどに濃厚な緑の香り。
「おえええええ……」
そのさわやかさを感じる暇がないほど私は気持ち悪かった。
「なんで吐きそうになってるんだお前は」
「ぎ、ぎぼぢわるい……」
「転送酔いか? 適当に転送したしな……」
も、もうちょっと気を使ってほしかった……。
車酔いを酷くしたようなこの気持ち悪さは何とかならないものか……。
「そう言えば、私も朝菜も車酔いが酷いタイプだったな。お前もか」
「は、はい……車に乗って1分もあれば気持ち悪くて……」
「それは確実に心理的要因のせいだな」
そんなことは分かってるが原因が分からないので克服のしようも無い。
そして、今の状態は車酔いではないので心理的要因ではないと思う。
「うぷっ……そ、それで、ここは一体どこなんですか?」
「これからお前が一生暮らす世界だ」
「一生、かぁ……」
最初から納得してはいたが、そう言われると何とも寂しい気分にさせてくれる。
生まれたばかりの妹がこの先、どんな風に成長していくのかも気になる。きっと可愛い子に育つんだろうなぁ……。
「ああ……ゆうちゃん元気かなぁ……私が居なくなって淋しがってないかなぁ……」
「元気にしているから問題ない。それと、お前についてはお前のコピーを放り込んでおいてあるから大丈夫だ」
「なんだ、じゃあ平気ですね」
「未練は他に無いな?」
「そうですね……一つを除いて無いです」
強いて言えば両親が心配ではあるが……元々、私は半分育児放棄されて育ったようなものなのでさほど気にならない。
普通に両親だという自覚もあるし、家族として愛してもいるが……愛着が薄いのも確かなのだ。
私のコピーが居るなら行方不明がどうのこうので騒ぎになる事も無いだろうし。
あとは祖父だが、やはりそっちも私のコピーが居るから問題なかろう。
「その一つとやらは?」
「あっちの世界に居る女性ですが。女性は星の数ほど居るんですよ……」
「貴様の大好きな千秋ちゃんはアメリカで元気に生活してるから安心しろ」
なんで一瞬で人の内面を見透かして一番気にしてる人物の事を言うかな。
……まぁいいか。彼女が元気だと知れて安心したし。
「ああ、折角だからこっちに来る前に一回だけでいいから千秋さんとデートしたかったですね」
中学卒業以来一度も会えてないが、その前はよくデートしたなぁ。
いや、私が勝手にデートって言ってるだけで、実際は遊びに行ってただけなんだけど。
「まぁ、お前はヘタレだからな。何回一緒に遊びに行ってもキスすら迫れないヘタレだからな。仕方ないな。強引にでも迫ってりゃ奴も留学しなかったかもしれないのに。バラ色の高校生活が待ってたかもしれないのに」
「うっさいですね! そんなことはわかってますよ!」
「まぁ、おまえ空気読まないで男子校に進んだからバラ色の高校生活とかありえないけどな」
「そうですね……」
「薔薇が咲く高校生活なら送れそうだが」
「勘弁してください……」
別に私だって行きたくてあの高校に進学したわけじゃない。
両親が行けと言って仕方なくいったのだ。
それに中学校だけは地元の私立にわがままを言って通わせてもらってたし……。
「そもそもなんで無意味にあんな頑張ったんだ。適当に手抜きしとけばそのままエスカレーターで進めと言われたろうに」
「だって……」
「だって?」
「たくさん勉強していい点取っておかないと、勉強を見てあげるという口実で女の子に近づけないじゃないですか」
「お前は女の事しか頭にないのか?」
「失敬な! 家族計画とかもありますよ!」
「似たようなもんだろう……」
それに家族計画以外にも色々とあるのだ。就職とか、家族の事とか……。
結局どれもこれも女性が絡むのは確かに認めるが……。
「そもそもそれは功を奏したのか?」
「ええ。私はその手法によってクラスメートの女性全員から連絡先を聞き出しました。勉強を見てあげるという理由でお家にお邪魔したこともありますし、勉強を見てあげたお礼にデートしたことだって何度もあります」
「やっぱバカだろうおまえ」
「まぁ、バカなのは認めます。中1の頃から高1の予習してましたしね……」
「何の意味があって」
「先輩の勉強を見るためです。陸上部の大槻先輩とか成績悪くて、その割に部活の成績もパッとしなくて……進学が危ぶまれてたのを私が進学校に送り出して見せたんですよ」
これは私の自慢の一つだ。他にも何人か勉強を見て無事に進学させた先輩が何人かいる。
高校では美人な先輩に勉強を教える予定だったのだが……残念な事に、男子校に進学する事に相成ったので無理だった。
「やっぱバカだなお前」
「バカとは失敬な! 大槻先輩はショートカットの活発な美人で、喫茶店で勉強を教えたり、図書館で勉強を教えた後にデートしたりとかしたんですよ!」
「誰もそんなこと聞いとらんわ!」
「美術部の桜井先輩とかそばかすがチャーミングな先輩でとてもきれいな絵を描くけど、オツムはアレだったので私が頑張って分数の掛算から教えたんですよ!」
「中2でそれか!?」
「中3です! それに桜井先輩はちょっと頭がアレなので一緒にお風呂に入った事だってあります! 超眼福でした! お泊りで勉強を教えた日は最高でしたね! それに私の似顔絵を描いてくれて、その絵は今も部屋に飾ってあるんですよ!」
「分かったからもう黙れ! なんでお前が口説いた女の話を聞かなきゃならんのだ!」
「嫉妬ですか!?」
「違うわボケ!」
そんな風に草原のど真ん中でギャースカ言い争って居ると、勢いよく走る馬車が目に入った。
ファンタジー世界なんだなぁ……などと言い争いつつそれを目線で追っていると、妙な事に気付いた。
「それで千秋さんは蓮っ葉なんだけど実は女の子っぽくて、それを恥ずかしがるっていう萌え要素を持っててですね! ところでアレなんかおかしくありません?」
「いきなり冷静になるな馬鹿者! ったく……」
私の指さした先に夜菜さんが振り返ると、そこには疾走する馬車。
「ふむ。特に追われてるわけでもなさそうなのに、随分と道を急いでいるな。あれでは馬が潰れるぞ」
「見えるんですか?」
たぶん1キロくらい離れてるのに、よく見えるものだ。
「魔法で視力を強化してるんだ。ふむ、御者は焦ってる様子はないが……で、なにがおかしいと思ったんだ?」
「いえ、だってここ道なんかないじゃないですか」
「ああ……まぁ確かにな。街道というわけでもないし、なんでこんな草原なんか走っているんだ?」
車と違うんだから、こんな不整地を走ったら大変だろうに。
だからおかしいと思ったのだ。
「まぁなんでもいい。ここがどこだかわからんし、交渉して近くの町まで乗せてもらおう」
「どうやって交渉するんですか?」
「お前のケツを差し出せ。お稚児としてやっていけるツラをしているからグッとくる奴もいるだろう」
「私に後ろの処女を喪失しろと? 代わりにあなたの処女を私に下さいよ」
「冗談だ。私の処女は死んでもやらん」
「残念ですね」
でもその代わり彼女が処女だという事を知れたのでよしとする。
「真面目に話すと、私は魔法使いだからな。町まで護衛してやるかわりに乗せろと言う」
「なるほど。私はどうしたらいいんですか?」
「お前は歩け」
「ひどい」
「冗談だ。私の丁稚という事にしておいてやる」
「そうですか……」
おかしいな。私のパートナーのはずなのに、なぜ既に上下関係が決まっているのだろうか。
そもそも普通こういう展開だったら、上下関係は私が上側になるものではないのか。まぁいいや。下というのもそれはそれでなかなか……。
あれ、私ってもしかしてマゾヒストの素質あるんでしょうか。さっき夜菜さんも言ってましたし。
ふむ……夜菜さんに鞭でビシバシやられるのか……悪くないかもしれない。というか、夜菜さんが鞭でビシバシって似合い過ぎてて何かこう……イケない気持ちにさせるな……。
「……お前、くそまじめな表情で何か不埒な事を考えてないか?」
「いえ、人はなぜ生きるのかという深遠かつ高邁な命題を探求していました」
「嘘をつけ」
確かに嘘だが、全く信じないというのはいかがなものかと。まぁ、いきなりそんなこと考え始めるやつは普通居ないか……。
となると、考えるべきなのは夜菜さんのスカートの中という実に深遠な命題になるだろう。
やはり黒か。黒なのか。黒だとしてデザインはどうなのか。色っぽいそのようなアレなのか。やはりスケスケか。スケスケなのか。
「やっぱりお前なにかバカな事を考えてないか?」
「いえ、見果てぬ深淵を求めています」
夜菜さんのスカートの中……実に見果てぬ深淵だ。
未知なるスカートを夢に求めるわけだ。
「ふむ……? 嘘ではないようだが……」
なんで顔見ただけでそんなことが分かるんだろう?
まぁいいや。とりあえず、夜菜さんのスカートの中を探求する事にしよう。
「ふむ……見果てぬ深淵の中には何があるのか……それを追い求めるのが人という物なのか……」
そうして思索を巡らしていると、遥か遠くに走っていた馬車が近づいてきていた。
夜菜さんがそれに向けてプラプラと手を振りつつ馬車の前に出ていくと、馬車が速度を落として止まる。
そして、御者が御者台から顔を出す。
「おまえら、こんなところでなにやってるんだ?」
けっこう若い男だった。無精ひげを生やして、木綿らしい衣服を着ている。
「旅の途中だ。この愚図が足を引っ張っていてな」
「はぁはぁ……もっと言ってくださいご主人様」
ふざけてみた。
「死ね」
ひっぱたかれた。ひどい。
でもちょっと気持ちよかった。
なんで気持ちよかったんだろう……あとでもっとひっぱたいてもらって研究しなくては。
「そういうわけで、よければ馬車に乗せて行ってもらえんか? 私は魔法使いでな、何かに襲われた時は助けてやるぞ」
「ほお……そりゃいいや。じゃ、乗ってくれて構わんぜ」
「助かる」
そう言うや否や、夜菜さんが私の手を取って馬車の後ろに回り込むとそこから乗り込む。
「じゃ、出すぜ」
「ああ」
そして馬車が走り出す。
なんとなく馬車の中を見渡すと、あれこれと袋が置いてある。中身は穀物のようだ。
なんて思っていると、ぱちんっ、と指を弾く音がした。
振り返ると、夜菜さんが白魚のような指で指パッチンをしたらしいことが分かった。
「遮音結界を張った。これでお前が焼身自殺をしても絶叫が外に漏れない」
なんで焼身自殺を例えに用いるのかは分からないが、凄い結界らしいことは分かった。
「しかし……臭うな」
「え? なにがですか? 夜菜さんは凄くいい匂いがしますけど」
シャンプーだろうか、香水だろうか。とにかく甘くていい香りがする。目いっぱい吸っておこう。
「阿呆、そうではない」
「じゃあなんですか?」
「分からんのか? 積荷の中身は人間だぞ」
「えっ」
いや、しかし、どう見ても中身は穀物だ。袋のぎっしりさ具合から間違いない。
そもそも人間が入れるほどの大きさはないぞ。
「中身は子供だ。子供を入れて穀物で偽装してある。催眠系魔法で強制的に眠らされているな。人数は4人。右から順に、男、男、女、男、だ。年齢は同じ順で5、6、9、8だな。栄養状態があまりよろしくない。手には肉刺がある。貧農の子供だろう」
「なんでそこまで分かるんですか?」
私なんか子供が居る事にすら気付けなかったのに。
「私の知覚力は常人を遥かに超えているからな。対象を絞ればその程度は容易い」
「はぁ……凄いもんですね……」
「さて、催眠されて眠っている子供を隠すように運ぶ馬車。しかもやたら急いで。臭いだろう」
「まぁ、確かに臭いますね」
事件の臭いという奴だろうか。
「義憤に駆られてあの男を問い詰めてみるか?」
「ええ、そうしましょう。助けてあげようじゃありませんか。女の子が居ますしね」
「……男だけだったらどうしたんだ?」
「一応問い詰めますけど、事情次第で放置ですね」
間引きのために売られたとかだったら元の場所に戻してやっても結果は一緒だ。
むしろ、戻ってきてしまった事に対して、売った側が買った奴が報復に来るかもしれないと恐れて悲惨な結果になる可能性すらある。
「結構シビアだな、お前」
「現実が見えてると言ってください」
子供は親の物、というような価値観が一般的な世界だったら売りとばしたのは当然という可能性すらあるのだ。
それで戻ってきたら、今度は物理的な手段に訴える間引きだろうに。
そんな悲惨な結末は見たくないし、その手引きだってしたくない。だったら放置したほうがいいだろう。
「しかし、女が居たら助けるのか」
「やっぱり事情次第で放置しますけどね。まぁ、可能な限り助けますけど。私は女好きなんです」
「フェミニストと言わない辺り潔いな」
「カッコいいでしょう?」
「いや、真正のバカだなと思った」
ひどい。
「さて、じゃあ事情を聴いてみるとしましょうか」
「そうしろ」
そういうわけで、私は声をかけるべく、第一声を考え始めるのだった。