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夜叉の恋  作者: 皐月 綾香
夜叉の恋
7/11

六 人の子の生活


 穏やかな風の中、相も変わらず転げ回るなづきの額には薄らと汗が光る。

 なづきと出逢って数日。

 日が経つに連れて、長い年月を生きてきた筈なのに初めて知る事が多々あった。

 子供が大人よりも汗を掻くという事もそうだし、長く生きれば生きるだけ博識になるという訳ではない事もそうだ。

 私が知らなかった世界。

 それはつまり、私が知ろうともしなかった世界。

 それをなづきは私に示した。

 目の前のちっぽけな人の子は、私の気分一つで幸も不幸も全てが決まる程に脆弱は生き物だというのに。

 不思議なものだ。

 私の元に駆け寄り、嬉しそうに見上げるなづきの上気した頬を撫でる。


「いっぱい走ったらお腹空いちゃった!」

「そうか」


 仮にも子供独り、それもこの時代、この国で数ヶ月生き延びてきた娘だ。

 早々柔じゃない事は百も承知。

 だからこそ私もこうして連れ歩く事が出来たし、人の子の食い物にそう困る事もなかった。

 ……しかし、ふと思う。

 衣食住の内、“食”はいいとして“衣”“住”はどうだ?

 川で魚を捕るついでに体ごと着物は洗っているようだが、なづきは一張羅、それもボロだ。

 焚き火に当たって着たまま乾かしているのが常で、特に気にも留めなかったが……人の子としてはどうなのだろうか。

 寝る場所にしても、私となづきは特に目的もなく旅のようなものをして生活している為、寝床などない。

 流石に雨が降れば洞窟など屋根のある場所を探すが、降らなければその場がその日の寝床となる。

 勿論、体を冷やさない為に掛ける布団のような物などある筈もない。


「……くしゅんっ」


 不意になづきが小さなくしゃみをした事に、らしくもなく驚いた。

 鼻を啜りながらも「行ってきまーす」と笑顔で駆けて行く裸足のなづきを目で追いながら、私はこれから何をするべきか初めて真剣に考えた。

 そして少し待てば、いつものように魚を腕いっぱいに抱えた濡れ鼠のような、生臭いなづきがヒョコヒョコと笑顔で戻ってくる。

 水滴が滴る栗色の髪を一房手に取れば、キョトンと首を傾げる。

 そんななづきに珍しく眉を顰めれば「どうしたの?」と、逆に心配された。


「……いや、何でもない」


 そう答えても、腑に落ちないのかなづきは私の顔を覗き込むのをやめない。

 観念したのはやはり私で、一つ溜め息を吐いた後に自分の袖でなづきの頭をわしわしと乱雑に拭いた。

 目をキュッと瞑って黙って拭かれるなづきに、やはり小動物みたいだな、と暢気に思う。


「静さん?」

「……用事が出来た。今日の飯はそれが最後だから腹いっぱい食っておけ」


 沈み掛けた夕陽を見遣りそう言えば、なづきは「はぁい」と素直に返事をした。

 ……まぁ、どうせ寝る前には腹が空いたと喚くだろうが。





「お~にの頭には角がある~♪ お~にのほっぺは冷たくて~ぇ、おめめもお耳も凄いんだ~よ♪」


 すっかり日も沈み、夜の帳が降りる頃。

 山の傾斜、それも道なき道を物ともせずに裸足で歩くなづきは、やはりそこらこ人の子よりも体力があると改めて感心する。

 いや、体力もだが根性もだな。

 ……それよりも。


「おい。その歌は何だ」


 訝しげに振り向けば、なづきは続きを歌い掛けた口を閉じてにっこり笑った。


「鬼の歌! 父ちゃんと作ったんだよ!」


 得意気に胸を張るなづきに、少し困惑する。


「……なづきの父親は鬼が恐ろしくはなかったのか?」


 しかも、子供とそのような歌を作るなど……人里では嫌がられそうなのだが。

 そもそも、妖と人は互いに忌み嫌い相反するものだ。


「ん~……よくわからないけど、鬼は強くて力持ちで、凄いんだって言ってたよ」


 「静さんみたいだね」とケタケタ笑うなづきに、思わず「私も鬼だぞ」と突っ込む。


「あ、そうだったねぇ」


 そしてまた、何が面白かったのかケタケタと笑う。

 そんななづきに私は溜め息を吐いた。

 全く、この娘は……。


「あ。でも」


 徐に私の前に回ると、なづきはジッと大きな目で私を見つめて首を傾げた。


「静さんには角がないね? 耳も私と一緒」


 手を伸ばして触れたそうにしているなづきを抱えてやれば、モミモミと両耳をこねくり回す。

 次に頭をガシガシと触って確かめると、「やっぱりない」とまた首を傾げた。


「静さんは特別な鬼なの?」


 なづきの疑問に「いや」と小さく笑う。


「ただの鬼だ。今は引っ込めている」

「人間に化けてるの?」

「まぁ、そうなるな」


 「変なの」となづきは納得がいかない様子だ。


「どうして? きっと格好いいよ」


 ……蛙の子は蛙。

 ズレた価値観は親譲りか。

 父親だけじゃなく、母親の氷鷺も大人しい顔をして浮き世離れした人間だったからな。

 三人が並んだ光景を思い浮かべて、少し可笑しくなった。

 もう還らない日々だとわかっていても。


『妖様』


 ──相応の報いはした。

 それなのに、どうして胸は晴れないのか。


「お~にのほっぺは……わっ、本当に冷たいね!」


 はしゃぎながら頬を合わせてくるなづきに口許が緩む。

 温かい滑らかな肌。

 子供特有の匂いと触感。

 腕の中の羽根のように軽い体を抱え直して、遠くに見え始めた古びた小屋に目を向けた。


「なづき、見えるか?」


 私の声に顔を前に向ける。


「あそこに用事があるの?」

「そうだ」


 「ふぅん」と呟きながら、ジッと小屋を見つめるなづき。


「……何だかおっかないお家だね。何かいるの?」


 ──やはり勘が鋭い。

 人間にとって古びた小屋はただでさえ気味が悪いだろうが、なづきは余りそういった類は恐がらない。

 そのなづきが“おっかない”と言った理由は、恐らくあの小屋が纏う妖気。


「ああ。蜘蛛(くも)だ」

「蜘蛛?」

八束脛(やつかけい)、土蜘蛛、大蜘蛛……呼び方は色々あるが、要するに……」

「でっかい蜘蛛?」

「そうだ」


 目を輝かせるなづきに、やはりズレているなと確信する。

 でかい蜘蛛など、普通は気持ち悪がるだろうに。


「因みに顔は鬼、胴体は虎、そして長い蜘蛛の足を持つ老婆の姿だ」

「わぁ、何か凄いね!」


 「虎って何?」と身を乗り出して先に駆けて行こうとするなづきを止めようとするが、油断していた為うっかり手を離してしまった。


「なづき、」

「先に行くね、静さん!」


 ……今度、躾というものをしなければ。

 そんな事を思いながら足早に小屋の戸を開ければ、薄暗い室内一面に張り巡らされた巨大な蜘蛛の巣が目に入る。

 ……なづきは何処だ?

 辺りを見渡せば、不意に目の前にブランと何か小さな塊が垂れてきた。


「……捕まっちゃった」

「…………」


 逆様になった探し人を引きずり下ろせば、キィ──と奥で何かが軋む音がした。

 蜘蛛の巣だらけの薄暗い部屋。

 あちらこちらにある心許ない蝋燭の灯り。


「これは珍しいお客さんだねェ……」


 しわがれた老婆の声に、私は小さく会釈をした。


比重婆(ひえばあ)。人の子の着物を依頼したい」


 赤い目がゆっくりと此方を向いて笑った。


「そうかい、そうかい……。まぁ、ゆっくりして行きな……」




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