四 新月の夜に
夜は好きだ。
鬼である前に妖である私は、そもそも闇に住まう生き物であるから当然といえば当然だが。
それでも夜が好きだと更に言うのは、闇と一体化したかのように溶け込むこの感覚と、頬を撫でる冷えた風が好きだからだ。
逢魔が時、という言葉がある。
昼と夜の境目の時間。
橙色のその世界は、人と妖の世界が交わる時でもあるからそう呼ばれている。
故に、人間達は帰路を急ぎ夜に備える。
夜目の利かない彼等は昼に活動し夜は眠る。
それは人であるなづきも同じであった。
先程までぐっすりと眠っていたなづきは、もう眠くなったのか丑の刻には既に限界とでもいうようにフラフラと歩き、意識は朦朧としていた。
確かに既に人間ならば眠っている時間。
しかし、それでも尚も私の後ろで歩き続けているなづきを私は訝しげに振り返った。
「なづき。今は人の時間じゃない。大人しく寝ていろ」
ブンブンと頭を振る。
「……なづき」
「嫌。眠くないもん。寝ない」
反抗的な目で見上げるなづきは何処か意地らしく、明らかに嘘だとわかったが私は「そうか」と返しまた前方に目を向けた。
そのまま何事もなかったかのように歩く。
……が、背後で心許ない足取りで懸命に付いて来るなづきに、先に音を上げたのは私だった。
「いい加減にしろ」
思わず厳しい言葉が出る。
そんな私に一瞬びくりと体を震わせるも、すぐに生意気な目で見返してくる。
「眠くないってば!」
声を荒げて反抗するなづき。
「眠い」だの「眠くない」だのの押し問答を繰り広げている内に段々と私も語気が荒くなる。
「フラフラしながら眠くないだと? 駄々をこねるのもいい加減にしろと言っているんだ」
「駄々なんてこねてない。子供扱いしないで!」
「子供だろう」
「だけど、駄々こねる程子供じゃないもん!」
「ふん、現に目の前でこねているだろう。お前は人だ。私に合わせるのは勝手だが、死んでも知らんぞ」
「死なない! 静さんは黙ってて!」
──しん、と静寂が訪れる。
私となづきの声に一時息を潜めていた生き物達の声が、ぽつりぽつりと、様子を伺うように一匹、また一匹と控え目に音を奏で出した。
そしてやがて大合唱が始まった頃に、私は囁くように言葉を吐いた。
「──勝手にしろ」
くるりと背を向ける。
すると安堵したように小さく息を吐く背後の気配に、私は密かに溜息を吐いた。
──馬鹿な娘だ。
黙々と歩き続ける事、一刻程。
間もなく日の出だな、と心の内で呟く。
そして横目で背後を見遣った。
そこには、ボロボロになりながらも尚も懸命に付いて来るなづきの姿があった。
それもそうだろう。
私が歩く道は道なき道。
目の前に飛び出す小枝をパキパキと折りながら進み続ける。
今日は新月。
月明かりさえない闇夜の世界。
恐らく人の子であるなづきの目には足元さえしっかり見えていない。
時折転びながらもただ黙って付いて来る。
不規則な足音と荒い息遣いが静かな空間に響く中、私は不意に嗅覚が捉えた臭いに再度背後を盗み見た。
土の臭いに混じって微かに臭う。
目を細めてなづきの足を見れば、裸足の足は見るも無惨な姿になったいた。
──血の臭い。
そのままなづきの表情を見る。
この暗闇の中──否、恐らく昼間でも気付かないだろう。
私が見ている事に全く気付かず、懸命に歩き続けるその表情は真剣そのもの。
痛いだの苦しいだのを一切顔に出さずにただ私の背を追い掛けるその姿に、親鳥を追う雛の姿が重なって見えた。
そして、夜が明ける。
──一言、「待って」と言えばいいものを。
私はそっとその場に跪くと、目の前に横たわる小さな体を抱き上げた。
なづきが慌てて飛び起きたのは、太陽が既に空の天辺に昇った頃。
キョロキョロと不安げな面持ちで辺りを見渡すなづきに「起きたか」と声を掛ければ、一瞬目を瞬かせた後、泣きそうな顔で駆け寄って来た。
胸に飛び込んで来た羽根のように軽い体を驚きつつも受け止める。
足を見れば、乾いた土と固まった血でぐちゃぐちゃだった。
「おはよう、静さん!」
心底嬉しそうなその笑顔に、私はただ黙って栗色の髪を撫でた。
──間抜けた顔だ。