桜の下には
大学時代を綴ったエッセイのような物語です。
梅は誰に言われず
ひっそりと咲き
やがて、ひっそりと枯れていった。
それと入れ替わる様に
煌びやかな薄紅を塗った
春のお嬢さんが
気前良く愛想をばら撒く。
『三寒四温』
冬のダッフルコートと
薄生地のトレンチコート
どちらも両手に抱えて
迷い続ける日々が
またやって来た。
薄桃色した花たちは
狂う様に咲き誇り
人々の歩みを僅かに止める
何を隠そう私も立派なそのひとりだ。
だが、狂い咲き桜の
受け取り方なんてのは
人それぞれに違う
ある人は、
夜桜が一番美しいと言い
ある人物にとっては
花より団子であり
またある者は、
桜の木の下には死体が埋まっている
といった。
私は彼女をあまり好きではない
でも気にならないと言えば
それはただの嘘になる
横目で通り過ぎている
次の瞬間には
それに見惚れてしまっている
認めざるを得ないのかもしれない
彼女を嫌っていながらも
心の底から愛している、と。
七部咲きの春
私はくしゃみひとつに
冬のダッフルを抱えて
ローカルバスに乗り込んだ
時刻は午後の3時丁度
大学からの帰り道
最寄りの駅からすんなりと
バスに乗れたことに感謝する。
乗客は疎らだ。
幼稚園の子どもがふたり
その母親は井戸端会議に
勤しんでいる。
お年寄りが数人こっくりと
微かな寝息を立てていた。
私の定位置は
前から数えて三番目
右端の狭っ苦しい席
この席じゃないと落ち着かない
前と後ろに誰も座らなければ
なお可、だ。
しかし、そんな我儘が
殆ど通されることはない。
この日も当たり前の様に
後ろにお爺さんが腰掛け
バスは静かに発車した。
私は早速イヤフォンで
耳を塞ぐ
窓の外を見ると
眠気を誘う様な暖かい日差し
頭を座席に委ね
そっと目を閉じた。
私の住む町は
駅にその名が入るような
学園都市である。
ロータリーから出発するバスは
とある大学のグランド横を通り抜け、
そして大学の正門を通り過ぎる
そのまま住宅街へーー
そこでバスが止まった
私は目を開けた
バスは学園の正門前で
ストップしていたのである
見ると停車ボタンが赤く光る。
駅から歩いて約5分
このバス停を使う者は珍しい
『学園南正門前、
学園南正門前です。
お降りの方
いらっしゃいませんかー?』
運転手の間伸びした
呼びかけにも関わらず
それに答えるものも
バスを降りようとする
人の気配さえなかった
彼は首を傾げた。
きっと、子どもの悪戯だろう
皆そういう結論に
いたっているようだった
しかし、母親は知らんぷり
気まずい雰囲気がバスに流れた
運転手は頭を掻き
『失礼しました』
と気のいい返事と共に
バスを再び発進させた。
私は学園の正門へと続く
美しい桜の並木道がみられて
得をした気分になった
しかし、次の日もまた同じ時刻
バスはあのバス停で止まった
誰も降りるものはいなかった。
その日も幼稚園児は
何人も乗っていた
きっと、その中の誰かが
誤って押してしまったのだろうか。
運転手はイライラした様に
いがらっぽい咳をした
どうやら、昨日の者とは違い
無駄な事が嫌いな性格らしい。
私は耳から耳へと
音楽を流しながら
欠伸をひとつ
明日のことを考えて
座席に深く凭れかかった
そして、3日目
私は一番後ろの座席に
一人で腰掛けた
午後3時丁度のバス
春休みが始まったのか
幼稚園児の姿はなかった。
客は何時もの様に疎らだ
私のいつもの定位置、
その後ろには男がひとり
相席に若い女がふたり
こっくり眠りにつく者が数人
今日はイヤフォンはつけなかった
見落としたくはなかった
恐らくはそうだろうと思った。
バスは今日も停まった
誰も降りない停留所
扉が開き、そして静かに閉じた。
バスは発車する
その間も桜は咲き誇る
恐らく、もうすぐ
散りゆくことを
彼女達は知っているのだろう。
桜の木の下には
死体が埋まっている
梶井基次郎はそんな妄想に
取り憑かれていた
男はきっと
桜に取り憑かれていたのだろう
バスの停車ボタンを
押していたあの男は
喰い入るように
狂い桜に魅入っていた
ほんの少しでも長く
目に写しておきたい
きっとそう考えたんだろう
学園の正門横に咲く
桜並木が良く見える場所は
バスの右座席なのだ
老人は薄ら笑いを浮かべていた
彼はこの季節を
待ち詫びていたのだ。
私達は男の我儘に
少し巻き込まれただけなのだ
運転手には気の毒だが
彼の我儘はもうしばらく
続くだろう、きっと
この桜が散りゆく
後もう少しまでは…
お花見をするのも
良いかもしれない
何となくそう思った
『夜桜を観にいこう』
友にそう声をかけよう
お酒と出店、そして団子も
持っていくのだ。
ほろ酔い気分で
月夜を見上げていると
ひとひらの花弁が
無念そうに落ちて
土へと還る
それを見つめて思うのだ
今年も春は忘れず
やって来たのだと。




