10. とりあえず未来へ
時が経つのは早いものだ。
今日は卒業式。私たちはこの高校に別れを告げ、新しい道へ進む。
ところで卒業式は立ったり座ったりの繰り返しだけど、果たしてあの動作は、演習も含めると合計何回なんだろう。数えておけばよかった。
式を終えて、友達と話しているとき、彼はやって来た。
あえてBGMを流すなら、やっぱりターミネーターのデデンデンデデンってやつだろうか。もうこの際何でもいい。スシくいねぇでもいいくらいだ。いややっぱり冷静に考えるとそれは嫌だ。
「沢井さん」
何度も聞いたのに未だ爽やかさを感じさせる声。
「夏川くん」
相変わらず上から下までイケメンだ。かっこいい。
「話がしたくて……」
私の周りにいる友人に気を遣ったのか、ちょっと申し訳なさそうな顔をした。
「私たち、ここで待ってるから」
「うん。じゃあちょっと行ってくる」
つい先ほどまでキャッキャッ笑っていた私は、夏川くんに呼び出されたことで、真面目な顔になっていた。
キリリと凛々しい表情は、写真を撮ったら、私の人生において上位に入るほどのかっこいい瞬間かもしれない。
「沢井さん」
「はい」
「もうわかってるだろうけど……正直に俺の気持ちを伝えるよ」
とうとう、このときが来たんだ。
ドキドキする胸を押さえ、夏川くんの言葉を待つ。
「俺……沢井さんに、惚れた」
リーン……ゴーン……。
祝福の鐘が鳴る。
「……本当に?」
「うん。完敗だよ」
まっすぐな眼差しが何よりも答になる。
「う、うれしい……」
ひたすら口説いて口説いて口説きまくった日々は、無駄じゃなかった。
そう思うと、涙どころか汗まで出てきそう。寒いから出ないけどね。
「だから、沢井さん」
「はい」
夏川くんは、がばりと深く頭を下げた。
「弟子入りさせて下さい!!」
そのとき私は、仏のように穏やかな表情を浮かべていただろう。
意味がわからないあまり頭の回転が止まって、無我の境地に至ったからだ。
「あの……えっ、弟子……えっ?」
しばらくして我に返った私は、やはり混乱していた。
まともに言葉が継ぐことも出来やしない。
「なんか、沢井さんについていったら、一皮むけるというか、新しい自分に気付けそうなんだ」
惚れたってそういう意味?
というかこれは、褒められているのかな。
「やっぱり沢井さんは、すごいよ。かっこいい」
うん、まあ、それには全面同意せざるを得ない。
惚れさせたには違いないし、有言実行を成したのだ。私はかっこいい。正直、客観的に見ると夏川くんよりもかっこいいだろう。
「だから、その、俺の師匠的な人になってもらえたら……」
「えっ、あ、うん」
ま、まあ、こういう始まり方の恋も、ありだよね?
うん、ありあり。
「さすが沢井さん。俺の歴代師匠の中で最年少なだけあって、決断が早いね」
「歴代師匠……え、歴代?」
その言い方だと、少なくとも二人の師匠が他にいたってことだよね。
「ええと、歴代師匠って何人いらっしゃったのかな」
「47人」
多すぎるでしょ……。一体どんな人生歩んだらそうなるの。
しかし露骨に怪訝な顔をするわけにはいかないので、話を続けた。
「ぴ、ぴったり47人なんだ」
「えっ、どちらかと言うと中途半端な数だと思うけど」
「赤穂浪士的な意味でぴったりだよ」
私の返しに、夏川くんはやたらと渋い顔で頷いた。多分その表情は「なるほどそういう意味か、盲点だったなあ」という悔しさやら感心の意味が含まれているのだろう。
「なんでそんな多いの?」
「ああ、年齢的な問題でね。引退されたんだ」
「そ、そうなんだ……」
年齢で引退? 何そのスポーツ選手みたいな引き際。かっこいい。
「あー……ちなみに、どんな人たちだったの」
私は、複雑な心持ちで聞いてみた。
何だこれ。元カノの話聞いてる気分だわ。
「職業で言うと、獣医、トリマー、ブリーダー、ドッグトレーナー、ドルフィントレーナー、調教師、飼育員……あ、あと野生動物調査員とか」
見事なほどに動物関係ばかりだ。
…………。
別に私は将来、動物関係の仕事に就く予定はないし、夏川くんと動物関係の濃い話をずっとするつもりもない。
私は、キュンとときめく恋をしたいのだ。あるいは甘酸っぱい恋だ。もしくは情熱的で激しい恋でも構わないし、ほのぼのと和む恋でもいい。
……もう一度確認しよう。
私は将来、動物関係の仕事に就く予定はないし、夏川くんと動物関係の話をずっとするつもりもない。私は恋がしたいだけ。
…………。
「あのさ、夏川くん。最後に言わせて」
「うん、何?」
「破門するね」
夏川くんは、しばらく笑顔のまま固まった後、もう一度繰り返した。
「うん、何?」
「破門」
これ以上は付き合っていられない。
私は、背を向けた。
「ま、待って!」
「ごめん夏川くん!」
引き止めようとする彼から逃げるため、走る。
けれども、なかなか諦めない夏川くんは、駆け足で追いかけてきた。
「沢井さん、待って……!」
「ごめん夏川くん……!」
私は心を鬼にして、速度を上げた。
後ろを見ると、どんどん距離が離れていく彼。
ごめん夏川くん、今まで黙っていたけど私中学のとき400メートル走選手だったの。別にこの事実が今後重要な伏線になったり驚きの展開を繰り広げるわけではないけど、今更その実力を果敢なく発揮してごめん。
もう一度振り返ってみると、彼は鬼の形相で、未だ私を追いかけていた。
その恐ろしさは、そこらのなまはげなど比べ物にならない。まさに恐怖の代名詞と言っても過言ではないほどだ。
捕まったらそれが私の最期となるだろう。
好意が憎しみに変わると、人は豹変するのだと思い知った。
「はあ……はあ……」
必死に走り、なんとか彼から逃げ切った私は、息を切らせつつ足を止めた。
携帯を見ると、着信とメッセージが数件来ている。
ま、まさか夏川くん……?
恐る恐る確認すると、電話もメールも先ほど待たせた友達からだった。
留守電は残されていないので、メッセージを開いた。
【今どこにいるの?気付いたら電話ちょうだい】
【バッファローみたいに走ってる姿を見た人がいるって聞いたんだけど、本当?】
【いつものところで待ってるから早く来てね】
「またバッファローか……」
夏川くんからバッファローのようだと言われたことを思い出しながら、ぽつりと呟いた。
あの頃が懐かしく感じる。
私がバッファローのようだと言われたのはきっと、猛牛の如く恋に一直線で素敵だね、という意味だったのだろう。
それなのに、今の私はどうだ。想い人から逃げているではないか。
夏川くんと過ごした、あの爽やかで甘酸っぱい青春の日々は、無意味だったのだろうか。
「…………」
いや、違う。
私はあれによって、貴重なスキルを手に入れ、大いなる力を蓄えたのだ。デキる女って感じだ。
断言できる。決して無駄な日々ではなかったと。
携帯電話に入っている夏川くんのアドレス。しばらくそれを見てから、消去した。
過去に囚われるなんて、私らしくない。
そう、新しい未来があるのだ。
希望に満ち溢れる明日へ向かって、歩いていこう。
私は、新たな抱負を胸に、まっすぐ前を向いた
「よーし、大学でかっこいい彼氏つくるぞー!」
夏川くん。
私、あなたとの経験を活かして、新しく出会ったイケメンを狙うことにする。
今までありがとう……!
―完―