・エピローグ
悪夢のような震災から3か月が過ぎた1923(大正12)年12月。
あの時は残暑が厳しかったが、3か月経った今では周りの景色もすっかり変わってしまい、各地から雪便りが聞こえてくるくらい寒い日が続いていた。
「…早いものね。もうあれから3か月か…」
智佐登は小高い丘の上から町を見下ろしていた。
まだあちらこちらに震災の爪痕とでもいうべき場所は残っているがそれと同じくらい、帝都・東京は復興作業が進んでいた。
あの震災の後、智佐登と真佐代は数日間避難所で生活したのち自宅に戻ったのだが、その自宅も荒れ放題荒れていたものの、何とか後片付けを済ませ、そして家の補修のほうもようやくひと段落ついたところだった。
この分だと平穏無事に新年を迎えることができそうだ。
「それにしても、あんなことがあったというのに、みんなこれだけのことができるんだから、本当人間というのは力強い生き物なのかもしれないわね」
そうしている間にもあちらこちらで建材や道具を運び込む様子が見える。
「…それにしても、あいつはどこに行ったんだろう」
そう、震災が起こってからの3か月間、智佐登は片時も忘れたことがなかったことがあった。
「あいつ」――阿那冥土のことである。
阿那冥土が智佐登の目の前から去って3か月。しかし智佐登はあの一件以来どうしても阿那冥土のことが頭から離れなかったのだ。
祖父が会ったのが60年前、父親が会ったのが18年前だと言うのに全くと言っていいほど歳を取っていないように思える姿、その姿から感じる一種異様な雰囲気。
そして智佐登が一番気になっていることは60年前の幕末、18年前の露国との戦争の講和を巡っての暴動、そして今回の震災となぜ世の中が混乱している時に現れているのか、ということだった。
いったい目的はなんなのだろうか? そして「お前たち想像もつかないくらい長い時間を生きてきている」「またお前たちの前に必ず現れる」という言葉の意味はなんなのか…
「でも、あたしにはこれがあるんだ」
智佐登の右手には祖父の代から受け継がれてきた神剣があった。
智佐登は神剣が収められた鞘を握りしめる。
「…あいつは、今度はいつ現れるんだろう。明日かもしれないし、1年後かもしれない。あるいは50年、100年後かも…。でもどんな時でも、この刀がある限り、お祖父ちゃんやお父さん、あたしの血を引き継いだものが必ずおまえを倒して見せるわ」
復興が進む帝都を見て智佐登は決意を新たにするのだった。
*
「! …そうだ、そういえば」
智佐登は着ていた羽織の袂に入れてあった手紙を取り出した。
「防人忠孝」と署名のあるそれは幾度となく智佐登が読み返した手紙だった。
「…お父さん、もうすぐ帰ってくるのよね」
智佐登たちのもとに忠孝から手紙が来たのは数日前のことだった。
それによると巴里での仕事を終えた忠孝はそこで知り合った人の紹介で、米国の紐育に1週間ほど滞在したのち、大陸横断鉄道で桑港にわたり、そこで乗船し横浜に向かう。1か月ほど時間がかかるから日本に戻ってくるのは12月の半ばくらいになる、といったことが書かれてあったのだ。
その父親も航海が順調であれば来週には帰ってくる。
「今度、横浜にお父さんを迎えに行かなきゃ。話したいこともいっぱいあるし」
父親にはあの震災と、そのあとに起こったことに関しては、話さなければいけないであろうし、すべてを話すつもりだ。
だが智佐登は7か月ぶりに父親に再会できることのほうが今は楽しみであった。
(「幕間」に続く)
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