・プロローグ
「 智佐登へ
暑い日が続いていますが、元気でやっていますか?
お父さんが今いる巴里も夏真っ盛りですが、日本と違って湿気がないこともあってカラッとした暑さです。
もうあれから3か月が経つのですね。
お父さんがどうしても調べることがあって巴里に行く、と言ったときに智佐登がとても驚いた顔をしたのは今でも覚えています。
でも最後には「お母さんのことは私に任せて」と気持ちよく送り出してくれたことは今でも感謝しています。
お父さんが今調べていることも、今一番大切な時期に差し掛かっています。
何とかひと段落を付けて年内には日本に帰ることができると思います。
それでは体に気を付けて、お母さんを大切に。
そして、「あのこと」に関してはこれからも気を付けてください。
防人忠孝」
1923(大正12)年8月。
窓際の席に腰掛け、手紙を読んでいた少女は、便箋を畳むと、それを丁寧に封筒に収め、机の引き出しにしまった。
防人智佐登、17歳。
傍から見ると可憐で活発な美少女だが、彼女は祖父から父親から続き、そして自分が受けついた「ある家系」の一人なのだ。
「…お父さんも元気にやっているようね」
智佐登がそうつぶやいた時だった。
「…智佐登、御飯よ」
部屋の扉が開き、彼女の母親である防人真佐代が呼びかけた。
「あ、はい。今行くわ」
そして智佐登は自分の部屋から茶の間に移った。
*
すでに茶の間の卓袱台の上には二人分の食事が用意してあった。
「いただきます」
そして二人は食事を始めた。
「もうお父さんが巴里へ行ってから3か月になるのね」
真佐代が話しかける。
「そうだね。最初のころはお父さんがいなくてなんか変な感じがしたけれど、もう今はすっかり慣れちゃったわね」
「…そう言えばお父さんの手紙、なんて書いてあったの?」
「ん? 年内には帰ってくることができるかもしれない、って」
3か月前、彼女の父親の忠孝は「あること」を調査するための手掛かりが巴里にある、という事を聞き、伝手を頼って仏蘭西の巴里へと旅立っていったのだ。「どうしても半年はかかる」との忠孝の話に、彼の妻の真佐代も娘の智佐登も最初は戸惑ったのだが、最後には忠孝を気持ちよく送り出したのだった。
そして、さすがに日本においてきた家族のことが気になるのか、こうして忠孝は1か月に1度は手紙を送ってくるのだった。
「そう。それじゃまた三人で食事ができるのね」
「そうだね。でもお父さんが帰ってきたら、今度は三人で食事をするのが変に感じちゃうかもしれないわね」
「そういうこと言うもんじゃありませんよ」
そう言う真佐代の目は笑っていた。
「ごちそうさま」
そして二人は食事を終えると、立ちあがった。
「あ、お母さん。あたしも手伝うわ」
「悪いわね」
「言ったでしょ? 『お父さんが留守の間はあたしがなんでもやるから』って」
「智佐登って小さいころからそうだったわね。本当に責任感が強い子だわ」
*
後片付けを終えた智佐登は自分の部屋に戻る。
そして、壁の傍らに置いてある一振りの刀を手に取り、鞘から刀を少し抜く。
彼女が普段から手入れを怠っていないこともあってか、その刀身は祖父の代から80年以上経っているというのに、新品のような輝きを見せていた。
智佐登はその刀身に映る自分の顔をじっと見つめる。
小さいころからこの刀と共に過ごしてきたこともあってか、この刀が今や自分の体の一部のような気がしてならないのだった。
それは彼女が生まれた日、父親の忠孝が自分に贈ったものだ、という話を聞いたことがある。そしてなぜ自分がこの刀を受け継いできたのか、ということも。
自分どころか父親である忠孝すら生まれていない60年近く前に自分の祖父である悌仁が出会い、そして自分が生まれる1年前に忠孝が出遭ったことについては智佐登も小さいころから聞かされていた。そしてもしかしたら自分にもそのことが起こるかもしれない。
おそらく、忠孝は一人娘、ということで彼女が「運命」を持ったことに不安を感じていたかもしれない。
しかし智佐登は自分の持って生まれた「運命」を受け入れた。
なぜならばそれが「防人」の血を持つ者として当然のことだと思ったからだ。
智佐登は刀を鞘に再び納めた。
「この刀をあたしが使うことにならなければいいんだけれど…。『アイツ』が現れなければ…。でももしそんなことがあったら、あたしが何とかしなきゃ」
そして智佐登は刀を握りしめた。
この数日後、智佐登や父親の忠孝が恐れていた事が起こるきっかけとでもいうべき「あの出来事」が起こることになる。
だがこの時にはまだ、智佐登は何も知る由がなかった。
(第1話に続く)
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