第五話 覚悟(一)
クロからの依頼は、これまで全て“大型”の魂食が絡んでいた。
本来、大型は個人では対応出来ない規模だ。だからキツネのベニから直接依頼が来ることは、ほとんどない。
大型が発生した場合、城壁へ到達するまでは魂は絶対に近付いてはいけない。
魂食は魂との融合で無に還る。だが大型は違う。
一つの魂では、無に還るどころか、ほとんど削れない。そして魂に惹きつかれて進路を変えてしまうため、防衛の対応が遅れてしまう。
クロの役割は、カラスを使った監視と観測。
この街はもちろん、城壁の外にある他の街の情報もクロが管理している。外で大型の発生を観測した時は、カラスを使って各地へ警報を鳴らす――それが本来の流れだった。
「……大型か?」
蒼はこれまでの経験から、依頼内容を予測する。
「そうだ。しかも二体だ」
「二体!?」
思わず声が上がる。
魂食は、強い怨念の残滓が魂楽界へ迷い込んだ存在。
しかし大型ともなれば、事情は少し違う。
現世で大災害が起き、多くの無念を抱えた魂が一度に発生する。選別が追いつかず、一つの大きな残滓となった存在。それが“大型”だ。
それが二体現れるほどの大災害が、現世で発生していたということ。
「何をするんだ?」
「蒼には囮になってもらう。二体を別々の場所へ誘導してもらいたい」
城壁は大型一体で大きな穴が空く。
そこへ二体目が向かえば、街は崩壊する。
「一体の誘導は、いつも通りシロに任せてある。だが二体同時は厳しい。それに……」
「何だよ」
「二体の内、一体が大き過ぎるのだ」
「なっ!?」
中型以上を全て“大型”と呼ぶが、個体差は大きい。まさにピンキリだ。
「大き過ぎる方はシロに任せる。蒼には、もう一体の大型を誘導し、確実に還して欲しい」
囮。
大型に自ら近付き、進路を変えさせ、城壁から遠ざける。
危険極まりない役目だ。
蒼は後ろの二人の気配を感じていた。
「……分かった」
短い返事。だが、そこには覚悟があった。
そのやり取りを、背後でミチルと紗羅も聞いていた。
朝の静けさは、もうどこにもなかった。
黒い羽音だけが、不吉に空を覆っていた。
「大型二体は北側に同時発生。それを二つに分断させる。蒼は北の城壁へ誘導してくれ」
「あぁ」
「北門に車と誘導灯を用意してある。ベニから受け取れ」
誘導灯は高純度の余命力で作られている。小型でも、その重量は武器の比ではない。人が持てる代物ではなく、車に固定して走らせる。
「北の城壁へ誘導できたら、いつも通り城壁前で乗り捨てろ」
「分かった」
大型は車ごと誘導灯を飲み込み、削られながら城壁へ突進する。その間、固定砲台で徹底的に削る。そうしてようやく、城壁への損害を最小限に抑えられる。
「シロはもう準備が出来ている。蒼も向かってくれ」
「あぁ」
緊急事態。こちらの事情など関係ない。
だが街を守るため――そして。
蒼は振り返る。
「紗羅、ミチル。行ってくる。留守を頼む」
作戦が失敗すれば、大型は街へ侵入する。
それが何を意味するか、紗羅は知っている。だから毎回、蒼に隠れて城壁付近まで来ていた。
(今回も来るだろうな……)
覚悟が、さらに固まる。
武器を手に家を出る。
「戻ってくるのよ」
「そーちゃん……」
「必ず戻る」
強化された脚力で駆け出す。街中では車より速い。人混みは屋根を走り、建物の隙間を跳躍で越える。
「緊急警報!! 緊急警報!! 大型魂食二体発生!! 防衛隊員は北側と北東へ集合!! 城壁外への外出は禁止!!」
クロのカラスが街中で叫ぶ。騒然とする住民たち。
やがて北門が見えた。天井に誘導灯を固定した車。そしてベニが立っている。
「これを使え、蒼」
「分かった」
言葉は最小限。それで十分だった。
車に乗り込み、北門を出る。
城壁の天端では防衛隊員が固定砲台を確認している。
――そこへ誘導する。
蒼はアクセルを踏み込んだ。
視線の先、“北側”の空が歪んでいる。
二体の大型が、迫っていた。
車体が大きく跳ねた。
整備された街道なら、運搬は他の魂でも務まるだろう。だが大型が発生するのは、決まって荒野だ。抉れた地面、浮き出た岩、砂塵。そこへ高純度の余命力を積んだ車体。重量は常軌を逸している。
「くっ! ハンドルが取られるな……!」
タイヤが軋み、車体が横滑りする。
だが蒼の感覚強化が、わずかな地面の傾斜まで拾い上げる。視界の揺れを計算に変え、強引に直進へ修正した。
その先、揺れる影。鹿の群れ――シロだ。
「蒼。すまんな」
「あぁ。状況が状況だ」
「これから鹿を使って超大型を北東へ誘導する。蒼は大型を惹きつけてくれ」
超大型。
現場で咄嗟に付けたのだろう。だが、その名は正しかった。
霧状の巨躯。輪郭は曖昧なのに、存在感だけが異様に濃い。音もなく動くはずの魂食が、ズズズ……と空気を汚すような不快音を響かせている。
「まだ結構離れているよな?」
「そうだな」
「距離感が狂うな……」
「近付き過ぎるなよ」
そう言い残し、シロは鹿の大群を率いて進路を変えた。
蹄の音が荒野を震わせ、超大型がゆっくりと北東へ引かれていく。
蒼もハンドルを切る。狙うはもう一体の大型。
「くそっ、超大型が邪魔で確認出来ないな……」
巨躯が視界を塞ぐ。
もし二体とも北東へ流れれば、作戦は瓦解する。
(近付き過ぎるなよ、か……分かってる。分かってるけど……!)
アクセルを踏み込もうとした瞬間、空に黒い影が差した。
「後ろに隠れている」
「クロか? 助かった!」
上空からの視線。カラスの群れが旋回し、蒼へ位置を伝える。
蒼は距離を保ちつつ、超大型の裏側へ回り込んだ。
霧の向こう――確かに別の魂食がいる。
「小さく見えるじゃねーか……」
比較対象が規格外なだけだ。本来なら街を壊滅させる脅威。
「油断するなよ」
「分かってる。鼓舞してるだけだ」
深呼吸。
蒼は大型へ接近する。誘導灯の光が、重く鈍く脈打つ。
反応した。
大型が、ゆらりと進路を変える。
超大型は…………反応なし。鹿の大群が突進しているのが見えた。
「よし……!」
さらに角度を調整。一定距離を保ちつつ、北へ引く。
視界の端で、超大型は鹿の群れを追い北東へ流れている。
「よし! 分断は成功だ!」
蒼の声は荒野に吸い込まれた。
二体は完全に別方向。
大型は北側へ。超大型は北東へ。
蒼はすぐにハンドルを切る。
目指すは、防衛準備の整う北の城壁。
背後で、重い気配が追ってくる。
城壁まで、あとわずか。
大型を惹きつけながら、蒼は荒野を疾走する。
バックミラー越しに揺らめく巨影。距離は保てている。だが、確実に追ってきていた。
「もうすぐだ……」
視界の先に、北の城壁が大きく迫る。
ハンドルを握る手に、自然と力がこもった。
――その瞬間。
「あっ!」
段差。
ほんのわずかな凹凸を見落とした。
車体が跳ね、重心が崩れ、次の瞬間には世界が横転していた。
轟音。衝撃。
蒼の身体は車外へ放り出される。
「ちっ!」
砂塵の中で即座に体勢を立て直す。
大型は、すぐそこだ。城壁まではあと少し。だが、固定砲台の射程外。
迷う時間は、ない。
「ハッ!」
横倒しの車の天井の誘導灯を力任せに引き剥がす。
腕にかかる凄まじい重量。
(迷ってる暇なんか、ねーよ!!)
余命力を全開に回す。筋肉が軋み、視界が研ぎ澄まされる。
蒼は誘導灯を抱え、城壁へ向かって走った。
・・・・・・
「ハァ……ハァ……!」
肺が焼ける。脚が悲鳴を上げる。
だが止まらない。
「ドンッ!!」
背後で砲声が響いた。
「あっ……!」
固定砲台の射程圏内に入ったのだ。
「よし、仕上げだ」
蒼は城壁前に誘導灯を放り投げ、即座に方向転換。
北門へ。
街へ入れば、任務完了。
「もう、少し……」
車から投げ出されてからの記憶は曖昧だ。ただ無我夢中で走った。
だが胸に浮かぶのは、紗羅とミチルの顔。
「ドンッ! ドンッ!」
砲撃が大型を削る。
もはや蒼へ進路を変えることはない。
蒼は北門をくぐった。
「そーちゃーん!」
次の瞬間、小さな身体が胸に飛び込んでくる。ミチルだ。
その向こうで、紗羅が涙を流していた。
「戻って来れた、な……」
ミチルの感情が流れ込む。
どれほど不安で、どれほど祈っていたのか。言葉にせずとも伝わった。
「ここは危ない。離れるぞ」
背後では砲撃が続く。
やがて――
「ドーンッ!!」
衝撃波が街を揺らした。
城壁に風穴が空く。
そして、大型魂食は完全に無へと還っていた。
「終わったな……」
安堵が身体を緩める。
そのとき、一羽のカラスが舞い降りた。
(作戦完了の報告だな)
そう思い、蒼は顔を上げる。
「蒼。シロの元へ向かってくれ」
「……は?」
予想外の言葉。
胸の奥に、あの不気味な存在感が蘇る。
超大型。
霧のようで、底の見えない闇。
蒼はゆっくりと城壁の外へ視線を向けた。
安堵は、まだ早い。
戦いは――終わっていなかった。




