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第三話 城壁

 ミチルが、不安そうに蒼と紗羅の顔を見比べる。

 現象としての謎は残る。だが紗羅は、ミチルの言動が五歳児そのものであることに、ひとまず納得しているようだった。

「ふぅ。まぁ、魂楽界のことなんて、二年経っても分からないことはあるわよね」

「俺の特異体質だって、よく分からないんだ」

「そうね」

 あっさりと受け入れる二人を、ミチルは首を傾げながら見ている。

 やがて紗羅は立ち上がり、ミチルの前へ歩み寄った。

「私は紗羅よ。ミチル、よろしくね」

 差し出された手。

「ミ、ミチル、です。よろしく、です」

 恐る恐る握り返す小さな手。紗羅が満面の笑みを向けると、ミチルもつられて笑顔になった。

 午後の予定を考えていると、紗羅が一枚の紙を蒼に差し出す。

「城壁の修復の依頼があったわよ」

 蒼は紙に目を落とす。

 城壁は余命力を込められた物質で出来ている。その力に惹かれ、“魂食”は本能のまま突進し、触れた瞬間に消滅する。城壁そのものが魂食を引き寄せ、無に還す――街最大の防衛設備だ。

 固定砲台もあり、狙って撃つだけなら普通の魂でも扱える。ただし重く、標準を定めるのが難しいのが難点だった。

「城壁の修復って、中型でも突進してきたのか?」

「みたいね」

 二人の会話についていけず、ミチルは退屈そうに足を揺らしている。

「報酬は1Dコインか。悪くないな」

「そうね。早く行かないと、あんたの作業なくなっちゃうわよ」

 蒼はミチルを見る。

「ミチルはどうする?」

「どうするって、施設に預けるんでしょ?」

「イヤッ! そーちゃんと一緒がいいの」

 話が理解できた途端、強い拒否。

「ここで留守番するか?」

 紗羅が険しい顔をする。

「私も仕事があるんだけど」

 蒼はミチルの目を真っ直ぐ見た。

「俺の言うこと聞けるか? ミチル」

「うんっ! きくきく」

 元気な返事。

 蒼は大きくため息をつく。

「俺は仕事をしに行く。邪魔しないで、大人しくしてるんだぞ」

「分かった」

 即答だった。

 蒼は零命剣と零命銃を装備し、ミチルを連れて城壁へ向かう準備をする。

 紗羅は机に向かいながらも、ちらりと二人を見る。

「無茶しないでよ」

「ああ」

 短いやり取りを残し、蒼とミチルは家を後にした。


 道中、ミチルは露店の看板や行き交う魂、石畳の模様にまでいちいち目を輝かせていた。

 あれなに? これなに? と、言葉に出さなくても全身で興味を示している。

(俺が五歳の頃って、あんなだったか……?)

 蒼はふと、自分の幼い頃を思い返す。

 記憶の中の自分は、もっと静かで、もっと遠巻きに世界を見ていた気がする。

(無関心だったのか……それとも)

 生前、友達は多い方ではなかった。群れるのが嫌いだったわけじゃない。ただ、自然と距離を取っていた。

 困っている人を見れば、身体が勝手に動く。だが集団の中に入ると、なぜか視界が狭くなる気がしていた。

 ――一人の方が、よく見える。

 そんな理屈を言葉にした覚えはないが、無意識のうちにそう選んで生きてきたのだろう。

「ミチル。あまり離れるなよ」

「は〜い」

 トットットッと軽い足音が近づき、小さな手が蒼の指をぎゅっと握る。

 その瞬間、微かな温もりが魂に伝わった。

(……やっぱり)

 一度、ミチルの魂に余命力を流し込んだ影響か。ただ触れているだけで、確かな“繋がり”を感じる。

 細い糸のように、それでいて切れない何かが、二人の間に通っている。

(悪くは、ないな)

 目的の城壁は住宅地区から近く、ミチルの歩幅でも三十分ほどで到着した。

 高くそびえる壁の一角に、小さな穴が空いている。

 作業員たちが余命力を込めたレンガを積み直していた。見た目は普通のレンガだが、一人では持てないほど重い。二人一組で慎重に運んでいる。

「蒼! 来てくれたんだな。助かるよ!」

「俺も今月ピンチでな。仕事があって助かった」

 軽口を交わすと、作業員の視線がミチルへ移る。

「紗羅ちゃん……じゃないな。新しい彼女か?」

「新しくも古くも、元から彼女はいない」

「わ、わたしはミチル。じゃま、しないよ」

 蒼の言葉を思い出したのか、必死に付け足す。その様子に作業員が苦笑した。

「作業中、この辺で待たせてもいいか?」

「俺たちは構わんが、退屈だろ。あっちに施設の子どもたちが見学に来てる。あそこで一緒にいればどうだ?」

 指差された先には、見知った職員の姿があった。

「ミチル。あそこで待てるか?」

「……置いていかない?」

「あぁ、置いていかない」

 少しの沈黙のあと、ミチルは小さくうなずく。

「じゃ、あそこでまってる」

 二人で施設の輪へ向かっていく。蒼は施設の職員に事情を説明し、ミチルをお願いした。そして、穴の空いた城壁を前に、ふっと息を吐いた。

 口では隣がいいと言いながら、子どもたちの中に混ざる姿はやはり年相応だ。

(……やっぱり、子どもなんだな)

 そう思いながらも、蒼の胸の奥には、ほんの少しだけ子どもを持つ親の感情が芽生えていた。


 高くそびえ立つ城壁は、およそ三十メートル。以前シロがそう言っていたのを思い出す。城壁の管理も任されている彼の言葉だから、間違いはないだろう。

「低い位置で助かったな」

 蒼が穴の空いた箇所を見上げると、隣の作業員が頷いた。

「あぁ。重機を使う高さだと、その分報酬が減るからな」

「だから今回は割がいいのか」

「そういうこと。人手を増やしてもまだ余裕がある。ボーナスも出せるかもな」

 ボーナス――その単語に、蒼の脳裏に紗羅の顔が浮かぶ。

(たまには、あいつも喜ばせないとな)

 口うるさいが、支えてくれているのは事実だ。

「よし。俺は何をすればいい?」

「レンガ運びが一番きつい。そこを頼めるか?」

「任せろ」

 役割が決まった瞬間から、蒼の動きは別次元だった。

 余命力で強化された身体が、重いレンガを軽々と持ち上げる。普通なら二人がかりで運ぶ一つを、蒼は一人で二つ抱え、しかも速度は落ちない。

 四倍の量を、二倍の速さで。

 単純計算で、八人分。

「……相変わらず規格外だな」

 呆れ半分、尊敬半分の声が背中に飛ぶ。

 そのとき、遠くから元気な声が響いた。

「そーちゃーん! がんばってー!」

 振り向けば、施設の子どもたちに混ざったミチルが、両手をぶんぶん振っている。

(楽しそうだな)

 蒼は片手を上げて応えた。そんな余裕すらある。

 昼過ぎから始めた作業は約四時間。だが蒼の働きは、実質三十二時間分に匹敵した。

「蒼、お疲れさん。やっぱり凄いな」

「いや。指示が的確だったからだ」

「ははっ、謙遜するな。ボーナスも入れておいたぞ」

 手渡された袋は、ずしりと重い。

 硬貨の重さ以上に、余命の重みが加算されているように感じた。

「ありがとう」

 これで、しばらくは生きていける。

 大勢と息を合わせ、街を守る一部として働く。

 それは確かに、“生きている”実感を与えてくれた。

「そーちゃーん!」

 次の瞬間、ミチルが駆け寄ってくる。その勢いに思わず膝をつきそうになりながら受け止めると、不思議と疲労が吹き飛んだ。

「ミチルのこと、ありがとう」

 施設の職員に頭を下げ、蒼は告げる。

「ミチルは、うちで一緒に暮らすことにしました」

「あら、そうなのね。分かったわ、蒼ちゃん」

 ミチルは嬉しさを隠しきれず、蒼の手を握ってぶんぶん振り回している。

 そのとき、遠くからこちらへ歩いてくる影があった。

「あ、紗羅だ!」

 見つけた瞬間、ミチルはぱっと手を離し、一直線に走り出す。

「前世は犬か?」

 蒼が呟くと、隣で施設の職員がくすりと笑った。

「懐かれてるわね」

 無邪気に駆け回るその姿は、なぜか周囲の視線を自然と惹きつける。

 魂楽界の空気の中で、ミチルだけがひときわ鮮やかに輝いているようだった。

 蒼はその背中を見つめながら、静かに思う。

(守るものができるってのも……悪くないな)

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