第一話 魂楽界(一)
蒼と紗羅は、街外れまで歩いていた。
目の前に広がるのは、巨大な城壁。
一つの街を丸ごと囲うその壁の上には、固定砲台が等間隔に並び、無機質な威圧感を放っている。
城門の影から、見慣れた男が近づいてきた。
「蒼。それに紗羅。今日も外回りか?」
「あぁ。また出たらしいからな。消しに行く」
「“魂食”か?」
「そうなのよ。私たちは掃除屋じゃないわよ。まったく……」
紗羅の文句が始まる。
腕を組み、苛立たしげに足を鳴らす姿は年相応だが、その目は妙に落ち着いていた。
蒼は苦笑しながら城壁を見上げる。
この世界――“魂楽界”。
死後の世界だと知った日のことを、ふと思い出す。
――あの日は、何も分からなかった。
* * *
気が付けば、蒼は見知らぬ場所に立っていた。
空は淡く光り、地面はどこまでも続いている。
(……ここ、どこだ?)
隣を見ると、少女が一人。
蒼と同じように戸惑った顔で周囲を見回している。
「あ、あんた……」
(知り合い、だったか?)
記憶が曖昧だ。
その時、前方から一匹の白鹿が歩いてきた。
静かに、ゆっくりと。
「鹿……?」
「鹿、ね」
二人の声が重なる。
白鹿は立ち止まり、じっとこちらを見つめた。
そして、口を開く。
「ここは“魂楽界”。死後の世界だ」
一瞬、時間が止まった。
(鹿が喋った!?)
(それより、死後の世界!?)
「死後の世界って……俺は、死んだのか?」
「あんた、覚えてないの?」
隣の少女が、静かに言う。
「私とあんた、同じ事故で……」
そこで言葉を切り、視線を逸らした。
「……死んだってことよね?」
「そういうことになるな」
白鹿が淡々と頷く。
理解が追いつかない。
だが、否定できる材料もない。
「死んだ……?」
口に出した途端、現実味が増した。
心臓の鼓動もない。
痛みもない。
それでも、確かに“意識”はある。
隣の少女――紗羅は、不思議と落ち着いていた。
蒼だけが、立ち尽くす。
死んだ。
その事実だけが、重く沈んでいく。
そして白鹿は、もう一つだけ告げた。
「安心しろ。ここでは、すぐに消えることはない」
その意味を、この時の蒼は知らなかった。
* * *
「蒼? ぼーっとしてるわよ」
紗羅の声で、現実に引き戻される。
城門が開く。
外には、薄暗い荒野が広がっていた。
「あぁ、悪い。行くか」
「さっさと終わらせるわよ」
二人は城壁の外へと踏み出す。
死後の世界での“日常”が、今日も始まる。
城壁の外は、どこまでも続く荒野だった。
乾いた風が吹き抜け、砂塵が舞う。
魂楽界にはいくつもの街があり、そのすべてが巨大な城壁に囲われている。
そして――魂楽界そのものも、ひとつではない。
幾つもの“魂楽界”が存在し、それぞれが微妙に違う世界の理を持つ。
別の魂楽界へ渡ることは、国境を越えるに等しい。
だが蒼は、他所の世界に興味はなかった。
「紗羅。どの辺だ?」
「ちょっと待ってて」
紗羅は上品そうな鞄からノートと地図を取り出す。
事前に書き込んでいた印を指でなぞり、現在地と照らし合わせる。
「あの岩陰付近よ。反応はそこ」
「了解」
蒼は上着の内側から銃を抜いた。
足音を殺し、慎重に岩陰へと回り込む。
――いた。
黒い霧状の塊が、ゆらりと宙に浮いている。
「中型の魂食。対象確認」
魂食。
魂楽界に選ばれなかった魂の残滓。
強い怨念を抱えたそれは、稀にこの世界へ迷い込み、他の魂と融合し“無”へ還ろうとする。
怨念の強さで大きさが変わり、小型・中型・大型と危険度が上がる。
触れられた魂は――最悪、消える。
「パンッ、パンッ」
乾いた銃声が荒野に響く。
弾丸は霧を貫き、黒い塊を削った。
だが消えない。
魂食は本能のまま、蒼へ一直線に突進してくる。
「……来るか」
蒼は銃を下げ、腰の剣に手をかけた。
距離、三歩。
黒い霧が目前に迫る。
「ハッ!」
一閃。
白刃が霧を裂き、魂食は真っ二つに割れた。
断末魔もなく、黒は粒子となって散り――消える。
静寂。
「やったわね」
岩陰から、ひょこっと紗羅が顔を出す。
「中型一体かぁ。報酬、10Dコインくらいは欲しいわよね」
「そんなに貰えねーよ」
蒼は剣を軽く振り、残滓を払う。
「弾丸の補填と、剣の補修費もある。差し引いたら大した額にならない」
「分かってるわよ! だから金欠だって言ってるの!」
紗羅は頬を膨らませる。
戦闘直後とは思えない軽口。
だが一歩間違えば、消えていたかもしれない。
「帰るぞ。今日はもう出ないだろ」
「ちゃんと確認しなさいよね!」
先に歩き出す蒼の背を、紗羅が文句を言いながら追う。
遠くに見える城壁。
守られた街と、無防備な荒野。
死後の世界であっても、危険は日常の隣にある。
それでも二人は歩く。
消えないために。
そして――生きるために。
魂楽界に来た魂は、例外なく“余命力”を宿している。
本来なら現世で生きるはずだった時間。
使われることなく途切れたその“余白”が、力となって魂に残る。
若くして命を落とした魂ほど、その量は多い。
余命力を解放すれば、身体能力は飛躍的に高まり、常識を超える力を得られる。
使う量に比例して、その力は際限なく膨れ上がる。
――だが、それは決して無尽蔵ではない。
城壁が目前に迫った、その時だった。
「何、あれ?」
紗羅が空を指差す。
街の上空を、何かが高速で旋回していた。
「……魂か?」
蒼は目を凝らす。
風を裂き、城壁沿いを周回する影。
「おい!! 何やってんだ! すぐ降りろ!!」
叫びに、空の影が笑う。
「何だよ。せっかくスゲー力を手に入れたのに、使わないの勿体ないじゃん!」
飛んでいたのは、蒼と同じくらいの年頃の少年だった。
余命力を全開にしているのか、常軌を逸した速度だ。
「バカヤロー!! 余命力は無限じゃないんだぞ!!」
蒼の声は、届かない。
その瞬間だった。
急激に速度が落ちる。
高度も、みるみる下がっていく。
蒼の視界に映ったその姿は――
皺だらけの、老人だった。
さきほどまでの若者の面影はない。
判断力を失った身体は体勢を立て直せず、そのまま地面へと落下した。
鈍い音。
駆け寄った時には、もう遅い。
輪郭が崩れ、粒子となってほどけていく。
蒼と紗羅は、ただ立ち尽くすしかなかった。
「無駄に……使いやがって」
蒼が吐き捨てる。
紗羅は自分の身体を強く抱きしめ、小さく震えた。
「……バカね」
街の方から野次馬が集まってくる。
ざわめきの中、誰かの声が耳に残った。
「消えちゃった……」
その言葉が、蒼の胸に重く沈んだままだった。
街に入ってから、紗羅がぼそりと呟く。
「あんなバカなこと、あんたはしないでよ?」
「するかよ」
蒼は即答した。
二人は顔を見合わせることもなく、依頼主のもとへ向かった。
依頼主の建物へ向かう途中だった。
蒼は、ふと建物の陰に視線を感じる。
(……少女?)
物陰から、こちらを覗く小さな顔。
蒼と同じくらいの年頃に見えるが、その仕草はどこか幼い。かくれんぼでもしているかのように、壁から半分だけ顔を出している。
(知り合い、だったか……?)
「君、何か用?」
「っ!?」
声をかけた瞬間、少女は弾かれたように駆け出した。
その先は――車道。
ちょうど、車が走ってくる。
「危ない!!」
考えるより先に、身体が動いていた。
似た光景を、どこかで見たような既視感。だが今は振り返らない。
「キャッ!」
少女の魂が、眩い光を放つ。
視界が白く染まり――
「ドンッ!!」
鈍い衝撃音。
蒼が目を開けた時、そこに横たわっていたのは――
(子ども……?)
五歳ほどの幼い魂。
先ほどの少女の姿はない。
車は避けようと急ハンドルを切り、スリップして建物へ突っ込んでいる。周囲は騒然としていた。
幼い魂は深く傷つき、輪郭が崩れかけている。
「おい!! 聞こえるか? 余命力を使って回復しろ!」
反応はない。
幼い魂にとって、力の扱いは難しい。まして意識がなければ――。
蒼は迷わず、その小さな身体を抱き上げた。
「……戻って、来い」
手を重ね、余命力を流し込む。
淡い光が溢れ、傷ついた魂を包み込む。
崩れた輪郭が、少しずつ元の形へと修復されていく。
「蒼!! あんた……!」
駆け寄ってきた紗羅が、息を呑む。
光が収まった時、子どもの魂は安定していた。
そして――
蒼の顔つきが、わずかに変わっていた。
少年の面影に、微かな大人びた影が差す。
「どれくらい、使ったの?」
「……たぶん、二年くらい」
軽く答えるが、その代償は確かに刻まれている。
蒼は、自身の余命二年分を削ったのだ。
腕の中で眠る子どもの穏やかな表情を見つめ、蒼は小さく息を吐く。
「……間に合って、よかった」
安堵の笑み。
その横顔を見つめながら、紗羅は何も言えずに唇を噛みしめた。




