第7譜「白金の名人」
第一章で2ヶ月しか経ってないってマ?
〔一〕
5月29日。名人戦第五局前日。僕は憂いを帯びながら、新幹線で目的地の京都に向かっている。何故憂いを帯びているのかって?それは———。
「京都楽しみだねー!お兄ちゃん!」
「私まで来て良かったのでしょうか......」
僕の席の両隣に座ってる桜と陽咲のことであった。2人は名人戦第五局の大盤解説会に聞き手として参加するために僕と一緒に来ている。桜は女流タイトルホルダーだからまだ分かるが、まだ奨励会員の、しかも女流棋戦には一切参加していない1級の陽咲が何故一緒に来ているのかというと、「僕の弟子」という宣伝効果に対する期待と、陽咲の勉強のためなんだそうだ。そう武藤会長には聞かされている。この状況は異例中の異例であり、ただの奨励会員が大盤解説会の聞き手を担うというのはあり得ないことであった。
「桜はともかく、陽咲はまぁ、胸を借りる気持ちで棋士の方々と交流をしてくれれば良いよ」
今回の立会人は武藤会長。大盤解説会の解説者は神内 智之九段、吉谷 徹郎八段、永井 達也八段の3人だ。今期A級の3人が大集合という豪華仕様であり、今回の京都対局は相当本気であることが伝わる。それは聞き手も同様で、聞き手が桜、陽咲、千秋さんの3人だ。桜は女流三冠、千秋は若手でもトップクラスのクイーン三冠にして今期撫子挑戦者、陽咲は僕の弟子、という採用理由だろう。
「が、頑張ります......!」
「僕は京都に着くまで研究しているから、着いたら教えてね」
「はーい!」
僕は持ってきた紙やデータの棋譜を取り出して広島帝位への対策を練る。今回勝てれば、名人位を防衛出来るのだから。
『次は〜京都〜京都〜』
「師匠、京都に着きますよ。棋譜を仕舞ってください」
「あぁ......分かったよ。桜、起きて」
「んあぁ〜?もう着くの?」
やれやれ、困ったものだ。
【陽咲】
「天橋の弟子の有栖川と申します!よろしくお願いします!天橋の顔に泥を塗ることの無いよう、一生懸命頑張ります!」
「君が有栖川1級か。噂はかねがね、といったところかな」
「関西でも話題になっているよ。『名人が拾った期待のホープ』だ、って」
「天橋の弟子かぁ......アイツに良い影響があればいいんだがねぇ」
私は明日からお世話になる神内九段、吉谷八段、永井八段にご挨拶をしている。隣には桜さんと望月女流六段がいる。
「今日のところは6人で将棋を指そうか。互いに得るものもあるだろうし」
『はい!』
私たちは将棋を指す。反省点を挙げて、改善方法を見い出して、再度将棋を指す。私たちは将棋が好き。そんな生き物なんだ。
〔二〕
5月30日。名人戦第五局1日目。会場の下座に広島帝位が入った約7分後、僕が上座に入る。立会人は武藤会長。
「定刻になりましたので、天橋名人の先手番でお願いします」
『お願いします』
さて、どう動こうか。僕は初手で2六歩と指す。広島帝位は3四歩と返す。僕は7六歩と指し、広島帝位は8四歩と返す。さて、ここからどうするか。———とりあえず。
『飛車先を伸ばさせていただきます』
『だったら俺も』
飛車先を伸ばし、互いに角を金で守る。......ふむ、とりあえず、飛車先の歩を先に排除しておこうかな。
『早速行かせてもらいます』
『なんだと!?』
僕は2四歩と指し、相手の角頭に歩を伸ばす。広島帝位は同歩と返し、僕は同飛車と指す。広島帝位も反撃するように8六歩と返し、同歩と指す。当然広島帝位は同飛車と返す。......そうだな。横歩取りとかやってみようかな。
『今回は横歩取りに行かせていただきます』
『......そう来るか』
少し時間を使った後に、僕は3四飛車と指し、角の守りの金を狙う形で飛車を移動させる。広島帝位はそれを阻止するために3三角と返す。......桂を展開してみるか。
『これはどうですか?』
『......面倒だな』
▲5八玉、△5二玉、▲3六歩、△4二銀、▲3七桂と指していく。ここからは飛車の位置が重要になる。注意しなくては。
『その飛車は退かせてもらおうか』
『面倒ですね』
広島帝位が2三金と返す。僕は3五飛車と指して飛車を戻す。その数手後、2五に逃した飛車を捉える形で2四金と指したため、僕は2九飛車と指す。その後、広島帝位は角交換を行ってきたため、それに乗ることにする。
『さぁ、この攻撃を捌き切れるかな?』
『......貴方は本当に面倒な敵だ』
2筋・3筋・4筋での攻防戦。その結果得たのは金銀1枚桂2枚。広島帝位も金銀を1枚得ており、盤には広島帝位の馬が出来ている。56手目のこのタイミングで1日目終了となり、僕が封じ手を書くことにした。非常に難解な局面であり、どのように指すか悩む。......いや、閃いた。この手なら面白い展開になりそうだ。残り持ち時間は、僕が4時間52分、広島帝位が4時間07分であった。
〔三〕【陽咲】
名人戦第五局1日目が終わった。私は「天橋 夜空名人の弟子」としての責務を全うすることが出来た。「ただの奨励会員」という評価を覆すために、神内九段や吉谷八段、永井八段のもたらす変化に食らいつき、逆に私からも変化を作ってみると、3人の目つきが変わり、更に課題を与えてきた。その課題にも応えた私はギャラリーから感嘆の声を浴び、「ただの奨励会員」という評価から脱したのだと感じた。今は夕食を私、桜さん、望月女流六段、神内九段、吉谷八段、永井八段の6人で食べていた。
「望月や天橋妹もそうだが、一番驚いたのは有栖川の食らいつきっぷりだったな」
「師匠が師匠なら弟子も弟子だったな。今後の3人の活躍に期待だな」
「明日も期待しているよ」
『はいっ!』
私たちはご飯を食べ終わると、この先の局面の検討を始める。
「普通に考えたら———」
「そうですね。そこから———」
「後手側から考えると———」
「成る程、そうすると———」
「そうしたらこう———」
「他にはこんなのも———」
やっぱり私たちは将棋好きの集まりなんだ。朝から晩まで将棋三昧。これで良いのだ。そう思っていると、神内九段が将棋以外の言葉を発する。
「そういえば、望月、天橋妹、有栖川」
『はい?』
「天橋兄に関することなんだけど......」
神内九段は言いづらそうに、されど言わなければいけない、といった面持ちで言葉を発する。
「天橋兄は......自分を見失い始めている」
師匠が自分を......見失い始めている......?
「どういう......ことですか......?」
桜さんが先に切り出す。
「皐月くんに言われたことだったんだけどね......彼は『将棋を楽しんでいた頃の自分』を殺して『皆の望む天橋 夜空』になろうとしているとのことだよ......」
「皆の望む......天橋 夜空......?」
望月女流六段が聞き返す。
「天橋曰く、『自分は既に自分だけのモノではない。それ故に自らを殺し、多くの人間が望む自分で在るべきだ』とのことだよ」
「それって......つまり......」
「名人になったのを境に、『タイトルホルダーとして、将棋棋士としての天橋 夜空の在るべき姿』を模索した結果......なんだろうね。それにしてはあまりにも歪すぎるけど」
「......皆さんはどうだったんですか?」
私は棋士タイトル、及び女流タイトル獲得経験者に聞いてみる。
「僕は『神内 智之としての矜持を見せる』という在り方だったね」
「俺は『龍皇 吉谷 徹郎という最強の自分』って感じだったな」
「俺も『帝位 永井 達也っていうカッコいい自分』って感じだったなぁ」
「私は『女性奨励会員としての矜持を見せる』という感じかなー」
「私は『女性最強の自分を見せつけてやる』という感じだった」
「......全員、師匠とは在り方が異なりますね......それだけ師匠が異常だということの証左なんでしょうけれど」
そこまでして師匠は何に追い詰められているのだろうか......?
〔四〕
5月31日。名人戦第五局2日目。僕は朝食の和食御膳を食べる。
「......美味しい。今日の対局は楽しくなりそうだ」
......そんな言葉を吐いているが、今の僕にとって将棋とは「生きるための手段」だ。将棋界という戦場の中で、自分の大切な人達を守るために自分はどうするべきか?僕の思考はそこに行き着く。
「......勝てれば生き、無ければ死ぬ。それだけだ」
負けた先に未来は無い。それ故に、僕は勝ち続けなければならない。和服に着替えた後、広島帝位が下座に座ったことを確認した4分後、僕が上座に座る。立会人の武藤会長が対局再開の宣言をする。僕と広島帝位が1日目終了時点の盤面を再現する。そして、僕が書いた封じ手が言い渡される。
「封じ手は、4一銀です」
「なっ......!?」
僕は広島玉を急襲する選択をした。僕はこの手が最善手だと感じ、持ち駒の銀を広島玉の急所に打った。広島帝位は硬直する。やはりこの手を指して良かったと感じた瞬間だった。
【桜】
お兄ちゃんの封じ手が広島帝位を苦しめた。あれから3時間以上長考しており、大盤解説会の会場もざわついていた。今は神内九段が解説、私が聞き手だ。
「この天橋名人の4一銀......神内九段は何が狙いだと思いますか?」
「そうですね......広島帝位の陣形を崩す一手なのだと思われます......。ソフトはさっきまで広島帝位優勢としていましたが、現在は互角と示していますね」
トッププロである神内九段ですら匙を投げるような状況。この手の意味を理解出来る棋士はどれだけいるのだろうか。当然ながら私にもよく分かっていない。強いて言えば、さっき神内九段が言っていた「広島帝位の陣形を崩す一手」程度の理解しか無い。
「あっ、広島帝位指しましたね。4一同じく金です」
「天橋名人が時間を置く間も無く指しました。8四飛車ですね」
私たちは大盤解説を続ける。その手の意味に気づくのは、そう遅くなかった。
〔五〕
「ぐぅ......!」
「......」
昼休憩を挟み、広島帝位の持ち時間は無くなり、1分将棋になっていた。対する僕はまだ3時間程度時間が残っていた。現局面は広島帝位の防御陣をぐちゃぐちゃにして、8一に僕が龍を作ったところである。手番は広島帝位に回ってこそいるものの、1分将棋となっているために思考時間がほとんど無い。
「......ッ!」
「......」
ならば詰まされる前に詰ませろ、という感じに6八に持ち駒の金を打って、広島帝位側から僕の玉に王手をかける。......最良の地点は4九か。
「......」
「......グッ!」
広島帝位は持ち駒から更に金を5九の地点に投入する。......角は渡しても広島玉は詰ませられるし、僕の玉は詰まないな。僕は同角と指し、角金交換とする。広島帝位は同金と返し、それに僕は同玉と指す。
「......グググ!」
「......」
苦し紛れに放った広島帝位の手は9五角打。それは悪手だ。悠然と僕は4九玉と指す。広島帝位はそれに対して7七角成とする。王手が切れたのでここからは僕の攻撃だ。
「......」
「......!」
僕は7五に桂を打つ。金を3枚持っている僕から逃れる手段を考えているのだろうが、この先は詰みしか無い。広島帝位は7四玉と返すが、僕はノータイムで8三龍と指す。そこで気づいたのか、広島帝位は項垂れる。......そして。
「負けました」
「ありがとうございました」
広島帝位、投了。これにて、第78期名人戦は4勝0敗1持将棋で僕の名人防衛となった。
「毎朝新聞です。天橋名人、防衛おめでとうございます。勝利の決め手となったのはどの手だったのでしょうか?」
「57手目に封じ手として指した4一銀だったと思います。あそこから広島帝位の陣形を崩して攻撃することによって広島帝位を追い詰めることが出来たと思います」
「旭日新聞です。広島帝位、お疲れ様でした。敗因はなんだったのでしょうか?」
「はい、そうですね......天橋名人の封じ手のあまりの突飛さに動揺して、えー......その先から手を付けられなかったのが大きな敗因だったと思います」
これで「『名人』天橋 夜空」の強さを証明出来たような気がした。これは僕が皆のために戦う物語。皆を守るための物語。———僕が独りで戦うだけの物語。
人物紹介01(第02版)
天橋 夜空
2004年4月6日生(16歳)
段位: 九段
保有タイトル: 名人
龍皇戦1組
龍皇戦最高クラス: 1組(6期)
順位戦最高クラス: 名人(2期)
師匠: 皐月 芳治龍皇
出身地: 東京府東京市渋谷区
タイトル戦登場回数: 3回[龍皇1回(14), 名人2回(19-20)]
通算タイトル獲得期数: 2期[名人2期(19-20)]
一般棋戦優勝回数: 15回[旭日杯3回(14-15, 19), 星河戦4回(15-17, 19), 公共杯3回(15-17), 金冠杯4回(16-19), 青鋭戦(14)]
通算棋戦優勝回数: 17回[通算タイトル獲得2期, 一般棋戦優勝15回]




