第4譜「黒井 創太という男」
1話の長さは5,000文字ぐらいが良いのだろうか?10,000文字ぐらいが良いのだろうか?
〔一〕
パチッ。パチッ。4月の終わり、僕の部屋の中で駒音が響く。部屋の中には部屋の主である僕と、もう1人の男がいた。
「......棋匠戦挑戦者決定戦、この調子だと当たっちゃいますね。黒井さん」
「......そうですね、夜空さん。それでもこのVSは止められません」
「......それで貴方が得られるモノがあるのなら」
黒井 創太七段。元史上5人目の中学生プロ棋士(僕は元6人目)であり、現在は地元愛知の進学校に通っている棋士だ。奨励会入り(僕は2011年、黒井さんは2012年)もプロ入り(僕は2014年、黒井さんは2016年)も僕の方が先ではあるが、人生の先輩としてさん付けと敬語で話している。2017年にAlemaというインターネット放送サービスが企画した「黒井 創太 炎の七番勝負」という企画で唯一勝った僕に注目したのか、こうしてたまにVSのために僕の家に訪問することがある。僕としても黒井さんとの対局は、師匠のモノとはまた違ったモノが得られるので結構楽しい。それにしても......。
「あの......黒井さん。僕相手に敬語で接しなくて良いんですよ?年齢は黒井さんの方が上ですし......」
「将棋界の先輩相手に敬語を外すなんてありえません。むしろ、夜空さんが敬語を外すべきでは?」
「人生の先輩相手にそんなこと到底出来ませんよ......」
とまぁこのように、お互いに敬語外し合戦が始まるのはこのVSではよくあることだ。黒井さんが僕を「夜空さん」と呼ぶ理由は桜と区別を付けるためだ。彼は桜相手にも「将棋界の先輩だから」という理由で「桜さん」と呼んでいる。
「名人戦第二局の振り返りをしてみたいです。夜空さんが何故あのような進行にしたのか気になっているんです」
「良いですよ。棋譜は携帯の中にあるのですぐに再現出来ますよ」
名人戦第二局。広島帝位の先手番で始まり、僕がダイレクト向かい飛車を採用した対局だ。この対局では終始僕が主導権を握って勝利した対局だった。
「ここで僕は自分の飛車と銀の連携を考えながら桂を活かして工夫して......」
「えっ、それって結構リスキーじゃないですか?」
「承知の上ですよ。その上で間違えないという自信があったから指したんです」
「......その胆力と実力は見習いたいですね」
「そういえば、黒井さん帝位リーグにもいるから最悪帝位戦の挑決でも当たる可能性ありますよねぇ......」
「私が紅組で夜空さんが白組ですからね」
「嫌だぁ......強敵と戦うの嫌だよぉ......」
「ふふっ、強敵と認めてくれてありがとうございます」
「VSしてりゃあ、自ずと実力は分かりますよぉ......」
黒井さんは強い。この先絶対タイトルを獲れると思えるぐらいには強い。いずれはA級にも上がってくるだろう。そのときに僕は彼と戦い切れるだろうか?不安である。今は公式戦で勝ち越している(2勝0敗)ものの、いつかは負け越しそうでモヤモヤする。そんなことを考えていると、豪快ドアが開かれる。
「お兄ちゃんただいま〜!あっ!創太くんだ!」
「おかえり桜。ノックぐらいしようね」
「お久しぶりです桜さん。改めまして、三段昇段おめでとうございます」
「ありがとう創太くん!」
「桜......黒井さん相手に『創太くん』は無いだろう......」
「えっ?創太くんがOKしてくれたから大丈夫でしょ」
「......本当ですか?」
「はい。夜空さんも『創太』で良いんですよ?」
「いや......それは流石に......」
「お兄ちゃんが遠慮し過ぎなんだよー」
「桜の配慮が足りないんでしょ?」
「なんだとー?」
「ふふっ」
......実のところ、黒井さんは僕だけに打ち明けてくれたことがある。それは「黒井 創太は天橋 桜のことが女性として好きである」ということだ。僕は「黒井さんみたいな良い人が桜の彼氏になってくれるならこの上なく嬉しい」と思い、密かに応援している。さて、お邪魔虫はどこかに消えますかね。
「黒井さん、明日東京対局でしたよね。我が家で良ければ泊まっていってはいかがですか?」
「よろしいのですか?」
「母には今説明しましたので。僕は今日久しぶりに外食にでも行こうかな......」
「あっ!じゃあ私も行く!」
「桜はお留守番。黒井さんと一緒に食べてなさい」
「えー?まぁ創太くんと一緒に料理するのもいっか!」
「僕は母と一緒に食べて来ますので、黒井さんはゆっくりしていってください」
「ありがとうございます」
黒井さんは屈託の無い笑顔で僕を見る。あれは「御支援ありがとうございます」と言ってる顔だな......。その後、僕はお母さんと一緒にファミリーレストランに行った。
〔二〕
『......負けました』
『ありがとうございました』
棋匠戦......。将棋界史上初の1日制タイトル戦であり、師匠が七冠独占する直前まで年に2回開催されていたタイトル戦だ。それ故か初タイトルが棋匠という棋士が10名以上いる棋戦であり、タイトル戦の登龍門とも言われている棋戦だ。今日行われているのは棋匠戦挑戦者決定トーナメント準決勝第二局。牧村 大地八段VS黒井 創太七段。牧村八段は前期B級1組順位戦で9勝3敗の成績で今期からA級に昇級する棋士だ。しかし、龍皇戦では調子が悪く、前期ランキング戦で5組から陥落し6組になってしまった棋士でもある。そんな牧村八段は、かつて師匠から玉座を奪取したことのある棋士でもあり、手強い棋士だ。そんな牧村八段を相手に黒井さんは後手番一手損角換わりを実行し、急戦を仕掛けた。牧村八段は粘ったものの、黒井さんの攻撃に耐え切れず、投了。もう片方の準決勝では僕が勝っているため、今期の棋匠戦挑戦者決定戦は僕VS黒井さんというカードに決まった。自室で対局中継を観ていた僕と桜は声を漏らす。
「そっかぁ......お兄ちゃん、創太くん対策しなきゃねー」
「頭が痛いよ......」
黒井さんは現在「東海の黒龍」と称される程に圧倒的な強さを持っている。どのような思考を辿ったらその手に至るのか、僕もたまに分からないことがある。
「対局は5月8日か......名人戦第三局が5月5日と6日だから......直後だな......」
「ありゃまぁ、創太くんも広島帝位も対策しなきゃだねー」
「桜だって女皇戦迫ってるだろ......」
「後1勝で防衛だから良いんですー」
「そうやって油断してるとタイトル獲られるぞ」
「望月 千秋以外の女流に負けたことないもーん」
「全く......千秋さんにも敬意は払いなさい」
「いーやーでーすー」
「ハァ......」
広島帝位対策は一応用意出来ている。問題は黒井さんだ。今の将棋界の人間の中で黒井さんと最も指している人物は僕であると強く断言出来る。しかし、それは同時に僕自身の弱点を最も多く知られているということでもある。何を以って黒井さん対策とするかが問題だ。
「桜もしっかり対策しないと足元を掬われるよ」
「南 七美天童桜華のこと?はっきり言って話にならない。女流の中じゃ強いよ?女流の中ではね」
「......」
「私で現行ルール史上4人目の女性奨励会三段らしいね。広見 加奈女流帝位、北山 友佳撫子、望月 千秋以来の4人目。でも先の2人は勝ち越しすら出来なかった。望月 千秋は15勝したけど次点止まり。こんな強い元三段に劣るような......それこそ50代の湧水 壱代女流名人とほぼ同じ実力しか無い南天童桜華じゃ私を倒すなんて無理だよ。全く対策してない訳でも無いから尚更無理。これは油断じゃない、私なりの慈悲なんだよ。私の予想だけど、私がタイトルを放棄した女流棋士界では望月 千秋がもう一度全冠制覇とかするかもね」
「......その考え方は危ないよ。僕は忠告したからね」
桜は三段になったことで少し思考がおかしくなっている気がする。どこかのタイミングでお灸を据えるべきだと思ったが、三段リーグになったら自ずとキツい思いをするだろうからこれ以上は何も言わなかった。というよりも、僕の言葉では説得力を持たせられないと思ったからだ。ただでさえ三段リーグを18戦全勝で1期抜けしたような僕では......。
「という訳で、師匠や黒井さんからガツンと言ってやってくれませんか?」
『いやー......私では説得力が無いかと。夜空さんと同じく私も三段リーグを1期抜けしていますから......』
「むむむ......」
『夜空......私ではもっと無理だよ。私の持ってる称号、知ってるだろう?』
「ですよね......ハァ......」
後日、僕は師匠と黒井さんとビデオ通話していたのだが、桜の傲慢を直す方法は未だ思いつかずの状況であった。
『仕方ないよ夜空。桜は元からそういう子だ。相当劇的な出来事が起こらない限りは無理だろうね』
「ですよねぇ......」
『むしろそれぐらいの気持ちがあった方が戦いやすい気もしますがね』
「そうでしょうか......?」
『彼我の実力差を理解出来るのは良いことです。たとえ自分が格上だったとしても、です』
「......」
『夜空さん。桜さんを信じてみましょう。いつか自己変革が必要だと気付くときはあります』
「......だと良いのですが」
僕は納得出来ない気持ちを抱えながら、ビデオ通話を切る。
「......桜を信じる......か」
〔三〕
結局、名人戦第三局は持将棋になった。これで次の第四局は広島帝位が先手番になる。僕としては広島玉を捕まえ切れなかったのが悔やまれる対局になった。そして、名人戦第三局が終わったら棋匠戦の挑戦者決定戦だ。対局相手は黒井七段。黒井七段が下座に座ったのを確認した後、僕が上座に座る。......VSのときとは比べ物にならない緊張感がこの場を支配する。振り駒の結果、僕の先手番となった。記録係の後藤 拓海三段が対局開始を告げる。
「定刻になりましたので、対局を始めてください」
『お願いします』
対局開始。慎重に僕は2六歩と指す。黒井七段は3四歩と返す。僕が7六歩と指した刹那———。
「......」
「......!」
8八角成!角交換が早すぎる!何を仕掛けるつもりだ......?僕は同銀と指し、黒井七段は2二銀と返す。僕は4八銀と指し、黒井七段は3三銀と返す。この流れはまさか......僕が6八玉と指したところ———。
「......ふぅ」
「......」
黒井七段は2二飛車とし、戦型はダイレクト向かい飛車になった。この前の名人戦第二局から得たモノがあるのか......?その後は僕は矢倉囲い、黒井七段は美濃囲いを完成させた。問題は角の打ち込みの警戒。急所を作らないように飛車銀桂の連携を固めているが......黒井七段はどうするつもりだ?黒井七段は長考した後に駒台に手を伸ばし———。
「......ふふっ!」
「......!?」
この位置の角打ちは......!角のタダ捨てと見せかけて僕の飛車と銀桂の連携を壊す一手だ!しかもこれを放置したら相手側の攻撃をやりやすくしてしまう!......仕方ないが飛車を離すしか無い。黒井七段は深く頷いた後に僕の銀を取る。せめて桂だけでも......!
「......ッ!」
「......」
駄目だ!これは罠だった!ここは飛車を捨てるべきだった!銀桂を取られてはいけない場面だった!マズい......リカバーしなくては......!
「くっ......!」
「......ふふっ」
僕は必死に粘る。ミスを取り戻すように巻き返しを図るが、この傷を逃す黒井七段では無い。飛車が豪快に動き、角が躍動する。僕の駒たちの舞とは比べ物にならない美しさを魅せている。僕の防御陣は崩壊しており、玉をギリギリで逃がしている状況だが———。
「......」
「......クッ」
見えた。見えてしまった。既に詰んでいた。後19手で僕の玉は詰む。回避する方法は無い。......ここまでか。
「負けました」
「ありがとうございました」
今年度最初の敗北。これにより、第91期棋匠戦にて真辺棋匠に挑む挑戦者は黒井七段に決まった。多くの記者が現れる。
「黒井七段おめでとうございます。本日の対局により、棋匠戦への挑戦が決まりましたが、感想はありますか?」
「そうですね、うーん......本日の対局は幸運にも私の思い通りに対局が進んだため、正直僥倖と言わざるを得ません。今回の挑戦にあたって、最大限の研究をしていこうと思います」
「天橋名人お疲れ様です。惜しくも棋匠戦への挑戦を逃すことになりましたが、感想はありますか?」
「これで二度と棋匠戦に挑戦出来ないという訳では無いため、次回に向けて一層奮励努力していく所存です」
黒井七段がタイトル初挑戦ということもあり、多くのマスコミが殺到する。僕の最初のタイトル挑戦(第27期龍皇戦)のときもそうだった。世間は期待しているのだろう、黒井七段のタイトル獲得に。僕は世間に応えられなかった分、黒井七段には頑張ってほしい。......僕のようにはなってほしくないから。
人物紹介04
黒井 創太
2002年7月19日生(17歳)
段位: 七段
龍皇戦3組・順位戦B級2組
一般棋戦優勝回数: 4回[旭日杯2回(17-18), 新鋭戦1回(18), 青鋭戦1回(17)]
最大連勝記録: 38連勝(16/10/01-17/07/27, 第30期龍皇戦挑戦者決定トーナメント準決勝まで[対局相手: 天橋 夜空七段{当時}])
初年度(2017年度, 四段昇段は16/10/01)成績: 77局65勝12敗(勝率: 0.844)
AlemaTVプレゼンツ 黒井 創太 炎の七番勝負(勝敗は黒井側から, 段位及びタイトルは当時のもの)結果
第一局: 皆瀬 琢也六段→勝
第二局: 牧村 大地六段→勝
第三局: 天橋 夜空七段→敗
第四局: 神内 智之九段→勝
第五局: 武藤 泰光九段→勝
第六局: 加藤 甘彦名人→勝
第七局: 皐月 芳治二冠→勝
結 果: 6勝1敗(黒井の大勝利)
(参考記録)
天橋 夜空の最大連勝記録: 32連勝(14/04/01-14/10/16, 第27期龍皇戦七番勝負第一局まで[対局相手: 神内 智之龍皇{当時}])
天橋 夜空の初年度(2014年度)成績: 84局80勝4敗(勝率: 0.952)
歴代年度勝率一位: 天橋 夜空(2014年度, 0.952)
歴代年度最多勝数: 天橋 夜空(2014年度, 80勝)
歴代年度最多対局: 皐月 芳治(2000年度, 89局)
歴代年度最多連勝: 黒井 創太(2017年度, 38連勝)




