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盤上のアリス  作者: 神近 舞
第1章「白金の名人」
3/10

第3譜「現奨励会員と元奨励会員」

1話の適切な長さが分からない......書きたいと思うことがどんどん増えていく......。


〔一〕


 僕は将棋棋士であると同時に高校生である。現在は化学基礎の授業で桜庭先生が教えてくれている。


「はーい!今日は1番から20番までの元素を覚えましょう!簡単な覚え方があるんですよー!」


 あれだろう。水兵リーベ僕の船七曲りシップスクラークか、だろう。これで1番のH(水素)から20番のCa(カルシウム)までを容易に覚えられるのだ。順番としてはH, He, Li, Be, B, C, N, O, F, Ne, Na, Mg, Al, Si, P, S, Cl, Ar, K, Caの順である。しかし———。


「さぁ、復唱しましょう!『ふへっ、ライブバカの船!なまじ(あるじ)パスカル......っか!』これで覚えられます!」

『覚えられるかぁ!?』


 桜庭先生は教え方が独特なのである。例えば水分子の結合の電子の収支の説明では———。


『水素も酸素も完全体になりたくって電子を奪い合うんです!』


 という訳の分からない説明をされた。しかし言ってることは何故か分かるのが謎だ。


「皆さんせーの!ふへっ、ライブバカの船!なまじ主パスカル......っか!」

『ふへっ、ライブバカの船、なまじ主パスカル......っか......』

「そうです!皆さんよく出来ました!」


 覚えにくい......『水兵リーベ』で覚えよう......。


「今度20番までの元素テストしますからねー!ちゃんと覚えましょうねー!」


 その後、何故か『ふへっ』の方で覚えて効果があった人たちが案外多く、みんな『ふへっ』を言いまくっていた。その後、学校の昼休み。陽咲(弟子)()に指導対局をしているときのことだった。ふと気になったので聞いてみた。


「次の奨励会って18日だったよね?」

「はい。そうですね」

「直近の成績はどう?桜は10勝2敗だったよね?」

「そうだよ!」

「陽咲はどうなの?」

「10勝5敗です」


 奨励会には6級から三段まであり、勝率によって昇級・昇段が決まる。級位者(1級以下)の昇級条件は直近の成績で6連勝、9勝3敗、11勝4敗、13勝5敗、15勝6敗のいずれか。段位者(初段以上)の昇段条件は直近の成績で8連勝、12勝4敗、14勝5敗、16勝6敗、18勝7敗のいずれかである。級位者は1日3局、段位者は1日2局まで対局することになる。


「そっか......2人とも全勝したら次のタイミングで上がれるのか」

「私は三段に!」

「私は2級になれますね」

「ふむふむ......だったら断然指導に力を入れなきゃね!」

「それで、提案があるのですが......」

「提案?」

「その......17日って金曜日じゃないですか」

「そうね」

「夜空くんも対局がありませんよね」

「次の対局は19日だからね」

「でしたら、夜空くんの家に泊まって夜通し指導いただければ!」

「はぁ!?何言ってるのよアンタ!」

「ふむ......合理的ではあるか」

「お兄ちゃん!?め......陽咲の提案に乗っちゃダメよ!」

「桜さん桜さん」

「な、何よ」


 陽咲は桜を呼ぶと僕から少し離れる。


「私と師匠って身長近いじゃないですか」

「......悔しいけどそうね......アンタ168cmあるし......胸もおっきいし......」

「桜さんも十分あるじゃないですか」

「そんなことは良いの!で?何が言いたい訳?」

「私の服を着た師匠を見たくありませんか?」

「良いわね!ナイスアイデア!そのためにはアンタの提案を飲むしかない、ってことね......」

「そういうことです」

「......分かったわ。乗ってあげる」


 ......なんだろう。よく分からないが寒気がする。2人の会話はヒソヒソ声だったためよく聞き取れなかった。


「お兄ちゃん!」

「はい、お兄ちゃんです」

「陽咲のお泊まりを許可してあげて!」

「まぁ、僕は最初から賛成の立場だったから良いけどさ」

「よし!」

「ありがとうございます!」


 女子を自分の家にあげるという行為は平沢さんや時透さんで慣れている。友達感覚であげれば問題無いだろう。


「あっ、そうだ。説明しやすいように夜空くんには一回私の家に来て両親に説明してもらいますね」

「えっ?」

「はっ?」


 ......まぁ、それもそうか。男の家にあがるとは何事かとなるし、まだ師匠として陽咲の両親と面会したこと無いからね。


「私も同席する!お兄ちゃんと2人きりになんてさせない!」

「いや、陽咲の御両親もいるんだから2人きりにはならないでしょ......それに僕と陽咲の師弟関係に桜は無関係でしょ?」

「......お、同じ皐月門下だもん!」

「陽咲は僕の門下でもあるんだけど?」

「ぐぬぬ......」


 桜は一体何を意地張っているのやら。善は急げということで、陽咲は両親に「師匠が来訪する」と連絡をとった結果「今日中でも構わない」と承諾された。


「ちなみに僕の名前は伝えているよね?」

「あえて伝えていません。サプライズです!」

「なんで......?」


〔二〕


 そんなこんなで時は流れ、放課後。


「いい、お兄ちゃん!晩御飯は我が家で食べるんだからね!約束だからね!」

「はいはい分かったよ......」


 桜は僕にビシッと指を向けると、踵を返して校門を出て行った。


「それでは私の家までエスコートしますね?師匠?」

「あぁ......うん......」


 家族を除けば、女の子の家に入るのは初めてだ。渋谷駅から地下鉄で移動して半蔵門駅まで移動する。そこから数分。そこにあったのはガラス張りの巨大なマンションであった。


「ここが私の家があるマンションです」

「ひえー......大きい......しかも18階立て......」

「部屋番号は1615です」

「......覚えておくよ」


 結構上階の方に住んでるのか......。陽咲は慣れた手つきでマンションの部屋番号を入力する。


「父さん、母さん、師匠を連れてきたよ」

『通してちょうだい』

「分かった」


 ガチャリ、と音が鳴り、マンションの扉が開く。


「さぁ、行きましょう」

「......うん」


 エレベーターに乗り、16階を目指す。


「......緊張するな。果たして認めてもらえるか......」

「師匠なら大丈夫です!だって師匠は名人なんですから!......でも、私も心配なので、手を握ってくれませんか?」

「ん?それぐらいで陽咲の憂いが晴れるのなら」


 僕は自分の右手を陽咲の左手に差し出し、手を握った。


「あっ......えへへ......」

「ん?どうしたの?」

「気にしないでください......乙女の秘密です!」


 その陽咲の言葉と同時に、エレベーターが16階に着いたことを告げる。


「師匠!行きましょ!」

「わっ、待ってよぉ!」


 陽咲が僕を引っ張っていく。弟子に引っ張られるのも悪くは無いな。


「ここが私の家です」

「ここが......」


 1615という部屋番号に「有栖川」という表札プレートが付いていた。陽咲は自分のカードキーで鍵を開ける。


「どうぞ......ただいま!」

「お邪魔します」


 僕たちが陽咲の家に入ると、壮年の男性と妙齢の女性が姿を現す。お2人とも陽咲に似ており、陽咲の御両親であることが分かる。


「おかえり陽咲。そちらの女性は......?」


 じょ、女性......。僕はショックのあまり膝をつく。


「おかえりなさい陽咲。そちらがお師匠様?女流棋士が師匠になれるなんて良い時代になったわねぇ」


 じょ、女流棋士......。僕はショックのあまり腕をつく。


「し、師匠ー!凹まないでくださーい!」

「僕......そんなに女に見えるかなぁ......」


 僕の男としてのプライドはズタボロだ。僕は立ち上がって自己紹介をする。


「えー......改めまして、私は天橋 夜空と申します。プロ棋士の!名人です!」

「め、名人!?」

「こんな若い方が!?」

「えぇっと......天橋先生ということは師匠は......」

「皐月です」

「皐月先生ですか......天橋先生は皐月先生の代理でこちらに?」

「いえ、私が陽咲さんの師匠です」

「天橋名人が!?」

「バカな!?若すぎる!」

「若輩者で不安は多いとは思われます。ですが、私は彼女の将棋に魅了された。彼女の将棋のその先を見てみたい。そう思い、弟子にとった次第です。彼女の進む道は私が整えます。彼女の人生を預かっている者としての責任は取ります」

「......そう、ですか」

「......」


 陽咲の御両親は困惑半分納得半分の様子だった。それもそうだろう。ぽっと出の男が突然「娘さんの人生の責任を負います」なんて言われても困惑するだけだ。しばらくお2人がヒソヒソと話し込んでいると、ふいにお母さまが話かけてきた。


「......天橋名人」

「はい、なんでしょうか」

「娘の......陽咲の本当の夢をご存知でしょうか?」

「本当の夢?女性棋士になることではなく?」

「ちょっと母さん!?」

「陽咲は黙ってて。陽咲の本当の夢は『将棋で女性の可能性を示すこと』次に『将棋の女性競技人口を増やすこと』最後に『女性初のプロ棋士のタイトルホルダーになること』この3つです」

「なるほど......女性棋士となることで、将棋は女性でも活躍出来る場なのだと示したい......そういうことでしょうか」

「その通りです。天橋名人、貴方に陽咲の夢の成就を見守る責任を負えますか?」


 女流のタイトルホルダーはこれまで何十人もいた。しかし、陽咲はそれでは満足しない。女性棋士の誕生、そして女性棋士による8大タイトルホルダーの誕生によって初めて将棋界に女性が歴史を刻んだと考えているのだろう。僕は少し時間を置いて告げる。


「私は万能ではない故に『絶対に出来る』とか『確実に保証する』といった言葉は使いません。ですが、陽咲さんには可能性を感じました。それは彼女の将棋に対する才能と、不断の努力によって築かれたモノであると思っています。もし、その夢を一番側で見守ることが出来るのであれば、どれだけ名誉なことか。私は、彼女の夢を応援したい。彼女の夢の成就のために最大限自分に出来ることを行いたい。これが私の思いです」

「師匠......」

「......分かりました。天橋名人、陽咲をお願いします」

「......!ありがとうございます!」


 お母さまからは正式に認めてもらえた。後はお父さまだが......。


「天橋名人、私も貴方に陽咲を預けて良いと思ったのだが、二つ条件をつけさせてほしい」

「はい、なんでしょうか?」

「一つ目は『高校卒業までに女性棋士にすること』。二つ目は『女性棋士になった場合、大学卒業までにタイトルホルダーにすること』。陽咲にも人生がある。この2つが守れない場合は、速やかに陽咲に将棋を辞めさせるか、辞めさせない代わりに責任を取って陽咲と結婚してもらおう」

「えっ......」

「ちょっと父さん!?」


 陽咲は顔を赤らめ、お父さまに抗議の目線を向ける。しかし、お父さまには何の効果も無い。


「陽咲の幸せを考えた場合、すぐにでも将棋を辞めさせるべきだと思った。しかし、自分で奨励会に入り、自力で師匠を見つけたことで本気なのだと思った。ならば少しでも陽咲を応援するべきだと思ってな。天橋名人には酷かもしれんが、これが最大限の譲歩だ。許してほしい」

「いえ、親心を考えれば当然だと思います。ただでさえ将棋という、道の見えないものを職にしようとしているんです。だからこそ、その道を少しでも強く照らすのが師匠たる私の役目であると考えています」

「天橋名人......ありがとう......」

「娘をどうか、よろしくお願いします」

「お礼を言うのは私の方です。陽咲さんという存在と巡り合わせてくれて、本当にありがとうございます」


 僕らは共にお礼し合う。流れにつられて陽咲も礼をしていた。その光景がなんだかおかしくて、全員で笑い合った。


〔三〕


「お邪魔します」

「邪魔するなら帰ってちょうだい」

「桜、変なことを言わないの」


 4月17日の放課後。一度自宅に戻って私服に着替えた陽咲は、僕と桜の家に訪問した。今日は対局合宿の日であり、お母さんには説明済みである。そのときのお母さんの反応は———。


『えぇー!?夜空ちゃん、女の子の弟子をとったですってぇ!?赤飯炊かなくちゃ!』


 このように過剰な反応であった。何が赤飯だよ、全く......。


「さぁさぁあがって。お風呂はどうする?」

「まだ済ませてないので入れてください」

「分かった。桜、一緒に入っておいで」

「おっけーお兄ちゃん!後で入って来てね!」

「入らないが?もう済ませたし、そもそも女性と同じお風呂に入ったら死ぬよ?僕が」


 社会的に殺す気か。


「お兄ちゃん女の子みたいな顔だから大丈夫!」

「全く大丈夫じゃないよ」


 僕は銀髪(プラチナブロンド)(自前)のミディアム。桜は赤髪(ストロベリーブロンド)(自前)のショートボブ。陽咲は金髪(ブロンド)(恐らく自前、御両親も同じ髪色だった)のロングヘア。皆違って皆良いが、それとこれとは話が別だ。


「僕が料理作っておくから、その間に入っておいで」

「はーい!陽咲、お兄ちゃんの料理は本当に美味しいから期待してて!」

「本当ですか!?楽しみにしてます!」

「ハードル上げないでよ......」


 お風呂に入る女性陣をよそに僕は料理を作る。と言っても後は仕上げ程度で、これと言って特にやることは無い。


「次の対局相手の棋譜並べながら最後の仕上げをしようかな」


 次の対局は棋匠戦挑戦者決定トーナメント準決勝。対局相手は加藤 甘彦(かとう あまひこ)九段。僕の前の名人で、師匠から名人を奪取して通算3期名人を獲得した強豪棋士だ。前期......第77期名人戦では僕が4連勝して名人を奪取したが、どれも接戦だったために決して油断は出来ない。もしこれに勝てたら、棋匠戦での最高成績を更新することになる———棋匠戦だけ唯一挑戦者決定戦に一度も進めていない———ため、僕自身の成果を見せる良い機会でもある。


「......負けるもんか」


 今日の料理であるカレーの準備が出来たので、一旦味見する。


「......うん、美味しい」


 これなら陽咲にも喜んでもらえるかな。後はご飯にカレーを盛り付けて完成。それと同時にドアの開く音が聞こえた。


「おっ!この良い匂いは!」

「桜が好きなカレーだよ」

「やったぁ!お兄ちゃん大好き!」

「はいはい」

「カレー......良いですね」


 そう言っていると、ガチャリと玄関の鍵が開いた音がした。


「ただいま〜」

「おかえり!お母さん」

「おかえりなさいお母さん。ご飯先にする?」

「そうしようかしら。あら、そちらのお嬢さんは?」

「紹介するよ。僕の弟子である———」

「有栖川 陽咲と申します!よろしくお願いします、師匠のお姉さま(・・・・)!」

「陽咲ちゃんかぁ!私、天橋 深雪!よろしくね!......ねぇ、夜空ちゃん、桜ちゃん、これって私、まだ学生で通用するってことかしら!」

「お母さん......」

「......陽咲。この人は僕たちの姉じゃなくて母。お母さんだよ」

「お母さま!?お若いですね!?」


 そんなこんなで僕たち4人は食卓を囲む。


「いただきます」

『いただきます!』


 全員一斉にカレーを食べる。


「美味しい!」

「今日も最高だわ〜!」

「美味しいです!......ですが師匠、一味をいただけますか?」

「えっ?良いけど......」


 僕は陽咲に一味唐辛子を渡す。すると、陽咲は一味を大量に振りかけた。


「そ、そんなに振りかけて大丈夫?」

「そ、そうよ。いくらなんでも......」

「大丈夫です。私、辛党なので」


 すっかり赤くなったカレーを陽咲は食す。


「ん〜!辛い!でもカレーは辛くなくちゃ!」


 すごいな陽咲......。我が家は甘党しかいないためこうして一味が大活躍するのは久方ぶりだ。そんなこんなで全員がカレーを食べ終わる。


「ご馳走様でした」

『ご馳走様でした!』

「それじゃあ前にも言ったけど僕たちは指導対局するからね」

「分かったわ。桜ちゃん、陽咲ちゃん、頑張ってね」

「うん!」

「はい!」


 僕たち3人は食器を洗った後、僕の部屋に行く。


「さて、ここからは棋士としての話だ。正直言って2人は強い。並の相手では太刀打ち出来ないほどにはね。それでも僕から見たら課題はまだまだ多い。課題だらけの僕から見ても......ね。まずは実力面強化のために指導対局。それから精神面強化のためにマインドフルネスの仕方を教えるね」

『よろしくお願いします!』

「良い返事でよろしい。それじゃあ始めようか」


 僕は2人に指導していく。桜も陽咲も飲み込みが早い。


「このときはこうすれば良いの?」

「そうだね。普通はこう指しがちだけど、桜は引っかからなかったね」

「よし!」

「師匠、四間飛車対策でこんな手を思いついたのですが......」

「ちょっと展開してみようか。......うん、悪くないね」

「良かった......」


 優秀な生徒がいると教え甲斐がある。こうして夜は更けていった。


〔四〕


 4月18日。奨励会対局の日。不安だったので桜と陽咲と共に僕も将棋会館に来ていた。


「心配しなくても良いのに」

「そうですよ。師匠はドッシリとして私たちの結果を待っていれば良いんですから」

「弟子と妹を心配するのは当然でしょ?2人以上に僕がドキドキしてるよ......」

「あはは!指すのは私達なのに!」

「そうですね」

『ねー!』


 師匠心というか兄心というか......緊張が止まらないのだ。


「......時間だね。2人共、頑張って」

「はい!」

「もち!」


 2人と別れた後、僕は武藤会長に呼び出されて免状署名をしていた。順調に手を進める中、会長に声をかけられる。


「気になるのか?あの2人が」

「気になるに決まっているでしょう。弟子と妹ですよ?」

「お前に言うことがあるとしたら、もう少し2人を信じてみろ、ってことだ」

「......そうですね。2人が勝てると信じてみます」

「そうしろ。手が止まってるぞ、天橋」

「会長が止めたからでしょう......」

「ハッハッハ!」


 そう軽口を叩き、僕は溜まっていた分の免状署名を終わらせる。やることが無いので研修室に移動した。すると、意外な人物が待っていた。


「久しぶり、夜空」

千秋(ちあき)さん?どうしてここに?千秋さんって関西所属でしたよね?」

「関東棋士と交流会をしていた。関西には無い刺激があったから収穫としては十分」


 望月 千秋(もちづき ちあき)女流六段。僕が彼女と知り合ったのは奨励会三段リーグのとき。最終第十八局で、彼女が四段昇段をかけた戦いで僕が彼女を踏み躙ったことから交流が始まった。当時、今の桜のように女流三冠(女皇・女流十段・女流玉将)であった彼女は、三段リーグで僕と戦ってからすぐに女流棋士に転向し、当時の女流タイトル6つを全冠制覇したことをキッカケに女流六段に昇段した。その後、第4期青鋭戦で僕と戦って準優勝、次の第5期青鋭戦で優勝、僕が出られなかった第46期新鋭戦で優勝と、下手な四段や五段よりも強い彼女だが、棋士編入試験を2度受けて2度敗退。現在は女流タイトルを全て失い、女流タイトル挑戦権も近年は滅多に獲得出来ずにいる。


「夜空、VS(1対1の研究会)しよ。名人との対局は良い経験になる」

「良いですよ。どれだけ強くなったか見てあげます」


 僕は千秋さんとのVSを始めた。千秋さんはやっぱり強い。戦い甲斐がある。ついつい熱くなる。周りが見えなくなる。盤への集中が高まる。


「天橋名人も望月女流六段もハイレベルだなぁ」

「あれっ?神内九段?どうされましたか?」

「いやー若い将棋って良いなぁ、って思っただけさ。オジサンも見習わなくちゃねぇ......」

「神内九段は十分強いと思いますが......」


 現A級棋士が何を言っているんだか。


「神内九段を混ざります?一緒に研究会しませんか?」

「魅力的な相談だが今日はお断りするよ。今の名人は望月女流のモノだ」

「えっ?」

「......夜空。盤に集中する」

「あっ、はい......」


 千秋さんに怒られてしまった。集中しないと......。


〔五〕【陽咲】


 2週間ぶりの奨励会。前までの私と違うのは———。


「えー、師匠が不在だった有栖川3級ですが、天橋 夜空名人が師匠となりました」

『......はい?』


 桜さんを除く全関東奨励会員が私の方に視線を向ける。......師匠の弟子になった以上、下手な将棋は見せられない。私は今日、3連勝すれば2級への昇級が決まる。......負けたくない。最初の対局相手は同じ3級の高校生奨励会員。


「天橋名人が師匠になったからって調子に乗るなよ?」

「私の将棋を魅せるだけです」

「対局を始めてください」

『お願いします』


 対局は平手で行われる。対局は相雁木で進行する。相手の雁木は硬く見えるが———。


『雁木はこう対策するんだ』


 師匠の言葉を思い出し、相手の雁木に見えたキズを突く。相手は迅速に対応するが、私の攻撃の方が早い。そこから相手の雁木は崩壊し、敵玉を追い詰める。


「......クソッ、負けました......」

「ありがとうございました」


 まずは1勝。幹事の先生に勝利を報告する。


「さっき見ていたが、良い将棋だったぞ有栖川」

「ありがとうございます!」


 続いての相手は4級の小学生奨励会員。私が香落ちで戦わなければならない。


「それでは対局を始めてください」

『お願いします』


 香落ちで戦う以上、振り飛車で戦うことになる。私が選択したのはゴキゲン中飛車。指しこなしにくいが、使っていると楽しい。


「うぐぐ......」

「......ふぅ」


 相手は私の捌きに対応し切れず、たちまち防御陣が崩壊。分かりやすい13手詰めにまで追い込み、相手は泣きながら投了。これで2勝、後1勝で2級に上がれる。昼休憩の途中、桜さんと話す時間があった。


「どう?順調?」

「2勝しました。桜さんは?」

「勝ったよ。後1勝で三段」

「三段......」

「陽咲。三段に行くことがゴールじゃないのよ。三段に上がって、三段リーグを抜けて初めてスタートラインに立てるのよ」

「桜さん......そうですね。ここで足踏みしている訳に行きませんね!頑張ります!」

「うん。その意気よ。お兄ちゃんの弟子なんだから、それぐらいの障害は乗り越えられるって信じてるから」

「......!はい!」

「......勘違いしないでね!私は今でもお兄ちゃんの弟子って認めた訳じゃないんだからね!」

「ふふふ、はい」


 元気付けられちゃったな。頑張ろう。最後の相手は1級の中学生奨励会員。相手が香落ちになる。


「俺のために貴女には犠牲になってもらいます」

「犠牲になるのは貴方の方ですよ」

「それでは対局を始めてください」

『お願いします』


 相手が使ってきた戦型は......四間飛車!


『相手が四間飛車を使ってきたら、陽咲が考えた手法を使ったら相手は動揺するかもね』


 ......タイミングを窺う。悟られてはいけない。......ここで銀と桂を活かして!


「......!」

「......よし」


 相手は動揺を隠せないのか悪手を指した。そこを逃さず突き、防御陣を崩壊させる。しかし、流石1級。素早く立て直してしまう。それでも私の優勢は揺るがない。......焦るな。この道が正しいかもう一度吟味しろ。......問題無い。私は焦らずに指す。


「......ぐっ」

「......」


 即席の防御陣を吹き飛ばし、敵玉に詰めろを掛ける。これはもう間違えない。


「負けました......」

「ありがとうございました」


 これで3連勝。13勝5敗により私の2級昇級が決定した。


「有栖川、2級昇級おめでとう。師匠にしっかり感謝するんだぞ」

「はい!」


 私が対局室を出ると、桜さんも出てきた。


「その顔は......2級に上がったみたいね」

「はい。桜さんはどうでした?」


 桜さんは一拍置いて言う。


「......勝ったわ!私も三段の仲間入りよ!」

「おめでとうございます!」


 私と桜さんは師匠のいる所に移動する。すると———。


「夜空。この局面はどうするの」

「ここは角を活用して......」

「望月 千秋!アンタ関西でしょうが!」

「あっ、桜。奨励会の結果見たよ。三段おめでとう」

「あっ、ありがとう......じゃなくて!」


 師匠が望月 千秋女流六段と1対1で研究会をしていた。......チクリと胸に痛みが走る。


「望月女流六段」

「ん?貴女......誰?」

「私は奨励会2級の有栖川 陽咲と申します。師匠......天橋 夜空の弟子です!」

「......は?」


 場が剣呑な空気になる。望月女流六段は師匠に問う。


「......夜空。弟子って本当?」

「......本当ですが、どうしたんです?」

「......有栖川。早くプロになりなさい。叩き潰してあげる」

「千秋さん!?」

「望む所です。貴女を倒して私の糧にします」

「陽咲!?」


 師匠はオドオドとしているが、関係無い。これは......女の戦いだ。

人物紹介03


望月 千秋(もちづき ちあき)

1998年10月5日生(21歳)

段位: 女流六段

師匠: 新保 寿明(にいぼ としあき)九段

出身地: 京都府京都市上京区

女流タイトル戦登場回数: 34回[撫子1回(19), 女皇6回(12-17), 女流十段6回(12-17), 女流名人5回(15-19), 女流帝位5回(15-19), 女流玉将6回(13-18), 天童桜華5回(15-19)]

通算女流タイトル獲得期数: 27期[女皇5期(12-16), 女流十段5期(12-16), 女流名人4期(15-18), 女流帝位4期(15-18), 女流玉将5期(13-17), 天童桜華4期(15-18)]

一般棋戦優勝回数: 2回[新鋭戦(15), 青鋭戦(15)]

永世女皇・クイーン十段・クイーン玉将資格保有

奨励会在籍記録有[最高段位: 三段(1期, 13後)]

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