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盤上のアリス  作者: 神近 舞
第1章「白金の名人」
1/10

第1譜「弟子入り希望」

この小説の開始年度は2020年度ですが、某ウィルスは概念ごと消失しています。その上でお楽しみください。


〔一〕


『しょうぎってすごい!プロってすごい!ぼく、しょうぎのプロきしになる!』

 これは、将棋に魅せられた者たちによる物語だ。

 天橋 夜空(あまばし よぞら)。それが僕の名前であり、将棋界で知らぬ者はいないとされている名前。何故なら、僕は史上最年少の9歳11ヶ月、即ち小学4年生で四段プロデビューし、昨年には遂に将棋界最高峰のタイトルである「名人(めいじん)」を史上最年少の15歳1ヶ月で獲得した棋士だ。僕はただ将棋が好きなだけの1人の人間であり、大層な人間ではない。そんな僕はたとえ名人になっても、高校生であるという事実からは逃れられない。渋谷中央学院しぶやちゅうおうがくいん。中高一貫の国立学校であるこの学校は僕の事情(プロ棋士としての責務)を理解してくれるおかげで今も助かっている。


「天橋名人!おはようございます!」

「おはよう平沢(ひらさわ)さん。名人は照れるからやめてほしいな」

「あまばっちおはよー」

「おはよう時透(ときとう)さん。そのあだ名高校でも変えないつもりなんだね......」

「よっす天橋!今日もイケてるな!」

「おはよう黒田(くろだ)くん。今日もカッコいいよ」


 ありがたいことに、僕を慕ってくれる生徒は多く、中等部時代から上がってきた友人たちは僕を積極的に自分たちの輪に組み込んでくれる。嬉しい限りだ。


「あれが天橋先生......もう、チャンスは今しかない」


 僕が友人たちと高校を歩いていると、1人の女生徒が歩み寄ってきた。中等部から上がってきた人間かと思ったが、僕を含め全員が見覚えが無いようで、外部受験で入ってきた人だろうと推測していると———。


「天橋 夜空くんですよね?」


 件の女生徒が僕に話しかけてきた。


「はい、確かに僕は天橋です。何か用でしょうか?」

「はい。私は有栖川 陽咲(ありすがわ ひなた)と申します。天橋くんにお願いがあって声をかけました」

「あー......私たちはいない方が良いかな?」

「......出来れば」

「分かったよー。じゃあまた後でね、あまばっちー」

「教室で会おうな」


 友人たちが離れ、この場には僕と有栖川さんが残される。何を言うつもりなのか。


「天橋くん......いえ、天橋 夜空名人!どうか、私を弟子にしてください!」


 人生はハプニングの連続である。そんな言葉を思い出した。僕は彼女のその言葉に動揺を隠せなかった。


「えーっと、有栖川さんで良いのかな?弟子にしてくれってどう言うこと?それもなんで僕に?」

「実は......私、現在奨励会の3級なんですけど、師匠がいないんです。奨励会幹事の先生や、その方が紹介してくれた先生と面談をしたのですが......。『女の奨励会員を弟子にしたところですぐに潰れる』と言って話を聞いてもらえなくて......。せっかくたくさんの人と将棋が指せると思って去年の9月に入会したのに、あと5ヶ月で師匠がいないことを理由に奨励会を退会されかねません!天橋先生が最後の希望なんです!どうかお願い出来ませんか!?」

「......」


 僕は悩んでいた。正直僕はまだ弟子をとるには早すぎる。それに、弟子をとるということは「あなたの人生の面倒を見ます」ということである。とてもじゃないが背負え切れない。しかし、どうしても無碍には出来なかった。


「......僕の師匠ではダメなのかい?」

「......皐月(さつき)先生には断られました。むしろ、天橋先生を薦めてくれたのが皐月先生なんです」

「師匠が......?」


 師匠は何を考えているのかよく分からない人だ。昔から僕を弟子として迎え入れてくれたときからそうだった。これも僕の修行の一環なのだろうか?


「......一回持ち帰らせて欲しい。とてもじゃないけど、今この場で決められることじゃない」

「......そう、ですよね。分かりました」


 令和2年4月6日。高校生活最初の受難は、弟子をとるかとらないかであった。


〔二〕


 高等部入学式が終わった。僕のクラスはA組だった。そこには平沢さんも時透さんも黒田くんも同じクラスだった。そして———。


「......同じクラスですね、天橋先生」

「そうだね......あと僕を先生と呼ぶのはやめてください」

「分かりました天橋くん」


 有栖川さんも同じクラスだった。しかもあいうえお順で苗字が近いため、僕が前、有栖川さんが後ろで隣り合った席になった。


「皆さんおはようございます。高等部1年A組の担任になりました、桜庭 奏(さくらば かなで)と言います。担当教科は化学です。これから1年間よろしくね。それでは天橋君からあいうえお順で自己紹介をお願いします」


 桜庭先生の声かけにより、僕は立つ。


「はい。天橋 夜空と申します。内部進学の方はお久しぶりです。外部進学の方は初めまして。将棋のプロ棋士で名人に在位しています。僕のことはプロとか関係無く気軽に接してくれると嬉しいです。皆さん、よろしくお願いします」


 パチパチと拍手が響く。そして、僕が座った後に有栖川さんが立ち上がる。


「有栖川 陽咲と申します。私は史上初の女性将棋プロ棋士になりたいと思っています。難しい道であることは承知の上ですが、私にとって将棋は人生です。将棋のために生きていると思っています。よろしくお願いします」


 一時の静寂の後にパチパチとまばらな拍手が響く。そして全員の自己紹介が終わり、ホームルームが終わる。皆が下校する中、僕と有栖川さんだけが残る。


「......有栖川さん。女性棋士になるのが夢だと言ってたね」

「はい。女流棋士では無く、女性棋士に」

「......今の実力を見てあげる。指そうか」


 僕はマグネット盤とチェスクロックを取り出して、将棋の準備を整えた。


「10分切れ負けで秒読み30秒。これでいいかい?」

「はい、お願いします」

「お願いします」


 有栖川さんの先手で始まる。初手は2六歩。僕は8四歩と返し、有栖川さんは6八銀と指した。相矢倉の構えだな。僕はあえて何も仕掛けずに相矢倉に進めた。


「......」

「......なるほど」


 序盤はしっかりと定跡を理解しており、中盤も粗はあるものの、奨励会3級と言われても納得出来るだけの実力はある。少し変化をつけようか。


「......」

「えっ......!?」


 桂跳ねからの銀攻め。最終的な狙いは飛車角の展開と相手の攻め駒の封じ込め。有栖川さんは少し考慮時間を使い、応手する。なるほど、狙いは分かったみたいだ。しかし———。


「対応ミスだね」

「あっ......!」


 有栖川さんはプロに通じる手を指せなかった。奨励会員としては上々だが、本気でプロになるのなら、これぐらい跳ね除けなければならない。僕は有栖川さんの攻め駒を剥がし、守り駒に迫っていた。その刹那———。


「だったらこう......!」

「......ほう」


 有栖川さんがとった戦術は守りを捨ててでも攻勢に出るというものだった。僕の守り駒を以て自分の守りに替えようというものだ。面白い、どこまで粘れるか見せてもらおう。


「......」

「......これは」


 盤上で駒が踊り舞う。耳の中で輪舞曲(ロンド)が流れるイメージが湧く。


「......きれい」

「......私も、この美しさに魅せられたから、もっと将棋がしたいんです」

「......そっか」


 輪舞曲が盤上を支配する。攻め駒の攻勢、守り駒の守勢、玉の余裕と悲観の声。全てが輪舞曲を盛り上げる演舞のようで、とても楽しく感じる。しかし、輪舞曲にも終わりがある。有栖川さんの玉が僕の攻め駒によって9手詰めをかけられている。これで閉幕だ。


「負けました」

「ありがとうございました」


 全120手の対局は僕の勝利で終了した。現状でここまでの実力があるなら、師匠がついたらどこまで伸びることだろうか。


「現状、奨励会で上を狙えそうとは言っても良いかも。ただ三段に行けるかは保証出来ないかな」

「......そう言ってもらえるだけでも光栄です」

「取り敢えず、弟子入りの件は保留。僕も僕で考えなければならないことがあるからね。何かあったときのために連絡先を交換しようか」

「分かりました」


 僕は有栖川さんと連絡先を交換した。下校中、僕は彼女との対局を振り返って、思ったことがあった。


「あの輪舞曲のイメージは一体なんだったのだろう」


〔三〕


 僕は有栖川さんとの対局終了後、師匠の家を訪ねていた。


「師匠、夜空です」

「よく来たね夜空。その様子だと、あのお嬢さんとお話したみたいだね」


 皐月 芳治(さつき よしはる)。僕の師匠にして、将棋界のもう一つの最高峰タイトル「龍皇(りゅうおう)」を保有している棋士だ。世間でのイメージは「永世七冠」だとか「タイトル通算100期獲得者」だと言われ神のような存在のように持ち上げられているが、僕にとっては「霞のようにのらりくらりとしている存在」のように感じている。僕は師匠に指導対局をしてもらいながら話をする。


「何故師匠を求める有栖川さんに僕を紹介したのですか?はっきり言って僕では実力不足です」

「名人の君が何を言っているんだか......」


 名人だからと言っても、僕はまだ齢16のひよっ子だ。それならば、数多くの経験をしてきた師匠の方が余程適格に思える。


「これは君のためだと思ったのだよ、夜空」

「僕のため......ですか?」


 尚更意味が分からない。


「君はこれから名人防衛戦になる。他の棋戦も戦い抜くことになるだろう。その際、彼女の存在は君にとって良い刺激になる、そんな予感がしたのだよ。彼女の輪舞曲はどうだったかい?」

「......!師匠も彼女と指したのですか!?」


 師匠もあのイメージを感じ取っていたのだろうか。


「指したね......そしたら輪舞曲のイメージが湧いてきた。そしたら尚更君が師匠になるべきだと感じた」

「......言いたいことが分かりません」

「今の君に足りないのは『盤にかける想い』だ。私に弟子入りしたときのことを思い出したまえ」


 僕が師匠に弟子入りしたとき......。それは、僕が小学1年生のときにお母さんが小学生名人戦と間違えてアマチュア龍皇戦に送り込んで最終的に優勝したときに遡る。


『天橋アマ、アマチュア将棋界史上最年少でのアマチュア棋戦優勝になりますが、感想はありますか?』

『みなさんとってもつよいかたばかりでした。いいべんきょうになりましたし、これからもしょうじんしていきます』

『将来的にはプロになることも視野に入れていますか?』

『これまでたたかってきたかたがたのためにも、かならずプロになってみせます』

『解説役の皐月二冠、いかがだったでしょうか?』

『天橋アマの才能と実力には目が光るものがありました。もし師匠がいなければ弟子にとりたいぐらいには』

『皐月二冠にここまで言わせるとは......すごいですね』

『あの......ぼく、これまでししょうになってくれるひとがいなくて、ずっともんぜんばらいだったんです。もし、かのうなのでしたら、さつきせんせいのでしにしていただけませんか?』

『おっとここに来て衝撃の事実!?天橋アマにはお師匠さまがいらっしゃらなかった!皐月二冠、どうしましょうか......』

『私で良ければ是非とも弟子になってほしい。君の指す将棋には魅せられた。その将棋がどのように進化するのか側で見守りたい』

『これいじょうないくらいのこうえいです!』

『なんと!ここで皐月二冠が初めての弟子をとりました!天橋アマもこれには満面の笑み!』


 ......そう言えば、そんなこともあったっけか。あの時はとにかく必死だった。それでも「将棋を捨てる」という選択肢は僕の中には無くて。


「そっか......有栖川さんもこんな思いをしていたんだな......」

「思い出したかい?あのときの想いを。真っ直ぐに盤に向かっていたあの頃を」

「はい。思い出しました。それと同時に、何故彼女を僕に会わせたのか分かった気がします」


 僕と有栖川さんは似た者同士だ。ただただ将棋に真っ直ぐで、真摯に将棋に向き合っていて、将棋を諦められなかった者。かつて将棋に魅せられ、将棋の美しさに感銘を受けて、もっともっと指したいと思ったあの頃を思い出した。


『ぜったいになってみせる!プロきしに!』


 きっと彼女もこんな気持ちだったのだろう。将棋に魅せられたが故に、プロになってみせると、そう誓ったのだろう。


「師匠、ありがとうございました。僕が今何を成すべきか分かった気がします」

「それなら良かった。頑張りなさい」


 僕は師匠の家を後にし、有栖川さんに電話する。


『もしもし、有栖川です』

「僕だよ、天橋だよ」

『天橋くん!どうしましたか?』

「有栖川さん、弟子入りの件、認めるよ」

『本当ですか!?』

「僕と君は似た者同士だ。共に将棋に惚れて、将棋を愛し、将棋を捨てられない者。そんな君を、放っておけなかった」

『そうですか......!』

「学校では勘弁してほしいけど、これからは僕のことは師匠と呼ぶように」

『はい!師匠!私のことも名前で呼んでください!』

「そうだね。よろしくね、陽咲」

『はい!』


 こうして、僕に有栖川 陽咲という弟子が誕生した。


〔四〕


「ただいま......」

「おかえりなさいお兄ちゃん!お風呂にする?ご飯にする?それとも、さ・く・ら?」

「お風呂。全く、ふざけないの(さくら)

「ちぇー、釣れないんだから」


 僕の双子の妹、天橋 桜(あまばし さくら)。彼女もまた将棋に魅せられた者であり、弟子関係でもまた妹弟子にあたる。皐月師匠が弟子にしているのは僕と桜だけだ。


「女性最強の名が泣くぞ?」

「名人様に言われたくありませーん」


 現在将棋界には8つのタイトルがある。龍皇、名人、叡帝(えいてい)帝位(ていい)玉座(ぎょくざ)棋帝(きてい)玉将(ぎょくしょう)棋匠(きしょう)の8つだ。これとは別に女流将棋界にもタイトルがある。紅龍(こうりゅう)撫子(なでしこ)女皇(じょおう)女流十段(じょりゅうじゅうだん)、女流名人、女流帝位(じょりゅうていい)女流玉将じょりゅうぎょくしょう天童桜華(てんどうおうか)の8つだ。しかし、紅龍戦はまだタイトル戦自体が発表されたばかりのため、在位者はいないので実質7タイトルだ。桜は女性奨励会員が保有出来る女皇・女流十段・女流玉将の3タイトルを奨励会員として保有している。ちなみに桜の段位は奨励会二段だ。


「......知らない女の匂いがする」

「ん?桜、どうしたの?」

「お兄ちゃん!平沢さんや時透さん以外の女と会ったよね!?」

「......なんで分かるの?まぁ、会ったけど」

「変な誘惑とかしてこなかったよね!?」

「誘惑はされてないかな......懇願はされたけど」

「懇願!?懇願って何を!?」

「......弟子入り」

「はぁ!?」


 桜は僕の携帯を強引に奪い、頑丈にしているはずのロックを解除する。......こわい。


「この有栖川 陽咲ってひとね......」

「ねぇ、なんでロック解除出来たの?ねぇ」

「愛の成せる技......かな......」

「言ってる意味が分からないんだけど」


 桜は僕の携帯で有栖川さんに電話をかけ始めた。


『どうしました?師匠?』

「師匠!?お兄ちゃんどういうこと!?」

「どういうことと言われても......陽咲の弟子入りを承諾しただけの話だよ」

「普通は皐月師匠に行くはずでしょ!?」

「その皐月師匠が『僕が適任だ』って言ったんだよ」

『あの師匠......?どうされました?』

「私は天橋 桜。貴女が師匠と慕う者の妹よ」

『天橋 桜先生!? 奨励会に在籍しながら女流三冠の!?』

「......流石に知ってるみたいね。貴女、段位は?」

『えっ?しょ、奨励会3級です......』

「......!貴女のことは認めない!お兄ちゃんの弟子だなんて認めないんだから!」

『えっ!?』

「ちょっと桜!」


 桜は一方的に陽咲との電話を切った。


「お兄ちゃん......」

「な、何?」

「明日、有栖川ってやつと会わせて。実力を見てやるんだから」

「......」


 なんだか厄介なことになってしまった。


「......お風呂入るか」


 僕はお風呂に入ることにした。鞄を部屋に置いた後に着替えを準備して浴室に入る。浴室内の鏡を覗く。


「......全く男らしくない」


 銀髪(プラチナブロンド)に琥珀色の瞳。165cmという男子としては低めの身長に、ぷにぷにつるつるとした白い肌。そして何よりこの女顔。どれだけカッコいい服を着ても「ボーイッシュ」と評価される理由がこれだ。プロになる前はこれが原因で避けられてたっけか。


「......美形で産んでくれたことには感謝だけど、ここまで美形にしなくても良いじゃんか......」


 おかげでタイトル戦で和服を着ても「女性が男性用の和服を着ているようにしか見えない」と評価されてしまうのだ。


「......このせいで皆のおもちゃにされるんだよねぇ」


 中等部時代はよく平沢さんや時透さんに女装させられたっけか。それで何も知らない黒田くんに告白されたのは苦い思い出だ。


「......早く浴槽に入って出よう。虚しくなるだけだ」


 僕は浴槽に入り、今日の出来事を思い出していた。陽咲の弟子入り懇願に始まり、入学式、自己紹介、指導対局、師匠との対話、桜の宣戦布告......多すぎる。


「......色々あったなぁ」


 僕も頑張らなくちゃ。浴室を出て体を拭く。パジャマに着替えてリビングに行く。


「夜空ちゃんおかえりなさい!夕食できてるわよ!」

「ただいまお母さん。そろそろちゃん付けで呼ぶのやめてくれない?」

「えー?ちゃん付け可愛くない?どう?桜ちゃん?」

「私は気に入ってるよ?お母さん!」

「ねっ?」

「いや、『ねっ?』じゃなくてさ......」


 僕と桜の母親、天橋 深雪(あまばし みゆき)。僕(165cm)や桜(160cm)よりも低い156cmという背でありながら僕と桜を女手一つで育ててくれたエリートサラリーマンだ。僕と桜の「将棋に生きる」という夢に対して「それがあなたたちの一番やりたいことならば、全力で応援する」と支えてくれた。僕もお母さんの支えが無ければきっとどこかで折れていただろう。しかし———。


「それで......この焦げたオムレツは一体何?」

「うぅ......その、ドジっちゃって......」

「またかぁ......」


 そう、お母さんは超が付く程のドジっ子なのである。別に家事が苦手という訳では無いし、むしろ僕と桜はお母さんから家事を習って、人並み以上に出来るようになった程だ。しかし、たまにどこかでうっかりやらかしてしまうのだ。


「いただきます。あむ......うん、大丈夫だよ」

「よかったぁ......」

「だから言ったじゃん!大丈夫だって!」

「桜はバカ舌だから参考にならないよ」

「そんなことないもん!」


 桜は僕やお母さんが作った料理をなんでもかんでも「美味しい!」の一言で終わらせて、細かい部分の調整には一切気づかない。その上で好き嫌いが多く、僕たちは四苦八苦することも多い。


「そうだ、前にも伝えたけど、明後日から名人戦の検分に行くから水木金は僕の分を作らなくて良いからね」

「私も女皇戦があるから水木は大丈夫!」

「分かったわ!2人共、防衛頑張ってね!」

「もちろん」

「うん!」

「そうだ、お母さん。僕、弟子をとったんだよね」

「そうなの!?どんな子どんな子!?」

「女の子だよ。奨励会3級の」

「私は認めないけどね!」

「まだ言ってるのか桜......」

「奨励会ってことは桜のライバルになるかもしれないのね......!」

「絶対認めないんだから!」


 まだ意地張ってるのか......。


「桜ちゃんは嫉妬深いわねぇ」

「そ、そんなんじゃないしー!お兄ちゃんを取られて悔しいとかそんなんじゃないしー!」


 何を言っているんだこの2人は。


「ご馳走様でした。食器洗いが終わったら研究してくる」

「ごちそうさまー!私も研究してくるねー!」

「お粗末様でした。頑張ってね」


 僕たちは仲良く食器洗いをする。


「いい、お兄ちゃん?お兄ちゃんの隣は私のモノだからね!」

「お兄ちゃんはたまに桜の言ってることが分からないことがあるよ......」


 全く何を言っているんだか。食器洗いが終わり、自室でパソコンを起動する。今期の名人戦挑戦者。その人物の名前は———。


広島 雅之(ひろしま まさゆき)帝位......」


 広島 雅之帝位。かつて龍皇を1期獲得したことのある強豪棋士だ。名人戦と同時に叡帝戦にも挑戦しており、叡帝のタイトルホルダーは皆瀬 琢也(みなせ たくや)二冠(叡帝・玉座)だ。ここに僕と師匠たる皐月 芳治龍皇と真辺 晃(まなべ あきら)三冠(棋帝・玉将・棋匠)を合わせるとタイトルホルダー大集合である。


「流石、龍皇獲得経験者......どの棋譜を見ても対抗策が中々見えない......」


 中々厳しい相手だ。それでも戦うしかない。自分の究極の研究を発揮するだけだ。......負けたくない。


〔五〕


「......えぇっと」

「......むぅ」

「......はぁ」


 翌日の昼休み。学校にて桜と陽咲が将棋盤越しに対峙している。何事かと多くの生徒がざわざわと騒いでいる。遡ること登校時の話。


『おはよう陽咲』

『おはようございます、し......天橋くん!天橋さんもおはようございます!』

『貴女が有栖川さんね?』

『はい!そうです!』

『私と将棋を指しなさい!貴女が負けたらお兄ちゃんの弟子を辞めてもらう!』

『桜!何を勝手なことを!』

『受けて立ちます。天橋くんの......夜空くんの弟子として決して逃げません!』

『陽咲!?』

『ぐぬぬ......!』


 という訳である。自分でもよく分からない。


「えー......では持ち時間は10分、切れたら30秒以内で指してください。陽咲の先手番で始めます」

「お願いします」

「お願いします」


 桜と陽咲の対局が始まった。陽咲は初手2六歩。桜は3二金と返す。その次に陽咲は2五歩と指し、桜はそれを見て3四歩と角道を開ける。陽咲は7六歩と指しこちらも角道を開ける。その刹那。


「......ふっ」

「なっ......!?」


 桜はいきなり8八角成とし、角交換を迫った。戦型は後手番一手損角換わりである。陽咲は同銀とし、互いに角を持ち駒にする。陽咲は早繰り銀に展開しようとする。桜もそれを理解しているようで敢えてそれに乗ろうとしている。......どうするつもりだ?そう思っていると、陽咲が仕掛けてきた。


「......こう!」

「......ふぅん」


 陽咲の早繰り銀からの攻勢。歩、銀、飛車が好位置にあり、攻めやすい。しかし、段々と攻撃を対処されていき———。


「......うぅ」

「まだまだね」


 陽咲の攻撃が切れたタイミングで桜が攻撃を始める。陽咲の防御陣が崩壊し始める。僕目線ではまだ詰んでいないが、この線を見つけるのは非常に難しい。しかし———。


「まだ......終わってません!」

「むっ......粘るわね......」


 陽咲は正解を選択し続ける。桜もまた攻撃を続ける。陽咲玉はワルツの如く綺麗に舞い踊る。


「なかなか高レベルだぞ......」

「天橋女流三冠の方は分かるけど、その天橋さんに食らいついているあの女子は一体何者なの?」

「さっき天橋名人の弟子って言ってたけど......」

「嘘でしょ!?それどこ情報!?」


 外野のざわめきが大きくなる。2人の将棋は確かにハイレベルだ。C級2組の順位戦に出てもおかしくないようなモノだ。しかし、そのワルツは終わりを迎える。


「あっ......!」

「終わりね」


 陽咲は間違えた。持ち時間が無い中で懸命に考えていた結果、10手程先に指すべき手を指してしまった。そのミスを桜は逃さない。


「......負けました」

「ありがとうございました」


 136手を以て桜の勝利。(二段)陽咲(3級)では経験の差があったのだろう。


「アンタ......どこでその技術を磨いたの?」

「えっ?......我流です」

「そう......私は師匠とお兄ちゃんに教わってやっとここまで来た。貴女をお兄ちゃんの弟子とは認めない。認めたくない。でも、ライバルとしてなら認めても良いわ」

「......!」

「勘違いしないでよね!お兄ちゃんの側にいることは許可したけどそれ以上は認めないんだから!」


 そう言って、桜はA組の教室を去っていった。その刹那———。


「ねぇ、貴女一体何者!?」

「天橋女流三冠相手にあそこまで食らいつけるとか相当凄いぞ!」

「有栖川さん!あの宣言は本気だったんだね!」

「応援するぞ有栖川さん!」


 陽咲に一斉に生徒達が押し寄せる。混乱している陽咲。僕はため息をつき、言葉を発する。


「彼女は有栖川 陽咲。僕の一番弟子だ」

人物紹介01


天橋 夜空(あまばし よぞら)

2004年4月6日生(16歳)

段位: 九段

保有タイトル: 名人

龍皇戦1組

龍皇戦最高クラス: 1組(6期)

順位戦最高クラス: 名人(1期)

師匠: 皐月 芳治龍皇

出身地: 東京府東京市渋谷区

タイトル戦登場回数: 2回[龍皇1回(14), 名人1回(19)]

通算タイトル獲得期数: 1期[名人1期(19)]

一般棋戦優勝回数: 15回[旭日(あさひ)杯3回(14-15, 19), 星河(せいが)戦4回(15-17, 19), 公共(こうきょう)杯3回(15-17), 金冠(きんかん)杯4回(16-19), 青鋭(せいえい)戦(14)]

通算棋戦優勝回数: 16回[通算タイトル獲得1期, 一般棋戦優勝15回]

棋歴(基本的に初めての出来事のみ記載)

11/06頃: アマチュア龍皇戦優勝

11/09頃: 奨励会初段編入

12/05頃: 二段昇段

12/08頃: 龍皇戦挑戦者決定三番勝負登場

12/09頃: 龍皇戦5組昇級

13/05頃: 三段昇段

13/09頃: 龍皇戦4組昇級

13/10/01: 三段リーグ参戦

------(プロ入り前後)------

14/04/01: 三段リーグ全勝及び四段昇段

14/09/02: 龍皇挑戦及び七段昇段

14/10/01: (七段のため、新鋭(しんえい)戦の参加資格剥奪)

14/10/26: 青鋭戦優勝

14/12/18: 龍皇戦1組昇級

15/02/14: 旭日杯優勝

15/03/06: C級1組昇級

15/07/27: 星河戦優勝

16/02/22: 公共杯優勝

16/03/01: B級2組昇級

16/10/23: 金冠杯優勝

17/03/08: B級1組昇級

17/05/15: 七段昇段後190勝により八段昇段

18/03/09: A級昇級

19/03/01: 名人挑戦

19/05/17: 名人獲得及び九段昇段


昇段事由

四段: 三段リーグ1位通過

五段: 無し(飛び級)

六段: 無し(飛び級)

七段: 龍皇戦挑戦

八段: 七段昇段後190勝達成

九段: 名人1期獲得

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