複数の連載小説を同時に書くことに関する雑感
あくまで「雑感」です。
こんな奴(作者)もいるんだ。くらいの気持ちでお読みくださいな。
一つの小説を完結させたので、もう一つの連載作品の執筆スピードが上がるだろう。
多くの人はそう考えるのではないだろうか。
ところがどっこい、私は違う。──違ったのだ。
みなさんご存知の作家の松本清張さんは、一度に十以上の作品の連載をかかえていたとか。
もちろんあの松本清張さんは、人から望まれてそのような状況になったのだが。
自分の場合、何か一つの作品だけを書き上げるというのは、むしろ執筆スピードが落ちるのだ。
そもそも人間の集中力は、人が思うよりもずっと短い。
壁のシミを見つめて、それだけをじっと考えつづけろと自分に命じても、必ず意識は散漫になり、余計なことを考えるものだ(──という修業が、坊さんにはつきものである)。
それと同じだとは言わないが、一つの作品を集中して書くよりも、異なる作品を同時に書いているほうが、執筆スピードは上がることもある。
なぜだろう? 不思議だ。──自分のことなのに(笑)──
ただ、これだけはわかっている。
シリアスなものばかり書いていると、笑えるものや、あるいはしんみりとしたものが書きたくなったりする。
逆に、しんみりしたものや笑えるものを書くと、反動で暗い物語を創出したくなるのだ……(闇)
いや、そう極端なものでもないか……
まあ要するに、創作にもバランスがある。
けど私の場合、シリアス系を書く比率は圧倒的に高い。それは根差しているものがそうした系統に面しているからだ。
作者の創作する分野は、その作者の内的な部分に関わるものや、刺激を受けたものから出力される。
もちろん読まれるために、読者層に合わせた内容や文章で書くこともあるし、なんらかの企画に合わせた作品を書くこともある。
だからまあ、作品のすべてが個性的であるはずもなく。なんらかの作品に似ているというのはしごく当然で、むしろ何にも似ていないとすれば、それは作品とは言えないものになるかもしれない。
『錬金鍛冶師の冒険のその後(以下略)』は、そこそこなろう読者に合わせた感じの内容にしてあります。
あくまでリアリティ優先ですが。もしよければ目を通してみてください。
小賢しいオカルト(秘教学)的な内容もあったりします。心理学や錬金術に傾倒していると、気づく部分もあると思いますよ。
あ、ちなみに「現実・選択」というのは、青年マンガの主要テーマみたいですよ。
少年マンガは「努力・友情・勝利」でしたっけ? あれ?「勇気・希望」だったかな……どうでもいいや。(←いい加減)夢想的なお話もいいけど、それを軽く信じられるほど現実を知らないわけじゃないんで。