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5.手料理の味

「……出発が楽しみだな」


ユウが額の汗を拭いながら、目の前のいかだもどきを見上げる。まだ帆はないし、細かい部分の調整は必要だが、少なくとも形にはなっている。


そのとき、ふと気づく。


あたりが、すっかり暗くなっている。


海は夕日に染まり、波間にきらめく光が揺れていた。


「……もう夕方か」


ユウがぼんやりと空を見上げると、不意にリリィの声が聞こえた。


「旧人類には食事が必要だと推測している。」


「ん? ……ああ、ほんとだ。言われてみればお腹が減ったな」


ユウは軽く腹を押さえた。作業に夢中になっていたせいで、空腹を意識することすら忘れていた。


リリィはしばらく黙ってユウを見つめていたが、やがてあっさりとした口調で言った。


「私の家へ移動する事を提案する。食事の用意有り。」


そう言ったリリィはすぐに踵を返し、歩き出した。


提案、とは言うものの、確定事項らしい。


ユウは一瞬驚いたが、すぐに彼女の後を追う。


ふと。


リリィの住む場所――彼女の「家」とは、どんなものなのだろうか、なんて。


海風の中で、ユウはそんなことを思うのだった。


◆◆


リリィの家へと続く道は、静かだった。


潮風が吹き抜ける中、ユウは少し前を歩くリリィの背を見つめる。リリィの迷いのない足取り、長年ここに住んでいる事を物語っていた。


やがて、木々の合間に小さな建物が見えてくる。


 それは、島の風景に馴染んだ簡素な造りの家だった。壁は古びた石と木材でできており、所々に修繕の跡がある。屋根の一部には透明な素材が使われ、日光が差し込むようになっていた。

 ガラスなのかと思い、指を滑らせれば、どうにもプラスチックに近いような、しかしそうでもないような。

ひんやりとしながらも、石ほどの固さはない。

そんな不思議な材質でできている。

 眺めていれば、円形のそれは太陽の残光をうけ、きらりと光を反射した。


「ここが、君の家?」


「そう。住居として機能している」


リリィは淡々と答えながら、扉を押し開ける。


 中は驚くほど整理されていた。余計なものは何もないのだろう、無機質な空間に必要最低限の家具が置かれている。木製のテーブル、椅子、壁に埋め込まれた収納棚……、それらは研究施設のように整然としていた。

 時折薬草なのか、吊された草や葉に包まれた立方体がぶら下がっており、それらがなければ寒々しいとすら感じたかもしれない。


 そんな中、リリィは迷いなく台所へ向かうと、備え付けの収納を開く。


「貴方が食べられるものを用意する」


そう言って、彼女は手際よく食材を取り出し始めた。乾燥させた保存食のようなものや、瓶詰めの食材、そして、固められたキューブ。ユウはそれらを眺め、思わず眉をひそめる。


「……、リリィ」


「何?」


「君って、料理ってしたことあるの?」


「ない」


即答だった。


ユウは苦笑しつつ、リリィの手元を覗き込む。リリィは文献を参照しながら、食事の形に整えているようだった。彼女の指先が宙をなぞると、簡素なレシピが目の前に投影される。


「旧時代の資料を基に、栄養価と必要な食材を計算。生存するのに十分な食事を提供する」


その言葉になんだか嫌な予感がする、とユウは思わず口を開いた。


「それって美味しい……?」


そんなユウに、リリィは目線を向けず答える。


「吸収・分解が可能」


会話は、嫌な予感を強めるだけに終わった。


◆◆


ユウが落ち着かない様子で、数分部屋を歩き回っていると、料理が完成したらしいリリィが皿を持って入ってくる。


無駄のない所作でリリィが並べた料理を、ユウはおそるおそる見下ろした。


皿に並べられたのは、栄養バランスだけを考慮したのであろう簡素な食事。


乾燥パンと、暖めた瓶の中に草が浮かんだスープ。そして、いささか火を通しすぎた黒く焼かれた魚──それでもこの中では一番美味しそうだとユウは思った──が置かれる。


「……見た目は、うん、悪くない」


ユウは恐る恐るスープを一口すすり、思わず眉をしかめた。


 思っていた以上に味が薄い。と、いうより味がない。ただの液体に、ほんのり出汁のようなものが混ざっているだけだ。


パンを食べると、これもまた無味に近く固い。魚は火が通りすぎていて、ぱさぱさとしている。


ユウは思わず笑ってしまった。


「あはは……これはまた、味気ない、ね」


「問題がある?」


「いや、食べられなくはない。……けど、リリィって、本当に味のことを考えたことないんだなって」


リリィは小さく首を傾げる。


「味覚の概念は知っている。しかし、重要だとは知らなかった」


「そうだよね。食事しないって感じだし」


ユウは肩をすくめながら、再びスープを口に運ぶ。味は相変わらず薄いが、温かいものを口にすると、不思議と落ち着く。

こんな環境なのだ。暖かいものがあり、屋根があるだけでも感謝すべき事なのだろう。


ふと目線を感じ、リリィを見ると、彼女はじっとユウを観察していた。


「……?」


「あなたは、それを ‘食べることができる’」


「そう…だね?食べないと生きていけないし」


「それは理解している。

そうではない。私は、あなたに ‘提供することができた’」


リリィの表情はいつものように無機質だった。しかし、わずかに、ほんのわずかにだけ、目の奥に揺らぎがあるように見えた。


ユウは一瞬、言葉を失った。

リリィは、気づいていないのかもしれない。だが、彼女は確かに、満足げな――もしかすると、ほんの少しだけ、嬉しそうな表情を浮かべていた。


「……そっか」


ユウは小さく息をつき、苦笑しながらパンをもう一口かじった。


「ありがとう、リリィ」


「……」


リリィは何も答えなかった。ただ、その目だけは、ユウの手元をじっと見つめていた。

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