1.突然の来襲
「……僕は、ユウ。」
音が、柱が立ち並ぶ小劇場ほどの大きさの空間の中に、静かに溶けて消えた。
彼の声も彼自身ですら、この空間に飲み込むように。
次第に、深い静寂が広がり、その中でリリィの冷静な目がユウを捉えている。
だが、その静けさも束の間。
遠くから足音がした。
低く、重い音が、次第に足元に迫るように響いてくる。
ユウの胸がドクン、と一際大きな音を立てた。
と、同時に頭の大半を覆っていた靄が晴れる。
ユウは、震える筋肉を叱咤する事でなんとか上体を起こし、そして立ち上がった。
しかし、その時間は足音の持ち主達には長すぎたらしい。
二人の男が現れ、ユウとリリィを見下ろしたのは、ユウが立ち上がるのと同時だった。
「君たち、誰?」
二人のうち、より若い男が鋭い声で尋ねる。
「盗賊か?」
もう一人は槍を構え、警戒を強めた。
「盗賊ではない。」
それらを意に関しているのか、いないのか、抑揚のないリリィの声が冷えきった空間に響く。
それを聞いた男達は、しかし、警戒を解かない。
武器を握る手に一層、力を入れた。
ユウの心臓の音はさらに大きくなる。
長い眠りから目覚めたばかりらしい体は、立ち続ける事すら困難を極めた。
どう戦うか、ではない。
ユウには、どうしたら逃げられるのか……走る事さえ、酷く困難であるように感じられた。
それでもなんとか、声を振り絞る。
「本当に、盗賊……泥棒なんかじゃないよ!」
その言葉に若い男は、はっ、と息を吐いた。
「泥棒はみんなそういうんだよ。」
青年は軽く笑うと、背中の大きな翼を広げる。
身体と同じくらいに大きな紫のそれをきらめかせ、青年は壁を蹴り、空に舞い上がった。
──翼?
「飛べるのか…?」
ユウが思わず声を漏らす。
「まあね。」
翼を持った青年は無邪気に答える。
と同時に、空中を舞いながら、落下するようにユウへと迫った。
「こんな状態で…どうすればいいんだ…!」
とっさに拳を構える。
ユウ自身、こけおどしでしかない事はわかっていた。
──それでも、ただ、やられる訳にはいかない。
そう、拳を握ったその瞬間、リリィがランタンを手に取る。
ランタンから青い光が放たれ、まるで魔法のように、ユウの頭上に壁が作られる。
ユウは思わず大きな土塊のようなそれを避けるように飛び退いた。
ユウの直感は当たる。
土塊は、まさにユウのいたその位置に崩れてきたからだ。
翼を持った青年を見れば、まさに今、壁に突っ込みそうになった所を、慌てて再浮上したのが見えた。
「……な、なんだ、それ?」
ユウの声は震えていた。
リリィが冷静に答える。
「ランタン。物質を具現化できる」
──アイテムボックスみたいなものか?
ユウがリリィの説明を考える余裕があったのはそこまでだった。
翼を持った青年は天井を蹴って再び空中から落下してくる。
舞うようなその仕草が美しいだけのものではない事は、先ほどの動きからも明白だった。
どうすればいい。どうすれば。
その時、ユウは、翼が縮こまるように動くのをみた。
──あの翼は本来、もっと広げてしかるべきものではないのだろうか。
例えば大空の下広げるような。
それならば。
ユウは声をはりあげた。
「リリィ!天井を崩せる!?」
「……可能。」
柱の向こうで、ランタンの光が走る。
そして、その柱にひびが入り——ユウは震える身体でそれに蹴りを叩き込んだ。
響く衝撃。
天井が崩れ、舞い上がる埃。
頭を守りながら、土煙が落ち着くのを待っていれば、翼を持った青年が不満げに叫んだ。
「ねぇ。飛べないんだけど。」
もう一人の男はまるで他人事のように呟く。
「……翼ばかりに頼るからだろ。フェル。」
フェルと呼ばれた男は舌打ちし、睨み返す。
「うるさいな。飛ぶのは俺の本能なの。」
二人が言い合っている間に逃げよう。
そう思ったユウがリリィの方を見れば、リリィは誰かの古ぼけたランタンの破片を拾っていた。
「ユウ。……あなたを眠らせていた……古いランタンが壊れた。」
その言葉に、言い争っていた男たちがぴたりと動きを止める。
「ランタンが……壊れた……?」
フェルと呼ばれる青年は、しばらく放心したように立ち尽くす。
もう一人の壮年男性は、黙って首をすくめ、呆れたようにつぶやいた。
「遊んでるからだな。」
その言葉に、フェルは顔をしかめ、不満げに反応した。
「うるさいよ」
イライラを隠すこともなく、フェルは声を荒げた。
「ああ、ホント最悪!金にならないなら、もう帰ろう。
腹も減ったし、こんな狭い場所に長くいるの、無理だって」
フェルは不機嫌そうに言いながら、壮年の男を力強く引っ張る。
と同時に、フェルが腰から下げていたランタンがぱっと光り、彼の体がふわりと浮き上がった。
どうやら強い風がランタンから吹き出しているらしい。フェルはその風に乗るように翼を広げ、そして、来た方に戻るように翼を広げた。
それに抵抗することなくぶら下がる壮年の男は、ちらりとユウに目を向けて軽く手をあげる。
「これに懲りたら、盗賊なんてやめろよ。」
遺跡の壁に反射した声を最後に、二人の姿は見えなくなる。
その瞬間、ユウは肩で大きく息を始めた。
緊張で無意識で呼吸を止めていたのか、その息は荒い。新鮮な酸素を肺いっぱいに取り込んでは、吐き出した。
リリィはそんな彼を見つめ、小さく呟く。
「これが、旧人類……?」
リリィの瞳が揺れる。
それはまるで静かな湖面に小さな波紋が広がるように、一瞬だけの揺らぎだった。