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03 パテル

 



 それから月日は流れた。


 冬が終わり、花々が咲き乱れる春になった。動物たちも永い眠りから目を覚まして恋乱れる季節となった。この町も例外ではなく春はやっぱり恋をしたり、結婚する人が増えるらしい。もちろんそれに従って幸福なことも起こりやすくなるようだ。

 

 久しぶりに見る花は確か、五角花だっただろうか。朧気に覚えている名前の淡いピンク色をした花が風に揺られて散っていく。その様子をずっと見ていたからなのかパテル様がその枝を折って持ってきたときはびっくりしてしまった。

 その枝は私の枕元にしばらく飾ってあった。

 

 パテル様はその間、私の世話をしてくれた。せめて生きているかを確認するくらいだ、と思っていたらほとんど私の部屋にいたのではないか、と思うくらいずっと一緒だった。経過観察は毎日2回くらいはするし、包帯は何回も変えてくれた。痛みでなかなか寝付けない夜は子守唄を歌ってくれたり、麻酔薬を打ってくれた。用事がなくても世間話をしに来たり、外出できない私に外の風景を伝えてくれた。


 マスターに脅されず、血を浴びず、怪我をしてもほったらかしにしていたあの頃が懐かしい。私にとってこの時間は幻のようだった。


 パテル様はどうやら町の有名なお医者さんのようでたくさんの人が訪問していた。結婚したばかりの新婚さん夫婦、風邪をひいてしまった活発な男の子、工事をしていたら足を滑らせてしまったおじさん、持病があるおばあさん、本当に様々な人が。用事がある人だけではなく無駄話をしに来た人さえ、放っておけばいいのにわざわざ相手をしていた。

 優しい雰囲気を持っているからなのか、喋るつもりさえなかったことまで引き出してしまう口の上手さには感心した。それで患者の本当の悩みを見つけているから良いのだろう。

 

 そんな感じだからパテル様が私を拾ったことを町の誰もが知っている感じだった。

 設定としては夜に病院の近くで倒れていたのをパテル様が拾った。ものすごく酷い目にあったのか名前以外は記憶喪失ということになった。

 記憶喪失。

 これほど便利な言葉はないだろう。だけど町の人が可哀想な子を見るようになって少し気まずい。


 長く一緒にいればパテル様のことも分かってきた。

 パテル様は朝起きるのが苦手で若干、朝は機嫌が悪い。お酒が好きで夜遅いことがあったら大体、酒場に行って町の人と飲んでいる。お酒が好きなら煙草もしているのかな、と思ったが吸っているところは見たことがない。

 好きな食べ物は甘いもの。ストレスがたまったり、考え事が終わると砂糖をスプーン一杯、すくって砂糖だけで食べている。時々やってくる若い新婚さんと趣味が合うらしくこの前できたばかりのスイーツ屋さん行ってきたらしい。だけど、その他と新婚さんの夫さんがやってきて離婚の危機だったらしい。誤解は解けたけど少し申し訳なさそうにしていた。

 苦手な食べ物は野菜。医者だからこそ野菜がどれほど大事かわかっている。しかし拒否反応は出てしまうらしく1週間に1回、面倒見のいいおばさんが持ってくる野菜をひきつった笑みで受け取っていた。

 好きな飲み物はもちろんお酒、中でも甘い味のするカクテルが最近のお気に入りらしい。


 癖もある。

 ベットから起き上がった瞬間のくせ毛は爆発するほどぼさぼさだということ。

 何かを混ぜる時は星を描くように混ぜること。これを尋ねたら本人も無意識だったらしく驚いていた。本人曰く薬を混ぜる時、こうすると早く混ざるからくせになってしまったこと。

 困ったことがあると前髪をいじること。

 考え事をする時は右手で左腕を触ること。

 歩き出すのは必ず左足からだということ。右利きなのに左足から出すのは珍しい気がする。

 本を読むときは紙の隅っこのほうを丸めたり伸ばしたりいじること。


 そんな些細なことを見つけるとだんだんとパテル様とも仲が良くなる。

 しかし、どうしても分からないことがあった。それはどうしてこんなに私に優しくしてくれるんだろう、ということだ。


 包帯だらけだったこの体もだんだんと少なくなり、軽く動かせるようになってきた。ほとんど流動食だったのが固形物になってきて体も受け付けるようになってきた。だけどパテル様が言うにはどんどん状況は悪くなってきているらしい。薬でごまかしていかないと体が動かなくなる。その薬の量も増やしていかなければ効きにくくなってしまうらしい。


 余命1年もないかもしれない。それがパテル様の言い分だ。


 

『……もともと生きるつもりはなかったこの命です。だから気にしないでください』


『せっかく助けたのに自分で命を捨てるなんて許さないからね』



 責任を感じないように軽い口調で言ってみたのだが一蹴されてしまった。相変わらずパテル様はどうして私を助けてくれたのかわからない。

 

 直ってくるとあとは動かさないといけない。

 最初、故障している自分のことも忘れていつも通りに動いたら傷口が裂けてしまった。パテル様はものすごく怒って半日ぐらい説教をされてしまった。マスターよりは痛くも痒くもないけどパテル様の説教は翌日も続くって分かったからこれからは気を付けようと思う。

 

 筋力はものすごく衰えていて本当に少し歩いただけで息切れをしてしまった。足もなくなっているし腕もなくなっている、さらに言うと片目もないから平衡感覚がおかしくなっていた。それに慣れるのは時間がかかった。最近、やっと距離感覚がわかってきた感じだ。

 義足と義腕、私にぴったりのものを用意してきたパテル様に少し疑問が沸く。

 私に何かさせようとしているか。それともただ単にお人よしなのか。どちらにしても途方もない金額を使って私を助けてくれたことは事実だ。


 残り少ない命、せめてパテル様の役に立てるのならば何でも使ってくれ、と思う。実際に言ってみた。するとパテル様は目を見開いて何かを堪えた表情をしてこう言った。

 


『君が生きてくれればそれで医者としての冥利に尽きるよ』

 


 と曖昧なことを言われてしまった。

 ただの聖人なのか良く分からない。町の人の反応も不安なことがあれば相談先はパテル様だよ、という感じで彼はみんなに頼られていた。地獄を見てきた私にとってパテル様は謎の意図が読めない存在だった。


 そんなこんなであっという間に2か月が過ぎた。

 このころになると私はベットに寝たきりではなくなり、来訪者が多いパテル様の手伝いや買い出し、家事や雑用を担当するようになった。

 そして今日も夕食を持って席に座る。


 

「……いただきます」


「そういう時は召し上がれ、ハートっていうんだよ。ルーチェ」


「…………召し上がってください」


「ハート」



 ふざけたパテル様を無視してご飯を口に入れる。食膳の挨拶もやったことないからパテル様に教わった。どうやら他人に自分のご飯食べさせるときは召し上がれ、というらしい。自分のご飯と言ってもパテル様と一緒に作った。私がしたのは混ぜるだけだ。

 ハート、と付けるのは明らかに嘘だと思う。


 

「冷たいなぁ。……うん、おいしい。でもこれキャベツ、入ってるね」


「……野菜が体に良いと言っていたのはパテル様です」


「いや、そうだけどさ…………なんでもないです」


 

 意外と冗談好きみたいだ。


 食べる前にいつもの薬を飲む。最初のころはこの苦くて酸っぱくて、飲み込んだ後も口の中に残る泥の味をした薬が苦手だった。パテル様はそれを気にしてか改良したものをどんどんくれるのだがなぜか味が悪くなっていく。

 最近は無に達した心で飲めばそれすらも気にならなくなると分かった。『殺戮人形』だったころも食べられればなんでもいいという感じで味に文句をつけている今が恨めしい。

 パテル様の作ったご飯を食べずに済んだらこんなことにはなっていなかったのに。

 と、考えてもそれは後の祭りに過ぎない。変わりに変わってしまった私の味覚に贅沢だぞ、と思いながら薬の感想をパテル様に伝えた。不味い、と。


 ご飯が食べ終わりのんびりとした時間が流れる。私がパテル様に話すとしたらきっとこのタイミングだ。


 

「……パテル様、お話があります」




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