01 終戦
「はぁ、はぁ、はぁ。ゴホッ……」
大地が真っ赤に燃えていた。空を見上げると無慈悲に降ってくる夥しい爆弾が見えた。まだ夜なのに、それは真昼間のように明るく照らしていた。地上に這いつくばるしかない愚かな人を刈り取っていく。爆撃の音で耳鳴りが止まらない。地上の太陽は私の目を焼き尽くした。
ただ、それすらも無視して命令に従い歩く。
敵の大砲が火を噴いた。地面が震え、砲弾は深い穴を穿つ。次の瞬間、人影が空高く舞いあがり、空から人だったものが降ってくる。その無残な光景を追う間もなく、戦車が音を立てて、すべてを踏みつぶしていった。名もなき兵士がまた一人、また一人、無に帰っていく。
地面はぬかるみ、主を失った腕がそこら中に落ちていた。腸から出てきた臓器を踏みつぶすと嫌に生々しい音が響く。
鼻が曲がるほどの悪臭と鉄の臭いで戦場は満ちていた。
銃声が鳴り響き、自らの体に埋め込まれた爆弾と共に命を花火のように散らしていく。
死んだ目をした奴隷の頭、数々の傷を負った足、粉々に砕け散った奴隷は喜んでいることだろう。自らの意思とは逆に死地に向かっていく体、人形となり果てた体から解放されるのだから。
……待っていてください。
体を引きずるように歩く姿はきっと滑稽なことだろう。瀕死の重傷を負いながらもなお、命令に逆らうことができない呪縛が忌々しい。右半身の感覚は全くない。腕は吹き飛んだところを覚えている。右足は歩けているから付いているのだろう。腹に刺さった矢と、肩を衝撃と共に貫いた銃弾が気を失うほどに痛い。
……いっそ失うことが出来たら。
そしたらこの地獄から解放される。自分で自害することも考えたがここまで戦ってくれた仲間、そして犠牲となった彼女のことを考えると自ら捨てることはできなかった。
赤く染まった視界で拠点に戻る。拠点は敵の集中爆撃を受けたのか燃え盛っていた。だが、命令はここに帰還せよ、と言っている。
……わざわざ死にに行くようなものですね。
そっと心の底で自虐してから火の海へと飛び込んだ。
煙に満ちている。口元を覆うように左手を動かし、命令通りに進んでいった。普通なら目が煙で痛くなるだろう。だがそれすらも何も感じない。多すぎる信号に脳が処理しきれず麻痺したのだろう。
先に進むとマスターが敵に囲まれていた。マスターの足の下で朽ち果てている肉片はおそらく護衛だった者だろう。壁には見慣れた顔をしたものが倒れていた。No.5とNo.6だ。仲が良かった彼らは一緒に逝けることを喜んでいた。その通りになって、幸せだろう。私も心の底から祝福した。
敵は30人ほどいて、マスターは体中からあらゆる体液を流して震えていた。
「やっと来たか! No.7! さっさとこの愚かな敵どもをぶち殺せッ!」
私が来たことに気づいたのか喜びの色を目に宿しながらマスターが命令をした。
戦闘態勢を取ろうとすると右腕が動かなかった。それはそうだ、右腕という部品は吹っ飛んだのだから。なれない左手で血に濡れた剣を構える。すると敵は、おびえたように後ずさりした。No.5とNo.6がどれほど強敵だったのか思い知ったのだろう。
中央に立っていた男の敵も構えなおした。
私は剣を振りかぶって、敵に攻撃をしようとする。マスターの歓喜の気配が私にもわかった。
「ッ…………!!」
マスターの心臓には私の剣が生えていた。そう、私は瞬時に後ろを向きマスターを刺し殺したのだ。
マスターの驚愕した表情を目に焼き付ける。マスターは口から紅の血を吐き出した。そして剣を抜くとそれに従ってマスターの身体が崩れ落ちる。
敵もその様子を唖然と見ていた。
「なぜ……!」
「……マスター。もうやめましょう」
「なぜ……できる……んだ。完全に……意識、を、刈り取った……はずだ!」
「……そうですね。マスター」
「裏切り者……め……」
マスターの呪詛が私の耳に届く。憎しみに満ちたマスターの瞳は光を失った。
「……大丈夫です、マスター。私もすぐに逝きます。地獄で待っていてください」
私への呪いも、憎しみも、すべてを持って華々しく地獄へと持っていくから。
そして後ろを振り向くと剣を構えたまま、微動だにしない敵が立っていた。味方を刺し殺した私のことをどう対処すればいいのか迷っているようだ。
私の目はある一点で止まった。
肩の長さまである黒色の髪に銀色のメッシュが入った珍しい髪色。そして目の色は深い紺色の目をしている。左耳には金色の縁に赤色の大きな宝石と紺色の小さな宝石が散りばめられたシンプルながらも洗練された美しさを誇る片耳イヤリングをしていた。
私は知っている。
落ち着いた紺色の目には歓喜、好意、愉快、様々な感情が浮かぶことを。しかし今は敵意、殺気しか宿っていない。その目を見るだけでなんとも言えない感情が浮かび上がってくる。
人を疑うことを知らないあの純粋無垢な男の子が無事に成長したことへの喜び。純白で健気なあの男の子が汚れている世界に染まってしまったことへの悲しみ。
様々な感情が心をかき乱して一瞬が何時間にも感じられた。それほど私は衝撃を受けていた。
「そのイヤリングは……」
そう、男の人が言いかけた時、さらに火が燃え広がった。危険な音が響いて私は天井を見上げる。辛くも保っていた均衡が崩れそうになっていた。天井がミシミシと音を立てて落ちていく様子が分かった。
「隊長……! 崩れます……!」
おそらくここから逃げても、私はもう助からないことが分かった。血を流しすぎた。
私はせめて、地獄から天国へと導いてくれる若者たちを救うため、唯一残っていたダイヤモンドを口に含んでそれをかみ砕く。
そしてただ願う。
そう思うだけでもう一人の私はきっと叶えてくれる。私の目の前から大きな火に包まれた天井を避けるようにして敵たちが瞬時に消えていく。その様子はまるで最初から何もなかったかのように、時空を歪めるように、静かに行われた。
きっと、敵は自分に何が起こったのかわからないだろう。
それはそうだ。さっきまで炎の渦である拠点にいたのに、いつの間にか程よい距離を置いた地上に転移しているのだから。
やっと地獄に逝ける。
そう思ったのに自分の視界も歪んでいくのがわかった。少し諦めた気持ちを抱えながら笑みを浮かべる。炎に包まれた仲間が息絶えた戦場から森の風景が重なり始める。
どうやら、まだもう一人の私は生から離れることを許してくれないらしい。