第六十八話 黎明
東雲の山林の中で、男は巨木の裏に身を潜めていた。
辛うじて砂利で整備された山道を見据えて、標的の出現を待っている。
「来た……」
男の目線の先には、近付いてくる荷馬車の姿があった。馬車の積荷は、各地へ配給される予定の食糧に違いない。
腰に佩いた得物を抜き、男は刀身に舌を這わせた。高鳴る鼓動が胸を打つ中で馬車が通り過ぎるのを待ち、息を殺して荷台の背後に身を躍らせる。
そうして積荷を奪うべく、男が太刀を構えた時だった――。
「――止まれ」
「――――!」
背後から声を掛けられ、男は身を硬直させた。
声の主は、目と鼻の先まで近接している。足音を立てることなく砂利道を歩き、気配なく男の背後を取ったのだ。明らかに只者ではない。
不意打ちで確実に仕留めるべく、男は振り返ると同時に手に持つ太刀を横薙ぎに振り抜いた。背後に現れた者の正体は不明だが、味方であることは有り得ない。不穏な脅威が漂っており、こうして騙し討ちをしなければ殺されると勘付いたのだ。
しかし、全力を込めた男の斬撃は空を切ってしまう。身構えて背後に立つ者の姿を確認すると、なんとその正体は小柄な少女であった。
「なんだ、子どもか……驚かせやがって……」
少女は黒髪を風に靡かせ、男の眼をじっと見据えている。少女の紅い瞳を見ていると、男は何だか背筋が凍る感覚に襲われていた。
「……お主、廃刀令違反だ」
「――ひっ!」
黒髪の少女の声を聞いた男は高速で飛び退り、少女との距離を取った。
男は黄の妖気を身に纏い、身体をパチパチと帯電させている。
「お主、禍憑なのか。一石二鳥だ。安心しろ、わしが憑き物を落としてやる」
黒髪の少女は腰に差した得物の柄に手を掛け、錆びた脇差を抜き放った。
少女を取り巻く黒い靄が、次第に辺りを覆い尽くしていく――。
◇
戦火に焼かれた十二国の跡地を統合し、佐越はその全てを支配下に置いた。よって佐越は、一国では有り得ないほどの宏闊な領地を手にすることとなったのである。
今回の事変の首謀者である太刀川刀乃と大嵐荒士、かつての修羅狩りである二名は重責に圧し潰されていた。二人は自ら死刑を求めたが、士隆はこれを拒否する。二人の幕府への忠誠心を買い、自国の修羅狩りとして雇い入れたのだ。
黒斬刃、水姫雫玖、神楽詩音、磐座大地、太刀川刀乃、大嵐荒士――以上の六名を佐越の修羅狩りとして登録した。これほど莫大な人数の修羅狩りを雇った前例はなく、佐越は日輪が誇る比類なき武力を得ることとなったのである。
それから雫玖の進言により、士隆は諸各国に二つの通知を流した。新たな修羅狩り契約と、領地拡大による新体制の発足。そして、領民に紛れる殺し屋の存在を世に警告した。他国に知らせを送ることは、実に倒幕以降で初の試みであった。
雫玖の智略が功を奏し、日輪に現存する大半の国が佐越に同盟を申し出た。その数――なんと五百七箇国。各地の領主は乱世に疲弊し、限界間近であったようだ。どこかの国が天下を取ってくれと、誰もが心中では強く願っていたのだ。結果として武力の傘に頼る形となったが、修羅狩りの後ろ盾は絶大な効力を発揮した。士隆が同盟国の保護を約束したことで、佐越はいつしか日輪の中心となっていった。
力を得ようとも、領主――神代士隆は壟断を望まなかった。同盟国との議論の場を設け、各地の領主と隔意のない意見を交わした。
共通の理念は、武力衝突の回避。もう二度と戦禍を繰り返さないという誓いを立て、同盟国はこれに同意した。規範となる式目を各地の領主と共に作り上げたことにより、戦国時代の終焉を天下万民に知らしめることとなったのである。
遂に武家政権は幕を閉じ、日輪に新たなる時代の暁鐘が鳴り響いたのだ。
そうして可決された式目は、主に次の三つである。
まず一つ目。生命、財産の保護。
暴行、殺生、窃盗、あらゆる蛮行を禁じ、これに厳しい罰則を科した。
この法令には廃刀令も含まれている。修羅狩りや警備兵など一部の職業を除いて、武器と成り得る凶器の所持を全面的に禁じた。
そして二つ目に、戸籍の登録。
主な目的は領民の保護だ。まだ殺し屋が領地に隠れている可能性は充分に考えられる。同盟国を含む全領民に登録を義務付けることで、殺し屋は鳴りを潜めるどころか殺し屋稼業から足を洗うこととなった。
更に、日輪には異形なる妖怪も存在している。幕府の時代以前に於いても有り得ないとされていたことではあるが、なんと士隆は妖怪との共生を目指したのだ。
妖怪と禍神は似て非なる存在であり、清い心を持つ者もいるという。心を通わせられる者には人権を与え、人間と同様に戸籍の登録を行った。
そして三つ目に、禍憑の断絶。
禍神との契約を禁じ、禍憑は幕府への報告義務を負うこととなる。もう二度と禍神の思念体を顕現させないために、刃による妖力の浄化を行った。
佐越が修羅狩りという武力を保持していることに対して、同盟国からの反発は一切なかった。廃刀令による接収を受け入れ、修羅狩りの帯刀をあっさりと認めたのだ。
修羅狩りは護りの要であり、侵攻のための力ではないことが知れ渡っている。刃達の奮闘が実を結び、修羅狩りの功績を誰しもが認めていたのだ。
しかし、殺し屋の暗躍は完全に治まったわけではない。今も尚、領外には無法者が彷徨いている。よって広大な領地の境界に、城塞を築く必要があった。
いざ出番だと刃は意気揚々と膠泥を練っていたが、大地の妖術により城塞はいとも簡単に完成してしまった。使いどころのない膠泥が徐々に固まっていく様を見て、刃はしばらく落ち込んだという。
そして国交は復活し、同盟国は豊かな生活を送れるようになっていった。同盟に二の足を踏んでいた国も、情報を聞きつけて続々と佐越の傘下に加わるのだった。
同盟国が増えるにつれて、殺し屋の存在は次第に淘汰されていった。赫奕たる未来への道程で、殺生を生業にできる時代ではなくなっていったのだ。
新体制となったことで、修羅狩りの仕事は多岐に渡ることとなる。
膂力と体力を当てに便利屋として仕事を頼まれることも多かったが、特に重要な仕事は大まかにわけて六つである。
一つ目は、領主――神代士隆の護衛。
神都幕府と同じ轍を踏むわけにはいかない。
必ず修羅狩りを一名、士隆の護衛に付けた。
二つ目は、出生児の確認。
生まれた子どもを管理し、修羅狩りの手で妖力の有無を調べ上げた。
妖力が確認できれば、その一族は修羅乃子の定期報告義務を負う。
そして親族の同意の下、子どもは修羅狩りになるための教育が行われることとなる。その力を――正しく使うために。
三つ目は、殺し屋の始末。
領地の治安維持に努め、捕えた下手人を佐越の一画に住まわせた。
大方の殺し屋は、貧困が理由で殺しに手を染めた者である。彼らに一般的な生活を送らせることで、戦いで生を得る思考を忘却の彼方に消し去るのだ。
彼らは廃刀令を受け入れるか、警備兵として従事するかの選択に迫られる。
改悛が見込めない者は死罪となる場合もあり、処刑も修羅狩りの職務である。
四つ目は、領外の視察。
佐越との国交がない国は殺し屋が根城にしている可能性が高く、同盟国に被害が出る可能性を排除しなければならない。
非同盟国がどのような情勢にあるか、危険な組織でないか、修羅狩りによって確認に出向いた。場合により同盟の勧奨を行い、佐越と共に歩める道を探った。
独立国家を貫くことも一つの形だが、中にはとんでもない悪政が敷かれている国もあり、人道に外れた体制が確認できれば強制的に解放することも辞さなかった。
五つ目は、同盟国の巡回。
殺し屋の脅威は完全に消え去ったわけではない。逸早く通報に対応できるよう、幾日か同盟国に駐在した。各地を転々とし、修羅狩りの存在を世に知らしめた。
最後に六つ目、禍憑の解放。これは黒斬刃の管掌である。
式目制定後、各地から続々と禍憑が名乗り出た。中には明らかに堅気ではない者も数多く混じっていたが、仮借して兇状を咎めることはしなかった。
刃の妖術によって禍憑を調伏し、禍神の思念体を封じ込めた。
これらの仕事を六名で分担した。
忙しない日々が続いたが、全く苦ではなかった。求めていた和平が叶ったのだ。皆が遣る気に満ち溢れ、活気良く職務に従事していた。




