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修羅狩り刃  作者: 辻 信二朗
第六章 交わらざる二つの正義

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第六十三話 落胆

 ひとまず首謀者の無力化に成功した。これ以上意地を張り続けるなら殺生もやむなしであったが、命を奪うことなく刀乃を抑えることができた。

 思い掛けないほどに上々の戦果だが、刃の目的はまだ果たされていない。


「刀乃、士隆はどこにいる? 今すぐに解放しろ」

「……ああ、わかっている。そう急がずとも領主は生きている」

「お、やはりそうか! それを聞いて安心した! 雫玖からも士隆の無事は聞いていたが、嘘だった場合はどうしたものかと不安になっていたところなのだ。お主はまだやり直せそうだのう!」

「………………!」


 最悪の事態を想定していた刃は、肩の荷が下りたように顔を緩ませている。


 刃に背中をバシッと叩かれた刀乃は、一瞬だが顔を引き()らせていた。音が鳴るほどの強さで放たれた刃の張り手に、ヒリヒリと痛む背中を擦っている。

 先ほどまで殺し合いを興じてきた相手だとは思えない態度に刀乃は困惑し、この少女が懸けてきた思いを感じ取って己が所業を悔やんだ。


 そうして士隆の無事に安堵した後、刃は辺り一帯の様子を窺った。

 佐越を襲った脅威は刀乃だけではない。潜んでいた朱穂の殺し屋が姿を現し、佐越を乗っ取ろうと画策しているのだ。これから佐越の解放に急ぐべきだが、周囲からは戦いの音が聞こえなかった。既に戦火は消火されており、佐越の医療機関も機能を取り戻したようだ。領民が力を合わせて怪我人を運ぶ様子が見て取れる。

 大地が自由になったことで、潜入していた殺し屋は潰走(かいそう)したのだろう。もしくは大地に皆殺しにされたか。いずれにしても、佐越の暴動は治まっている。


 孤児院の方角から刃を呼ぶように発せられていた殺意の波動も、刀乃との戦いを前にして消え失せていた。詩音は剣斗を狙う輩の討伐に成功したのだ。


 全ての問題が解決したところで、刃は改めて刀乃へ疑問をぶつけた。


「刀乃、聞かせろ。お主の扱う炎術。それは朱穂の長――紅蓮が使っていた妖術だ。一体どういう絡繰(からく)りなのだ? どうしてお主が使っておる?」

「………………」


 戦闘中の会話から推察するに、刀乃にとって妖力の獲得が不本意であることは間違いない。案の定、刃の質問に刀乃は表情を歪めている。


 だがこれは、日輪にとって重要な事柄だ。禍人であるという刃にとっても他人事ではない。自身の出自についてでさえ今日に聞かされたばかりであり、刃は妖力について何も知らないのだから。

 刃は修羅狩りとして知っておかなければならない。どうして刀乃に妖力が宿ったのか、己と紅蓮は何が違うのか。禍憑はどうして生まれるのか――。


 刀乃は絶望したように間を置いてから、呼吸を整えて返答をした。


「これは……俺も誤算だった……。紅蓮とやらは禍憑だったようだ。奴の命を絶ったことにより、宿っていた禍神の思念体は宿主を変えた。なんという無念……。禍神は近くにいた俺を宿主に選び、取り憑いたようだ……」

「宿主を……変えた?」


 ――禍憑とは、禍神との契約により妖力を得た人間を指している。刃が神都の動乱で出逢った天禰(あまね)や、朱穂の頭領だった紅蓮がこれに該当する。

 この契約と呼ばれる妖力の授与は禍神にのみ可能な御業であり、対象は人間のみに限られている。妖怪などの類はその限りではない。


 禍神の所在は定かでないが、実際にこうして禍憑が存在している事実がある。つまり何かしらの方法で紅蓮は禍神と接触し、契約に至ったということなのだろう。


 そして、ここからは刀乃でさえ知らなかった情報である。禍憑には禍神の思念体が宿っており、契約者の死によって他者に乗り移る性質があるという。それも当人の許諾なく、妖力の移動は強制的に発生してしまうというのだ。


 紅蓮の死によって、禍神の思念体が刀乃に乗り移ってしまった。つまり刀乃はあの時、予期せず禍憑となってしまったということである。


 この事象を発見し、刀乃は酷く落胆していた。これでは妖力の根絶を掲げた式目の目的は永遠に達せられない。どれだけ禍憑を葬ろうとも、その全体数が変わることはないのだから。それどころか禍神が更に契約者を増やせば、日輪中が禍憑で覆い尽くされてしまうことだろう。


 これにより禍憑は、第一の目的であった禍人以上に厄介な存在となってしまった。この世界から禍憑を完全に取り除くには、どこにいるやも知れない禍神を直接葬るしか道は残されていないのだ。


「人民が安心して暮らせるように、禍神の血が日輪に紛れてはならなかった……。人間が妖力に侵されるわけにはいかないのだ……」


 刀乃は拳を握り、打ち震えていた。忌み嫌っていた存在に自身がなってしまったのだ。刀乃の失望の深さは、底の見えない奈落であることだろう。


「……とはいえ、俺の犯した罪咎が消えることはない。黒斬刃、俺を殺せ。これで此度の動乱の幕を引く」

「…………は?」


 その後に失意の刀乃から発せられた言葉は、またしても突飛な内容だった。


「これも式目で定められていたことだ。俺は目的に執着するあまり、民を巻き込んでしまった……。その罪は死を以て償わなければならない。復讐の連鎖を、今ここで断ち切らなければならない。狂った歯車は二度と戻らないのだ……」


 突然何を言い出すのかと思えば、刀乃はまだ幕府の決めた式目に囚われている。己の過ちを清算するべく、真摯に処刑を受ける気だ。


 刀乃は刃の前で正座をすると、死を受け入れて目を閉じている。有無を言わさぬ刀乃の豪胆さには呆れたが、刃は望み通りに脇差を再び抜いた。


「……わかった。疾く終わらせてやる。刀乃、最期に聞かせろ。わしの父上は……今際(いまわ)(きわ)に何か言っておったか?」


 刃の質問に刀乃は薄っすらと瞳を開き、記憶を辿りながら訥々(とつとつ)と答えた。


「……剣衝が謀反を働いたのは妻子の仇を討つため。それから、生き残ったお前と息子を護るためだ。剣衝は残された子ども達の末路を嘆いて死んでいったよ……」


 刀乃の返答を聞き、刃は装束の(えり)をギュッと握った。


「……そうか。仔細(しさい)を承知した。日輪を地獄に陥れた張本人であろうと、わしにとって父上は大切な人なのだ……」


 刃は静かに目を閉じて黙祷(もくとう)し、肉親のことを思い出していた。


 父は強くて真面目な人だった。寝る間を惜しんで職務を熟すほど仕事に熱中していた。帰りが遅くなって、よく父が母に怒られていたことを覚えている。

 それでも、休日には朝から晩まで刃と遊んでくれた。仕事帰りに剣の修行にも付き合ってくれて、他者のためなら力を惜しまない(たくま)しい人だった。


 母はお淑やかで優しい人だった。どういうわけか父にだけ厳しい態度を取るので、その相違には驚かされたことがある。

 母の作る料理はとても美味しく、食事の時間が刃は楽しみだった。貧しい時でも構うことなく、母はいつだって刃の腹を満たしてくれた。

 そんな母にどれだけ料理を教わろうとも、刃はその技術を一向に習得できなかった。唯一作れる冷や蕎麦を刃が大量に作ってしまい、家族の食卓に蕎麦が続けて並んだこともあるが、母は怒ることなく笑って刃を撫でていた。


 兄の剣諒は刃にとって憧れの存在だった。父から授かった剣の腕は一流で、将来は修羅狩りになると意気込んでいたことを思い出す。

 刃も兄と共に剣の道へ進み、幕府に仕えることを夢に見ていた。面倒見がよく、ずっとついてくる刃を優しく迎えてくれる優れた人格の持ち主であった。


 全員が家族想いであった。こうして自身の成長した姿を見せられないことが残念でならない。修羅狩りとなった自分の頑張りを、家族に認めてほしかった。


 だが家族を崩壊させる切っ掛けを作ったのは、紛れもなく刃自身なのだ。剣斗が産まれた時、図らずも自身に宿る妖力を自らの手で開示してしまったのだから。


 結果論だが、現在まで幕府が健在であれば黒斬一家は安泰であった可能性が高い。禍人であることを公開しつつ幕府を護る意志を示せば、天下人たる劉円も納得していたことだろう。それに納得せずとも、刃や大地を処刑したり、腕尽くで従わせることなどできやしない。妖力について教示することや、式目を力尽くで変えることなど、他に幾らでも遣り様はあったといえるだろう。


 父が幕府を滅ぼしたと聞いて初めは驚いたが、剣衝は気が触れて暴れ出したのではない。目的は殺戮ではなく、肉親の保護と仇討ちだったのだから。


 日輪の均衡を保っていた幕府を滅亡に追い込んだことは、到底許されることではない。倒幕によって世界は散逸(さんいつ)し、結果として殺し屋が蔓延(はこび)る地獄へと堕ちてしまったことは疑いようもないことである。


 しかし、幕府が完全に正しかったのかというとそうではない。禍人を得体の知れない化物であると断じ、存在を抹消してきたことは紛れもない事実である。


 妻子を殺されて平然としていられる者はいない。刃が同じ立場であったとしても、父と同様のことをしただろう。それに父が幕府を倒さなければ、刃と剣斗はこうして生き長らえてはいないのだから。


「………………」


 刀乃は正座の姿勢で背筋を伸ばし、刃の断罪を待っている。家族のことを思い返していたお陰で、刃は目の前で待つ男の存在を忘れかけていた。


 刃は(おもむろ)に手を差し出し、刀乃の無防備な額に向かって勢いよく指を弾いた。


「――痛っ!」


 思い掛けず額に痛みを感じ、刀乃は少し間の抜けた声を発した。


「殺せ……だと? 馬鹿を言うな。わしを殺し屋にするつもりか? 死にたければ勝手に死ね。式目が存在しない現在の日輪では、正当にお主を裁くことはできぬ。今回は、わしの勝手な正義感でお主を止めさせてもらっただけのことだ」

「黒斬刃……お前……」


 刃に打たれた刀乃の額が、赤く腫れ上がっていく。刃の突飛な行動に刀乃は状況が飲み込めず、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で打たれた額を押さえている。


「それに、日輪の問題は何も解決していない。あれだけ無茶苦茶に暴れておいて、修羅狩りの責務から逃げるな。刀乃、力を貸せ。死などという無責任な現実逃避はよすのだ。もう幕府は存在しない故、お主を縛るものは何もないはずだろう?」


 たとえ命を狙われようとも刃に恨み辛みはなく、あるのは日輪に和平を(もたら)す悲願のみ。そのためであれば、刃は過去の悪行にも目を瞑る。これは、式目が存在していない現在だからこそ可能なことだ。手段を選んではいられない。


 刃の寛大な心に、刀乃は目を伏せて涙を流していた。だが返ってきた答えは、命令に近い刃の提案を素直に受け入れるものではなかった。


「黒斬刃、有難き申し出、痛み入る。だが、俺の処遇を決めるのは領主だ。神代士隆の決定に、俺は従う」

「そうか……まぁ、答えはどうせ変わらぬよ。詩音と大地も大概だが、お主の頭の固さは修羅狩り随一だのう……」

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