第五話 依頼
稲穂が風に靡いている様子をしばらく眺めた後、二人は刃の家に戻ってきた。
「雫玖、今日はありがとう。飯でも食べていくか?」
「いいの? じゃあ、お言葉に甘えようかな!」
「昭から良い蕎麦を仕入れておる。楽しみにしておけ」
二人が家に上がろうとした時、刃に向かって飛んでくる小さな影があった。
その正体は、流れるような毛並みを持つ茶色い鳩である。その姿を視認した刃は、待ち侘びたとばかりに口角を吊り上げていく。
「来たか。よしよし。珍しく大人しい子だのう」
刃は慣れた様子で手を差し伸べ、小さな鳩を指に留まらせた。
茶色い鳩の足首には文が括られている。
――この鳥の名は《鳩鷹》。
日輪に伝わる伝書鳩であり、名に〝鷹〟の字がつくが鳩の一種である。幕府の手によって鍛え上げられ、過去には遣いとして重宝されてきたという。
しかし、野生化した彼らは時代に合わせて役割を変えた。現代では依頼者と修羅狩りを繋ぐ架け橋として従事し、依頼書を修羅狩りの下へと届けるのだ。依頼者による食糧を報酬としており、特有の指笛で呼び出すことができる。
現代では、もはや彼らなくして修羅狩りは成り立たない。刃に播宗の悲報を届けたのは鳩鷹であり、依頼せずとも彼らは契約国の情報を担当した修羅狩りに共有するのだ。鳩鷹は修羅狩りの情報網として重要な役割を担っている。
鳩鷹の足首に巻かれた文を優しく剥がして内容を確認し、刃はグッと拳を握った。
「依頼書ね。文は誰から?」
「《神都》からだ。かつての都に行くのは久々だのう」
「へぇ、凄いじゃない! 神都なんて給料もよさそうね」
「それは交渉次第だろう。わしは神都の飯が楽しみだ」
修羅狩りの契約は月給に加え、基本的に三食が契約者から振舞われる。
お金を貯めていない刃にとって、野良であることは死活問題なのだ。
「明日の払暁に発つ。雫玖、今日は泊まっていけ」
「やったぁ! 話したいことが山ほどあるの。今日は眠れないわね!」
「通暁は勘弁してくれ……久々にぐっすり眠れると思っておったのに……」
◇
結局、刃は一睡もできなかった。契約をした領地での思い出や、戦ってきた殺し屋のことなど、話題が尽きることなく雑話を楽しんでいた。
初めは渋々付き合っていた刃であったが、次第に会話が弾み、気が付けば夜が明けていたのだ。親友との寝泊まりは楽しく、刃は心の安らぎを感じていた。
気苦労の絶えない仕事柄、常に精神を安定させなければならない。雇われ先では孤独に従事することとなるが、刃には志を共有する仲間がいる。雫玖の存在は心を晴らし、元気を与えてくれる。束の間の休暇であったが、良い気分転換となった。
窓から外を眺めると、山間から曙光が差している。憩いの時間はここまでだ。
深山の肌寒い空気が衣服の間を通り過ぎ、刃は身体をぶるると震わせた。冷えた外気が、気密性の乏しい建具の隙間から入り込んでくるようだ。
夜の静寂が嘘のように外では強く風が吹いており、ヒューヒューと風声を立てて年季の入った木枠の窓をガタガタと揺らしている。
親友が風邪を引かないようにと、刃は自分の臥裳を雫玖の身体に被せた。
雫玖からは、スース―と安らかな寝息が聞こえてくる。どうやら疲れて眠ったようだ。親友の愛らしい寝顔をそっと撫で、刃は顔を綻ばせる。
そうして気持ちを仕事に切り替え、刃は自宅を後にした。