第五十五話 対峙
並び立つ二名の修羅狩りに向かい合うのは、同様に二名の修羅狩りである。
幕府の時代を牽引してきた刀乃と、自らの手でこの道を模索してきた刃。異なる雇い主によって微妙な差異が生じ、その信念が互いに交わることはない。
刃と大地、刀乃と雫玖。対峙する両陣営、恐らくだが実力は拮抗している。
先ほどまでは沈黙を貫いていた雫玖だが、ここから戦闘に加わるようだ。無造作に小太刀を握るその姿勢に隙はなく、今にも刺されそうなほどの敵意を感じ取れる。
「刃、ここは一人一殺でいくぞ。お嬢と俺様の妖術とでは相性が最悪だ。悪いが任せるぜ。裏切り者にお灸を据えてやれ」
「承知した。お主も刀乃を侮るな。奴の剣術は、わしに匹敵するやもしれぬ」
「ふーん、あっそ。お前程度の剣術なら、俺様の敵じゃねぇな」
「言ってくれるのう。お主では瞬殺されるのがオチだ。さっさと殺されてこい」
「刀乃とやらの次はてめぇの番だから忘れんじゃねぇぞ。何ならてめぇこそお嬢に殺される前に逃げてもいいんだぜ? 俺様一人で佐越は護れるからよぉ」
二人の舌戦を尻目に、刀乃は眼前にまで迫っている。
大地はわかっていたとばかりに、刀乃の斬撃を硬化した腕で防いだ。
「ここは俺様が護ってきた土地だ。荒らされるのは我慢ならねぇ。どちらが修羅狩りか、篤とわからせてやる!」
大地が修羅狩りを名乗ることに対して明らかに嫌悪感を抱いている刀乃は、挑発を返すよう論戦に応じた。その目には、禍人である大地への侮蔑が感じられる。
「お前が修羅狩りだと? 笑わせるな。岩の禍神――《峨嵬堊》の血を引きし禍人。お前が早々に死ねば、佐越に手出しはしない。どうだ、死ぬ気になったか? 自害をするなら見届けてやる」
「峨嵬堊だぁ? 知らねぇな。禍人だの禍憑だの、わけのわからねぇ設定を持ち出してきやがって……。俺様は俺様だ。他の何者でもねぇよ。俺様は修羅狩りとして、士隆との契約を全うするだけだ! てめぇをぶっ殺して、佐越に入り込んだ殺し屋も皆殺しにしてやる!」
「――殺し屋風情が! 誇り高き修羅狩りの名を騙るな!」
大地が修羅狩りとしての矜持を語ることに、刀乃は我慢ができなかった。冷静に口撃してやろうと踏んでいた刀乃だが、遂には怒りが爆発してしまったようだ。
「どっちが殺し屋だよ……。言っておくが俺様は殺し屋しか殺していないぜ? 何でもいいが佐越に仇なすてめぇは、俺様にとって殺し屋も同然なんだよ!」
互いの主張は交わることなく、鋭利な舌鋒によって刺し合うのみである。
刀乃と大地は相反する意志と共に、互いの豪剣を激しくぶつけ合った。
◇
刃は雫玖に向き合った。目の前の親友は幻影や傀儡ではなく、紛れもなく雫玖本人だ。もはや殺し屋も同然の裏切り者だが、刃は受け止め切れてはいなかった。
「雫玖、今すぐに謝れば許してやるぞ」
「謝る? 一体何をかしら? あなたは初めから私の仲間ではないのよ?」
狐の仮面の下で、雫玖は冷酷に言い放った。いつものように、刃を名前では呼んでくれない。
「お主が操る水の妖術……。それは、わしら禍人のものとは違うのか?」
「同じよ。私はあなたと同様、忌むべき禍神の血族。でもね、私はこの力を同族の抹殺に使うと決めたの。この世から汚らわしい血を根絶させるためにね」
雫玖は無感情に答えた。雫玖は親友の血を否定し、恩人を見殺しにしたのだ。
だが刃は雫玖の裏切りを素直に信じることができなかった。雫玖のことは知悉しているつもりであったからだ。共に和平を望み、励まし合った日々の記憶が蘇る。
「身寄りのないわしにとって、雫玖は信用できる友達だった。幼少期を共にし、様々な苦境を共に乗り切った。これら全て、雫玖の偽りの姿だったというのか?」
刃は雫玖の心に語り掛けた。手遅れであるかもしれないが、とてもこのまま戦う気にはなれなかったのだ。
しかし雫玖は間を置かず、濁りのない返答をした。
「全て偽りよ。本当に騙されやすい子ね。私はあなたを監視し、情報を刀乃に流していたのよ。あまりに疑われないから正体を明かすのが億劫だったわ」
「雫玖……」
はっきりと告げられてしまった。動揺した素振りでも見せてくれるかと少しばかり期待していたが、雫玖は淡々と真実を述べている。
刃は普段、心が荒んだ時には雫玖のことを思い出していた。同じく修羅狩りとして専心する仲間の存在は刃に活力を与えてくれた。辛い時には傍にいて、優しく抱き締めてくれた。そんな刃にとっての女神は一体誰であったのか。刃が与えられた励ましの言葉や心の温もりは、実在しない偶像であったのだろうか。
よく思い返すと、不審な点が浮かび上がってくる。刃が契約を終えた時、頃合いよく雫玖も同様に野良であった。刃が真実から目を背けていただけであり、疑って掛かれば充分に気付ける場面はあったのだ。
雫玖の裏切りを受け入れ、刃は拳を握り締めた。この怒りは雫玖に対してではない。他人を疑わず、のうのうと暮らしていた自分への怒りだ。
仕方なく刃は戦う決意をした。こうして話を続けていては、佐越の状況は悪化するばかりなのだ。目の前の少女は、自らが信じる修羅狩りにとっての敵であると認定する。早々に片付け、刃は士隆の生存を確認しなければならない。
「やはり……わしは騙されやすいようだのう……。雫玖、わかった。お望み通りに決闘を受けてやる。お主が相手では手加減できそうにない故、最初から全力で掛かってくることを勧めるぞ。両の手足をへし折ってでも士隆に謝らせてやるから覚悟しておくことだ」
「あら? 私に勝てるつもりでいるのね。あなたの戦術は全てお見通しだと言うのに……。そちらこそ私との思い出は捨て去りなさい。迷っていては一瞬で勝負がついてしまうわよ」
修羅狩りを志してから現在に至るまで、刃は戦いで苦しんだことがない。紅蓮との戦いも長引きはしたが、手傷を負うまでには至らなかった。
雫玖が幕府側の修羅狩りであろうとも、彼女もまた数え切れないほどの殺し屋を屠ってきたはずである。雫玖からは苦戦や負傷をした話を聞いたことがなく、全戦全勝はお互い様なのだ。華麗な剣技と妖術のキレは本物であり、実力は疑いようもない。刃にとって雫玖は、これまで戦ってきたどの相手よりも強いことだろう。
修羅狩りとなってから、両者の対決はこれが初となる。美しい水の力を刃は隣で見てきたが、自分に牙を剥く日が来るとは考えもしなかった。
刃の迷いを断ち切るように、雫玖から水の妖気が迸る。
逡巡はここまでだ。刃も応えて、黒の妖気を爛々と漲らせた。




