第四話 苦悩
倒幕をきっかけに、各地の領主は我先にと領地の区画を行った。播宗を含め、どこへ行っても将領が治める土地は高さ五尺程度の石塁で囲われている。
古惚けた石塁の跡は国が栄えていた頃の名残であり、かつてはその位置まで街を展開していたということだ。この防塁を突破される度に区画を縮小していき、現在では城や城下町といった生活圏を囲うのが精一杯である。
刃の家は辛うじて佐越の領域であるため寸尺離れたところに簡素な石塁が築かれているが、至るところがボロボロに破壊され痛ましい戦争の痕跡が確認できる。
ここは佐越の城下町から遠く離れた僻地にあり、領主による支配が全く及んでいないのだ。もはや領外も同然だが、修羅狩りの隠れ家には打って付けである。
現在はこのように、ほとんどの国が領地の端部までを警護する余裕を持たない。
実情として領地の管理が行き届かず、各国の境界は曖昧なものとなっている。
人々は修羅狩りなくして、安心して眠ることができない。何せ石塁の外は針の筵であり、いつ、どこから襲撃を受けようと不思議ではない環境なのだから。
常に危険と隣り合わせである現状に抗うべく、刃は日々奮闘している。だが思うように事が運ばず、心が圧し潰されそうになることがある。
業務体系の性質上、修羅狩りは自宅に帰れる機会をほとんど持たない。こうして帰宅ができるのは、いつだって契約の更新ができなかった時なのだ。
激しい後悔と共に自責の念に駆られ、刃の精神は薄氷の上であった。
契約満了後に国が滅びた知らせを刃は幾度となく受け取ってきたが、今回も同様のことが起こってしまったのだから。
そういった心憂いを晴らすために、刃は帰宅すると必ず河川敷を散歩している。
刃にとって重要な生活用水である河川。川面を覗くと、己の無力さを実感させられる。いつ見ても、水面には自身の陰鬱な表情が映し出されているのだ。
河川敷を歩く少女達。久々に顔を合わせる二人だが、その足取りはずっしりと重い。話題の中心となるのは、やはり修羅狩り稼業についてであった。
「雫玖、単独で行動しておるということは、現在は契約をしておらぬようだな。以前はどこへ行っていたのだ?」
「ここからずっと西にある《槙原》よ。自然が豊かな国だったわ」
「ほう、確か海に面しておる国だのう。漁業が盛んだったと聞き及んでおる」
「そうよ。毎日豪華な魚が並ぶ食卓は圧巻だったわ。……でも、頑張って働いていたのに解雇されちゃったのよ。私と契約をしたことで殺し屋が現れなくなったから、もう修羅狩りのような穀潰しは要らないってさ……」
雫玖は呆れるように手を広げて不満を漏らしている。
同様の理由で解雇された経験のある刃は、雫玖の愚痴に同調した。
「へぇ、まだそんな馬鹿がおるというのか……。雫玖の存在が抑止力となって、殺し屋の襲撃を未然に防いでいたというのに……」
この乱世に於いて、修羅狩りの威光は絶対的な力を持っている。
修羅狩りと契約をすれば、敵国や野盗は手出しができなくなるのだ。
「私を解雇して、すぐに槙原も滅びたわ……。それにしても殺し屋っていうのは、どうやって修羅狩りとの契約期間を把握しているのかしらね」
「そういえば謎だのう。逆賊による簒奪か、或いは雇った殺し屋の奸計か……?」
刃は顎に指を当て、悩むように考えを巡らせた。
「嫌になるわね。こんなにも人の死が身近になってしまうなんて……」
二人の少女は、端倪すべからざる日輪の情勢に肩を落としていた。
日輪を再び一つにし、治める者がいなければ滅びの一途を辿るだろう。恒常的に行われる殺戮により、日輪が殺し屋に支配されるのも時間の問題だといえよう。
「このままでは、日輪の終末は近いのかもしれんのう……」
「珍しく弱気ね。そこは修羅狩りの本領でしょう? 私達、〝野良〟をやっている場合ではないわよ。修羅狩りの力を必要としている人々は大勢いるのだから」
未契約の修羅狩りを業界用語で《野良》と呼ぶ。成り立ちは不明。
「うむ……そうだな。いつまでも落ち込んでいては修羅狩りの名折れだ」
「その意気よ。腐っている暇なんてないわ」
刃は眼前で拳をグッと握り、秘めたる気炎を燃え上がらせた。雫玖も同様に滾々と遣る気を漲らせ、刃に向けて握り拳を差し出している。
刃は雫玖の意図を察し、心を通わせるように二人は拳を突き合わせた。
――殺し屋に対する唯一の対抗手段である修羅狩り。《修羅》とは殺し屋を指し、殺し屋殺しを企図して始まったことが語源だといわれている。
当初は幕府が結成した組織であり、日輪の治安維持に従事していたという。
しかし、倒幕以降は個人事業である。雇い主を自分で探す必要があり、依頼がなければ日銭を稼ぐことも儘ならない。それ以上に、修羅狩りが規模を縮小することは殺し屋が擅に猖獗を極める遠因となってしまうのだ。
無様に立ち止まっている暇など、修羅狩りには少しも残されていない。