第四十五話 懊悩
しばらく待ったが、領主はなかなか姿を現さない。
時間を持て余した刃は、隣でちょこんと座る詩音に目を向けた。大地の狂気について話したことで緊張している詩音に対し、刃は質問を投げ掛ける。
「詩音、お主は殺し屋を殺める時に何か思うことはあるか?」
「……はい?」
突然の問いを受け、詩音は顎を触りながらじっくりと思考した。質問の意図を詩音は汲み取っており、適当な返答ではいけないと思料していたのだ。
「……師匠に力を出し切ることの重要性を教わってからにはなりますが、わたしの考えは刀乃さんに近いようです。殺し屋の存在は和平を遠ざけてしまいますから容赦はしませんし、殺すことにも躊躇うつもりはありません」
「そうか……こんなことで悩む、わしが少数派であったか……」
神都や朱穂でも、詩音は数々の殺し屋を果断に屠ってきた。そこで行われた殺人は修羅狩りの信念に背くことではなく、実際に刃自身も助けられている。
それでも刃の心の裡には、殺すことに対して制動を掛けてしまう自分がいた。
殺し屋にも家族や恋人がいるかもしれない。死を悲しむ者がいるかもしれない。そう思うと、どうしても斟酌をしてしまうのだ。殺し屋を生かすことで、確実に苦しむ人がいる。頭ではわかっていても、他人を殺めることを逡巡してしまうのだ。
だがこれは、自身への欺瞞であるのかもしれない。
朱穂で雫玖は、大量の殺し屋を絶息させた。雫玖に殺しの許可を出したのは刃自身であり、劣勢を覆すために求めたことでもある。己の手を汚したくないのか、肉親を失ったことによる心的外傷か。刃自身にもわからず、思い倦ねていた。
刃は人体に刃物を通す感覚が嫌いだった。これ以上深く傷を付ければ相手が死ぬ、だからここまでで止める。このように、刃は常に手を抜いて戦っている。その気になれば、人は簡単に壊れてしまうからだ。
他人の皮膚に刃物を食い込ませることや、頭蓋に鈍器を振り下ろす行為には、それなりの才能がいることだ。殺し屋のように頭の螺子が外れた者にしか、そう易々とできることではない。刃には、なかなかそれができないでいた。戦いになると、身体が勝手に手を抜いてしまうのだ。
かつて詩音が直面していた無意識の手加減とは異なり、刃は力の制御によって敵に後れを取ったことはない。強いて挙げれば、抑止としての力が有効に働かなかったことぐらいか。だがそれでも、襲い来る殺し屋は全て退けてきた。
この性質が業務に支障をきたすわけではないが、修羅狩りとして相応しい思想かといえばそうではないのだろう。己の手法を貫くべきか、磐座大地のような恐怖政治を行使すべきか、刃はまだ答えが出ないのだった。
「あの……師匠が人を殺さない主義は、どういった理由ですか?」
沈黙を破るように、詩音から切り込んだ質問が投げ掛けられた。
「………………」
刃は少し間を置き、どう返そうかと悩んだ。戦闘で力加減をしてしまうことについては、詩音にやめさせたことでもあるのだ。修羅狩りの業務に弊害が生じていた詩音の事例とは異なるものだが、ありのままの返答では誤解を招き兼ねない。
しかし考えが纏まらず、刃は思ったことをそのまま口にしていた。
「……人殺しは殺めた者のことなど何も考えぬ。だが誰しもが誰かにとって、きっとかけがえのない存在なのだ。人を殺めることは多くの人を悲しませてしまう。そう考えると、相手が悪人であろうとわしは躊躇してしまうことがあるのだ。他人の命を絶つという行為は、真っ当な人間の所業ではなかろう」
刃の言葉を聞き、詩音は主旨を掴めずに眉を顰めた。これまで詩音は師である刃の教えに基づき、襲い来る殺し屋を容赦なく殺してきている。刃の主張は殺し屋についての言及であるはずだが、詩音は自分のことを言われている気がしたのだ。
「え……? わ、わたしは……?」
「詩音は……まぁ、良い意味で常人とは言い難いのう。朱穂での働きは見事だった。お主はわしと違って、修羅狩りとして優秀そのものだ」
「えぇ……!?」
「ふっ、お主に偉そうに言っておきながら、わしもまだまだだのう。つまらぬことを聞いて悪かった。わしの悩み事は忘れて、お主はお主の信条を貫け。殺し屋殺しを否定しては護れるものも護れぬからのう。修羅狩りはもう誰の飼い犬でもなく、組織ですらないのだ。各々の信じる遣り方に従っておればよい」
「は、はい!」
詩音は衝撃を受けたが、悪い気はしなかった。憧れの存在である刃から、修羅狩りとして優秀だと言われたのだから。
己の信条は間違いではないと、詩音は心の中で強く拳を握った。




