第四十四話 抑止
日輪の最東端に位置する天空の国――佐越。
険峻な山岳に囲まれた要害は秘境と呼ぶに相応しく、山城が主流である日輪に於いても屈指の標高を誇っている。高低差の激しい天然の要塞は外敵の侵攻を阻み、攻め崩すのは万難を極めることだろう。
そういった地形の強みに加え、佐越は修羅狩りによる庇護の下にあるのだ。これにより他を寄せ付けない鉄壁を実現させ、四十五年間もの長期政権を維持している。倒幕以前から健在である国の中で、佐越は最古の社稷であるといえよう。
城の裏手には、冥崖山脈と呼ばれる山々が隔壁のように日輪を南北に横断している。まるで此岸と彼岸を隔てるように屹立した山脈は天を貫き、あまりの高度に尾根は雲で覆われており稜線を拝むことは叶わない。
山脈の向こう側は月輪と呼ばれ、足を踏み入れた者はいないという。
◇
雫玖は周囲の散策をするとして別行動を取り、刃と詩音は佐越城へ向かった。
鷲見兵を佐越へ送り届けた時は石塁の区画までで引き返したため、刃が統治の行き届いている内部へ足を踏み入れたことは七年振りとなる。倒幕以前より領地が多少縮小されたものの城下町の様子は昔と変わらず、刃は懐かしさを覚えていた。
そうして牢固たる虎口の前に立ったが、番兵はどこにも見当たらない。ここは城郭に於ける防御の要であるはずだが、城門の上部に設けられた櫓にも兵が配置されている様子はない。佐越は元々険阻な地形に築かれた土地であるものの、あまりにも警戒が為されていないようだ。
開けっ放しの虎口を素通りしてしばらく曲輪を歩き、次に天守閣の門前に辿り着いた。ここにも番兵が配置されておらず、領主の館であるというのに全くの無警戒である。日輪らしからぬ異質な雰囲気に、刃と詩音は違和感が拭えなかった。
「あっさり中へ入れましたね」
「そうだな……。一体どうなっておるのだ……?」
一応は不法侵入者であるはずの刃と詩音だが、道中に擦れ違う領民は何の気なしに挨拶を交わしてくる。どうやら誰からも全く警戒されていないようだ。
◇
刃が領民の一人に声を掛けると、ようやく天守の内部へと案内された。城内は質素ながら整頓され、戦いによる痕跡は一切見られない。
応接間へと通された二人は、領主が来るまでお茶を啜って待機していた。
「師匠、先ほどの話は本当なのですか? 五年もの間、佐越が殺し屋からの襲撃を受けていないなんて……」
詩音は何だか夢でも見ているような感覚に陥っていた。ここまで平和ボケした国はなかなかなく、あっても即刻外敵に滅ぼされることが目に見えているからだ。
刃は腕を組み、詩音の問いに対して目を閉じて頷いた。
「磐座大地――。五年前、佐越に雇われた修羅狩りの名前だ。年齢はわしと同じく十六歳。殺し屋を忌み嫌い、容赦なく敵を惨殺する性質を持っておる。わざわざ相手が苦しむ方法で狩りをするらしく、曝し首や拷問もお手の物だという話もある。修羅狩りの名を体現したような奴で、あらゆる勢力から恐れられておるのだ。佐越が平穏を保っていられるのは、大地の存在が全てであろうな」
刃の解説を聞いた詩音は、自然と表情を強張らせた。
刃や雫玖といった心優しい仲間と慣れ親しんできた詩音は、これから会うことになるであろう修羅狩りが無情の者であることに不安を募らせる。
「磐座大地さん……。何だか、怖そうな人ですね……」
「そうだのう……。殺し屋にとって、大地ほど怖い存在は他におるまい」
刃は、大地のことを思い出して空想に耽っていた。
大地の戦闘は残虐そのものであり、見る者によっては精神的苦痛を伴うほどに凄惨である。好戦的な性格で荒々しい戦いを得意としており、大地に狙われた者は原形を留めることなく引き裂かれ、個体を判別できないほどバラバラに解体されるという。野に放たれた獣の如く戦場で暴れ狂い、圧倒的な膂力を以て敵を攻め立てる姿は肉食動物の狩りを彷彿とさせる。刃のように威嚇をするわけでなく、大地は問答無用の実力行使で獲物に恐怖を刻み込むのだ。
大地とは五年間会っていないが、その勇名は刃の耳にも届いている。聞いてもいないというのに、鳩鷹が勝手に文を送りつけてくるのだ。刃にとっては耳障りで仕方がない。
「……それに、認めたくはないが大地の強さはわしを凌いでおる。わしが全力であ奴を殺しに掛かろうとも、いいところ相討ちが関の山だろう」
「えぇ……本当ですか……? 師匠より強い人がこの世に存在するなんて……」
刃の弱音を初めて聞いた詩音は、驚きのあまり言葉が続かなかった。修羅狩りの手本として師事してきた大先輩に、戦いで敵わない者がいるというのだから。
「まさか……そういうことか……? 大地め……かなり腕を上げたと見える……。これほど強固な鉄壁を築くとはのう……」
刃が何かに気が付いたように呟き、〝してやられた〟とばかりに頭を抱えた。
「師匠……? 何かわかったのですか?」
「……詩音、これが修羅狩り契約国のあるべき姿だということだ。ここは既に大地の腹の中。間違いなく、わしらが領内にいることは既に看破されておるだろう。逆心の一つでも感知されれば、すぐに大地が殺しに向かってくるであろうな」
ここまで防衛に無頓着な国は珍しいが、それほどまでに修羅狩りの抑止力が強大であるということなのだ。大地の存在がある限り、佐越の凋落は起こり得ない。
そして何よりも、まるで倒幕以前に戻ったかのように領民の表情には疑心や警戒といった感情が見られない。磐座大地の威名が領民の不安を取り除き、一国の範囲ではあるが見事に和平を実現させているのだ。どのような手口を使ったのかわからないが、実際に佐越を難攻不落にした大地の手腕は紛れもなく本物である。
刃が違和感に従ってふと掌を覗き込むと、手汗でぐっしょりと濡れていた。大地と再会することに対し、身体が無意識に反応を示している。
刃が気にしていることは、落ち着いて話せるだろうかということだ。大地とはなかなかに馬が合わず、殺し合いに近い喧嘩をした記憶がある。
昔は何かと因縁をつけられ、大地は喧嘩の理由を探しているかのようにも見受けられた。流石に人格を嫌うまでではなかったが、闘争を求めて有無を言わさず暴力を振るう大地のことが刃は苦手だった。
正直、大地に会うことはあまり気が進まない。大地が佐越に仕えているため避けては通れないが、顔を突き合わせると何が起こるかわからないのだ。




