第四十三話 帰郷
朱穂で一時の休息を取った後、一同は佐越へと急行していた。
領地に潜入するという異質な殺し屋の所業により、近郊の一帯は火の海に沈んでいる。佐越を訪れたのは刃の生まれ故郷の確認と、もう一つの目的があった。
「わしが帰ったぞ! 者ども、平伏せい!」
「わぁ! 刃お姉ちゃんと、雫玖お姉ちゃんだー!」
入口の扉を開けると、大勢の子ども達が刃と雫玖の下へと駆け寄ってきた。
ここは佐越孤児院。城下町の一画に位置する、刃と雫玖が育った場所である。
二人とも子どもの扱いには慣れているようで、一緒になって遊ぶ姿はまるで保母のようだ。あっという間に取り囲まれ、服をぐいぐいと掴まれている。
詩音は子ども達が笑う姿を見て顔を綻ばせると同時に、これほど大勢の孤児を生み出す日輪の現状に危機感を覚えていた。
「百人近くいますね。こんなに戦災孤児がいるなんて……」
「はい……。殺し屋の襲撃が日常茶飯事であった過去には、肉親を亡くす子どもが毎日のように孤児院に連れて来られました。五年前に佐越が修羅狩り様と契約してからというもの、そういった殺人事件は途絶えましたが、医療も十全に行えない現状では身寄りを失ってしまう子どもがどうしても出てきてしまうのです」
隣に立つエプロンを着た女性が、子どもを撫でながら詩音の呟きに答えた。
彼女の名は埜寺京子。佐越孤児院の院長を務めており、彼女自身もここで育ったという。鷹揚で優しそうな女性だが、子ども達の教育には厳しいらしい。
この世柄で孤児院を運営することは容易ではない。人は誰しも自らの飢えを満たすことに精一杯で、身寄りのない子どもを養う余裕などあるはずがないのだから。
そんな中でこうして孤児院の運営が成り立っているのは、完全に刃と雫玖からの支援によるものであるという。なんと二人は鳩鷹を上手く活用することで、修羅狩り稼業で得た報酬の全てを孤児院に送っていたのだ。
刃が文無しである理由に納得し、詩音は尊敬の眼差しで二人の大先輩を眺めていた。戦いでは鬼神の如き圧迫感を見せる刃だが、押し寄せる児童の波濤に飲み込まれて無防備にも転ばされている。こうして易々と背後を取られる刃の姿など、この孤児院でしか絶対に拝めないことだろう。
そういえば昨日に、刃が刀乃から「世の仕組みを変えるのはいつだ」――と糾問されていたことを思い出す。返す言葉もない様子であった刃だが、既にこうしてできる限りの手は打たれていたのだ。
刃は一国を命懸けで護ると同時に、故郷の孤児が生活するための手助けをしていた。これ以上、一人の人間に何ができようか。それでも刃は実績を披露するでもなく、恩を着せるでもなく、刀乃の前でただただ沈黙を貫いていた。
やはり刃に師事した自分は間違いではなかったと詩音は思った。実力の高さはもとより、本気で和平に向き合う刃の心の強さに詩音は憧れたのだから。
刃と雫玖は向かってくる子ども達を適当に遇らうことなく、一緒になって遊ぶことに注力している。せめて今だけでも子ども達を楽しませようと、二人は工夫を凝らして直向きに努力しているのだ。修羅狩りがこうして孤児院に立ち寄れる機会は極めて少なく、依頼が続けば訪ねることができなくなってしまうが故にである。
無邪気に遊ぶ刃と雫玖を見て、詩音も子ども達との遊戯に加わるのだった。
◇
しばらく子ども達の相手をした刃は、部屋の端に座る男児の前で身体を屈めていた。刃が男の子を迎える表情は、いつにも増して優しい目をしている。
「……剣斗、元気にしておったか?」
「姉上……」
呼び掛けに応じ、小さな男の子は刃にギュッと抱き付いた。刃は男の子を強く抱擁し、優しく丁寧に髪を手櫛で梳いている。
刃の寵愛を受ける男の子の顔を見て、詩音は目を丸くしていた。男の子は艶やかな黒髪と深紅の瞳を持っており、顔の造形から何まで刃と瓜二つであったからだ。
「……その子、師匠に似ている気がしますね。目鼻立ちもそっくり……まるで師匠が〝更に小さく〟なった姿のようで可愛いです!」
「それは当然だ。紹介しよう。この子はわしの弟だ。名は剣斗。もう八歳になる。大人しい子だが、きっと立派な男になるぞ!」
詩音が悪びれもなく言った『更に小さく』の部分が気に障った刃だが、弟を褒められたことでご機嫌になり指摘することを失念していた。刃は弟のことが大好きであり、成長すれば日輪で一番の男前になるであろうと確信している。
「弟ちゃんですか! 可愛いですね! 師匠にそっくりです!」
「そうだろう! お主にはやらんぞ! 剣斗はわしのものだ!」
「えー!? もっと顔を見せてくださいよ!」
自慢の弟を披露できたことに、刃は珍しく浮かれていた。口では駄目だと言いつつも、もっと弟を見てもらおうと、人見知りなのか背後に隠れる剣斗を刃は詩音の前に差し出している。
「ほら剣斗、詩音に挨拶だ」
「……よ、よろしく……お、お願いします……」
拙いながらに挨拶を並べ、剣斗は堅苦しく頭を下げた。
刃とは違って寡黙な子なのだろう。初対面を相手に頑張る少年の姿は健気で可愛らしく、詩音は剣斗の両脇に手を入れてグイっと抱き上げた。
頭を撫でられた剣斗は、詩音の腕の中で照れ臭そうに微笑んでいる。
「剣斗君! わたしは神楽詩音といいます! あなたのお姉さんの一番弟子ですよ! 気軽に詩音と呼んでくださいね!」
「……はい。…………詩音……さん……」
流石に呼び捨ては恥ずかしいのか、剣斗は遅れて敬称を付け加えた。
すかさず刃は詩音から弟を奪い返し、弟子の挨拶に一言の意見を述べる。
「一番弟子とは……。詩音、弟子はお主しかおらぬだろうが……」
「別にいいじゃないですか! 間違いではありませんよ!」
昨日までの激動の日々に比べ、現在の詩音の心は晴れやかだった。
修羅狩りとして従事し、幾多の戦闘を経験し、落ち着いて笑っていられる暇などほとんどなかったのだ。悲願を為すためにも早々に契約をして職務に就かなければならないが、こうしてゆっくりと過ごす時間が詩音は好きだった。
しかし、ずっと落ち着いてはいられない。朱穂の殺し屋はこうしている今も日輪を蝕み、既に魔の手はひっそりと全土に広がっているのだから。佐越とて例外ではないだろう。これは束の間の休暇であり、戦いの時はすぐそこまで迫っているのだ。
それに、ゆっくりしたいのは自分だけではない。誰もがそうであり、何よりも子ども達が無事に成長できる世を創らなければならない。
しかしながら修羅狩り稼業は、その難度も相俟って人材不足が著しい。それは、刃が戦闘中に殺し屋の頭領を勧誘していたことからも明らかである。
それでも詩音は臆病な心を押し殺し、殺し屋よりも危険な稼業に就くことを決意した。誰かに任せるのではなく、己の力で世を切り開きたかったからだ。修羅狩りの道に足を踏み入れたのは己の意志であり、この野望への炎が揺らぐことはない。
「子ども達の未来のためにも、誰もが剣を手放せる世界にしなければなりませんね! 師匠、先輩、一緒に頑張りましょうね!」
「……う、うむ……」
珍しく同僚を鼓舞した詩音であったが、二人の先輩からは清々しい答えが返ってこない。
「まぁ、今のわしらは皆、野良だがのう……」
刃は弟を撫でながら、極まりが悪い様子で呟いた。
「うっ……確かにそうですね……」
こうして佐越を訪れることができたのは、都合よく三人ともに依頼がないお陰である。だが素直に喜んでもいられない。修羅狩りの需要がなくなれば、それこそ世界は終わりなのだから。
「これまでは複数の依頼の中から一つを選ぶことが多かったが、こうも依頼がないのは久方振りだ。鳩鷹ども、よもや黒斬刃を忘れたと言うまいな……?」
刃はあまりに依頼が来ないことで、冗談だろうが鳩鷹さえも疑い始めている。
雫玖も子ども達に引っ張られながら、野良である現状を憂えていた。
「早く契約先を見つけないと、子ども達の笑顔も見られなくなってしまうわね……」
「うぐっ……」
それは今まさに一番気掛かりだったことであり、雫玖の言葉が大きな鉾となって刃の心に突き刺さった。自分が食うに困ることは我慢できるが、他者が割を食う事態はどうしても避けたいという修羅狩りの性である。
しかし佐越へは遊びに来たわけではなく、明確な目的が刃の中にはあった。刃の思惑を為すためには、依頼がない現状はむしろ好都合であったのだ。
刃は抱いていた剣斗を降ろし、心配事に応えるよう雫玖に目を向けた。その目は次なる任務を見据えており、メラメラと気炎が漲っている。
「雫玖、今回は依頼を待つのではないぞ」
「……え? どういうこと?」
「佐越城へ行く。領主に献策し、佐越に紛れる殺し屋を駆除するのだ!」




