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修羅狩り刃  作者: 辻 信二朗
第四章 悪鬼の巣窟

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第四十二話 信頼

 荒士と刀乃を見送った後、三人はその場で車座となった。


「師匠、先輩、お疲れ様です。少し休みましょうか」

「そうね、流石の私も少し疲れたわ……」


「…………」


 刃は刀乃の言葉を思い返していた。


 彼が語気を強めて言い放った言葉に否定できる箇所はない。死者は二度と生き返らないのだから、殺しを平然と行使する者に天誅を下すことは至極当然である。


 しかし殺し屋を殺す修羅狩りは許されるのかと、刃は思惟しいを巡らせるが答えは出なかった。式目が定められていない現代に於いてその判断は己の主観でしかなく、大手を振って殺生を正当化することなどできはしないのだから。


 恐らく紅蓮にも、郷土愛や部下への愛情があったのだろうと推測できる。もう当の本人に真意を確かめることはできないが、徹底して表舞台に姿を現すことなく陰で暗躍していた紅蓮がわざわざ三名の修羅狩りを相手取る理由は他にないだろう。

 紅蓮が為した所業を容認することはできないが、彼は彼なりの正義を以てこの乱世を生きていたのだ。


 そこに異なる正義をぶつけて彼を全否定し、領民もろとも皆殺しにしたのが修羅狩りである。力が全てであるという殺し屋の主張に対して、修羅狩りが圧倒的武力で捩じ伏せるという図式は倒幕以降からずっと変わっていない。

 此度も有無を言わさず徹底的に、この手で彼らの安息を破壊したのだから。


「――……ちゃん……刃ちゃん?」

「……おお、すまぬ。ほうけておった」

「大丈夫なの……?」


 考えごとをしていたせいで意識が遠ざかっていたようだ。

 仲間が傍にいるとはいえ、自分らしくもなくあまりに隙だらけだ。刀乃の言葉が胸に突き刺さり、心に異常をきたしてしまっている。


「わしがこんなことでは駄目だな……。わしの気の迷いが無辜の民の命に直結するのだ。キチンとせねばならぬ」

「刀乃に言われたことを気にしているのね。あれは彼が正しいわ。でも……」


 雫玖は言葉を続けず、詩音に目を向けた。

 詩音も気にしているようで、服の裾をギュッと握っている。


「詩音ちゃんのような例外があるのも事実よね。境遇に恵まれず、仕方なく殺し屋となってしまう例もある。生まれた時から殺し屋として育てられた人にとっては、殺しこそが正義なのだから。人は環境によって普通が異なってくるのよね……」


 雫玖が述べたことは、刃が刀乃に言えなかったことである。もしあの場で詩音の過去を開示していれば、刀乃はそれを許さなかったことだろう。


 無論だが、詩音が殺される様を黙って見ている刃ではない。一歩間違えれば、修羅狩り同士の潰し合いに発展してしまうところであったのだ。


 刃は俯く詩音を引き寄せ、力一杯に抱き締めた。


「し、師匠……?」

「そうだな。殺しでは飯が食えない世にせねばならぬ。貧困と猜疑心こそが悪だ。資源や食糧に偏りがある現在、各国が手を取り合わねばならぬ……」


 人の行動は置かれた環境によって決まる。領外で生まれた子どもは、悪事を働かねば暮らしていくことができない。貧困は犯行を助長し、そこには善も悪もない。


 生まれ持って心に刻まれた――殺生で生を得るという洗脳。

 殺し屋とは、この暗黒の時代によって生み出された魔物なのだ。やはりもう一度日輪を一つにしなければ、この狂った情勢を変えることはできない。


「私達が日輪を繋ぐ架け橋となるのよ。詩音ちゃんにもバシバシ働いてもらうからね! 手をこまねいている暇なんてないわ!」


 暗い空気を打ち払うべく、雫玖が刃と詩音に覆い被さった。小さな二つの背中をギュッと抱き締め、悩める少女達を励ましている。


「はい! 頑張ります!」


 雫玖の温かい心に包まれ、詩音は元気を取り戻していた。

 いつまでも過去を引き摺っている場合ではなく、堂々と修羅狩りだと名乗って戦うべきなのだ。誰が何と言おうとも、詩音は二人の先輩に認められたのだから。


「……その意気だ、詩音。期待しておるぞ」


 刀乃とは少し軋轢あつれきが生じてしまったが、特に支障はない。彼も刃と同様、純粋に日輪の再興を目指していることは疑いようもない事実である。

 その狂気じみた眼光は、はち切れんばかりの正義感によるものであるのだから。


 深編笠の男も含めて、あれほど強い者が同志であることは頼もしい限りだ。

 日輪は確実に良い方向に向かっていると信じて、自分も頑張る他に道はない。


 そう意気込んで立ち上がろうとしたが、刃は尻餅をいてしまった。


「……む?」

「刃ちゃん、珍しく疲れているわね」

「……ああ、紅蓮と言ったか。なかなか強かったのう。わしがここまで梃子摺てこずったのは、あ奴で三人目だ」


 刃は確かめるように指を折り、過去に対戦した強者の数を数えていた。


「それってもしかして、私も含まれてる?」

「当然だろう。雫玖には手を焼かされた」


 会話を聞いた詩音は目をみはり、雫玖の顔をまじまじと見た。


「え……? 先輩も元は殺し屋だったのですか?」


 詩音の問いを、雫玖は急いで否定する。


「違うわよ。刃ちゃんとは孤児院で一緒に育ったから、よく手合わせをしていたの。これでも結構いい勝負だったのよ」

「そうなのですか。先輩、道理で強いわけですね!」


 雫玖の実力を示す片鱗へんりん垣間かいま見たところで、詩音は刃に目を移した。


 あの刃が珍しく呼吸を乱し、肩で息をしている。刃がどれだけ肉体と精神を酷使し、どれほどの犠牲を払って修羅狩り稼業に務めているかは想像に難くない。

 肉体的にも精神的にも、刃の疲労は極限にまで達しているようだ。


 疲弊した親友の様子に気が付いた雫玖は、寄り添って刃の肩を抱いた。引き寄せるように刃の頭を自身の膝の上に乗せ、雫玖は親友の頬に口付けをした。


「んっ……」


 刃は抵抗することなく雫玖に身体を預け、安らかに目を閉じている。

 どうやら眠ったようだ。刃から微かに寝息が聞こえてくる。


 雫玖の一連の動作を見て、詩音は目をパチパチとしばたたかせていた。


「師匠……もしかして寝ちゃったのですか?」

「そうよ。ほら、もう私が何をしても起きないわよ。既にかなり睡眠が深い。こんなに早く熟睡できるのは流石ね」


 雫玖は刃の頬をつついたが、安らかな寝顔のままで目覚める気配はない。


「……どれだけ強くても、この子は十六歳の女の子なの。人間である以上、どこかで休息が必要となるわ。修羅狩りって業務中は一切気が抜けないからね。こうして完全に警戒を解くことができるのは、仲間が傍にいるときだけなの」


 身体を丸めて眠る刃の手を握り、雫玖は婉然えんぜんと顔を綻ばせた。


 戦いでは一切の隙を見せない刃が、こうも無防備を曝している。このまま首に刃物を当ててしまえば、この最強少女をあっさりと殺せてしまうことだろう。


 こうして仲間を信用する姿勢に感動し、詩音は目を輝かせていた。


「何か……阿吽あうんの呼吸って感じですね。この戦乱の世に、ここまで信頼し合える関係を築けるなんて素敵です!」

「修羅狩りって、まさにそうじゃない? 契約者は修羅狩りを信頼して傍に置いてくれているわけだから、あなたと契約を締結した相手は詩音ちゃんに自身の命、それから国の進退を託す決断をしたってことなのよ。修羅狩り本人にとっても同じことが言えるわね。修羅狩りが命を預けられる相手は修羅狩りだけよ」


 詩音は雫玖の言葉を聞き、少し表情を曇らせていた。自分なら刃の護衛が務まるのか、こうして無警戒に休息できるほど刃を安心させられるのかと。


 しかし、それができなければ修羅狩りになるべきではない。護衛対象が誰であれ、修羅狩りが遣るべきことは何も変わらないのだから。


「私も信頼される人になりたいです。師匠と先輩を休ませられるように。わたしを信じて、ぐっすりと眠りに就けるぐらいに……」

「詩音ちゃんは既に信頼されているわよ。刃ちゃんがあなたを修羅狩りだと認めていることがその証拠。あまり見せないようだけれど、随分とあなたを見込んでいるみたい。あんなに厳しく当たっていたのは照れ隠しみたいなものよ」


 憂苦を見せる詩音に、雫玖は刃の心裡をこっそりと知らせてあげた。


「本当ですか!? それは嬉しいです!」

「詩音ちゃん、神都でも朱穂でも、大勢の殺し屋を相手に戦果を上げてみせたわね。刃ちゃんが強すぎるから気が付いていないかもしれないけれど、これは凄いことよ。あなたは既に修羅狩りとして充分な実力を備えている。どこへ出しても恥ずかしくないわ。私が保証する!」


 雫玖は詩音に向けて片目を閉じ、グッと親指を立てている。


 敬愛する雫玖からも太鼓判を押され、詩音は喜びのあまり飛び跳ねた。そうして詩音は勢いあまって、雫玖の膝でぐっすりと眠る刃に飛び付いてしまう。


「あ……」


 力を込めてギュッと抱き付いてしまい、詩音は刃から身体を離した。起こしてしまわないかと詩音は焦りを感じたが、刃は熟睡したまま幼気いたいけな寝顔のままである。


 刃が単独であったなら絶対にこうはいかない。僅かな敵意を感知して、近付いた者を叩き伏せる様を容易に想像できる。つまり現在は、詩音が以前に教わった――休息をしながら外敵の気配を察知する手法を刃は行使していないということだ。


 いとけない刃の寝姿を、詩音は慈しむようにまじまじと眺めていた。横隔膜をゆっくりと上下させ、微かに開いている小さな口がなんとも間抜けな印象を受ける。


 本来、人間とはこうあるべきなのだ。誰かに命をおびやかされることが平常で、抗う力を持たないことが自業自得であるなどといった風潮は絶対に間違っている。


 詩音が刃を熟視していると、思考は次第に日輪の情勢へと傾いていた。行き場のない怒りが込み上げ、詩音の身体から紫の妖気が漏れ出していく。


「詩音ちゃん……? 大丈夫なの?」

「あ……ごめんなさい。つい考え事を……」


 気を遣った雫玖が、詩音の小さな背中を優しく擦った。


「詩音ちゃんも疲れているでしょう? あなたも眠っていいのよ? わたしが付いているから、安心して休みなさい」

「先輩……」


 雫玖の寛恕かんじょ溢れる言葉に、詩音は瞳の奥が熱くなるのを感じていた。殺意の渦巻く日輪で、何も考えずに眠りに就くことができるなんて考えもしなかったことだ。


 詩音はこれまでの人生、全くの無警戒で休息ができたことは一度たりともない。

 神都では契約者である佳光を護ることに昼夜問わず心血を注ぎ、それ以前でも無秩序な日輪で安眠などできるはずがなかった。


 自分だって何も考えずにぐっすりと眠ってみたかった。だがそんな危険を冒すことなどできるはずもなく、甘えられる相手などいるはずもなかった。


 同胞である雫玖は修羅狩りであり、護衛に就いてくれるのであればこれほど頼もしい存在はいない。誰が現れようとも、雫玖の前に立つ者はいないだろう。


 それこそが修羅狩りが必要とされる所以なのだと、詩音は再認識をした。


 とはいえ修羅狩り業務の再開に向けて、休める時に休んでおかなければならない。果たすべき使命を深く胸に刻み、詩音は涙を零しながら大きく頷いた。


「はい! 先輩、ありがとうございます!」


 詩音は雫玖の前で横になり、刃に身体を預けるようにして眠りに就いた。生まれて初めて完全に警戒を解いた詩音は、瞑目してすぐに意識を失っている。


 その人心地が付いた寝顔は安らかで、雫玖は顔を綻ばせた。しかし雫玖は一度緩めた口元を引き締め、憂いを帯びた目で刃と詩音の寝姿を眺めている。


 刃、詩音、そして雫玖。日輪が乱世でなければ、少女達はどんな人生を歩んでいたのだろうか。他者を傷付ける凶器を手にすることなどなく、愛情深い両親の下で蝶よ花よと育てられ、ただの女の子として生きていたことだろう。


 横たわっている刃の小さな手に、雫玖はそっと自身の指を絡めた。


「刃ちゃん……私……」


 無意識に呟くと、雫玖の腕に抱かれている刃の頬に、ポタポタと雫が落ちてきた。


「あら……? 雨かしら……」


 天を見上げるも、快晴の空には雲一つ見当たらない。

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