第三十九話 介入
瓦礫の上に立つ紅蓮との距離は四間程度。一足飛びで対象に斬撃を届かせ、瞬き一つの刹那で命を絶つことができる距離である。せめて楽に死なせてやろうと、最速の斬撃を披露すべく刃は膝をぐっと屈ませた。
しかし跳躍を見越して曲げられた刃の膝が、再び伸ばされることはなかった。
突然空中から何者かが現れ、立ち塞がるように紅蓮の眼前に着地したのだ。
「――な、何者だ!?」
驚動する紅蓮に対して、突如として乱入した男は容赦なく太刀を振り抜いた。
紅蓮は咄嗟に躱したが、謎の男は怒涛の連撃を繰り出していく。両者は互角の剣戟を演じ、紅蓮は狼狽えつつも攻撃を凌いでいた。
しかし、伯仲していた戦況が一変した。紅蓮の背後から、もう一人の新手が現れたのだ。急襲する二名の影は完璧な連携を見せ、紅蓮を易々と圧倒していく。
二手三手の攻防を繰り広げたが、遂に攻勢を凌ぎきれず紅蓮は腹を貫かれた。
激しい喀血と共に両目が見開かれ、紅蓮の動きが完全に止まっている。そして紅蓮が反攻に出ようと赤い妖気が迸った刹那、刎ねられた生首が宙を舞った。
――寸刻の出来事だった。
首を切断された紅蓮の身体は命を失い、糸の切れた操り人形のように頽れた。
一体何が起こったというのか。何の前触れもなく繰り広げられた殺陣に、刃と詩音は瞠目して見守るしかなかった。
◇
紅蓮を討った二名の剣客は、太刀を納めてこちらへ近付いてきた。
前を歩くのは、紅蓮を斬首した張本人だ。筋骨に恵まれた体格を持ち、凛々しい顔立ちをしている。黒の蓬髪に翡翠の眼。重厚な表情から形作られるほうれい線を見たところ、年齢は四十代後半といったところだろうか。
片割れは細身の剣客だ。深編笠を被っており表情が見えず、不気味な印象を受ける。
距離を詰めてくる男達に対して、刃は堂々と向き合った。
「お主ら、随分と手際がいいな。何者だ?」
「「…………」」
こうして目の前に立っているにも拘わらず、どういうわけか二人の剣客は刃の質疑に応じない。それにこちらを見る目が険しく、まるで獲物を狙う狩人のようだ。
この男達が何者であるか、刃には二つの可能性が浮かんでいた。躊躇なく殺し屋に襲い掛かる意志力と、紅蓮ほどの実力者をあっさりと破る腕前――考えられる正体としては修羅狩り、もしくは朱穂を統べる真の頭領であるか二つに一つだ。
修羅狩りとして殺し屋を討ったのか、朱穂の長として影武者を葬ったのか。立場の違いによって、先ほど繰り広げられた剣戟の意味合いが大きく異なってくる。
敵である可能性を排除できない以上、油断は禁物だ。刃の声掛けに反応を示さないことで二択に暗雲が立ち込めているが、本性が確定するまでは手出しができない。それに相手が修羅狩りであれば、友好的に事が進むはずなのだ。
「なぜ答えない? わしは修羅狩り――黒斬刃。お主らが殺し屋であるなら叩き潰したいのだが……早々に正体を明かしてはくれんかのう」
刃が先に立場を開示すると、呼応するように深編笠の男が腰を落とした。
誰がどう見ても抜刀の構えである。攻撃を仕掛けてくるのであれば相手が敵であることが確定するため、こちらとしても相応の対処をするのみである。
しかし、刃が持ち合わせていた心の余裕は即座に打ち切られた。何やら男の手元が閃光のように閃いたかと思えば、刃の首元にまで斬撃が迫っていたのだ。
「くっ!」
感じる殺意を頼りに身を翻し、刃は紙一重で斬撃を躱した。繰り出された斬撃は刃の反射速度を凌駕しており、少しでも反応が遅れていれば危うい場面であった。
同胞に出逢えたかと期待を膨らませていた刃だが、攻撃を受けたことで最悪の想定が確定してしまったこととなる。既に戦いの火蓋は切られており、これからすぐに紅蓮を上回る凶手二名を相手取って戦わなければならないのだ。
深編笠の男を見据えると、抜刀したばかりの太刀が拵の鞘に納められている。
三尺を超える刀身があれほどの速度で抜かれたにも拘わらず、鍔鳴りさえも聞こえなかった。類を見ない居合抜きの精度は、男の実力を推し量るには充分である。
「……居合の達人か。雫玖、詩音、油断をするな。かなりの手練れだ」
「わ、わかりました。この人、味方ではなかったのですね……」
詩音は胸を押さえて、荒ぶる息を落ち着かせている。深編笠の男の斬撃は詩音の目には捉えられなかった。狙われていたのが自分であった場合のことを想定すると、詩音は恐怖で呼吸を乱さずにはいられなかったのだ。
刃は辛うじて刀身を目に映すことができたが、敵方の抜刀に気付くのが遅れてしまっていた。刃に油断はなく、最大限の警戒をしていたにも拘わらずだ。
深編笠の男は殺意を隠していた。闘争心を持ちながら心の平静を保つことは困難であり、刃ほどの強者を騙す技量の高さは人間業ではない。
眼前の二人組は、あれだけ強かった紅蓮を瞬殺したのだ。不意打ちとはいえ、その実力は疑いようもない。突然現れた脅威に、刃と詩音は死闘の覚悟を決めた。
「顔を隠すのが殺し屋の流行りか? 色男が台無しだぞ。取ったらどうだ?」
「…………」
男は何も答えない。一行は物の怪と対峙しているような不気味な感覚に襲われていた。深編笠で顔が見えないことが、得体の知れない恐怖を加速させている。
刃と詩音は既に臨戦態勢であり、牙を剥く凶手を相手に慈悲などない。相手が殺し屋であるなら、これまで通り修羅狩りとして事を為すだけなのだから。
刃と詩音が男の出方を窺っていると、背後から雫玖が口を挟んだ。
「いい加減にしなさい。荒士、あなたでは刃ちゃんに勝てないわよ」
「やってみないとわからないぜ?」
「くだらないことやっていないで早く誤解を解きなさい」
雫玖の言葉に反応して、深編笠の男が初めて声を発した。
その掛け合いがあまりに滑らかで、刃と詩音は目を丸くしている。
雫玖は男の名前と実力を把握しており、当然ながら初対面では有り得ない。
「雫玖……あの変な男と友達なのか?」
「友達じゃないわ。ただの知り合い。彼らは殺し屋ではないわよ」
雫玖に促され、二人の男は無害を示して掌を見せた。
だが不穏な雰囲気を醸し出す男達に、詩音は警戒を解けずにいる。
「……先輩、彼らは何者ですか?」
詩音は雫玖の背後に隠れながらそっと尋ねた。
「安心して。彼らは修羅狩りよ」




