第三話 凶報
刃の故郷である山深い辺境の鄙――《佐越》。
播宗での任務を終えた刃は、半年振りに自宅にいた。
鬱蒼とした樹海に閑居の如く佇む家屋の中で、啾々と啜り泣く声。
部屋の隅で布団に包まり、刃はひっそりと涙を流している。
刃が播宗を離れた翌日に、筆舌に尽くし難い凶報が届いたのだ。何者かによって播宗の地に火が放たれ、領主――田鍋昭を含む領民が皆殺しにされたという。
またしても殺し屋の手によって尊い命が失われてしまった。小国とはいえ、播宗の人口は二千人にも上っていたことだろう。あまりに悲惨な所業である。
犠牲者の悲哀が胸を貫き、刃の精神は錯乱していた。
「あの大馬鹿者……修羅狩りとの契約が間に合わなかったのか……。わしとの契約を続けておれば、こんなことにはならなかった……。わしがついておれば……」
領主は二つの性質に分けられる。一方は、殺し屋を雇って他国へ侵攻する者。もう一方は、修羅狩りの傘の下で自国の平穏を保つ者。無論、田鍋は後者である。
双方の共通点として、戦争を他者に任せてしまっていることが挙げられる。
お陰で、先陣を切って戦場に立てる者はどの勢力にも存在しない。武士道精神など欠片も存在しない現代には、戦場を牽引する猛将など現れるはずもないのだ。
いくら剣術を磨こうとも、殺し屋との間にある絶望的な戦闘経験の差を埋めることはできない。殺し屋の武力に対抗できる者は、修羅狩りの他に存在しないのだ。
六箇月間――。修羅狩りの契約期間としては短いものであったが、一定期間を共に過ごせば情が湧くというものだ。特に仲が良かったわけではないが、田鍋はどこか放ってはおけない人格の持ち主だった。
それに刃は、播宗の家臣や百姓ともよく打ち解けていた。
刃が護衛として従事する傍ら、時に農業を教わり、時に長々と播宗の歴史について聞かされ、共に食卓を囲んだ。
しかし刃がこうして意志を通わせてきた相手は、もうこの世のどこにも存在しないのだ。刃は突き付けられた事実を素直に受け入れることができない。
田鍋、それから播宗の民との永訣を受けて刃は悲嘆に暮れていた。
刃が放心していると、玄関の引戸がガラガラと大きな音を立てて開いた。
音に従って目を向けると、水色の髪の少女がひょっこりと顔を出している。
「刃ちゃん……いる?」
現れた少女は肩に掛かる髪を指で弄りながら、薄暗い家屋の中をじっと見回している。髪色と同じ水色の装束は眩しく、暗晦な部屋の中で輝いて見えた。
少女の名は――水姫雫玖。齢十六。
彼女も修羅狩りであり、刃と幼少期を共にした大親友である。
雫玖は刃を見付けると、深刻な表情で玄関の敷居を跨いだ。
戸を閉めて駆け寄り、涙を流す刃をそっと抱き締める。
傷心の刃は流されるままに、雫玖の胸に顔を埋めた。
「刃ちゃん……播宗のことは残念だったわね。私が契約できていれば……」
刃が田鍋に紹介した修羅狩りは彼女である。
雫玖に背中を擦られ、刃は乱れた呼吸を整えていく。
「元とはいえ、契約者の死は辛い。わしが護ってやりたかった……」
声を震わせて嗚咽を漏らす刃を案じ、雫玖は小さな背を優しく撫で続ける。
赤子をあやすよう丁重に、酷烈な戦いに身を置く戦士の苦悩を労った。
「契約が切れたからね……播宗に居座るわけにもいかないし、田鍋を救う手立てはなかったわ。刃ちゃんは、立派に契約を全うしたよ」
修羅狩りとは孤独な稼業であるため、友人の存在が心の拠り所となる。
しかしながら業務中は契約者に付きっきりとなるため、契約期間は友人に会うことができない。お互いに未契約でなければ、こうして会することは叶わないのだ。
久々の親友との再会を喜び、両者は力一杯に抱き合った。
「……雫玖、ありがとう。気分転換に少し話そうか。外へ出よう」
「いいわよ。私も久々に、刃ちゃんと話がしたいわ!」
田鍋に雫玖を紹介した時は落ち着いて話ができなかった。播宗では雫玖が門前払いに近い扱いを受け、話も聞かずに追い出されてしまったのだ。
恰幅の良い男性を期待していた田鍋にとっては、小柄な少女である雫玖にがっかりしたことだろう。あの時に契約ができていればと悔やむが、後の祭りである。
刃と雫玖は家を出て、裏手の河川敷へ向かった。