第三十話 舌戦
「あ、刃! それから、先輩も!?」
「先ほどの声はやはりお主であったか。元気そうだのう」
殺し屋に見つかったと思っていた二人だが、落下地点には見慣れた少女がいた。
今回の旅の目的でもあり、ずっと探していた修羅狩り仲間――神楽詩音だ。
詩音は純粋な顔付きでこちらに微笑みかけており、その濁りのない眼と身に纏う明るい雰囲気は道中に出会った者どもとは決定的に異なっている。
詩音の無事を確認して、戦いに備えていた刃と雫玖の表情がすっと綻んでいく。
「……それより詩音、なぜ雫玖のことを〝先輩〟と呼ぶのだ?」
「雫玖さんは、修羅狩りの先輩だからです」
「どういうことだ……? わしも先輩ではないのか……?」
刃は首を傾げた。自分だけが呼び捨てにされていることに納得がいかない。
雫玖は詩音の頭を優しく撫でており、その穏やかな空気はまるで姉妹のようだ。
詩音に戦いの指南をしたとは聞いていたが、随分と距離を縮めていたらしい。
「詩音ちゃん、元気そうでよかった。天井を斬り破ったのはあなたね?」
「ご、ごめんなさい! 屋根裏に潜んでいたのが先輩達だとは知らなくて……。――じゃなくて、どうして二人がここにいるのですか!?」
詩音は相変わらず騒々しい。だがそんな少女の金切り声も、刃は何だか懐かしいような気がしていた。危険な目に遭っていないかなどと身の心配はしていなかったが、ちゃんと修羅狩りとして仕事ができているかが気になっていたのだ。
「これには諸般の事情があってね。端的に言うと、私達は詩音ちゃんを連れ戻しにここまで来たのよ」
「……え? どうしてですか?」
雫玖の返答に、詩音は事情が飲み込めず目を丸くしている。彼女にとってはあまりに突飛な話であり、驚くのも無理はない。
だが詩音の回収はあくまでついでだ。真の目的は他にあり、既に目の前にある。
和やかな空気とは裏腹に、部屋の奥で殺意を撒き散らせる男の警戒を刃は怠らない。その男も集落の人々と同様に、気味の悪い能面を被っている。
刃は詩音の肩を引いて後ろに下がらせ、奥で佇む男に目を向けた。
「殺し屋総本山の大将よ。修羅狩りに依頼を出すとは、ふざけた真似をしおって」
刃の恨み節を挑発するように、能面の男は鈍い足取りで前へ出た。
仮面によって籠った声が、不気味に刃へ投げ掛けられる。
「私は頭領の紅蓮と申します。クク……あなたのことはよく知っていますよ。黒斬刃殿、お会いできて光栄です。ようこそ朱穂へ。此度は何用ですかな?」
刃は何だか不思議な感覚に襲われていた。修羅狩りと相対した殺し屋は死に物狂いで逃げるか、刺し違える覚悟で挑んでくるかの二択である。そもそも遭遇することを避け、気配を察知して姿を消すことが一般的だ。
しかし紅蓮と名乗る殺し屋は、刃を前にしても恬然として臆する様子はない。
それどころか堂々と名乗り、戦いをも辞さないような態度だ。何か秘策でもあることだろうが、こうして目前まで接近できた時点で勝負はついている。
秘密を吐かせ、組を滅ぼすことだって刃には造作もないことだ。朱穂の勢力を結集しようとも高が知れている。いつまで余裕を保っていられるかは見物である。
「どいつもこいつも気味の悪い面をしおって……。神都や地種を滅ぼしたのはお主だな? その面をわざわざ戦地に転がしておるのは、わしら修羅狩りへの当てつけか? 他にも各地で余罪があるとみた。わしに殺される前に真実を吐け」
刃は早々に核心を問うた。つまらぬ問答に付き合うつもりはない。
「気が付くのが遅いですね。もはや我々の牙は日輪中に散らばっている。あなた方に護り切れますか? ここで私を殺しても、殺戮の連鎖を止めることはできない」
男があっさりと白状したため、刃は少し驚いていた。だが恐らく虚言ではない。この場で嘘を吐く理由がなく、その内容は雫玖の読みとも一致しているのだから。
すぐに男を叩き伏せる手もあるが、こうして殺し屋と対話ができる機会は稀である。少し話を聞いてみようと、鹿爪らしい能面の男に刃は向き合った。
「聞かせてくれ。お主ら殺し屋は、どうして殺しを請け負う?」
「知れたことを……。あなた方と同じく、生きるためですよ。今世で大きな財を持つ者は、誰かに奪われることとなる。それなら、我々は奪う側に回るまで。ただそれだけのことです。それに、各地の領主から高い報酬で依頼がくるのです。やめられるわけがない。世界は殺し屋を必要としているのですよ」
まぁ、そんなところだろうといった回答だ。
殺すという行為に正義や道徳などを求めていない。男の開き直った思考に表情を曇らせる刃だが、殺し屋の行動理論などわかりきっていたことなのだ。
何か異なる返答を期待した己が馬鹿だったと反省し、刃は言葉を返した。
「必要なのは殺し屋ではない。戦いのない平穏だ!」
「修羅狩りは、殺し屋の存在があって成り立つ仕事でしょう? 殺し屋を減らすような真似をしてよいのですか?」
「何を言う! 殺し屋がいなくなれば、わしらは武器を置けるのだ。わしらは、修羅狩りが必要でなくなる世界になればよいと思っておる」
「ならば我々と手を組みませんか? 天下統一なんてできもしない夢を抱いて死んでいく憐れな者から、金を巻き上げて揚々と暮らしませんか?」
「お主……」
ああ言えばこう言う。この男は無駄に弁が立つようだ。
紅蓮の言葉を聞き、刃は憤怒のあまり妖気が身体から漏れ出している。刃の殺気を感じ取った紅蓮は、大きく後方に飛び退った。
能面の男は生唾をごくりと飲み込み、呼吸を荒らげて胸を強く押さえている。刃から放たれた強烈な殺意によって、心臓を握られる幻影を見たからだ。
「これが……修羅狩りの殺気……? なんと悍ましい……。私を殺すのですか? それではまるで殺し屋と同じだ。我々と同類ですな」
「ごちゃごちゃと喧しいのう……。無辜の民と殺し屋は違う。お主を野放しにすれば、犠牲者は増すばかりだ。お主は殺し屋に資産や命を奪われた者のことを考えたことがあるのか? 倫理に悖るとは思わぬか?」
「下らない価値観を押し付けないでください。弱者は力のない自身を恨めばいい。あなたは、兎を狩る獅子を咎めると言うのですか?」
これだけの殺意を見せ付けても、男のふざけた態度は変わらない。
この先の問答は無価値だと判断し、刃は脇差の柄に手を掛けた。
「これ以上、何を話しても無駄か……。では、わしがお主を狩ることを自然の摂理だと受け入れろ。お主の望む弱肉強食の世界に、わしら修羅狩りを抑える枷はないのだ。人が他人を殺める行為が許される世界は間違っておる。式目がなくとも、この価値観だけは無理矢理にでも押し付けさせてもらう」
舌戦を終えた刃は脇差を抜き放ち、粉飾を続ける紅蓮を見据える。
紅蓮が更なる無駄口を叩く前に、刃は最期となる言葉を告げた。
「――紅蓮よ、もうお主の戯言を聞く気はない。お主は力のない自身を恨め。これから行われる修羅狩りの仕事に、一切の口出しは許さぬ」




