第二話 決裂
それから七日後。田鍋昭との契約が満了を迎える日である。
刃が紹介した者は結局、田鍋の御眼鏡には適わなかった。刃は自信満々に友人の修羅狩りを引接したが、田鍋からは思っていた反応を得られなかったのだ。
「我儘だのう……わしの友達のどこが気に入らぬかを言ってみろ」
「あなたが紹介してくれた人……小柄な女の子じゃないか! もっと屈強で強い男でないと安心ができない!」
田鍋の身侭な言動に、刃は短く溜息を吐いた。
「お主はわしの戦いを見てきただろう? 女子でも強い者は強いのだ。性別なんてものは強さを測る上で何の指標にもならぬ」
「刃殿が強いことは知っている。だが他の知らない女の子に命を預けるなんて、できるはずがないだろう!」
「そうか……勝手にしろ。もうお主のことなど知らぬ」
契約の延長が為されなかったため、刃は身支度を整え始めた。
修羅狩りは、契約者を護るために寝食を共にする。六箇月間の短い期間ではあったが、刃は播宗を離れることに多少の寂寞を感じていた。
田鍋が今後、どこの誰を修羅狩りとして雇うのかは知らない。だが今まで護り抜いてきた地を他者に任せることに対して、刃には歯痒い気持ちがあった。
「昭……もしお主が許すなら、他国の軍門に下ったらどうだ? わしはそれが、天下泰平への近道だと思うのだ」
田鍋が取り合わないことを理解しつつも、刃は自身の望みを伝えた。
しかし刃が提案するその内容は、この時代では禁忌とされている悪手であった。
「他国を信用しろと言うのか? これまでずっと影の抗争を続けてきたというのに……。この前の殺し屋だって、どこの誰に雇われたのかわからないのだぞ?」
予想通り田鍋は、刃の提言を呆れるように一蹴した。
それでも刃は挫けず田鍋の眼を見据え、更に献言を試みる。
「他国を取り入るなら、わしがついていってやろう。和平を手に入れるのに、国同士が潰し合ってはならぬ。同盟を組み、手を取り合っていかねばならんのだ」
「私が無事でも、領民に被害が出てしまうかもしれない。それに、相手国に殺し屋が紛れている可能性だってある。やはり、私には全ての異国が敵であるとしか思えない……。腹の中では何を考えているのかわかったものじゃない」
「異邦とは相容れぬか……わしの故郷でも駄目か?」
「すまない……私はこれまで通り、播宗の領民と共に生きていく。贅沢をしなければ、自給自足は充分に可能なのだ」
田鍋は考えを曲げるつもりはないようだ。こんなご時世に危険を冒してまで新たな挑戦をすることに対し、踏み出しづらいことを刃は重々承知している。
それでも刃は、この世界を変えたかった。日輪に立ち込める暗雲を晴らせたかった。しかし、刃の理想を無理矢理に押し付けることはできない。
田鍋に宿る意志の強さを感じ取り、刃はこれ以上の上申を諦めた。
「承知した。これ以上は何も言うまい。陰ながら播宗の繁栄を願っておるぞ」
そう言って踵を返した刃は後顧の憂いを感じ、再び領主の田鍋に向き直った。
「昭よ、これだけは忠告しておく。一刻も早く新しい修羅狩りと契約をするのだ。播宗の規模では、修羅狩りとの契約に空白があってはならぬ。一日たりともだ!」
田鍋の身を案じ、刃は語気を強めて忠告した。
「ああ、わかっている。刃殿、今までありがとう」
「お主も達者でのう。長生きをするのだぞ」
最後に田鍋と握手を交わし、刃は播宗の地を後にした。
◇
倒幕以降、日輪は千を超える許多の小国に分離した。播宗といった地名は幕府の時代の名残であり、現在では国名に該当する。各地の領主は独自の国家を形成し、全ての国が自治で成り立っている。所謂、〝政治的無秩序〟――という状態である。
しかし、自主独往は盤石ではない。
土地によって資源に偏りがあるため、各地で貧困問題が発生していた。国交なしには存続ができない国が大半を占めている中で、日輪は疑心暗鬼に陥っている。
幕府が滅ぼされたことで諸各国は閉塞的となり、国交を許す国はどこにも見当たらない。お陰で領外の情報を知る手段に乏しく、日輪の情勢は闇に包まれている。
そういった事情があり、統治者のいない日輪に再び戦乱の嵐が吹き荒れた。
貧困に喘ぐ国は他国への侵攻を目論むが、物資の量で劣るため敗北は必至。
よって始まったのが、殺し屋による代理戦争である。より充実した生活を自国に齎すため、殺し屋を雇って異国を攻落させる事変が頻発した。その事変はもはや戦争と呼べるものではなく、攻め入った国が一方的に蹂躙する様相となっている。
『信用をすれば裏切られる。やられる前に潰す』――これが、現在の日輪に於ける共通の理念となってしまった。先手を取った者勝ちの歪んだ思想が蔓延し、国家間の交流は完全に絶たれてしまったのだ。
田鍋が刃の意見に聞く耳を持たなかったことは当然の判断であったといえるだろう。同盟こそが和平への一歩であることを誰もが理解しているが、その実現があまりに難しいことは周知の事実である。そうした純真な心を狙われて、千万無量の国が無情にも滅びていったのだから。
第二次戦国時代とも呼ばれる暗黒の時代。力で全てを手に入れることができ、敗者は全てを失う。領地、領民は元より、国の痕跡さえ残らない。
殺伐とした世情によって殺し屋の需要は留まることなく高まり続け、日輪は殺しを生業とする者で溢れて返っている。これにより頭角を現した国は標的にされ、大方の領主は命を散らせることとなってしまうのだ。尊厳を踏み躙られ、歴史に名を刻まれることなく生涯を終えるのみ。そこに華々しい死など存在しない。
殺し屋との契約内容は多岐に渡るが、主流であったのは成功報酬によって依頼主が対価を担保する方法である。この奇妙な体制が殺し屋を肥え太らせる原因となってしまったが、構うことなく将領は我勝ちにと有力な殺し屋を囲い込んでいた。
統治者のいない現在の日輪には、殺生や窃盗を咎める共通の法がない。
諸各国は独自の規範を定めているが、一歩領外へ出るとそこは自国の法が及ばない治外法権なのだ。
頼れるのは己――すなわち領主の力のみ。
領民の命と資産を守り、生活を維持するためには強力な後ろ盾が必要となる。殺し屋が席巻する世であるが故に、領主にとって修羅狩りとの契約は命綱なのだ。
有力な殺し屋の力を常識で測ることはできない。千や二千の軍勢に護られていようがお構いなく、単独で攻城を為す猛者がいる。並の使い手では、どれだけ束になろうとも殺し屋を相手に太刀打ちができない。たった一人の殺し屋の手によって滅びた国は、数えれば際限がないほど枚挙に遑がないのだから。
そんな凶手でさえ、修羅狩りに対しては厳戒の姿勢を崩さない。殺しの依頼を受けた際には、標的が修羅狩りとの契約がないかを血眼になって調べ上げるのだ。
殺し屋は日銭を稼ぐために殺しを請け負うが、己の身を危険に曝すことはしない。極稀に修羅狩りに挑む狂人もいるが、殺し屋が修羅狩りを討った例は存在しないといわれている。その事実こそが、修羅狩りが必要とされる所以である。