第二十六話 道中
管理者のいない領外は過酷な環境にある。
樹海、河川、湿地帯。草木は足の踏み場もないほどに鬱蒼と茂り、人の手の届かない自然界をまざまざと見せつけられる。
更には伸びきった葉叢が隠れ蓑となり、野生動物や野盗の存在を紛らせている。
どこから襲われても不思議ではない状態に曝され、常人ならば正常な精神を保つことさえできないだろう。
しかし食物連鎖の頂点ともいえる修羅狩りにとっては、当然だがその限りではない。修羅狩りに遭遇して困るのは、むしろ殺し屋側であるのだから。二人は外敵の脅威など歯牙にも掛けず、草木を雑に掻き分けて道なき道を悠然と進んでいく。
かつて日輪には国境などなく、馬車が通れる程度には道路も整備されていた。
しかし今では荒廃した樹林によって、各国への道は固く閉ざされている。これによって不都合を感じる者は限られているが、領外の移動は徒歩の他に方法がない。
各地の主要都市への道のりは山の形状に沿って麓を進むことが通常だが、それではかなりの遠回りとなるため刃と雫玖は険しい山を登っていた。山中は近道となる上に目立たないので、修羅狩りの移動経路は基本的に山登りである。
果てがないようにも思える樹海の迷宮は人を惑わせ、侵入者を容易く死に追い遣ってしまう。そのため方角を見失わない方向感覚と、足場の悪い斜面を駆ける体力が必要となる。これは常人ならざる彼女達だからこそ取れる選択肢なのだ。
二人の少女は急峻な斜面を物ともせず、軽い足取りで駆け上がっていった。朱穂までは結構な距離がある。詩音も移動に苦労しただろうと刃は推察していた。
「詩音は、上手くやっておるだろうか」
「心配しているのね。詩音ちゃんなら大丈夫だと思うわよ。ちょっとだけ戦いの指南をしてみたけれど、あの子は既にかなり強いわね」
「世話焼きだのう。どこまで良い奴なのだ、お主は……」
「褒めるのが上手ね。また夕食を作りに行ってあげるわね!」
二人は木の枝を飛び越えながらも閑談をする余裕があった。修羅狩り契約のない現在は護衛に注意を払う必要がなく、刃と雫玖は精神的にも羽を伸ばしていた。
「こうして刃ちゃんと共に行動をするのは久し振りね。七年前のように、また一緒に任務を受けたいわ」
「貧しい国が大半を占める現在、二人も雇ってくれる国は少なかろう。国を護るだけならば、わしでも雫玖でもどちらかがいれば事足りるからのう」
二人は初めて修羅狩りの任に就いた時のことを思い出していた。
「そうね。あの時はまだ駆け出しだったから二人も採ってくれたのよね」
「当時のわしらは九歳だったからのう。雇ってくれただけでも有り難かった」
過去を追憶すると、当時は凄惨な出来事の連続であったことを思い出す。
幕府が滅びたことで世界は狂い、生活が立ち行かなくなってしまった。兄は殺され、両親は行方知れず。刃は絶望のどん底に突き落とされていた。
そんな中で心の支えとなったのが雫玖だった。境遇の近い少女達は意気投合し、出逢ってすぐに仲良くなった。
しかし、ずっと遊んではいられない。幕府が滅びようとも、日輪に於いて護りの力が必要であることは幼い刃にも理解できた。ずっと見てきた父の背中を頼りに修羅狩りの道を模索し、乱世を平定すべく刃は己の全てをこの道に捧げたのだ。
雫玖も刃についていく形で同じ道を志し、共に研鑽を積んだ。
だが修羅狩りは茨の道であり、円滑洒脱とはいかなかった。当時の刃は実力も経験も足りておらず、何度も歯痒い思いをしたものである。
修羅狩りの失態は悔しいでは済まされない。任務の失敗により契約者の一族から罵られ、こともあろうに殺し屋を差し向けられたことだってあるのだ。
過去に起こった事変を思い返すと、なんだか現況に似ている気がしていた。
「初めて契約したあの国も……私達が契約満了で去った翌日に滅びたのよね……」
刃が言及するより先に、雫玖が往時のことについて触れた。
「……そうだな。考えただけでも寒気がするが、此度の事変を起こした首謀者は七年前の時点で既に動いていたのかもしれんのう」
殺し屋にも派閥がある。個人で動く者、徒党を組む者、大規模な組織を形成する者。堂々と領地に乗り込む者や、闇討ちを狙う者など、組によっても手法に違いがある。しかし、こうして情報網を武器にする殺し屋など聞いたことがない。
悔み切れない抜かり。もっと早くに気が付いていればと、刃は歯噛みをした。
「首謀者を捕らえたらどうする? 殺すの?」
「斬奸は雫玖に任せる。修羅狩りを嘗めた代償を与えてやれ」
「許可が出たね。了解!」
二人は韋駄天の如く山を駆け、あっという間に朱穂の境界まで辿り着いた。
だが目標の居所がわからない以上、朱穂という広大な土地を闇雲に探し回るのは得策ではない。刃と雫玖は、人間の痕跡を頼りに詩音の足取りを追った。
しかし朱穂の境界を越えてからというもの、それらしい証跡は見当たらない。まるでここが人跡未踏の地であるかのように、人間による足跡も馬車の轍もない。
広がる緑の迷宮、剥き出しに張り巡らされた木の根、無造作に転がる大きな岩。
ここは倒幕以前から立ち入られていないのだろうか。その姿は数年間の放置で完成する姿だとは思えず、不自然なほどに大自然が広がっている。
刃はふと何かを感じ取り、足元に目を向けた。昨日の雨でできた泥濘みに動物の足跡が残っている。ごつごつとした足跡はまだ新しく、刃の掌では収まらない大きさだ。ここら一帯には、間違いなく大型の肉食獣が徘徊している。
こんな化物を退けて生息域を拡大することが可能なのだろうか。加えて険阻な地勢、土砂崩れの跡、生息する危険生物。ここは人間が住める環境ではない。
しかし、鍛え抜かれた凶手であれば或いは――。




